Act.02「Magic Users」#5
#5、#6で前後編になります。
――視界の端を影が過る。
考えるより先に口が動いていた。
「マグナ!」
背後で響く剣戟と裂帛の気合を織り交ぜた振動に、振り向きたくなる衝動を抑えて正面に意識を集中する。
意識的に意識を外す。
矛盾した言葉の意味を、頭で考えるのではなく体で理解して動く。
俺がやるべきことは、こいつを足止めすることだ。
思考を止めてはいけない、俺たちは理性と知性で戦わねばならない。
「ゴアァァァァアアアオオオオオォォォオッ!」
威嚇の咆哮が大気を震わせる。
竦み上がれば致命的な隙となるし、恐怖に負ければ抵抗の意思を刈り取られる。
心を強く縛り、戦場に縫いとめる。
しかし、鳴動した大気の圧力が肺を焼き、内側の酸素を強引に奪いつくしてしまう。
唇は動いていたが、発声は途切れていた。
失敗した。
死を覚悟した瞬間、風を切る音がそのイメージごと引き裂く。
奴の肩口が小さく裂け、苦痛と怒りの雄たけびを上げる。
サポートがある、後ろはまだ大丈夫だ。
一つ小さく息を吐き、細く息を吸って止める。
集中だ。
「≪熾れ≫」
集中だ。
「≪爆ぜて≫」
集中だ。
「≪飛びかかれ≫」
イメージは、一撃必殺。
「≪火矢≫」
構えた杖の先端から真紅の閃光が迸る。
空中を疾走する火の柱は、寸分違わず眉間に吸い込まれ――大輪の花を咲かせた。
先の咆哮もかくやと言う程の巨大な爆音、飛び散る無数の火の粉は流星の様に空を、大地を染め上げる。
ずぅんと、重いものが崩れ落ちた音が響き、戦いの終わりを告げた。
一瞬、しんと静まり返った後に轟く冒険者たちの歓声。
敗北を悟った残りの影たちは森の奥へと方々に散っていった。
気怠さで沈みそうになる意識を堪えていると、いつの間にか隣に人の気配があった。
左肩を右手で抱きながら、ゆっくりと腰かけて来た相手を見る。
全身に無数の傷を負い、まさに満身創痍といった風体の銀髪金眼。
額に巻かれた赤いバンダナが少し浅黒く変色し、黒いマントも赤の斑模様になっていたが、その顔には苦悶の表情は浮かんでいない。
浮かんでいたのは清々しさを感じる笑みだった。
「へへ、やったじゃねぇか」
どこか誇らしげな彼の表情に俺も「あぁ、そうだな」と頷いた。
彼は一人で群がる雑魚の相手をし、俺たち全員の盾となってくれたのだ。
誇っていいはずだ、誇るべきだ。
彼の活躍に敬意を表して、肯定の意味を込めて彼に頷き返した。
しかし、どうしたことか彼は顔を顰めるとこういった。
「俺様じゃなくて、お前のことを言ってんだぜ?
あのバケモンを一人でやるなんて、大したものじゃないか!」
「一人で……いや、誰がやったんだ?」
「だから、お前がアイツをやったの!」
……そうか、俺が倒したのか。
じわじわと、満ちていく波のように胸の奥に何かが押し寄せてくる。
この感情は何だったか。
思考がやけにぼんやりとしている。
考えが全く纏まらない、考えることすら上手くできない。
「でも、それはみんなのおかげで」
頭の中は纏まらないが、口は勝手に動いていた。
その言葉に、彼はばつの悪そうな、何とも決まらない表情を浮かべていた。
「けっ、パーティなんだからそれは当然だろ!
俺たち全員が活躍した、当然、俺様はその中でも大活躍だったからな!
でもな、俺たちが奴にはかないっこないと諦めかけた時に、そして今、こうして勝利を勝ち取るまで、誰よりも必死に戦い抜いてくれたのはお前だ。
お前がいなければ、俺様も諦めてた、絶対に負けてた。
だから、お前が一人で奴に勝ったと言っても過言じゃない……だから、誇ってくれよ」
彼の視線には熱があった、真剣な眼差しだ。
今まで見て来たふてぶてしさや不遜な態度はなりを潜め、まるで別人じゃないかと思うくらい萎らしい雰囲気を醸し出していたのだが、不思議とそれに違和感は無かった。
彼もまた、自分と同じ存在なのだという事は、ここに至るまでに分かっていたからだ。
何がどう同じだったのか、猛烈な睡魔を感じる今となっては思い出せない。
俺は立ち上がろうとしたのだが、糸が切れたように崩れ落ちてしまう。
どうにも力が上手く入らない。
体を動かすには、どのように力を込めればよかったのか。
「おいおい、大丈夫か!
