Act.05「PvP」#4
「上級魔法は存在します」
その一言が、すっと頭の奥に染み込んでいく。
少しだけクリアになった脳裏に浮かんだのは、魔法屋のカウンター近くにある魔法のリストだ。
魔法は色々な種類があるが、実はそこまで数が多くは無かった。
それぞれの魔法、四大元素と第五元素の初級が幾つかに中級が一つか二つくらい。
二十とちょっとくらいがリストにある全ての魔法だ。
俺はその全てを伝授してもらっている。
実際に全てを使いこなすことはないが、ある程度は回数を重ねた覚えはある。
気になっていたのは初級、中級ということは、その上の分類があるはずだということだ。
仮にそれを上級とした場合、その解禁時期は早くてもテストの後半以降、もしくは正式サービス開始以後でもおかしくないと考えていたくらいだ。
それと言うのも、初級の魔法でも現状は十分に事足りているからである。
はっきりと言えば、初級の段階で魔法は相当に強い……というか、敵の強さとバランスがあっていないと感じることがある。
これは魔法に限らず他の職でも言えることだろうが、敵が非常に脆いのだ。
今までのMMOでは敵はそれなりに堅く、一体の強敵を相手にこちらはパーティで挑むと言うのが主流だった。
弱く雑多なモブモンスターでは、それこそ強力なスキル一発で屠れてしまい、集めるだけ集めて範囲攻撃で効率的に経験値を刈り取るのが常だからだ。
そういう弱いモンスターは少なくし、強大なモンスターを大勢で倒すというのがVRMMOには多かった。
協力プレイというのを推すこともできたし、適度な強さのモンスターを一体一体作るよりも、多少手強い敵を頑張って狩ってもらう方が、開発にとってもプレイヤーにとっても満足のいく評価が得られていたからだ。
反面、この『Armageddon Online』の世界ではモブモンスターが多いと言うべきか、そこまで極端な強さの敵が居ない。
言ってしまえば、最初のダンジョンとは言えど「たった二人のパーティでボスが倒せた」ことや、「低レベルのプレイヤーがフィールドボスと遭遇しても勝てる」といったことから明らかだ。
普通のレベルデザインではこうはならない。
俺が使う≪火矢の呪文≫だってMPブーストに気付いてからは必殺の威力を確保できている。
装備の補正や何らかの隠しパラメータの関与は十分に考えられるが、それでも剣士が基本スキルを十発近く入れる様な相手を一撃で倒せるのは同じレベル帯ならばオーバースペックだろう。
そう聞くと近接が弱いのかと感じてしまうが、近接職だって的確に急所を攻めたてれば、同じスキルでもたった数発で倒すことが可能になる。
既に『スチームベア』を一刀の元に斬り伏せた奴がいるって噂も耳にしているし、この世界の冒険者の実力と敵との間には強さの溝があるのだ。
クローズドβテストだからといって弱く調整しておくなんて必要はなく、むしろテストだからこそ強く設定していてもおかしくないはずなのだ。
中級魔法は基本的に扱いにくいが高威力といった魔法だ。
派生として雷属性の魔法なども存在するが、あれも直線照射型の単発魔法だ。
ある程度の攻撃範囲があるが、それによる範囲殲滅はあの魔法の意図するところではない。
詠唱時間は初級より長く、威力が高いといっても扱う場面は少ない。
消費MPもそれに従って増大する傾向があり、実戦では中々使う機会がないのが中級魔法だ。
俺が初級魔法の扱いを磨き続けている理由もそこにある。
意図的に詠唱に時間をかけることでMPの消費量を多くして威力を高める『MPブースト』。
システム的に魔法を早く起動してMPを早くから注ぎ、暗記と早口言葉の要領で素早く呪文を結ぶことで詠唱速度を上げ、威力を維持したまま連続して魔法を放つ技術である『高速詠唱』。
