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神将抄録  作者: 直江和葉
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四. 青天の霹靂


 「休み?」

「はい。今日は体調がすぐれないとか……」

たまきのクラスメイトは太一に頷くと、心配そうな顔をした。

昨日、なにやら怒らせてしまったので迎えに来てみたのだが、下校中の少女二人に呼び止められ、たまきが学校を休んでいることを伝えられたのである。

「どうもありがとう」

「いいえ……」

太一がにっこり笑うと少女達は恥ずかしそうにうつむき、それではと言って一礼して去っていく。

今どき奥ゆかしい少女達だった。たまきとて、そうであったのだろう。自分と出会うまでは。

(しかし、体調不良とは…珍しいこともあるものだな)

心中で呟き、太一は急遽、進路を変更した。




 自分はこの先どうやって生きていけばいいのか


 昨晩、坊さんの幽霊との話し中に意識がぶっ飛んでしまい、気付いたときには夜明け前だった。すでに僧の姿はなく、ひとり昨日の会話を反芻しているうちに、学校へ行くことがひどく恐ろしくなった。

(俺は”たまき”の友人が誰であったのかさえ知らない……)

こんな非情なことがあるだろうか。

友人だと思っていた誰かは、ある日を境に自分に忘れられ見も知らぬ他人となったと知ったとき、どんなにか失望し、落胆しただろう。

(面目次第もない……。俺はどうしたらいいのだ……)

たまきは布団の中で悶々と悩みつづけた。時は刻々とすぎ、また明日が来る。

学校――

今まで何でもなかったことがひどく恐ろしく感じる。

布団の中でぶるりと身を震わせたとき、ドアがノックされた。

「たまきさん、開けるわよ?」

「はい……」

返事が終わるか終わらないかのうちに、何だかそわそわしたような様子で母親が顔を覗かせた。

「たまきさん、安倍さんがいらして下さったわよ」

「安倍……? えっ!」

たまきはベッドから跳ね起きた。


 「藤原たまきの記憶がない?」

たまきはこくんと頷き、怪僧との対面を話した。

彼女の記憶が戻らなければ、自分は千二百年前の人間のまま生きていかねばならないのだ。社会の仕組みという仕組みすべてが、博雅の常識を超えたところにあるこの世で。

――まして。

女の体と男である博雅の記憶と心……。

「………俺は…妻は、もらえぬ身なのだな……」

ぽつりと呟かれた言葉に、太一は片眉を器用にあげた。

「まあ…そうだな。――お前、妻が欲しいのか」

「え? いや、べつに……でも、いずれは結婚せねばならぬだろう?」

今の世、理由は様々ではあるが結婚しない男女などあちこちにいる。だが、「そうかな」――とは、太一は言わなかった。しばし友人を眺め、なにやら考えるふうだった彼はこう言った。

「――別に、俺は今のままでいいと思うぞ」

「晴明……」

「確かに灯慧とかいう坊さんの言うこともわかるが、お前の場合、どっちにしたって悩むだろう。博雅とたまき、両方の記憶と常識が混在すれば、お前はお前の中で分裂しかねんからな。――ならば、俺は博雅のままでよいと思うがな。ま、学校の友人のことはこれから作っていくしかあるまいが」

「せ、晴明〜〜」

たまきは友の言葉に感動してその手を握り、滂沱の涙を流した。

しばらくの間、はらはらと涙をこぼす少女を見つめていた太一は、ついと顔を近づけ間近から覗き込んだ。

「博雅、結婚のことなら心配するな。最適な人間がひとりいる」

すん、と少女の鼻が鳴った。

「―――。どこに…?」

「ここに」

ぽかんと不思議そうな顔で見上げてくる少女に、青年は艶やかな笑顔を向け、

「お前のすべてを知っていて、なおかつ、もてあまし気味の霊力の使い方を教えてやれて、ついでにお前の足りないところを補ってやれるのはこの世で俺だけだろう。――だから、結婚は俺とすればよい」

小さな、むき卵のような少女の頬をつるりと撫でてやった。

「―――――」

あまりのことに思考停止状態だったたまきは、意識がのぼっても、しばし言葉が出てこなかった。

口をぱくぱくさせる少女を面白そうに眺めていた青年は、

「何か問題でも?」

しれっとして笑う。

「せ、せいめ……」

太一は笑いながら少女の頭をくしゃりと撫でると 「またな」 と言って部屋を出て行った。

「あら、もうお帰りになるの?」

「はい。お邪魔しました。お茶をごちそうさまでした」

「まあ、ご丁寧に。また遊びにいらしてくださいね」

「ありがとうございます」

そつのない母親との会話が聞こえてくる。たまきは窓から外を覗いた。

太一は玄関を出て門を開けたところでちらりとこちらに視線を向け、目だけで微笑わらった。

たまきはむすっとしたまま友人を見送り、やがてずるりとその場にしゃがみこんだ。

顔が異常に熱い。

恥ずかしいのだか、嬉しいのだか、わけがわからない。頬の火照りは長い間おさまらなかった。

それでも、先刻までたまきに重くのしかかっていた枷が、太一の言葉によって取り払われたのは確かだった。




 灯慧――

どこにもそんな名の僧は載っていないし、記憶にもない。

一体、もとはどこの誰で、何の用があってたまきの前に現れたのか。

太一はふう、と一息ついて本を棚に戻した。自宅の、書庫にしている室内を見渡す。蔵書はある程度のものは揃えているつもりだ。だが、どんなに記憶を探ってみても何の引っかかりも浮かんでこない。

つと、低い声が上から降ってきた。

「晴明どの……」

「――宮毘羅か」

「是。――先ほどの、灯慧とはいかなる者で……?」

中空に現れた銀の神将にちらりと目をやり、微苦笑をもらす。

「さて。今のところはわからないが……まったく、余計なことを吹き込んでくれたものだ」

たまきの記憶を取り戻せと言うだけならともかく、博雅に博雅の記憶を捨てよなどと。

そうでなくとも、今はあれこれと問題を抱えているというのに。――目の前に浮かんでいる存在も問題の一つではある。

生真面目な友人はあれこれ悩むうちに詮の無いことまで悩みはじめ、あげく身動きとれなくなってしまうのだ。

それはかれの輝きまで曇らせ、かれ自身を腐らせてしまうことにもなりかねない。

まあ、謎の幽霊とはいえ、友人のそんな性格まで知っていようはずもないので仕方ないのだが。

しかし、彼は口に出さずにはいられなかった。

「まったく、困るな。余計なことをしてもらっては……」

せっかく見つけたのに。やっと再会したのに――

かれの記憶が消えてしまうなんて許せない。

かれの中から自分が消えてしまうなんて、絶対に許せない。

灯慧と名乗る怪僧とは、いずれ必ず対面するときが来るだろう。その時は文句の一つも言ってやらねばなるまい。

だが、その前に……。

「このまま放っておくわけにはいかんな……」

太一は低く独りごちた。


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