……はは、その顔だと気絶は初めてか?
いいぜ、ゆっくり休めよ」
とても優しい言葉だった。
その言葉に誘われるまま、俺は意識を手放していた。
―――――
-マグナニート視点-
彼らと出会ったのは魔法屋の一階だった。
男の方は銀髪金眼だから遠間でも種族がすぐに分かった、間違いなくダンクェールだ。
ダンクェールは魔法と剣の両方を得意とする、魔法剣士に適した種族だ。
自分と同じ種族なのだから自然と親近感も湧く。
……何というか、自分を含めてどうにもギラついた奴が多いのがダンクェールって種族で、どいつもこいつも影の差したキャラばっかりだった。
そういう意味では、彼のアバターは少しそのイメージからは遠い位置にあった。
例えるなら、ダンクェールのイメージが研ぎ澄まされたナイフだとするならば、彼の雰囲気はペーパーナイフとでも言えばいいだろうか、尖った、切れた、扱いに注意する必要がある……そんなイメージからはかけ離れた、柔らかで、知的な印象だった。
そう思わせるのは、少し幼さを残した顔のパーツの選び方と、背伸びした風な左目の三本傷のせいだろうか、眼鏡をかけさせればあっという間にインドアなイメージになるだろう。
ダンクェールの設定にある、迫害されたとか、復讐だとか、恨み辛みなんてものが彼のアバターからは一切感じられず、見方によっては日向ぼっこしているかのような暢気な印象すらある。
その異質な雰囲気が、自分の目に彼が止まった理由なのかもしれない。
自分のアバターも同じく影は差していないと思うが、それでもつり上がった目尻と太い眉という風貌は、ダンクェールという種族の持つイメージの範疇から抜け出したものではないだろう。
本当は赤い髪が良かった。
燃えるような炎の赤だ。
ただ、種族として銀髪金眼が固定だったので諦めた。
代わりに、赤いバンダナを額当てとして装備することに決めた。
見た目のこだわりよりも、どうしても自分は魔法剣士というポジションがやりたかったのだ。
昔読んだ古い小説の影響だろう。
そいつに憧れるうちに、いつしかそいつの立場に居座ろうとしていたのだ。
ま、クローズドβなんだから細かいことは言いっこなしだ。
運よく当選した身内を誘って三人でパーティを組んでいた。
同じVRMMOで遊んでいた知り合いだ。
VR世界での戦闘に慣れ、また戦闘が好きな仲間だ。
ギルドれのレクチャーを終え、アイテムや装備を整えたので、早速、この世界でも戦闘経験を積もうと意気高揚していたところだった。
もう少しパーティの人数が欲しいと思っていたので、魔法屋で見かけた彼らは丁度良い相手だと思えたのだ。
今にして思えば、ギルド会館にも、魔法屋の道中にも、魔法屋の中でも、他に目立つ雰囲気や、見た目のプレイヤーは居たはずなんだが……不思議と、彼らを見つけた瞬間に決めていた。
「お前が欲しい!」
……なんて、照れ隠しにお気に入りのゲームのセリフを言ってみたんだが、きょとんとされてしまったっけ。
そもそも、「お前が欲しい!」なんてどこにでもあるセリフだ、ただの変な奴としか思われなかっただろう。
チョイスを間違え、最初の第一歩から躓いてしまったと思った。
ネットでは変な奴には付き合わない方がいいと思っている自分が、まさか変な奴と思われるようなことをしてしまったのだ。
テンカイが容赦なくツッコんでくれたけど、失敗は失敗だった。
しかし、彼は体よくあしらうんじゃなくて真摯に話を聞いてくれた。
隣に居たアルヴと一緒ならいいと快く誘いに乗ってくれて助かった。
少なくとも、付き合いたくない相手とは思われなかったみたいだ。
第一印象はどん底だったろうけどな。
ギルド会館でも彼は真剣な表情でクエストを見比べていた。
聞くと、彼は既にこの世界での戦闘を経験しているのだとか。
それを聞いた時、すぐに嘘だと断言した。
そりゃそうだろ、だってテスト開始から一時間も経ってない。