そういった細々とした工夫だけで初級魔法でも飛躍的に戦術のバリエーションが増える。
扱いにくい中級魔法を無理に戦術に組み込まなくても、現状十分にやっていけるのだ。
もちろん、今後もずっとその限りとはいかないだろうが、使う場面が極端に増えるという事は無いと思われる。
初級魔法の方が使う頻度が高いのは変わりがないだろう。
では、上級魔法が存在した場合はどんな場合に使役される魔法となるのか。
それは――
「上級魔法は広域殲滅用の魔法を主体としたカテゴリーで、一般には『戦術級』とも呼ばれる難易度が高く使用する機会が限られた破壊の為の魔法です」
そう、この世界は戦争がある世界なのだ。
戦争という状況での魔法の需要を視野に入れるならば、個人個人を叩くのではなく、複数の対象をまとめて薙ぎ払うことが可能な強力な魔法が求められるだろう。
中級までは個人が扱う武力としてカテゴライズされているとすれば、戦争で必要となるような魔法はその上を行くもの、上級魔法に分類されるということだ。
なるほど、そう聞かされれば納得が行く。
町の一角にある魔法屋で個人が戦術級の魔法を気軽に手ができる世界というのは、現実に照らし合わせれば一家に一つ戦車や爆撃機があるようなノリになってしまうだろう。
世紀末じゃあるまいし、そんな物騒な世界は御免だ。
今でも武器が簡単に買え、魔法が気軽に覚えられるこの世界は、現実で言えば銃社会と似たような状況なのだろう。
日本人には馴染の無い感覚だ。
「なるほど、だからお店では伝授していないってことか」
「いえ、別に伝授していないわけじゃないんです」
マジかよ。
「上級までは特に伝授することに規制は無いのですが……先の話にもつながりますが、魔法とは適性によって難易度が大きく左右します。
中級までは適性の無い、苦手な魔法系統でも習得は可能でしょう。
しかし、上級と言うのはその言葉以上に、中級以下とは難易度に確固たる差が生じています。
例えるならば、初級は平野を歩くような、中級は山道を歩くような行為だとすれば、上級と言うのは空を飛んで山の頂に降り立つようなことだと思ってください」
例え話が文字通り飛躍していた。
歩いていた人間が突然、何の前置きも無しに空を飛び始めたのだ。
その難易度は断崖絶壁というよりも、もはや背中に羽が生えているかどうかという部分に関わっていそうだ。
なるほど、だから魔法の才能の有無となる適性が関係あると。
「私はここで教えている全ての魔法を貴方に伝授してきました」
そう言えば、いつも彼女に伝授を頼んでいたな。
贔屓の店員さんがいると、いつもその人に頼んでしまうあの感じだ。
丁度、俺が魔法の伝授を頼もうと店に顔を出すタイミングの時は、決まって彼女が店番をしていたというだけの話でもあるのだが。
「だから、貴方の魔法の適性というのは正しく理解しています。
貴方がどれだけ魔法に精通し、その深淵を歩んでいるかを……正直、この短期間でここまで魔道を極めた方を見たのは初めてです」
毎日毎日、馬鹿の一つ覚えのように魔法の訓練しかしていないからな。
自分で言うのもなんだが、魔法の使用回数的な隠しパラメータがあるとすれば、結構いい数字になっているんじゃないかという自負がある。
彼女が言っているのはそのことかもしれないな。
「貴方には上級魔法を覚えるだけではなく、扱いこなせる程の資質があるかもしれない」
確かに説明通りとするならば、覚えるだけなら誰でも覚えられるのだろうが、使う事に関しては適性や何やで大きく左右されるのだろう。
彼女が俺の中の何を見て高く評価してくれいるのかは今一つわからないが、こうまで良く言われたら悪い気はしない。
