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戯れゴースト

作者: 更科
掲載日:2026/10/23

「まったく、婚約破棄ばかりしているからこんなことになるのよ」


ぶちぶちと文句を言う女の声はすずやかに建物の中に響いた。


夕暮れというには少しだけ日が高い。薄雲の張った空はほんのりと色を変え始めている。

しかしすぐにでもその空は夕日にかわるだろう。

草が縦横無尽に生えた自然の草原は力強い。

この仕事は太陽が沈んでからの方が都合がいい。

霊障はこと、夜になると強さを増すものだからだ。


遠目にも存在感のある白い壁の城は廃れて久しい。

外壁には自然の猛威が張りつき蔦を這登らせており、人間の打ち捨てた文明を自然が飲みこもうとするのを確認できる。

しかし内部は外壁ほどの傷みはない。

昔ながらの煉瓦積みされたとんがり屋根は未だその権威を醸し出している。


文句を言いながらも建物の中に視線を走らせる女は真っ黒な服に身を包み、手には女の身長よりも少し短い鉄の杖を持っている。警戒の色の強いブルーグレイの瞳にまつ毛の影がかかる。


全体的に可愛らしい作りの顔をしているが、猫のような吊り目がそれを崩しており、受ける印象は勝気、気が強そうというものに傾いている。

白い真っ黒な髪は編み込んでなお、腰のあたりまで届いていた。

キラキラとした光を乱反射するような不思議な瞳は目つき悪く荒廃した部屋のなかを眺めた。

かつて贅沢な限りを尽くして飾り立てられていたはずの部屋のなかはどうにも物取りがあった痕跡を隠せていない。

なにかが置いてあったであろう床の跡や、なにかが掛けてあっただろう壁の色の変化がやけに目につく。

カーテンからなにからすべてのものがなくなっている。

給与として使用人が持ち帰ったからか、霊障にも驚かぬ豪気な窃盗犯がいたのかはわからないが、部屋のなかはほぼほぼがらんどうだ。普通ならばおおきな衣装ケースやベットは置いていかれてしまいそうなものだが、綺麗さっぱりと無くなっている。高級なものは材木としても価値があるだろうしさほど驚くことでもないのかもしれない。

壁紙は端の方から剥がれ落ち始めており、劣化した床板が歩みを進めるたびにぎしぎしと音を立てる。

そうかと思えば持ち出しが容易ではない大理石でできた階段やホールなどは当時のままでその姿を残しているし、立派な石柱は当時のままのどっしりとした装いを持っている。

採光窓から光が差し込むと、たまりにたまったちりやほこりがどれほど空気中を舞っているのかがよくわかる。

かつては美しい廊下だったのだろうが今は面影しかない。


「しかし、ここを宿に改装とは思い切った発想だな」

連れの男は石柱が何本も伸びた回廊を足音を立てずに進んでいく。


「こんな……古めかしい城を改装とは……いくら観光名所がないからと言って、見上げた根性だ」


薄ら笑いを浮かべた男は女の前を一定の速度で歩く。

ゴーストの類いが多量に出没するいわくつきの建物だということを理解していながらなおも性根逞しくどうにかしてくれ、と討伐依頼を出してきた領主のけったいさを思い出す。

自分はゴーストなどを恐れてはいないが、客はそうではないだろうから退去させてくれ、とは……

奇人、と呼ばれるのがただしい人柄だ。

大口を開けて笑うと特徴的な奥歯の金色がギラギラと光って見える。


「……どこにいくんだったか?」


男は分岐点で足を止めると後ろからついてきていた女に問いかける。


「はぁ? わからないなら先に行かないでよ。ほら、まずは牢屋から行くわよ」


女は男に追いつき、ヒールを履いてなお頭一つ分大きい男の顔を見上げた。

第一候補は謁見の間。第二候補は牢屋だ。

いうと男は地階へ続く階段を、するすると降りていく。地下牢から調べてみるらしい。

じめじめとした石造りの階段は、昔は光を灯していただろう燭台が均等に並んでいる。

上部には格子のついた窓が並び、外からの光が入ってくるが、それでも薄暗く足元が見えにくい。

ランタンでも持ってくればよかった、と愚痴りそうになる。

かといってここで無駄に魔力消費をしてなにかあったら目も当てられない。

湿気にかぬめり気を帯びた壁に手を置きながら慎重にすすむこちらにたいして前をいく男は軽快な足取りですたすたと階下へ降りていく。

バランス感覚がいいんだろう。

男のいつもは見えないつむじを睨みつける。体格に恵まれ、能力に恵まれたこの男が憎らしいやら羨ましいやら、いくら食べても筋肉のつかない己の身体が嫌になる。一応筋肉をつけようとあれこれ手を出しているがものになってはいない。


