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神将抄録  作者: 直江和葉
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十五. 惑志

 「……けい……灯慧?」

呼びかける声にはっと顔をあげた幽霊の僧は、訝しげに覗いてくる少女に微苦笑を向けた。

「いかがした?」

『あ……いや。昔のことを思い出してな……』

たまきは形良い眉をひそめ、灯慧を見据えるように訊いた。

「……いつぞや、叡山で世話になったと言っていた僧のことか……? これは、その僧侶が写経したものなのか……?」

そして、あの凄まじい炎の中で死んでいったのは……

少女の言に灯慧は頷く。

『太一の言うとおり、因果は一線上にある。……じゃが、私にはどうにも解せぬ。あの高潔な方が……』

「……灯慧。あの骨董屋がこれを手にしたときにな、声を聞いたそうだ。無念だ――とな」

太一の言葉に灯慧の(おもて)は凍りつき、哀しげに目を伏せると、すうっと消えてしまった。

「あっ、こら! 消えるな、まだ聞きたいことがあるんだ! おい、灯慧!」

慌てて手を伸ばしたが空を掴むばかりで、太一は忌々しそうに鼻を鳴らした。

「まあそう言うな、晴明。灯慧が出家したもともとは、この写経の僧を弔うためだったそうだ。……灯慧としてはやり切れんだろう……」

たまきが苦笑しながら友人をなだめる。それへ太一が不機嫌そうに言った。

「では聞くがな、博雅。灯慧が五百年だか六百年だかの間、この世をうろちょろしていたのはどういう理由(わけ)だ? 十二体の神将像を彫って巻物と一緒に寺に供養したはいい。神将に命が宿ったのも、まあいいとしよう。これについては突然変異みたいなものだろうからな。だが、あの坊さんが成仏もせず、のこのこお前の所に助けを求めて現れたのは何故だ」

「それは……たぶん何か気掛かりで……俺の霊力が強すぎたからだと……宮毘羅大将とて付いて来たのだし……」

困ったように言った少女に、爛爛と光る目を向けて太一はゆっくりと言い放った。

「その気掛かりとは何だ―――あの坊さんはな、最初からアレが何なのか知っていたのさ」

「……っ? そっ……」

「考えてもみろ。大火の中で焼けずに残っていた巻物だぞ? あの坊さんが何のために神将像を彫ったのか、俺は骨董屋とお前の夢の話を聞いて合点がいったよ。……灯慧はな、おそらく供養のためだけに神将像を彫ったんじゃない。この巻物に移った坊さんの怨念を鎮めておくため(・・・・・・・・・・)に像を彫ったのさ」

たまきは凝然として友人の顔を見つめた。そして、(くだん)の巻物に目を移す。

破れ、黄ばんだ和紙に浮かび上がる墨文字……見ているとひとりでに動き出しそうで、彼女はぞっと背を震わせた。ふいに金色の光が落ちてきて彼女の目を覆ってしまった。

「あまり見るでない。取り込まれるぞ」

「ば、伐折羅大将……」

金の神将の腕の中でじたばたしている少女に苦笑して、太一は再び手袋をはめると巻物を巻き戻し、きっちりと紐を結んで並べ置いた。

「…………晴明」

「なんだ」

「これ……早いところ祓うか焼くかせねば危ないのではないか……?」

「危ないだろうな」

のんびりと返され、たまきは思わず頭を抱えた。

「まあ、待て。これはいったん骨董屋に返さなくちゃならないんだ。事情を話した上で、どうするかは持ち主の自由だ」

「おい、晴明……」

「幸い店主もその道のプロだ。俺たちのような素人(しろうと)が口を挟むことじゃないさ」

白々しく言って、にやりと人の悪い笑みを浮かべた友人に、たまきは二の句が継げなかった。



 その日の夜遅く、藤堂桜は二人の若い客を迎えた。

「……というわけで、素人では判断がつきかねますので、お返しに来ました」

にこりと笑った青年と、神妙な顔をして少し後ろに座る少女。その彼等に付き従う神将に表情はない。

藤堂はくすりと笑って言った。

「何だか、妙に白々しく聞こえるのですけど、気のせいでしょうか?」

「気のせいです。僕等はただの学生ですから。確かに、彼女には少し霊力がありますが、これといって修行しているわけでもありませんし」

太一はしゃあしゃあと言ってのける。たまきは思わず耳を塞ぎたい衝動に駆られたが、なんとかそれを押さえつけた。

藤堂は再び苦笑した。

この青年は巻物の処理を自分にしろと言っているのだ。確かに、彼はこれを借り受けていっただけで買ったわけではない。持ち主は自分であることに違いない。

しかし……。

通常なら祓い清めて焚いてやればよいが、果たしてコレは焼けるのだろうか? 今の話を聞く限りでは、生半(なまなか)なことでは昇華しないのではないか?