「上級魔法の公開と伝授は魔導師に一任されています。
私は魔導師の一人として、貴方に上級魔法の伝授を行っても良いのでは、と考えています」
ぞくりと背筋が震える感覚が這い上がる。
秘儀や奥義の類を伝授されるというのは、こういう高揚感があるのだろうか。
体の奥に熱が籠るのが分かる。
「ジン・トニック。 貴方は上級魔法の伝授を……欲しますか?」
凛とした響きで突き付けられた言葉は、脳髄までビリビリと痺れさせるような電流となって全身を駆け巡っていた。
心臓が早鐘のように鳴り響いているのが分かる。
この仮想の体には無いはずの心臓の鼓動が、確かに伝わってきているように感じるのだ。
降って湧いたようなこの話はゲーマーならば即座にイエスと答える場面だろう。
ここまでの道のりを考えれば、まず間違いなく到達したプレイヤーはそう多くないはずだ。
言ってしまえば、今この状況は『上級魔法解禁イベント』なのだ。
新たな力を欲すると告げ、その力を授かる資格を得た場面。
誰もが新たなステージの登場に心を躍らせる場面だろう。
俺もさっきから高揚感が止まらない、異常なまでに興奮しているのが自覚できる。
……その事実が、奇妙な違和感となって俺の意識を抑制していた。
際限なく高まっていく期待感は、今にも弾けそうなくらい膨れ上がっているのだ。
そのうえ、まだまだと言わんばかりに今もなお積もっていく。
きっとこの思いをぶちまけるまで、本当に上限を無くしたように感情が上り詰めていくのだろう。
力を求めるというのは当然だ。
誰もが強くなりたいと思うはずだ。
VRMMOならば特に、他の誰よりも強くなりたいと願うのは当然だろう。
そこに何もなくても、得られる強さだけをただただ欲してしまう。
目的が無くても、最強の座を目指さずにはいられない。
VRMMOゲーマーの端くれとして、抱かずにはいられない感情のはずだ。
……だからだろうか、この違和感がどうしても拭い去れない。
俺はいったい、その力を得て何をしようと言うのか。
いや、そもそも――
「上級魔法を覚えても別に強くはならないよな」
するりと、俺の口許から頭の中で纏まらなかった思考が言葉になって滑り落ちた。
その直後に、もやもやとも、ムラムラともした奇妙な感覚はすぅっと忘却の波に溶けて消えた。
残ったのは空っぽの感情と、目を大きく見開いて驚きを前面に露わにした彼女の表情だった。
珍しいと思った。
普段は大人しくて無表情な彼女が、ここまで感情を大にしているのは見たことがない。
思い返せば、今日は普段の彼女では見せないような表情を色々と見た気がする。
……何となく、嬉しいような恥ずかしいような感じがするな。
こういうのを、何て言うんだったか。
「……はぁ、参りましたね……」
彼女は少し辛そうに声を絞り出すと、どっぷりとソファーに体を沈めた。
額には玉の様な汗が噴き出していたいたし、その表情にも僅かな陰りが見えた。
また彼女の見たことのない一面を覗いてしまった気分だ。
少し赤くなった頬が、汗で張り付いた髪が、感情の薄い彼女の印象を変えてゆく。
絶え間なく変化するその仕草が、俺の眼にはやけに眩しく思えた。
「貴方の目的はいったい何なんですか」
どこか憮然とした感じで彼女は呟く。
彼女の瞳は真っ直ぐとこちらを見つめていた。
上目づかいの仕草なのだが、その視線、その瞳からは少し恨めしそうな色を湛えてこちらを睨みつけているように感じる。
彼女は何かに怒っている……のだろうか。
「え?」
そして唐突な質問、いや乱暴に投げつけるよう言葉に思考が白く染まる。
目的って何だろうか。
誰が、何のために、何をする……俺が?