典型的な神父服の男が女のすぐ前を歩きながら、階段を下りていく。

長いストラはユリイカがつけているものと色違いであり、そこに縫い止められた紋様は同じものだった。二人のような悪魔祓いが力を得るための信仰、聖なる紋様である。

女も男と同じく真っ黒な服を着ているが、女の方は少しばかり丈が短く、スカートのようにもみえる広がったスラックスになっている。肌を隠すように黒いストッキングを履いた細い足首が強調され、低いヒールの革靴が妙に野暮ったく見えた。

男が手ぶらであるのに対して女は腰に短い剣を帯刀しており、箒に間違いそうな長さの杖を持っている。しゃりしゃりと杖につけられている金属の輪が擦れあい音を立てる。


「ちょっと、リオン、一人で先々行かないで……って、う、わっ」


段差を避けたと思ったら、かかとが滑り、危うく転びかける。尻餅をついて骨折した仲間がいるため転ぶならば尻以外から転びたい。と慌てた声が出た。

階段落ちはまだ人生で一度もしたことがない。

初体験となるのか、と思ったが、ぬっと伸びてきたリオンの手に支えられて斜めに傾いでいた身体がぴたりと止まる。


「なにしてるんだ、どんくさい……」


暗闇の中でリオンの瞳が冷たくこちらを見ている。

どじったのが恥ずかしくて、顔が熱くなる。


「慌てさせるからでしょ! もっとゆっくり歩きなさい」


リオンが置いてけぼりにするからだ、と責めるように言うがまったく響いていなさそうだ。

ユリイカはリオンよりも二つ年上だし、この仕事においてもリオンの先輩にあたる。

しかし力関係はいわずもがな、力量はリオンの方が上であるし、効率性やその他諸々総合的に見て明らかにリオンの方が優れている。

リオンは声を上げたユリイカをじとりと見つめたかと思えば、軽くため息をついてまた階段を下っていく。


足に気合を入れ直してどうにか階段を降り切ると、そこはおもっていた以上に牢だった。


一回下に降りただけでがらりと雰囲気が変わる。

まっすぐ続く廊下の左右に罪人を収容する部屋の扉が規則正しく並んでいた。


ずらりと並ぶ鉄格子に圧倒される。

こう言った貴族階級の牢屋というのはえてして牢屋と思えない華美なものが多いのだが、この牢屋はそうではない。剥き出しの石造りの床に、角にはおそらく用たしのためのわずかな穴があり、寝るための場所には、ちくちくと体が痛くなりそうな藁葺きのしきものが敷いてある。


「なんだ、あんまりいないわね」


なにも思念を残すのは。

無念を抱えて死んでいったものだけではない。

強烈な憎悪が発生した場所にその気がとどまっていることも多い。


今回事前に調べたところ、婚約破棄が多数起こったのが謁見の間であり、理不尽な死が起こったのは牢屋だった。悪霊となった女たちがいるとすればそのどちらかの場所の可能性が高いと踏んだが、違ったのだろうか。