みんなレクチャーを受けたり、説明を受けたり、準備を整えたりしてる段階だ。
VRMMOってのは、開始後すぐにいきなり外に出て狩るってのは無い。
中にはそういうクレイジーな奴もいるが、大抵はシステムに慣れきっておらず、最も弱い雑魚にボコボコにされてホームポイントで蘇生されるのだ。
現に、自分たちがギルド会館前で合流したタイミングで何人かの冒険者が蘇生されていた。
きっと彼らはゲームスタート直後にエンカウントを狙い、そしてそのまま帰らぬ人になって……いや、違うな、『帰ってきた人』になってしまったのだ。
恥ずかしそうにしてる奴、嬉しそうにしてる奴、後悔してる奴、色々いたが、自分から見ればわざわざ無茶を承知で挑んでるのは馬鹿だと思った。
開幕スタートダッシュでの狩りというのは、ある種MMOの恒例行事、慣習と言ってもいいだろうし、それについてだけで言えば、自分も良し悪しは感じていない。
ただ、身の丈に合わないことをしている彼らを見ても、面白いとも、愉快とも思えなかったのだ。
冷めた目で見てしまう。
それが相手にとっても失礼だと思っているから、関わり合いたくもないのだ。
少し険が過ぎたかな……とにかく、彼の戦闘を経験したという話も、そういう態度で見てしまった。
VRMMOはダイレクトに表情が伝わる。
もちろん、意識すれば現実と同じで表情を隠せるが、自分はVR世界でそういうことをするのが苦手だった。
どうしても感情がストレートにアバターに出やすい。
だから、あの時の自分の顔はきっと酷いものだっただろう。
胡散臭い、面倒臭い、嘘臭い、不信感を募らせた不機嫌な顔をしていたはずだ。
失礼な話だよな、自分で誘っておいて冷徹に突き放すんだから。
同じことを自分がされたら……GMを呼ぶような事態に発展していただろう。
しかし、彼の傍についていたアルヴの少女が、彼を必死にフォローしたのだ。
てっきり、自分たちと同じく知り合いとか、そういう近しい間柄だろうと決めつけて見ていたのだが、彼らは全く知らない間柄……むしろ今日が初対面で、偶然にもゲーム開始直後に運悪くエンカウントして逃げ惑っていた少女を、彼が身を挺して助けたのだと言った。
話を全部飲み込めなかった自分は、きっとまだ胡散臭そうなものを見る顔をしていただろう。
疑り深いように思われるかもしれないが、私はVR世界だと感情表現が不器用になってしまう。
なら、いっそオブラートに包まず、ストレートに出してしまえばいい。
ぶっきらぼうな俺様キャラ、そういうロールプレイだと思ってもらえば、幾分かマシだろう。
そんな自分のことを理解してはいないだろうが、彼らは自分のスタンスに対して寛容だった。
少女が彼に強請って、自分に差し出したのは彼の冒険者カードだ。
何事かと覗き込んでみると、モンスター討伐数がカウントされていた。
しかも五体。
VRMMOの戦闘は下手すれば一回、たった一匹の雑魚との戦闘に数分かかることもざらにある。
まして、まだ誰も触ったことのない新しい世界で、他のプレイヤーを庇いながら町に来るまでに五匹もモンスターを倒している。
きっと、多少の差はあれど町が遠目に見える程度の距離だったはずだ。
その道中、不慣れで戦う準備も心構えも整っていない状態で五体もエンカウントすれば、間違いなくどこかで集中力や初期リソースが尽きて町に『帰されていた』はずだ。
俄かには信じがたい事実だった。
実は、私たちがギルド会館前で見ていた『帰還者』たちも、命知らずな奴は少数で不運に見舞われた普通のプレイヤーばかりだったんじゃないか。
だとすれば、彼らを最初に切り捨ててしまうような見方をした私は何て無様なんだ!
彼らは決して、あの結果を望んでいたわけじゃないのだ。
――だからだろうか、そこで私は反発してしまった。
「ダンクェールなら、剣と魔法でザクザクだからな!
