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神将抄録  作者: 直江和葉
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七. 灯慧

 マンションの部屋という部屋に白い煙が充満していく。

無論、火事ではない。

たまき以外のヒトならぬ者どもが、微かに残っているらしい瘴気を非常に嫌がったため、仕方なく香を焚いているのだ。

太一の部屋を探るとホワイトセージと貝皿が出てきた。

「……なんだ、晴明の奴、ホワイトセージなんてハイカラなものを持ってるな……」

感心したように呟いたたまきの後ろから灯慧が珍しそうに覗き込む。

『その、白い葉はなんじゃ?』

「ああ。これも清めの香の一種でな。貴石や場の浄化に使うものだ。日本の香も良いがこれもなかなかだぞ。空気が輝くからな」

そう言いながら貝皿の上に数枚の葉を落とし、火をつけた。

炎を吹き消すと、葉が燻って白い煙を立ち上らせる。

皿を持ち、たまきは部屋を一周した。さらにマンションのすべての部屋に回っていく。

『貝の皿には意味があるのか?』

「らしいな。これはネイティブアメリカンのスマッジングといわれるものでな。貝は「水」、正式には貝の中に砂を入れるらしんだが、それが「地」を表し、煙が「火」、鳥の羽で作った扇で風を送って「風」を表すそうだ」

「ほほう」

そうして、これでもかというくらい煙を充満させてやったあとは部屋中の窓が開け放たれ、清めは完了した。

『……なるほど。空気が輝いておるの』

「だろう?」

たまきは満足げに笑った。

空気が輝く、とは比喩でも何でもない。

ホワイトセージを炊いたあと必ず見える「煌めき」を、太一も気に入っているのだろう。

ミャー

突然、足元で甲高い鳴き声がした。

見ると、ベッドの下から子猫が顔を覗かせている。

「多聞! いかん、お前のことを忘れていたぞ。無事でよかった! 腹は減ってないか?」

たまきは子猫を抱き上げ様子をうかがった。ケガはしていないが、だいぶ衰弱しているようだ。

ハーフケットにくるみ、ブドウ糖水のかわりに砂糖水を少しずつ含ませてやる。

心配そうに子猫を見つめるたまきの横に座った太一――伐折羅――が微かな微笑を投げかけ、

「……大事無い。気を失っておったのが幸いしたな。温かくして寝かせてやれば明日には元気になるだろう」

「……う、うん……」

どぎまぎしながら少女は頷く。

太一の顔で太一が見せることのない表情をされるのは、ひどく落ち着かなかった。



 訊きたいことは山とある。

宮毘羅が京都から飛んで(?)きたこと、灯慧が現れたこと、そして今日の不可解な出来事……。

改めて訊ねると、頷いたのは宮毘羅神将だった。

「そもそもの発端は、ここにおる灯慧が我等を彫り、命を吹き込んだことに由来する」

『宮毘羅大将、それは違うぞ。そなた等を彫ったのは……。ああ、まあ、私の心情はこのさいおいておこう。たまき。永享の「山責め」というのを知っておるか』

「永享……? すまぬ、それはいつ頃だ?」

「幕府は足利義教様の時代じゃよ」



 永享五年(一四三三)十一月の延暦寺の焼き討ちのことである。

そのころ、延暦寺は相国寺しょうこくじ内の鹿苑院ろくおんいんと所領をめぐって争っていた。一方、足利義教の側近への批判も大きくなってきており、蔵法師(高利貸し)の何某なにがしという山僧が、幕府の山門奉行と将軍申次もうしつぎをしていた者が共謀して延暦寺と敵対しているとして幕府に処分を迫っていた。

それはつまり、足利義教への宣戦布告ともいえる。 ――すでに延暦寺には「僧兵」という軍事集団がいたのだが、これは僧でもなんでもなく、無頼のものが寺に寄宿しできあがったもので、その集団を寺が利用していたのである――

義教は、かねてより邪魔に思っていた山門をこの機に叩き潰してしまおうと、兵を向け焼き討ちさせた。

この山責めは永享六年十月、永享七年二月と再三行われ、僧兵、修行僧含む多くの人間が死に、寺もまた破壊されたのである。



 『まあ、公方様の残忍性はよく知られておるところじゃったし、山門は山門で、かつての姿勢は失われておった時代じゃから……あれは、もうなんというか末法まっぽうの様相を如実に見たような気がしたよ……』