首を傾げたユリイカは、瓦礫が転がる部屋の中を見渡す。


「前に来たことがあるが、その時はたくさんいたが、今はまったく姿が見えないな」


「たくさん、が寄り集まってタチの悪いものに進化したのかしら」


女は事前にこの建物で起きた事件を調べていたが、一方的な婚約破棄が多すぎる。

貴族社会において婚約破棄など女の一生を揺るがす大事件であっただろうし、事実その出来事により命を落とした女は少し調べただけでたくさん出てきている。

流行り、というには女の一生を軽視し過ぎている。

呪われて当然の忌まわしい記録がたくさんあった。


「まぁ、お仕事はお仕事だから……、ちゃっちゃと終わらせましょう」


何もこの仕事は進んで引き受けたわけではない。

浄化といっても多岐にわたり、今回適任とされたのが目の前の男、リオンと自分だけだった。

二人一組で行動するのが基本であるため、問答無用で二人行動をさせられ、今に至る。

特に緊張する相手でもないが、相手も相手でこちらに何の遠慮もないため上手くいっているといえる。


「冷えるな」


短く言って、リオンはあたりを見渡す。

そうして常人にはなにも見えない中央からやや左側に逸れた空間を見て、静かに一言だけ発した。


「いる」


真面目腐ったままの顔で言ったリオンはユリイカを通せんぼするように前に立ちはだかった、


「なによ、一人でやる気?」


当然ユリイカにも同じようにこの世ならざる姿が見えている。


その影は今となっては野暮ったく装飾過多にもみえる豪華なドレスを着た女だ。

無理にコルセットで締め上げた腰の細さと高く盛られた髪の形状から貴族階級の女なのだろうというのは察せられる。


「あれは……さほど強くない。一人で十分だろう」


リオンが特注品のメリケンサックを嵌めた拳を固く握る。そのごつごつとした拳はユリイカの手よりひと回り、いや二回り大きい。

あれで殴られるとほとんどの霊はそのまま霧散してしまう。殴る神父、というのは珍しいがリオンの除霊スタイルはそれで確立している。


「それはそうなんだけど」


それでも一応は相棒として来ているんだから、2人で協力すべきだと思う。

ユリイカの気持ちを全く理解しない朴念仁のリオンは一人でさっさと黒いオーラに包まれている霊体に近づいた。

そうして、一声掛けることもなく拳を振りかぶると、女の影は塵一つ残さずに消えてしまっている。


「話せる状態の霊体だったら話を聞きたかったのに」


どうしてすぐさま攻撃してしまうんだ、とリオンを睨むが全く効果がない。

黒衣の上からリオンと揃いの印章のネックレスを弄る。


「次行くぞ」


リオンは暗がりだけになった地下牢に興味を失ったのか、降りて来た階段を登り始めた。

ユリイカはリオンの引き締まった筋肉質な尻を見ながら階段をのぼる。


次は広間に行くんだろう。リオンの歩みには迷いがない。

大股の速度に置いていかれないように足早にその背を追う。


広間に行くまでの間には広い庭があった。

手入れを放棄された庭は荒れ果て、野草に侵食されている。大きな木の幹には蔦が絡み、その下部には白いきのこが生えている。赤い果実が熟れた実を土の上に散らばらせていた。

かと思えば大きい大輪の花が咲いている場所もあり、昔はアーチを描いていたのではないかと推測される場所もある。


その荒れ果てた庭の真ん中、白い机と椅子が並んでいた。お茶会を行うものだろうか、それとも休憩用のカゼボというやつだろうか。

どちらにせよ現物を見たことがないユリイカにはわからない。

そしてその椅子にはぴんと背筋ののびたご令嬢が座っていた。


「あ……」


その令嬢はただがとではない覇気を纏っており、この寂れ切った城の頭領たる霊魂であろうことは想像に難くない。


ごくり、と喉がなる。


このまま戦闘になった場合のことを考え、先を行くリオンまでの距離を目測で測る。リオンはユリイカの3歩ほど先を歩いており、庭園の女との距離はほんの少しだけユリイカの方が近い。


「あら? お客さまでしょうか。久しぶりだわ」


こちらの視線に気づいたのか、先ほど発してしまった短い声を聞いたのか白い椅子から立ち上がったその女は、まるでいまだに自分が生きているかのような振る舞いをしている。

女はこちらを注視している。


「あ、お邪魔してます……」


「いえいえ、私の所有物ではないの。すこーしばかり長くここに居座っているだけなのです」


意思疎通の測れる霊体はかなり珍しい。


「あなたたちは……祓い屋さんかしら?」


生前の優雅さを死してなお受け継いだしなやかない仕草で、かるく首を傾げリオンとユリイカの二人を交互に見る。


「お察しの通りです」


リオンは霊体との会話を苦手とするため、ユリイカが全て返答する。


「そうなのね、でも他の子たちはお話し合いをしてほとんどがきちんと成仏したはずなのですけど」


「それは、あなたが成仏させた、という事ですか?」


「まあ、私、一応《聖女》でしたから……死して魂だけに成り果ててなお加護は宿ったままらしく……婚約破棄され挙げ句の果てには憎しみからこの地に縛られてしまった皆さんを送ってさしあけただけです」