俺様だってその程度、余裕だぜ余裕!」
私自身の虚栄心からか、はたまた勝手に突き放した彼らに対して、私が勝手にその名誉を守ろうとしたのか、それとも何か別の……理由は今も分からない。
衝動的に出してしまった、出さなくてよかった言葉を吐いてしまった。
そういうと、彼は申し訳なさそうな顔をした。
あぁ、やっちまったと思ったが、そこで私は一つの思い違いを正された。
「ごめん、こんなナリだけど俺はマギエルなんだ」
彼はただの魔法使い、賢者の一族だと言う。
それが、人を庇いながらモンスターをソロで五体討伐していた。
流石に度胆を抜かれたさ。
だって、マギエルは既にネット上の前評判で全種族中最弱と言われていた種族だ。
自分たちは一時間前にギルド会館前の広場に『帰された』何十人もの種族を見ていた。
中には最強種族候補と名高いドラゴニアや、自分と同じダンクェールも数多く居たのだ。
そんな『強いはず』の奴等よりも、目の前にいるひょろっ、なよっ、とした雰囲気のステータス最弱の魔法使いの方が『強い』という事実。
しかも、聞けばマギエル専用の強力な魔法を習得していたとか、そういう話でも無い。
それどころか、≪松明の呪文≫とかいう攻撃用とは思えない魔法しか覚えて無かったという。
純粋な魔法キャラじゃない構成の、自分のダンクェールですら初期に覚えていた魔法は≪火矢の呪文≫だったのにな。
あの時の自分の顔を、今からでも見てみたいくらいだ。
鳩が豆鉄砲食らった時の顔って奴をしているだろう。
丁度、≪火矢の呪文≫を覚えていたって言われた彼のような顔だ。
今にして思えば、彼と出会ってから素直に好意的な感情を表に出せたのはそれが初めてだったか。
他人を笑いの種にするのが好意的と言えるならば、だけど。
少なくとも、その場に居る全員が笑っていたし、嫌な雰囲気ではなかったと思う。
ガックリと肩を落として、少し苦い笑いをしていた彼にはご愁傷様としか言えなかったけどな。
彼とテンカイは気が合うみたいで、早い段階で打ち解けていたように思う。
確かにテンカイは人付き合いが良いし、物腰も穏やかで話をしやすいだろう。
テンカイはいい奴だ、それは自信をもって保証する。
しかし、気に食わない。
テンカイを取られたとは思ってないが、何か気に食わないのだ。
アルヴの方は、アリエルと打ち解けたようだ。
女子トークがキャッキャと響いてきて、楽しそうなのは良いことだと思いつつも、やはり少し胸がむかつく感覚があった。
アリエルも面倒見が良い方だし、見た目だけじゃなく言動も少し幼く感じるアルヴの少女に、彼女も持ち前の面倒見の良さが頭を出したのだろう。
初対面のプレイヤーが仲良くなっていく、それはMMOの醍醐味だ。
それは、良いことなんだ。
……自分が一人浮いている、それが気に食わない?
違うな、それだけは違うと断言できる。
少なくとも、この感情は知っている、嫉妬だ。
自分はマギエルのこいつに嫉妬しているんだろう。
きっと、自分の中にあるゲーマーとしてのプライドが、奴を見初めて張り合おうとしているのだ。
そう思えば、腑に落ちた気がした。
腑に落ちても、納得はしないし、収まりもつかないし、気に食わないものは気に食わない。
テンカイとアイツは幾つかのクエストを受注して、俺たちの元に戻ってきた。
彼の表情を見ていると視線が合う。
苦笑いが浮かんだってことは、また自分が酷い顔をしていたのだろう。
ちょっと傷付いた自分が嫌だった。
目的地は町を南に出て、街道沿いにしばらくいった森の奥だ。
森の奥と言っても街道から外れた道があり、目印も多い分かりやすい場所だと言う。
幾つかの依頼を見比べて、立地の良さそうな今回の場所の周辺でこなせるクエストを集めて来たのだそうだ。
嬉しそうに語るその様子に、テンカイは少し欲が強いことを思い出した。
今回も立地条件という建前とは別に、報酬がなるべく良いのを見繕ってきたのだろう。
今から取らぬクエストの金の勘定をしているとは……他人の前では口が裂けても言っちゃいけない事だな。
「おい、テンカイ! 報酬はキッチリ山分けだからな!」
それとなく釘を刺しておくと、大きな体を小さくして困ったような顔で頷いていた。
社交的で幹事としても優秀だが、こういう所は困った奴だ。
彼も苦笑していたが、なんだか嬉しそうにしていたのが印象的だった。
