001 初恋にさようなら
「……カイン様、今日でここへ来るのは最後になります」
飲み干した紅茶のカップを静かにテーブルに置きながら、私はその言葉を絞り出す。
温かな日差しが差し込む、春の昼下がり。
私たちは中庭で、いつもの、二人だけのお茶会を楽しんでいた。
ただ違うのは、今日が最後だということだけ。
ここへ来て、目の前に座るカインにそのことを告げる。
それは数日前からずっと練習してきたことだった。
私にとって終わりを告げるその言葉は、何よりも重い。
練習でも何度も言葉を詰まらせ、泣いてしまっていた。
だけどその甲斐あってか、本番は声こそ少し震えてはいるものの、マトモに言えた気がする。
それでも彼の顔を見ることが出来ずに、下を向いたまま、ただ返答を待った。
「おてんば娘も、とうとう父上に怒られたのか? いくら婚約者がいないとはいえ、年頃の娘が男のもとへ通ってはいけないと言っておいただろう」
私の気など知らぬとばかりに、カインはいつもの軽口を返す。
私と彼の付き合いは長い。
カインは今年十八になる私より十五歳年上で、母の友人だ。
母たちが結婚したのとあまり変わらぬ頃に結婚し、その後母と同じ流行病で奥様を亡くされた。
初めは最愛の母と妻を亡くしてしまった者同士、傷を癒やすための交流だった。
だけどそれがいつしか、私にとって初恋に変わってしまった。
でも所詮それは一方通行でしかない。
カインにとっての最愛は亡くなった奥様でしかなく、私はいつまで経っても友人の娘でしかないのだから。
「そうではなくて……」
「ん? どうしたリュシカ。何か困ったことでも起こったのか? 誰かにいじめられたり、陰口を言われたのならばすぐに言えと言っているだろう。いつだって俺がやっつけてやるんだからな」
いつもだったらクスリと笑ってしまうであろうその言葉も、今日は涙を堪えるだけで必死になってしまう。
自分が今、どんな表情をしているのか分からない。
だけどそれでも真っすぐにカインを見た。
がっちりとした体格に、褐色の肌。
筋肉はかなり多い方なのに、引き締まっているせいか太っているという感覚はない。
やや癖のある長めの黒髪に、切れ長のルビーのような瞳。
そのどれもが、私には完璧だと思えた。
ちゃんと顔を見なきゃ。
もう今日で本当に最後なのよ。
こんな風に会うことも出来なければ、会話だって出来やしない。
言いたいことはちゃんと言わないと……。
そう思えば思うほど、言葉が出てこない。
「そうではなくて……」
「じゃあ」
「婚約が決まったんです」
言い切ったあと、私は貴族令嬢たるものと家庭教師から何度もたたき込まれた笑顔を作った。
ぎこちない笑顔だということは、自分でも理解している。
何度やったって、家庭教師から合格は得られなかったから。
だけど仕方ないじゃない。
泣いて迷惑をかけるよりは、これが一番マシなんだもの。
そうなんとか、自分に言い聞かせる。
「……そうか」
カインから返ってきた言葉は、どこまでもあっさりしていた。
別に期待していたわけではない。
だってそんなものに意味はないから。
だけど引き留めてはくれなくても、ほんの少しくらいは寂しがってくれるかもしれない。
そんな風に思っていたのも事実だ。
一緒に過ごした時間が長かったから。
愛はなくても、情くらいは湧いてくれているんじゃないかって思っていたのに。
でも返ってきた言葉は「そうか」だけ。
知ってはいても、自分とカインの温度差に胸が痛くなる。
そしてその辛さから息を吸うことすら忘れた体が震え出した。
泳いだ視線がバレないように下を向いて冷静を装う。
始まることすら許されなかった恋に、私は一人打ちひしがれていた。




