雨宿りの贈り物
最悪だ。
土砂降りの中を走って、やっとの思いで飛び込んだのは、使われなくなった公衆電話ボックスだった。受話器は外され、ガラスは曇っている。
スーツはびしょ濡れ。折り畳み傘なんて一瞬で裏返った。スマホは三十分前に死んだ。タクシーは一台も通らない。
ビルのネオンが雨に滲んで、街が泣いているみたいだった。
今日、三ヶ月かけた契約をライバルに取られた。上司には「君には期待していたのに」と言われた。——過去形だった。
なんで私ばっかり。
濡れた髪から雫が落ちる。ストッキングは伝線して、パンプスの中はぐしょぐしょで、もう何もかもが嫌になった。
その時、足元に何かが見えた。
透明なビニール傘が、壁に立てかけられている。
忘れ物だろうか。手に取ると、持ち手に小さなメモが輪ゴムで留めてあった。
『どうぞご自由にお使いください。もしよろしければ、また次の人のために』
丸っこい、少し拙い文字だった。
私は何度もそのメモを読み返した。
誰が書いたんだろう。どんな人だろう。いつ、ここに置いていったんだろう。
知らない。何も知らない。でも、この人は確かにここにいて、まだ見ぬ誰かのことを思って、この傘を置いていった。
私みたいな、びしょ濡れで途方に暮れた誰かのために。
目の奥が熱くなった。
ずっと、一人で戦ってきたと思っていた。誰も助けてくれない。自分でなんとかするしかない。そう思い込んで、心をトゲだらけにして。
でも、こんな街の片隅に、こんな優しさがあった。
雨音が少し静かになった。
私は傘を手に取り、「ありがとう」と声に出した。誰もいないボックスの中で。でも、確かに届くような気がした。
駅への道すがら、コンビニに寄った。新しいビニール傘を一本買う。
そして私は来た道を戻り、あの公衆電話ボックスに戻った。
新しい傘を立てかける。手帳のメモのページを破いて、書いた。
『傘を置いてくれた方へ。ありがとうございました。おかげで、もう少し頑張れそうです。次に使う方へ。この傘が、あなたの味方になれますように』
ペンを持つ手が少し震えた。自分がこんなことをするなんて思わなかった。
でも、したかった。
誰かが私を助けてくれたから、私も誰かを助けたい。顔も知らない、名前も知らない、会うこともない誰かを。
歩き出すと、雨上がりのアスファルトの匂いがした。
ビルの隙間から覗く空が、少しだけ明るくなっていた。
【あとがき】
お読みいただきありがとうございました。
顔も知らない誰かとの、優しさの連鎖。
都会の片隅で感じる、予期せぬ人情と温もり。
孤独や不安が、小さな親切によって救われる瞬間の感動。
これらが表現できていましたでしょうか。
少しでも感じるものがあれば幸いです。
来週も”なろうラジオ大賞7”参加作品を投稿予定ですので、またお読みいただけましたら幸いです。
評価やブクマ、感想、リアクションなどいただけると、今後の執筆の励みになりますのでどうぞよろしくお願いいたします。
ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました。




