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神将抄録  作者: 直江和葉
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五. 影


 かれはふと目を覚ました。


ここはどこだろう……?


身体はひどく冷えており、動かすのは容易ではなかった。目を凝らしてみても映るのは暗闇ばかりで、他は何も見えぬ。

それでもじっと見ていると、闇に慣れてきた目が、何かゆらりと流れるものをとらえた。

「………?」

それは水にたゆたう糸のように見えた。


おり】だ。


そう、かれは直感した。

【澱】はしばらくゆらゆらしていたかと思うと、ふうっと沈みこんでかれの上に落ちてきた。

積もる。また、積もる。

あとからあとから落ちてきて、積もってゆく。

「………っ」

かれは自分のぬくもりを奪っていくものの正体に気がついた。

目を転じたとき、おびただしい数のそれが、己の身体を覆いつくしているのを見た。

かれにして、そのおぞましさに身を震わせた。


やめろ、私の上に落ちてくるな!


かれは怒りをもって声を発した。

それで、この穢れは払われたはずだった。

だが、【澱】は変わることなく降り積もる。かれの上に。


汚らわしい! 私に触れるな! 


かれは叫び、身体を起こそうとした。しかし、腕も足もまったく動かすことはできなかった。

焦燥にかられ、めちゃくちゃに暴れ出ようとした。

その動きに【澱】はゆらゆらと舞い上がったが、一層かれの身体に纏わりつき、絡みついてくる。


やめてくれ……

私をここから出してくれ……


「どうか、………よ――― !」



      ※



 友人の爆弾発言のおかげで(かどうかは謎だが)、学校へも行くことができ、たまきは心底ホッとしていた。

藤原たまきの記憶がないとはいえ、必要なときには自然と身体が動くから不思議である。意識的には後から 「なるほど、こうするのか」 と気がつくので妙な感じだったのだが。

 同級生や下級生と挨拶を交わし、校門を出てほどなく。

『たまきどの』

聞き覚えのある声にギクリとして足を止める。

前方一八〇度半径には、自分を呼び止めたらしい人物は確認できなかった。

となれば。

たまきはおそるおそる振り向いた。だが、誰もいない。

「あれ…?」

『こちらじゃ』

向き直った途端、目の前にあの怪僧の顔があった。

「わあっ!」

彼女は盛大に悲鳴をあげ、一メートルばかり飛び退った。

『これこれ。そんなバケモノを見たように驚くでない。取って喰ろうたりはせぬと、こないだも言うたであろ?』

僧――灯慧は呆れたような顔をして袖をひらひらさせると、たまきに手招きした。

「………」

少女は胡散臭そうに灯慧を見つめていたが、どうせ相手は幽霊だ。無視したところで先日のように部屋に勝手に入り込んで来るのがおちだ。そう思い直し、不機嫌そうに訊いた。

「……俺に何の用だ」

『こないだの続きじゃよ、たまきどの。急を要するのじゃ。どうか、力を貸していただけぬか』

「………。まったく、どうして幽霊になった坊さんというのはこう厚かましいのだ」

彼女はぶうっと鼻を鳴らしながら息を吹き出し、憮然と呟いた。


 前回の上野の時もそうだ。

理由も事情も話さぬばかりか、こちらの事情もすっとばして力を貸せと言ってくる。おかげで太一は怨霊に憑かれるわ、自分は命を落すわ、挙句、ムリヤリ神将召喚を承諾させられたのだ。

幽霊の坊主に関わってもちっともいいことはない。


『それはもう、坊主でありながら幽霊になど成り下がるくらいじゃからのう。厚かましくもなろうて』

たまきの内心など素知らぬ顔で呵呵と笑った僧に、たまきはますます鼻白む。

だが、気を取り直し、彼女はきっぱり丁寧に言い切った。

「すまぬが、灯慧どの。俺は友のように霊力を使いこなすことはできぬ。ゆえに、幽霊である貴方の頼み事が何であろうと、俺には解決できぬ。他の霊力者をあたってくれ」

そして一礼すると、さっさと踵を返した。

『――はて。そうできればよいが、それがそうもいかぬのじゃよ、たまきどの。なぜならば、そなたが京都から連れ帰った神将に関することなのじゃから』

背を追ってきた僧の言葉に、たまきの歩みがピタリと止まった。

「―――なんだって?」

『宮毘羅神将を、持ち帰ったじゃろう?』

「……持ち帰ってはおらん。勝手について来たのだ」

『そうじゃろうて。ちゃっかり入れ物まで持ってきて、そなたの庇護下におさまっておる。宮毘羅神将は危機一髪じゃったのう。他はちと面倒なことになっておるぞい……遅かれ早かれ、かの神将の軌跡をたどってくることになろうがな……』

僧は呟き、しきりと頷いている。

「まてまてまて! それはどういうことだ!」

何が危機一髪なのか……わけのわからないことを言って勝手に納得されても困る。

『じゃから、ほれ。さっきから急を要するのじゃと言うておるじゃないかい』

「〜〜〜っ! 狸坊主め…」

『灯慧坊主じゃよ、たまきどの。さ、参ろうか』

楽しげに笑いながら歩き(?)はじめた僧の背を、たまきは憤懣やるかたない目で睨みつけた。

そのつるつるの頭がくるりと振り返り、

『ところで、宮毘羅神将の姿が見えぬようじゃが?』

「え? あれは……」

訊ねられ答えた少女の言葉に、怪僧の顔は死人のように蒼白く変色した。

 



 太一はやっとの思いで寝返りをうった。

身体が重い。

ひたすらに重いのだ。

(おかしい……)

昨日の夜、べつだん具合が悪かったわけでもない。

いつもどおりに布団に入ったのだが、明け方近くになって急に寒気がして、起き上がろうとしても指一本動かせなくなったのだ。

宮毘羅神将を呼んでも出てこない。

電話をかけることもできず、結局、大学にも行けず日が暮れてしまった。

(……くそ……何かきてるな……)

部屋はいつもと変わらないようだが、心なしか空気が黒ずんでいるようにも見える。

窓を開けたくなるような、嫌な空気だ。

「く……びら……」

搾り出すような声で呼んでみたが、やはり応えはなかった。

彼は這いずってベッドを移動し、床に転がり落ちた。

たったこれだけに息があがる。おそろしく時間と体力を消耗してしまった。

そしてドアの隙間から黒い風が流れ込んで来ているのに気がついた。

「………っ」

さらに、嫌なものを見つけてしまった。冷たい汗が太一の額をすべり落ちていく。

――足だ。

ドアの向こうに誰かが立っている。

数ミリの隙間から見える黒い影はじっとドアの前に立ったまま動かず、それの放つ黒い気が流れ込んできていたのだ。

手をいっぱいに伸ばした数十センチ先に、たまきの書いた護符がある。だが、明け方から十時間以上この重圧に耐えていた彼の体力も、そろそろ限界に近づいてきていた。

太一は気を張りつめ、じっとドアを睨みつける。

気を失えば、「上野」 の二の舞であることは確実だった。

(……博雅、来てくれ……)

思わず友の名を呼ぶ。

頭痛と吐き気に、太一の秀麗な相貌がゆがんだ。目が霞み始め、意識が朦朧としてくる。

ドアの人影がゆらりと動いたように見えた。


……博雅…………


 呟いたのか、祈ったのか――彼自身にさえ、もうわからなかった。

太一は闇の中へと沈んでいった。



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