灯慧は苦々しげに笑い、目を伏せた。

『私はそのころ僧ではなくてな。実際のところ、あの焼き討ちを見たのは永享七年の根本中堂こんぽんちゅうどうが焼かれて、その中に立てこもった三十人ばかしの僧が腹を掻き切って死んだ、最後の焼き討ちなのじゃが……その中に、ひとり世話になった僧がおったのじゃ。あの頃の叡山でも珍しい、真面目に勉学に励んでおった。――私が出家したのは他でもない。その坊さんの弔いのためさ』

鎌倉・室町時代の世は大いに乱れ、学校で習う歴史は乱の名がズラリと並ぶ。

数百年たった現代に生きる自分たちにとってその乱の名は、「名」 でしかありえない。

だが、その時代を生きてきた人間にとっては……

たまきはしばし口をつぐみ、そして訊いた。

「……薬師経の神将像はそのために……?」

『さよう。小さな寺に十二体とも供養のために奉納した。……時が下るにつれて像もばらばらになったようなのじゃが、それはともかく、いつ頃からかわけのわからぬ者どもに狙われるようになってな……』

「わけのわからぬって……、相手の正体はわかってはおらんのか?」

たまきの視線を受けて灯慧が頷く。振り返った神将らも、やや憮然とした面持ちで頷いたのである。

「……たしかに、わけがわからぬな……」

誰かを怨んだのでもなければ、騙したのでもない。

この灯慧という僧は、ただただ、腹を切って死んだ知人の僧の弔いのために神将像を彫ったのだ。

一点の曇りのない魂で一心に彫り続けたがゆえに、像はその名の通りに 「神将」 を宿したのである。

どう考えても暗いものを呼び寄せる道理がないのだが――いや、まて。

「……だからこそ、なのか……?」

少女の呟きに灯慧は不思議そうな顔をした。

「うまく言えぬのだが……考えられるのは、神将の力に目をつけた者が、けしからんことのために使おうとした。あるいは、けしからんことを企てた者が、その神性を嫌い神将たちを消そうとした……」

『ふうむ……それはどうとも言えぬが……どうでもよいが、何ゆえ”けしからん”になるのじゃ?』

「あんなネバネバの真っ黒いやつが”けしからん”以外の何だと言うんだっ!」

憤然として言い放った少女の剣幕に、幽霊の僧はヒョイと首をすくめた。

眠っていた多聞がびっくりして頭を起こす。たまきは慌てて子猫を寝かしつけた。

「ううむ……こんなわからんちんが四人いたとて文殊の知恵など浮かばぬぞ……伐折羅大将」

「なにか?」

「……どうにか、晴明を起こせぬか?」

「このままではできぬ。……我にれものを与えよ。さすれば、我がそちらに移り、この男は目覚める」

容れもの……?

何をいわれたのかピンとこなかった少女に、灯慧は口添えした。

『つまり、宮毘羅大将のように像があれば、それを本体とできるというわけじゃ。ま、今回のことで判明したであろうが、これらはそなたの傍に本体を置かねば神性を保つは難しい。よって、常に持ち歩けるほどの小さなものがよかろう』

「おお、なるほど!」

手鼓を打った少女を、伐折羅は何となく不安そうに見つめた。




 その翌日

「伐折羅大将、容れものを持ってきたぞ!」

目白の太一のマンション。意気揚揚と入ってきた制服姿のたまきが、どうだとばかりに片手を突き出した。

太一――伐折羅――は手の中に転がったそれに目を落とし、しばし沈黙した。

否、正確には固まっていたのである。

それは”根付”だった。

掌にすっぽりとおさまるほどの小さな木彫りで、兎がでんぐりがえって遊んでいる様を彫りこんだものだった。

「愛らしいだろう? 俺が彫ったのだ。素人にしてはなかなかの出来だと思わぬか?」

――そう言われて、この、人ならぬ存在が何を思ったのかは残念ながら誰にもわからなかった。



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