「! 聖女! そんな尊いお方がなぜこんな姿に」


「まぁ……聖女といえど一人の人間。全てを踏み躙られ、虫けら同然に殺されたのですから……憎しみの念が沸いても仕方ないでしょう?」


「そんな……」


ユリイカは顔を歪めて憤りを表す。


聖女と貴族社会は切り離されて考えるべきであるのに、その力の尊さゆえに政治利用される例は数えきれないほどある。

リオンとユリイカの所属する団体にも聖女が在籍している。ユリイカは昔聖女さまに命を救われた過去があるため、聖女という存在を過度に神聖視している傾向があった。


「私みたいな存在が長くこちらにとどまっているのはよくないのはわかっているのですが……一つ心残りがあって……」


成仏してもしきれない、というように被りを振った。どうやらまだ自我がはっきりしており、自分の望む成仏のトリガーを自分で把握しているらしい。


「その心残りが晴れれば成仏できるのですか?」


聖女への敬意からユリイカの言葉遣いが固くなる。


「そうですね、多分おそらく。でも無理でしょう」


首を振った聖女は悲しそうに眉を下げた。

霊としての力が強いからなのか、喜怒哀楽もかなりはっきりと表現できるらしかった。眉を下げた困り顔はすぐに手を差し伸べたくなる雰囲気を持っている。


「そんなにも難しいことなんですか?」


ユリイカはできることならなんでもやります、という気持ちで聖女が生きている間に果たせなかったという心残り……願いを聞こうとする。


「はい、とても」


悲しげな表情は儚く見え、長い髪のプラズマがゆるりと靡く。


「どんな心残りなのか、早く聞け」


リオンが明らかに苛ついている。直接会話せず、ユリイカを介したものになる。

いつもならば邂逅、殴打で終了していたのだからこのまどろっこしい対話が無駄に見えるのだろう。

しかし横入りして殴りかからないあたり、リオンも目の前の霊体にかないそうもないと感じているという事だろう。


「できる限り御協力いたします」


キリッとした表情を作ったユリイカは、片膝つかんばかりの勢いだ。


「まぁ、でも、そんな……」


「これもなにかの運命でしょう」


ユリイカは重々しく頷く。

すると、聖女はその小さな口をそっと開いて言う。


「あの、まぁ、その、好きな人とイチャイチャしたかったな、と……」


恥ずかしいためか、先ほどの威圧感の乗った張りのある声色と打って変わってごにょごにょとした不明瞭さであった。

どこが己の考えを恥じるような声な小ささではあるが、聖女が最後の望みを述べた。


「え?」


もっと壮大な望みかと思い込んでいた分頭がすぐに内容を取り込まない。

ユリイカは間抜けな声を発してしまった後で、はっとして口をつぐんだ。

聖女としての人生において恋愛など無縁のものだったのだろう。まして目の前にいる聖女様は婚約破棄されて亡くなっているのだ。

なんだ、そんなこと、などとあなどってはいけない。


「ですから……好きな人と甘々両思いのラブラブしたかったんです!!でももう相手も死んでますし、このまま悪霊に堕ちるのを待ちますから」


当たり前のように言ってのけた聖女にユリイカは恐ろしさを覚えた。


それはかなり、困る。

聖女の悪霊など誰が太刀打ちできる?

ちら、とリオンを見るとリオンもコチラと同じ想いらしく、眉間に深々と皺を作り込んでいる。


「そこをどうにか……なりませんか……」


代替え案がないのか、探りを入れると彼女はリオンとユリイカ二人を交互にみていた。


「あの……聖女様?」


魂魄だけに成り果てても聖女は聖女。

神々しいぐらいの聖女スマイルで、両手を胸の前で合掌の形を取った。


「ではこうしましょう」



…………


「あの、本当にこれでいいんですか?」


ユリイカの身体は聖女様を憑依させている。

とはいえ身体はきちんとユリイカの意志で動く。憑依と言っても同じ感覚を共有する程度のものだ。


長椅子に座ったユリイカは困惑して眉を下げた。

鉄であれば腐蝕して目も当てられなかっただろうが、木で丁寧に作られた長椅子はまだ健在だった。

ユリイカの太ももの辺りには、リオンの頭がある。


「ええ、これですわ。膝枕、ですよね!」


ユリイカは言われた通り、そっとリオンの頭を撫でる。指通りのいい髪だ。

リオンはいつも通りの無表情のままでユリイカのすることを黙ってうけいれている。


「……こうやって、愛する人と穏やかにいちゃいちゃしてみたかったのです」


ささやか過ぎる聖女の願いにユリイカは哀しくなる。

こんなことさえ出来ずに……


聖女の意識がすっと離れ、霊体の反応が薄くなっていく。


約束通りに自身で成仏までに至ったらしい。

ユリイカは、黙ってそれを見送り俯いた。生前に出会えていたらここから連れ出してあげられた。

しかしユリイカの仕事は基本的には全て後手。皆すでに死んでしまっている。


ため息をつきそうになったユリイカの膝枕からすこやかな寝息が聞こえている。


「……うわ、ガチ寝してる……」


リオンは昨日まで別の仕事をこなしていた。

遠出の仕事だったと聞いているから、疲れが溜まっているんだろう。


それにしても気を緩めすぎではないか?


自然のままの雑草は元気に伸び伸びと育っている。


リオンの規則正しい呼吸音を聞きながら、その唇をじっと見る。

いちゃいちゃというから口付けぐらいは要求されるかと腹を括ったのに、まったくの杞憂だった。

別にしたかったとかじゃないのに、残念に思う気持ちがうっすらと広がりユリイカは一人唇を尖らせた。




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