「特に何も考えて……なかったな」
反射的に口をついて出た言葉だ。
そう、俺がVRMMOが好きな理由は幾つもあるが、VRMMOを遊ぶ理由は特にないのだ。
暇だから、違う。
好きだから、それも少し違う。
ただVRMMOという世界がそこにあれば、その世界に行かざるを得ない……義務では無いし選り好みもするが、VRMMOで遊ばないという選択肢は無い。
そもそも、何かと比べて選んだわけでもないから選択をするという事すらない。
ただ在るが故にやる。
その目的も然りだ。
ただやるが故に目的は無く、ただやるが為に目的は要らず……とでも言うのだろうか。
考えが纏まらない、いや、そもそも何も考えていないんだった。
別にVRMMOのプロとなって金を稼ぎたいわけでも、将来的にVRMMOの業界で働きたいわけでもない。
ただVRMMOという世界に居たいだけ、それが俺だ。
「何も……はぁ~、何なんですかそれは」
一際大きく溜息をついて、遂にナンシーは脱力して机に突っ伏してしまう。
彼女の髪が机の上に青い海を広げていた。
ぶすぶすと燻った煙を上げているような雰囲気を出している気がした。
やけに動きが人間臭い。
相変わらず開発の手をかける場所、こだわりのポイントがおかしい気がする。
ふと、青から覗く白い首筋が描くラインに視線を縫いとめられて思わず戸惑いを覚える。
少女の様な雰囲気の彼女から、女性らしい色気を感じるとは思わなかった。
と言うよりも、俺はこのNPCに少し入れ込んでいるんじゃなかろうか……VR嫁とか言い出すほどには、まだ擦れた人間性をしていないと思っていたのだが。
彼女が欲しいと大きく声に出して叫んでいる訳じゃないが、人並み程度には女性と付き合いたいと思っているはずだし、二次元や無機物、VR(仮想現実)などではなく、生身の女性と健全な関係を築きたいと考えている普通の男子高校生……のはずだ。
それに、彼女は別に俺の好みのタイプってわけでもないんだが。
稀に自分の事を自分で理解できないことがあるが、まさかVR世界でこんな変なことを悩む日が来るとは思わなかった。
これが思春期、これが青春、若さって奴は時に勘違いをしてしまうということなんだろうか……。
そうやって逃避的な思考に耽っていると、急にガタガタと音がする。
驚いて目をやれば、ナンシーが突っ伏したまま暴れていた。
分かりやすく駄々を捏ねていた。
「大体、酷いんですよ! 貴方は私が一体どんな思いでこのような機会を設けたと思っているんですか! いえ、分からないでしょうね分からないですとも、私だってよく分かってませんから! 何なんですかもう、一世一代の覚悟でなけなしの勇気を振り絞ってお話をしたのに、それをあっさりと拒否、しかも貴方から話を振っておいて拒否! 内心で不安と期待と覚悟とプライドと気恥ずかしさと……色々な感情の葛藤を乗り越えて決意した私が、まるで馬鹿みたいじゃないですか! 馬鹿丸出しですよ! ……やっぱり私は馬鹿なんですね、アカデミーでは確かに何度も落第しかけましたけど、これでも才能は認められてるって奮起してやってきましたが、こうして肝心な場面で外してしまうのは変わりませんでしたね……人はやはりそう簡単に違う自分には成れないという事でしょう、私はドジでマヌケでおっちょこちょいのオタンコナスでブスな女なんですよ……思えば、告白には良い思い出がありませんでしたね、そうです、私は告白の失敗率が百パーセントでした! あぁ、何て重大なことに今まで気が付いていなかったのか! 私はやっぱり全然ダメな人間なんです……今すぐにでも消えてしまいたい……うぐぅ、ぐすっ、えぐっ……」
怒りから哀しみへとテンションのジェットコースターを見せつけられた。
上りと下りの落差がとんでもないことになっている。
終いには泣きが入り、ぐじゅぐじゅと泣き濡れた音が辺りを埋め尽くす。
突然の事態にどうすればいいのか皆目見当が付かない。
えっと、何か無いか?
