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junction  作者: 雨.
3/7

3人目の妄想

 電車は嫌いだ。

 正確には人の多い電車に乗ることが、嫌いだ。特に、夜仕事を終えたサラリーマン達で今にも破裂しそうなほどパンパンに詰まっている電車での帰宅は大嫌いだ。


 真っ黒な窓に映る自分の不愉快そうな顔は、とても醜く、脂と化粧が浮いていた。今すぐにでも脂取りシートで顔の汚れをふき取りたい。だが腕を動かす事すらままならないこの箱の中ではそんなことは不可能であった。


 電車の音に紛れてひとつ舌打ちをすると、隣の男が明らかにいやそうな顔をした。

 私はそんなに小さいほうではないと思う。それでも隣の男は私より頭一つ分大きくて、この狭い電車の中、皆よりずっといい空気を吸えているのかと思うと、少し憎らしい。


 目の前見えるのは密着して立っている親父の後頭部。人間なんでも慣れるものだというが、この景色にはとても耐えられそうにない。しかも独特の加齢臭。思い切り手で突き飛ばしたい衝動を抑えこむ。

 私の右隣、つまり背の高い男とは反対がわには、遊び帰りであろう若い女の子が携帯をいじっていた。こういう場所で携帯を開くという行為がつくづく私には理解できない。公衆の目の前で自分の私生活をさらすようなものだ。


 私はその子のメールをさっきから5通は読んでいる。相手は彼氏。満員電車に乗っちゃった、と嘆く彼女に痴漢に気をつけろ、お前可愛いからなんてふざけた事を繰り返している。ああ、いらいらする。その女の子はこの狭いのに携帯をいじっているから、さっきから肘が私に当たっているのだ。クーラーがついているとはいえ、この人数。ねっとりとした人の体温がとても気持ち悪い。

 後ろに立っている男の鞄の角もさっきから腰に当たっている。

 


 ああもういらいらいする、私は何でこんなところでこんな思いをしているんだろう、視線を上げると姿見となった窓に、泣きそうな顔をした自分が映っていた。

 

 前に立っている親父の肩から覗いていた顔は、すぐにまた親父の後ろに重なって消えた。


 降りるまでの我慢だ。そう言い聞かせてもイライラはあまり収まらない。

 

 こういうときは意識を飛ばすのが一番いいのだ。もう1年近くこの満員電車を体験する中でどうにか生み出した逃避方法だ。窓に見え隠れしながら映る自分の目を見ていると、それがだんだんと虚ろになっていくのがわかる。

 

 意識を飛ばす、というより妄想するのだ。例えば隣に立っている男。彼はもしかしたら営業マンで今日も会社を何十社も回ってきたのかもしれない。何十冊ものカタログと愛想笑いと共に。その中で散々罵倒されもしただろう。昼には少し贅沢して少し高めの缶コーヒーを、タイを緩めながら飲んでいるに違いない。ほんのひと時の休憩。でもその間にも不安は決して休まない。


 ――会社には戻らない。いや戻れない。契約取れるまで戻ってくるな、という上司の言葉が帰社を許さない。今の会社には出向で来た、本当なら俺は営業なんかじゃない、技術職で入社したのだ。いやだが、三年、三年の我慢だ。そう前の部署の上司に励まされた。でも本当に三年で本社に帰れるのか? 契約数が部署最低の成績の自分が。

 とにかく早く本社に戻りたい。



 なんてカワイソウな男。


 と妄想に夢中になっていると、いきなり車体が大きく傾く。腑抜けたように立っていた私は体を支えきれずとなりの女の子のほうへ倒れこんでしまう。しかし彼女はいやそうな様子も見せずしっかりと支えてくれる。

 ほんの少し嬉しくなって小さな声でお礼を言うと、女の子も優しく微笑み返してくれた。意外と、いい子なのかもしれない。


 つり革をしっかりと握りながら、隣の男に視線をやると、相変わらず仏頂面をしている。こんな暑苦しい中で爽やかに笑っている方がおかしいだろう。


 隣の女の子はまたすぐに携帯をいじっていた。しかしその打っている文面は、さきほどとは違った。


『隣のおばさん倒れてきたよ。どうしたんだろ?! 具合悪いのかな……。でもお礼言って貰えて嬉しい! あー早くおうち帰りたいなぁ』


 おばさん。それはどう考えても私のことだ。私を心配するような文面も、要は私が年老いていることの説明に過ぎない。彼女はまだ他にもくだらない内容を打ち続けている。おばさんって私が。29歳の私が? つかみ掛かって問い質したい気持ちを、先ほどの親切を思い浮かべて何とかこらえるが、どれほどもつか自信はなかった。



 しかし、どうにか衝動が爆発するより前に電車が駅に着く。心持ち女の子の体を強く押しのけて、電車を降りる。涼しい、とはいえないがしかし確実に電車の中よりも爽やかな風に、大きく息をする。



 背の高い男も、同じ駅だったらしい。私の前を出口に向かって歩いていた。


 ぼんやりと、女の子のおばさん発言に打ちひしがれながら歩いていると、男の靴底が目に入った。全く磨り減っていない。それどころか綺麗に磨かれたブランドものだ。スーツだって高級ブランド……。鞄もそうだ。髪もきちんと整っていて、先ほどの親父の後頭部とは全然違う。


 あんぐりと口が開ききっているのに気づいて、急いで口を閉じる。改札から出て行く彼の姿は颯爽としていた。立ち止まったままその後姿を見送ると、少し笑いがこみあげてきた。



 こうやって駅の改札前で突っ立って笑っていると、またおばさん具合悪いの、と思われてしまうだろうか。それもしょうがないのかもしれないな、と少し思う。立ちっぱなしだったから、かかとがジンジンと痛んだ。今日は帰りに、少し高めの缶コーヒーを買って帰ろう。明日もまた、この満員電車に乗らねばならないのだから。



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