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junction  作者: 雨.
4/7

4人目の過ち

少々、暴力的表現がございますので苦手な方はご注意ください。

 

 触れ合う、には程遠い状態で僕はその箱の中でかろうじて立っていた。どうしてこうも大勢の人間をひとつの箱に詰め込めるのか。ある意味芸術的にも思える120パーセントという乗車率に、僕なんかの疑問が立ち入る隙は無い。

 とりあえず隣に立つ女性に痴漢と間違われないよう両手をつり革に預けると、電車が動き出した。

 その動きに前後左右振り回されながら、頭の中ではひとりの女性のことを考えていた。

 

 松本小夜。

 

 昨日の夜、とうとう彼女と一線を越えてしまった。30目前になってあんなに女性の扱いに戸惑う事になろうとは思いもしなかった。

 瞳を閉じれば、小夜の悩ましげな表情が鮮明に浮かぶ。こんな息苦しい満員電車の中にも関わらず興奮しそうな自分を落ち着かせるため、あの言葉を言い聞かせる。



 小夜。僕の……妹。



 いつもながらこの言葉は一気に体の熱を引いてくれる。

 おまけに胃の中身を吐き出したくなるような悪寒もセットで。今日一日まともに食事をしていない僕が吐き出せるのは喉を焼く胃液ぐらいだけれど。 

 


 一ヶ月という期間だけ、東京で遊びたいということで彼女は僕の家に居候しにやってきた。今でも、あの時の衝撃は時折僕の体を強く揺さぶる。

 若くみずみずしい肌、桃色に上気した頬、首筋に流れる一筋の汗、タンクトップから覗く胸、あまりに無防備に剥き出しな足、そして満面の笑顔。

 全てに見とれて呆けた顔をしている僕に、彼女は優しく微笑んで僕を呼んだ。

「お兄ちゃん」と。

 

 母からの連絡もあったし、小夜が妹だということは頭では理解できた。

 それでも体と心は言う事を聞かない。

 彼女の求心力にぐいぐいと惹き付けられる自分をとめることはできなかった。 

 

 大体、突然10年近くも会っていなかった妹が、18歳の大人に成長して目の前に現れたのに、それを妹として認識しろという方が無理な話だ。

 そうやって何度自分に言い訳してきただろうか。

 

 

 小夜は、献身的に僕に尽くした。

 彼女は毎日、朝・夜の食事を用意し、僕よりも先に起きて着るものを用意してくれる。まるで若妻を娶ったような気分に初めは緊張したものだ。

 彼女も、僕の存在に戸惑っているようだった。18のときに進学で家を出て以来、僕はまともに帰ったことは無い。彼女の記憶の兄は高校生で止まっている。こんなおじさんが兄で、しかも一緒に暮らしているとなると戸惑うのが当然だ。

 そして都合のいい僕は、それが異性として意識している事であってほしいと願ってやまないのだった。

 

 小夜はよく僕の好物のハンバーグをこしらえてくれた。コンビニやファミレスとは違う不器用な形と温かさがたまらなく愛おしく、おいしかった。一口ほおばるごとに生まれる笑顔は、自分でも驚くほどの柔らかさだった。

 一人暮らしの長い身には、いちいち彼女のかわいらしさが身に染みた。人と暮らすというだけで新鮮なのに、兄弟だからだろうか、彼女との生活はそれに安らぎももたらした。

 


 そう、若さや可愛らしさだけではない。その安らぎも含めて、僕は松本小夜という女性に恋をしてしまったのだ。


 

 電車が、目的の駅に着く。

 ここ最近は軽やかだった足取りも、今日は少し重たい。地面に張り付いた靴底をはがすように、階段を登る。駅では若いストリートミュージシャンがなにやら恋の歌を拙く歌っている。その切なく下手くそな歌詞は、今の僕にぴったりだ。


 ――僕は、一番してはいけないことをやってしまったから。


 僕は、小夜を強引に抱いてしまったのだ。


 きっかけは、小夜の言葉。もうすぐ夏休みも終わる、だからそろそろ実家に帰るね、という言葉。

 つまりまた僕はひとりになり、彼女と会えなくなるのだ。

 わかってはいたが、目の前でそう宣言されると予想以上に傷ついた。僕はなんて愚かなんだろうか。まるで本当に小夜と結婚したような気分になっていた僕には、それは別れを告げる言葉にしか聞こえなかった。