この状況を脱することが出来る何か……確か、以前使っていた装備を冒険者カードにしまっていたはずだ。
俺は手早く冒険者カードを取り出し、その中から使わなくなった魔法使い用のローブを取り出す。
生地は布製なので、タオルの代わりになると思ったのだ。
「とりあえずこれで顔を拭きなよ」
「えぐ、あ、ありがと……ぐすっ……ございまぐじゅ」
差し出した布を彼女は伏せたまま受け取る。
しばらく布が擦れ合う音がして濡れた音がなりを潜めた。
居たたまれない気分になっていた俺は、彼女の様子を見続けていることができなかったので体ごと横を向いていた。
しばらくして動きが落ち着いたのを感じ取り、姿勢を向き直した。
目元だけじゃなく、顔中を真っ赤に染めた彼女が申し訳なさそうに俯いて座っていた。
まるで怒られることを理解している飼い犬の様な雰囲気だ。
今にも泣きそうだし、悲しそうな表情でこちらの言葉を待っている、そんな様子だ。
彼女に尻尾が生えていれば、間違いなくしゅんと萎れて股の間に挟んでいるだろう。
祖母の家で飼っていた犬がそんな感じだったのだ。
ある程度こちらの言葉を理解する賢い犬だったから、子供の頃は友達の様な感覚で接していたのを覚えている。
「…………」
沈黙がこの場を支配していた。
気まずさもあるが、何よりも思考が状況に追いついてこないから言葉を出せなかった。
一体、何が起こっていたのか……さっぱり分からないのだ。
覚えていることと言えば、ここに来るまでの経緯と、ここで教わった魔法について、そして彼女の感情が謎の大爆発を遂げたという事だ。
ここに来るまでの経緯は別に思い返す必要はないだろう。
魔法についての知識、それも特に問題じゃないように思う……と言うか、語られた内容をあるという前提でシステム的に解釈したらこうじゃないか、何てことを考えていたとは思うのだが、それが今の状況に繋がっている様には思えない。
だとすれば、彼女が勝手に爆発したことになる。
残念な話だが、彼女には初対面でいきなり会話ロジックが暴走した前科があるのだ。
今回もその手の暴走かもしれない……のだが、どうにもそうじゃない気がしている。
以前は会話として成り立っていないというか、彼女の中で勝手にループしていたような反応だったのだが、今回は似ているようで少し違う。
確かに彼女は俺の返答に反応していたし、それによって状況が起きたのならば、原因の一端は俺にあるはずなのだ。
もっとも、それが何か皆目見当が付かないからこうして頭を抱えているわけだ。
直接的な原因、直前のやり取りでトリガーとなったと思われるのは、俺が「上級魔法を覚えても――」と言っていたことにあるんじゃないかと思う。
それが何に引火すれば爆発するのだろうか。
当てずっぽうに結論から言えば、これは多分、俺が想像するだけ無駄な話なのだろう。
例えばの話だ、システム的に『禁則事項』が設けられているとしよう。
テストは段階的にプレイヤーに開示されるし、その都度アップデートが入るし、解放される要素も増えていくわけだが……クローズドβテストの短い期間、頻繁に行うアップデートにおいて、その工程を毎回踏むというのは些か手間が過ぎるだろう。
AIの会話バリエーションに関してもそうだ。
段階的に調整した内容を喋る様に追加するというのは途方もない手間だろう。
ならば、最初からテスト終了までの要素を込めた状態でAIを構築、調整しておき、開示できる情報かどうかを機械的に判断させる方がよっぽど効率的だ。
いちいち順番に書き足していく方法と、最初から書いておいてマスキングをし、それを徐々に剥がしていくのと、どっちがスマートな手法になるかという話だ。
もちろん、細かく見れば時と場合によるだろうが、今回の様なケースは十中八九後者の方がコストパフォーマンスが良い。
AIは瞬時に会話内容を考察し、その中に現段階で『開示不可』な話題は避ける、または会話を打ち切るという判断を下す。
さっきの一見するとどこかが壊れたかのような反応を示したのは、彼女の中で会話ロジックや人格AIが話の整合性を調整したり、『開示不可』な情報を上手く誤魔化したりと、システム側で思考ループに陥らない様にと幾つかのセーフティを働かせた結果なのかもしれない。
そうだとすれば、色々と納得のいく部分もあるのだ。
素人の考えなのでこれが正解だとは思っていないが、一応の納得を得られた気がする。
