二十三. 無極の野に遊ぶ
例によって例の如く、たまきは太一のマンションにあがりこんでお茶をすすっていた。池袋での怨霊静めから一週間、やっと平穏を取り戻したような気がする。
彼女は丸まる二日、眠りつづけて目覚めたときには水曜だった。土曜は午前で授業が終わるので、その足でここへ来たわけである。
「なあ、晴明。結局、あれは一体なんだったのだ?」
「神将だろう?」
さらっと返された返事に少女は首を傾げる。
「そうなのか?」
「元が誰だったのか、ということなら、俺にもよくわからん。だが、灯慧が神像に命を吹き込み、六百年だかたってるんだろう。お前が神将の名を呼び、あれらが「応」と答える。そして、伐折羅は毘沙門の像に入り、「毘沙門」と呼ばれて「応」とこたえた――すべてはただそれだけのことなんじゃないか」
「………。よくわからんが……言霊の法ということか?」
「ま、そんなもんだろう。神を神たらしめるのは、しょせん人間なのだからな」
「ふうん……。やっぱりよくわからんな……。そういえば、ああいう場所に寺社が建つって言ってたけど、磁場のあるところなんてけっこうあるだろう?」
たまきは不思議そうに訊ねる。ふきだまり、とまではいかないにしても、駅、交差点、ビルの一角とかあちこちにそういう場所があるのだ。太一の言を考えると、日本はそこらじゅう神社や寺が建たなくてはならないではないか。
少女の考えを読んだのかどうか。太一は笑いながらこんなことを言った。
「お前、『アースダイバー』って本、読んだことあるか?」
「アース……? いや」
「それに面白いことが書いてあった。神社や寺が建ってるところってのはな、古い時代に岬だったところなんだってさ。沖縄のニライカナイのような、海から神、か何かがやってくるというのが根本にあるらしい」
「へえ……」
「その本には地図もついてる。今度、東京探険でもしてみるか?」
「面白そうだな。行こう!」
喜色満面に目を輝かすたまきだったが、
「しかしその前にだ。……これで振り出しに戻ったな」
誠に遺憾ながらと、太一はわざとらしく大きな溜息をついてみせた。
「………………え? まさか……」
「式として使える神将がひとつもなくなったんだ。当然だろう?」
「ええええええ」
「ええ〜じゃない。さあ、行くぞ。今回の件でお前の霊力が発動されやすい場所がわかったんだ。そこでやろう。どうせあの男もヒマだろうからな、手伝わせてやろう」
「ぇえええぇえ……」
たまきが太一に引きずられて出て行ったあと、ベッドで丸くなっていた多聞の耳がピクリと動いた。ぱっちりとあいた金色の目が、机の上に置かれている毘沙門像に釘付けになる。
猫は軽やかにベッドから飛び降り、一挙動で机の上にジャンプすると喉を鳴らして像に擦り寄った。
その小さな頭に篭手をはめた掌が乗せられる。
にゃあ〜
多聞は嬉しそうに頭をこすりつけ、大きな手にじゃれついた。
「……神将召喚も一から出直しらしいが……そうさな、白虎くらいなら許してやってもよいな、あれは我の僕だからな。のう、多聞。あの二人の守護ならこの毘沙門が引き受けてやろうほどに。お前も居るしなあ?」
多聞はゴロゴロと喉を鳴らして賛成の意を表した。
了
長らくのお付き合い、ありがとうございました。
神将抄録、これにて完結とさせていただきます。
一身上の都合(←?)により、怒涛の進撃でしたが、
少しなりともお楽しみいただけましたら幸いです。
補足:「アースダイバー」中沢新一著 講談社
興味深い本でした。ご興味があればお手にとってみてください。