 何かが、弾けた。



 僕はその場に小夜を押し倒し、無理に口付けした。

 昼夜関係なく何度も夢に見た、彼女とのキス。

 でもそれは甘くも苦くも柔らかくもない。

 ほとんど暴力に近い触れ方。多分、兄妹である僕らにふさわしい繋がり方だ。

 小夜と一緒に、僕はテーブルの上のガラスのコップも倒してしまう。少しだけ残っていた中身の水がテーブルからこぼれ落ちるが、それを気にする余裕はない。

 当然小夜は嫌がり、抵抗する。それでも僕は止まらなかった。ただずっと、愛してる、行かないでくれ……そんなみっともない台詞を口にしていた。そして抗う小夜に、今まで高ぶっていた思い全てを押し付けた。

 溢れかえる水は静かにテーブルから滴り落ち、小夜の体を濡らしていた。


 全て終わった後、小夜は何も言わず泣いていた。

 小夜は、僕が初めてではなかった。それが救いでもあったし、腹立たしくもあった。小夜を他の男が抱いたのかと思うと、怒りどころか殺意が湧き上がる。

 僕は、言った。

 愛している、と。兄なのにこんなことをして申し訳ないと思っていると。恨んでくれて構わないと。

 愛しているとはなんてずるくて卑怯で便利な言葉なんだろう。愛しているからって妹に乱暴していいはずがない。

 次第に僕の声はか細くなり、そのうち消えた。沈黙が僕らを、やっとのこと包み込む。

 小夜は生気の抜けた顔で、ただ泣いていた。声もなく、静かに。泣いていた。

 



 朝起きると、朝食とスーツが用意してあって小夜は姿を消していた。

 焦って彼女の荷物を確認すると、全てまだ家に置いてあった。ほっと胸をなでおろす。

 スーツは、僕の持つ一番高価なものだった。何故彼女がそれを用意してくれたのかはわからない。

 本当なら会社を休んで彼女を探しに行くべきだったかもしれない。それでも僕は彼女と顔を合わせるのが怖くて、食事もほとんど残したままさっさと家を後にしたのだ。

 


 小夜は、どうしただろう。

 自分の部屋のドアの前に立ち、耳を澄ませる。無論、何も聞こえない。

 

 鞄の中からキーケースを取り出し、ゆっくりと鍵穴に鍵を差し込む。乾いた音を立ててあっさりと鍵は開いた。


 小夜が妹でなかったら。そんな考え、馬鹿げてるのはわかってる。それでも考えずにはいられない。そうならば僕たちは……出会ってすらいなかっただろうか。

 ドアを開け、ここ最近口癖になってきた言葉をかける。


「ただいま」


 しかし返事はなく、部屋は明かりすらついていない。


「小夜?」


 手探りで電気のスイッチを押す。しかし小夜の姿はない。

 急いで居間に向かうと、ラップをかけられた夕食と共に一枚の紙切れが添えられていた。


「小……夜」


 予感はしていたから、涙は出ない。それでも、僕の体は力なく膝から崩れ落ちる。


 小夜は、去った。体を重ねた後の彼女の涙は、きっとそういうことだったのだ。小夜の手紙を何度も読み返し、納得する。これが当然の帰結。僕たちに未来などあるわけはなく、だからこそこんなに愛おしいのだ。

 小夜の手紙を左右の手で半分に切り分ける。それを4等分、8等分とどんどん細かく破る。そしてゴミ箱に捨てた。

 底の浅いゴミ箱には、分別など知らん顔でコップが横たわっていた。

 昨日僕が倒してしまったコップだ。取り上げてみると側面に小さなひびが入っていた。これでは使い物にならない。そう思って、小夜はこれを捨てたのだろうか?


 床に座り、小夜が残したハンバーグのラップを剥がす。そしてコップと共にラップもゴミ箱へ捨てた。

 

 そのままテーブルの前に腰を下ろす。ハンバーグ、恐らく最後になるであろう小夜の手作りのハンバーグと向かい合う。

 箸を手にして、丁寧に一切れだけ切り分ける。落とさないようしっかりと細い木の箸で挟み込んで、それを口に入れた。

 ――冷たい。

 それからは一気に食べ進める。

 すっかり冷え切ったハンバーグを食べるうちに何故か涙が滲んできた。

 出来損ないの形をしたハンバーグが、輪郭を失っていく。やっぱり、ハンバーグは出来立ての、温かいものが一番いいのだ。



 






少し、というか大分詰め込んだ感が否めません……。

このような作品に目を通してくださり、誠にありがとうございます。

以上4作は電車内中心の短編でしたが、以降は駅を中心とした短編が続く予定です。宜しければ今後ともお暇つぶしに読んで頂けたら幸いです。

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