まぁ、そうして色々とセーフティを働かせた結果が、彼女のあの無様な姿だと言うのならば、世の中とは中々に残酷なものだなと思ってしまう。
別に幻滅したりとかそういう感情は抱いていないが、彼女の尊厳にとってセーフかどうかと聞かれれば、残念ながら確実にアウトだと言えるだろう。
しかし、相変わらず自分はこうして下らない事を考えていると、奇妙なほどに気持ちが落ち着いて冷静になっていくんだよな。
箸にも棒にもならない考察だが、思考に没頭できることで余計な感情を削ぎ落とせるのなら悪くないのかもしれない。
俺自身が思考のループに陥らない為にも、こうして適当な決着をつけてやるのがいい。
少なくとも、今はそこまで気にする必要がないはずだ。
次にすべきことは何か……ひとまず彼女との会話を再開することだろう。
どうやって最初の一言を切り出せば良いか、考えあぐねていると彼女が先に口を開いた。
「すみません、唐突にみっともない姿を晒してしまい……」
「あ、いや、こちらこそ申し訳ない」
よく分かっていないが、俺が切っ掛けになっているのは察している。
中途半端な謝罪は怒る相手もいるが、こちらが悪いと思っていての謝罪ならば、理由が分かっていなくても気持ちは伝わるはずだ。
彼女がNPCでありAIの思考には感情を考慮などしない。
だから、額面通りに謝罪の言葉を受け取るだろう……そんな打算的な考えが少しも浮かばなかったわけじゃないのが、俺の性格の悪さを露呈してしまっている気がした。
それでも、彼女が誰かに作られたプログラムであっても、例えそうじゃない一人の人間だったとしても、俺が素直な気持ちを伝える手段として謝罪の意を示すことに変わりはない。
「実は、私は魔導士として独り立ちしたばかりで、初めて魔法の伝授をしたのが貴方だったんです。 ……あ、魔導師と言うのは「他人に魔法を教え導く者」、つまり魔法の師匠のことです」
ぽつぽつと彼女は言葉を繋げていく。
「魔法とは本来、魔導師の資格を持つ者が弟子を取って教えていくんです。
ですが、私はアカデミー時代の評判が悪く、弟子を一人も迎えることが出来ませんでした。
私は魔導師として認められなかった、落ちこぼれだったんです」
アカデミーは魔法を教える学院ということだろう。
魔導師が教える立場、資格の事だとすると……彼女はアカデミーの教職員としての実力を得て、実力を学院に認められたということじゃないだろうか。
しかし、学生時代の評判が悪くて生徒を取れなかったので、彼女のゼミは閑古鳥が鳴いていた。
弟子のいない彼女は、魔導士として真に認められたわけじゃない……といった所か。
それが彼女のコンプレックスだったのかもしれない。
だから、俺がさっき否定的な発言をした時にそのトラウマを刺激してしまった、と。
あの一言で、俺に拒絶されたと感じたのかもしれない。
聞けば俺が最初に魔法を伝授した相手だったと言う。
最初に会った時のあのテンパり方は、彼女が魔導師として魔法を教える立場での初めての仕事だったからで、それからも何かと俺に良くしてくれた気がしたのは……もしかしたら、彼女は俺のことを弟子に見立て、師匠として出来る精一杯のことをしてくれていたのかもしれない。
「勝手な話ですよね、一人で興奮して、張り切って……ちゃんと貴方の事を考えていなかった。
本当は、魔法屋では一般的には中級の魔法までしか伝授していないんです」
確かに魔法屋のリストでは中級までしか載っていなかった。
では、何で――
「上級魔法を伝授できるのは魔導師の中でも限られています。
魔導師の資格を得た魔法使いならば誰でも伝授が可能というわけではないというのが普及していない理由の一つになりますが、それ以上に、魔法の難易度や破壊力が中級以下とは桁が違うので、闇雲に伝授をしたところで扱えない者が殆どなんです。
故に師が直々に才覚を吟味した上で、伝授してもよいと思える弟子にだけ授ける、というのが一般的な習わしになっているんです」
――なるほど、合点がいった。
だから店のリストにはそもそも記されてすらいないのか。
「私の勝手な都合で貴方を振り回してしまって……ごめんなさい」
深々と頭を下げる少女の姿に罪悪感を感じてしまう。
俺は別に何とも思っていないのに、彼女が悲しんでいることが良く分かるからだ。
彼女は真面目で少し不器用な性格をしている。
「私、おかしいですよね。 ひとりで勘違いして舞い上がって……昔から肝心なところでドジを踏んでしまうんです、弟子を持つことも諦めたはずなのに、心のどこかでは諦めきれてなかったから……嫌な、女ですね……」