さて、どうするべきかと腕を組んでいるところへ声がかかった。

「今日は魔虎羅神将を置いてゆきます。まこちゃん、巻物が悪さしないよう見張っててくれ。それと、灯慧がもしここへ現れたらすぐ連れ戻して欲しい」

「承知」

太一は藤堂にいい、偉丈夫の魔虎羅神将に指示を与えると、さっさと帰って行った。

「やれやれ。とんでもないものを買ってしまったなあ……」

藤堂は溜息をつき、とりあえず巻物を祭壇の間へ運んだ。

巨躯の神将は巻物の傍らに静かに座し、軽く目を閉じた。


 「なあ、晴明。魔虎羅大将だけで大丈夫かな……あいた。あ、申し訳ない」

池袋駅への道すがら、人波をすいすい歩く太一を追いかけながら、たまきは前から来たサラリーマンにぶつかってしまった。酔っ払っているのか、中年の男はたまきの美貌に、おっと呟く。

「可愛いねえ、おねーちゃん。一杯おごろうか……」

脂ぎった手が少女の手を掴みかけた。

バチッ!

「おわっ」

中年男は慌てて手を引っ込めた。

「……これに不用意に触るとケガをするよ、おじさん。守護霊が強すぎるもんでね」

たまきが振り向くと、太一が不気味な笑顔で男を見ていた。当然、火花を飛ばしたのは伐折羅神将である。これはもうすでにしっかりと腕の中に少女を抱え込んでいた。

中年男に何が見えたのか、青年と少女を交互に見つめ、半分酔いが覚めたような顔をして逃げ出した。

「汚らわしい」

伐折羅神将が不機嫌そうに呟き、太一が手を差し出した。

「帰るぞ。家まで送っていく」

「う、うん。すまん……」

何となくどぎまぎしながら太一の手につかまる。その大きさにびっくりした。

そうか……晴明は男で、俺は女に生まれたからか……

改めて思い知らされた事実に不思議な思いがした。妙な感覚に思わず笑みがこぼれたとき、前を歩く太一の低い声がした。

「……俺はな、博雅。正直言えば、灯慧の方が心配なのだ」

「えっ?」

「……魔虎羅を残したのは、灯慧をあの巻物に近づけさせないためだ」

どういうことかと青年の顔を見上げたが、太一の目は底光りするような輝きを放ったまま、それきり口を閉ざしてしまった。





 ――坊……

 ――坊、どこにいるのだ……


かたり、と巻物が動いた。

「む……」

魔虎羅神将は目を開き、それを凝視する。


 ――坊、私はここだ……

 ――戻っておいで……私を一人にしないでおくれ……


男の声が聞こえる。巻物はかたかたと動いて、まるで結ばれた紐を解こうとするように暴れ始めた。

魔虎羅神将は太刀に手を掛け、じっと様子を覗っている。

と――。

『……目慧どの……』

「……っ! 灯慧! 近づいてはならぬ!」

魔虎羅神将は現れた僧に怒鳴った。だが、灯慧はまるで聞こえていないかのように、ふらふらと巻物に近づいてくる。


 ――坊。坊よ。こちらへおいで……

 ――お前のことがずっと気掛かりだった


『目慧どの……何故に……』

灯慧の頬を透明なしずくが伝い落ちる。そして誘われるように巻物に手を伸ばした。

巻物が震え、黒い瘴気が洩れだす。祭壇がカタカタと揺れ始め、物が転がり落ち、地震のような揺れが部屋を襲った。

「いかん!」

魔虎羅神将が灯慧の襟首を掴んで引き戻そうとしたとき、祭壇の間の騒ぎを聞きつけた藤堂がガラリと戸をあけた。

「一体、何事……うわっ」

部屋から噴出した黒い風に思わず口元をかばう。闇の中、鮮やかなオレンジの光を纏った神将が轟くような声で叫んだ。

「藤堂どの、下がられよ!」

「は、はい……って、ああっ! 待って灯慧様っ!」

魔虎羅神将の一瞬の隙をついて、その手から逃れた灯慧ははっしと巻物を掴んだ。

「灯慧っ!」

『目慧様……なぜ来てくださらなかったのです……あとから来ると、お約束してくださったではありませんか……』

灯慧は泣きながら巻物を抱きしめ、瘴気に飲み込まれるように消えてしまった。


 しんと静まり返った部屋に、呆然と立ちすくむ藤堂と魔虎羅神将。その足元には二巻きの巻物が転がっている。

藤堂が我に返ったように両手を頬にあてた。

「ああああ……なんてことだ。始末するよう言われていた矢先にこんなことに……! これじゃあセイメイ様に能無し神主と言われてしまうよ」

「…………」

「………。そんなことはないと言ってくれないのかい、魔虎羅神将」

「晴明どのが何をおっしゃるのか、我にはわかりかねる」


ほどなくして、藤堂の家からオレンジの光が飛び立った。




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