一体、今のやり取りの何が嬉しいんだか。
左目の三本傷が厳めしい雰囲気を出しているはずなのに、なぜか彼が笑うと落ち着いた柔らかい雰囲気が滲み出ているのだ。
……それも、自分は気に入らなかった。
それが何故かなんて、理由は自分が聞きたいくらいだ。
そんな気に食わない彼の事を認めざるを得なくなったのは、ようやく戦闘が始まってからだ。
むしゃくしゃした気分をモンスター相手に発散する。
VRMMO独特のピリピリとした緊張感、プレッシャー、痛みに耐え、死線を潜り、振りかざした剣から確かに伝わる手応え――戦闘を終え、今までの抑圧から解放された時のカタルシス。
最高だ、スカッとする気分だった。
たまに集中し過ぎて周りが見えなくなるので、以前遊んでいたVRMMOでもテンカイとアリエルの二人にサポートをしてもらっていた。
今もきっとやり過ぎてしまった筈だ、そういえば今回はゲストも居たのだった、軽く謝っておこうと振り返ると、普段と二人の雰囲気が違う。
いつもは自分に向いているはずの視線が、すぐ脇に逸れていたのだ。
唖然としたような、戸惑いを隠せないような、そんな表情をしていた。
気付けば俺の隣にアイツがいて、一緒に肩で息をしているのだ。
杖の先端には火が点っていたが、彼が杖を下すとその火はふっと掻き消えた。
何が起こっていたのか、何をしていたのか、さっきまで目と耳を塞いでいた自分に無性に腹が立った。
やるせない気持ちと、カッカとする感情が綯い交ぜになり……自分はどんな顔をしていただろう。
衝撃から立ち直れていない自分に、彼はそっと壊れ物でも触るかのように手を添えて、穏やかな声音で詠唱を紡いでいた。
「≪恵みの喜び、生の喜び、祝福せよ生命の輝きを≫≪治癒≫」
詠唱が完了すると、全身を薄白い光が包み込んでいく。
爽やかな風を肌に感じ、意識を覆っていた靄が晴れていった気がした。
実際には、VRで感じていた重みや痺れが掻き消されただけだ。
でも、視界がハッキリと澄んでいったような、感情がリセットされたような感覚を覚えた。
彼は魔法が効果を表したのを見て嬉しそうに笑い、傷跡があった個所に遠慮なく視線をぶつけてくる。
魔法の効果について確認をしているのだろうが、その視線が妙にくすぐったく、むず痒く感じて堪らなかったので彼に一発蹴りをくれてやった。
またテンカイに殴られた。
今日はこれで五回、全部こいつ絡みだ。
厄日かもしれない。
クエストの目標であるモンスターの討伐は順調だった。
ゴブリンは雑魚なのでバッサリ、狼は厄介だが問題なく対処できた。
狼はとにかく動きがすばやいのが厄介なモンスターだが、アルヴの速度に秀でた風の魔法が当たると一瞬動きを止める。
その隙を自分とテンカイが前衛として肉薄して追撃をしかけ、吹っ飛んだ狼や怯んだ狼に更に彼がトドメの火矢を飛ばす。
そう、彼の扱う≪火矢の呪文≫は恐ろしい命中精度だった。
自分も何度か使っているのだが、動きが鈍く直線的なゴブリンはまだしも、素早く立体的に動き回る狼には十発撃って一発でも当たればいい方だ。
テンカイの攻撃で大きな隙ができた時も、位置取りをうまく取れず追撃の為の射線が通らないことが多い。
魔法戦士というよりは『魔法も一応使える剣士』というのが今の自分だった。
しかし、彼は違った。
巧みに立ち位置を変え、大きな隙には確実に魔法を合わせる。
時には大きく宙を舞った敵に魔法を合わせるという離れ業も見せた。
今の自分には到底、真似ができない芸当だ。
魔法使いとしての彼のポテンシャルは想像以上だった。
積極的に魔法を使って敵を着実に仕留めていく、まさにチームの誇るメインアタッカーだ。
本当にこのゲームを始めたばかりの同じ初心者、同じテスターなのかと驚愕を覚えた。
そう、彼は戦闘センスが抜群に良かった。
前衛の二人が不利だと見れば、時には自らも前線に加わり状況を好転させる。
特にそれを強く感じたのは、魔法による自己障壁を張って敵の突進を自ら受け止めた時だ。
一瞬、自殺をしに来たのかと思ってしまうその行為に再び度胆を抜かれた。
「それは魔法使いのやることじゃねぇ」
そのショックから、町を出てから不用意な発言を慎んできた自分が、思ったままの言葉を彼に明け透けに言ってしまったのだが、彼は一言謝った後にこう言ったのだ。