俺は彼女にハッキリと言ってやらなければならない。
「そんなことはどうでもいい」
「……えっ」
「そんなことはどうでもいい」
「……」
表情を凍らせた彼女の瞳が、ようやくこちらを見つめ返した。
俯いていた顔がやっと上がったのだ。
次の言葉をすかさず捻り出す。
「いいか、俺は魔法屋に魔法を覚えに来た。
ナンシーのことは信頼してるし、上級魔法だって覚えたい」
強い言葉でハッキリと告げる。
「俺の知ってるナンシーはちょっとドジで無愛想な表情してるし、見た目もちょっと幼い感じで頼りなく思えるけど、本当はいつも真摯に対応してくれる、真面目で頼れる人だって知ってる。 過去にどんなコンプレックスがあっても、今の俺の気持ちは変わらない。
ナンシーの弟子になれって言うなら、俺からだって頼んでも良いさ」
「……では、その」
「ナンシー、俺を弟子にしてくれないか?」
呆然とした表情で彼女は俺を静かに見つめる。
しばらく無言のまま互いの視線を絡ませ合い……先に逸らしたのはナンシーだった。
そのまま、ふっと噴き出して頬を緩める。
普段の不愛想に見えるナンシーの顔だ。
でも、どことなく柔らかい笑みが浮かんで見えた。
「……ジン、貴方は女の子の扱い方を学ぶべきですね」
なんてことを言うんだ。
「師匠、言うに事欠いてそれか?」
「気が早いですよ、ジン」
そう返す彼女の声も、どこか威厳を出そうとしている気がした。
「コホン。 では、ジン・トニック、貴方を私の弟子として迎えましょう」
「よろしくお願いします、師匠」
「……ナンシーで良いです。 貴方に師匠って呼ばれると……なんだか、背中が痒くなってしまいますよ」
「そうですか、師匠?」
「だ、だから止めてくださいって!」
「師匠、師匠!」
「も、もぅ! 師匠の言い付けくらい守ってください!」
「分かりました、師匠!」
「分かってないじゃないですかー!」
顔の表情は相変わらずだが、その声音は弾んでいるようだった。
何より、からかっていると実に可愛らしい反応を返してくる。
これは良い師匠に巡り合えたかもしれないな。
……ところで、師匠を持つとゲーム的にはどうなるのさ?
「……では、サクッと奥義を伝授してしまいましょうか」
「え、そんな軽いノリで?」
「貴方には厳かな雰囲気とか、意外と似合わないってことが、今よーく分かったので」
これは酷い師匠だ。
彼女は俺と視線を合わせ、右手の親指で自分の唇に触れると、その指を俺の唇に触れさせ……えっ?
えーっと、あー……えぇっ?
混乱で動けない俺をそのままに、彼女の唇が震え、何かを紡いでいたようだ。
俺の耳は何も聞いていない、聞いたんだろうけど脳が記憶していない。
周囲の色が褪せ、俺と彼女だけが漆黒の闇に浮かび上がる感覚。
彼女の口から虹色の光りが溢れ出し、それが糸のように伸び、波のようにうねりながら俺の口の中へと侵入してくる。
それは肺や胃へと流れ込むのではなく、俺の脳へと到達していた。
上級魔法の概念とでも呼ぶべき知識なのだろうか、眼前に幾つかの光景がフラッシュバックして過ぎ去っていく。
始まりは水、次に土、そして大気、最後に火。
海に始まり大地、空気、人が生まれて火のついた松明を天に掲げるイメージ。
その松明が杖に変化し、様々な文明の中に魔法使いが描かれ、それらの文化を大きく広げていった様子が伺えた。
中にはドラゴンと戦うものや、魔法使い同士の争い、城に隕石を落とすものもあった。
紡がれる歴史の断片とでも言うべきそれらの光景、最後のイメージは今までのような褪せたセピアの色ではなく、はっきりとした鮮やかな色で映し出された。
あまりにも急な色彩の洪水に、少し目が眩んでしまう。
「……これで、上級魔法を扱う下地が貴方の中に整いました」
静かにナンシーは告げる。
俺は最後に見たイメージが強烈すぎて、喉が渇いたように張り付いてしまい声が出せなかった。
そういう錯覚を抱いたのだ。
イメージは冒険者……と思わしき様々な装備をした人間が、一瞬で灰に、オブジェクトの粒子となって消えていくイメージだ。
生々しいその映像は今まさにそこで起こったことの様なリアルさがあった。
PvPの仕様変更で冒険者の死体はしばらくそこに留まるはず……なのに、砕け散ったということはやはりイメージの出来事……つまり、上級魔法にはそれだけの威力があるということなのか?