「アリエルさんやフェルチが限界だったからね、こうするしかなかったのさ」
その言葉でようやく気付いた。
パーティを組んだ味方のHPやMPといったステータスは視界の端に表示することが可能だ。
自分も確かに表示しているのだが、今までの戦闘中は殆どそれを意識できていなかった。
見た瞬間に驚愕を覚えた、いつのまにかアリエルとアルヴ……フェルチのHPとMPが二割を切っていたのだ。
自分とテンカイはまだ多少の余裕はあったが、それでも後衛が崩れていれば……気付かぬまま戦っていれば、支援がなくなりいずれ全滅していただろう。
彼はVRMMOでの戦闘に慣れていた。
ただ慣れているだけじゃない、臨機応変で柔軟な対応ができるプレイヤーなのだ。
テンプレと呼ばれる固定戦術での戦い方に飼いならされ、自らの思考を止めてしまうのではなく、常に流動する状況の中、微かな情報を読み取って最善の一手を常に模索していた。
彼のHPは左端に微かにこびりついているだけだった。
指先一つでも触れれば死んでしまいそうな、そんな危うい綱の上を彼は渡り切ったのだ。
胸の奥にハッキリと痺れるような、熱っぽい感覚が湧き上がっているのを自覚する。
……ハッキリとわかった、こいつはライバルだ。
自分が張り合い、競い合い、共に歩むべき敵であり友だ。
彼と出会った時の予感、直観、閃きにも似た感覚は、これを示していたのだと理解した。
血が滾るのを感じた。
仮想の体に、その全身にマグマのように熱い血が流れるような感覚だ。
頭は冷めていたが、胸の奥、そして体中が激しい熱を帯びていた。
それを自覚した時の自分は、一体どんな顔をしていたんだろうな。
「何か、妙だな」
不穏な言葉が彼の口から出たのはクエストも残り二つ、それも、あと数匹の雑魚を狩るだけの締めの頃合いになったタイミングだった。
現在位置は森の奥、街道から外れた獣道の先にある広場を目指していた頃だ。
最後のクエストの達成と、戦闘後の小休憩を兼ねて地図にある広場を目指して進んでいたのだが……確かに自分も微かな違和感を感じていた。
自分が思い至る前に、彼がそれを口にした。
「誘われているというか、エンカウントが調整されているような気がする」
なるほど、確かに森に入った時の敵の多さ、各エンカウントの間隔と比べると、奥に進んでいた頃は徐々に頻度が上がっていったのにも関わらず、今は徐々に間隔が開いていた。
襲い掛かってくる方向も、前後左右を使った奇襲を前提とした動きから、ここ数戦は目的の方角から数匹現れては、少しでも数が減ると一目散に逃げていた。
確かに、調整されている、誘われているというのは感覚として間違っていない。
しかし、彼がわざわざゲームを意識した発言をしたのは珍しいことだった。
彼の会話を聞いていて気付いたのだが、彼はゲーム内の世界観に準拠した表現を好んで使う。
あたかも、世界の住人であるかのようにロールプレイしているのだ。
意識的か無意識的かは分からないが、彼なりの遊び方、ポリシーの一つなのだろう。
こちらから水を向ければ、ゲームとして割り切った表現を使ってくれるが、彼が自発的に発言する言葉は世界観の雰囲気を尊重したものになる。
その彼が、この状況をゲームとして捉えた表現でわざわざ伝えて来たのだ。
何かがおかしい、何かがあるぞ、何かが潜んでいる。
おそらく、意図された敵意がここにあるぞ、と。
彼の言葉が、ここに隠されていた悪意が牙を剥いたのはそのすぐ後だった。
目的の広場に到達し、そこにある大樹からクエストの目的である果樹の採取をしようと思った丁度その時だった、森中を震撼させるような敵意が音の波として自分たちを襲ったのだ。
重く大地を踏み鳴らし、森の木々を軽々と薙ぎ払い、蒸気を上げる程の怒りを露わにして森の闇から這い出た巨漢、全長三メートルはゆうにある熊型のモンスターだ。
赤茶色の斑模様の毛皮は、返り血で染め上げた一点ものなのか。
鋭い爪は禍々しいほどに黒く、腕は森の木々よりも太く見えた。
比喩ではなく、奴が一声吠えると口元から白い湯気がもうもうと吹き出していた。
真っ赤な目は紛うことなく、こちらへと一切躊躇の無い敵意を向けていた。
ボスだと、直感した。
違うんです。
最初はいつもと同じ文量かなと思っていたんです。
後篇に続きます。