無意識のうちに、俺はメニューから魔法のリストを開いていた。
……上級魔法、火属性の魔法を覚えていた。
俺がその魔法ウィンドウを見つめていると、彼女がゆっくりと声を掛けて来た。
「その様子だと、既に上級魔法を体得しているようですね」
「分かるのか?」
今度は幾分か落ち着いたからか声が出せた。
「私も、上級魔法の伝授を受けてすぐに閃いていました……それで、師匠と折りが悪くなったのもありましたが、なるほど、あの時の師匠はこういう気持ちだったのですね」
寂しそうな声で彼女は独白していた。
俺が掛ける言葉を思い付けずに黙っていると、彼女は小さく頭を振った。
「いえ、そうですね、流石は私が見込んだだけある、と言っておきましょう。
そうです、才能は既に見抜いていましたから……だから私は「上級魔法を覚えていたからって調子に乗るなよ!」だなんて言わずに、しっかり師匠として教えるべきことを教えましょう!」
ぐっと小さく拳を作って彼女は宣言していた。
少し晴れやかな表情に思えるのは俺の希望なのだろうか。
やっぱり、彼女の表情筋はあまり活躍しない。
「では、上級魔法使いとなったジンに『本当の魔法』について教えましょう」
そう言って、彼女は俺に『本当の魔法』を教えてくれる。
俺はそれを一部知っていて……まさか、なるほど、そうなっているのか、と感心させられた。
より深く魔法について知りたくなり、彼女に更に教えを乞おうと頼み込んでいると、冒険者カードの機能である『念話(個人チャット)』が俺を呼び出した。
意外と制限があるので使い勝手が悪い機能なのだが、これを使って連絡したいことがあるということは、かなり急ぎの要件なのだろう。
俺はナンシーに断りを入れ、冒険者カードを取り出して念話機能を開始する。
通信の相手は先ほどまで魔法屋で話をしていたマグナだ。
あれから結構な時間が経っているし、向こうも魔法の伝授は済ませているだろう。
狩りの誘いかもしれないな……なんて、少し気楽に構えていた。
「無事か!?」
「あぁ、何かあったのか?」
予想を裏切る緊迫した第一声に、俺は戸惑いながらも返事をする。
「やばいぞ、かなりやばい。 緊急事態だ、ゲームが終わるかもしれない」
ゲームが終わる……どういうことだ?
「それはどういうことだ?」
「やりやがった奴らがいる、討伐隊が編成されているんだ!」
「だから、どういうことだ? 何があった!」
「……まだ町の中か? なのに町の様子を知らない? 屋内か、ならばすぐに広場に来てくれ!
いいか、絶対に町の外には出るな! すぐに合流しよう、詳しくはそこで!」
彼女の焦りが伝わってきた。
事態は余程の緊張感を持っているらしい。
ゲームの終焉、やりやがった奴ら、討伐隊、町の様子と外に出るなと言う警告……それらの単語は一つのキーワードと結びついて、俺の脳内に仮説を組み立てた。
「まさか!」
PvP機能解放の今日だからの奇襲。
それは『集団PKグループによる狩りが行われた』という可能性を示していた。
「師匠、ちょっと用事が出来ましたので今日はこの辺で」
「……分かりました。 行ってらっしゃい、ジン」
師匠の言葉が俺の背中を押し、薄暗い地下道を駆け抜けさせる。
来るときは迷いそうだと思っていたが、今では真っ直ぐに外に出れると確信していた。
ほどなく外の光が差し込み、少しの眩さを感じながら俺は店内へと躍り出た。
すぐに店を飛び出し、いつもと比べ閑散とした通りを走り、広場へと踏み込んだ。
そこには大量の冒険者がいて、野次が飛び交う混乱の坩堝と化していた。