表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/10

第6話「スマホひとつでどこまでも」

水曜日の朝8時。智也は普段より早い時間に環状線に乗り込んでいた。今日は特別な日だ。「Urban Taste」の読者交流会が夕方6時から開催される。その前に、連載記事の取材と原稿執筆を済ませなければならない。


「さて、今日はどんな出会いがあるかな」


スマホを手に、智也は車窓の外を眺めた。朝の光を浴びて輝く街並み。通勤・通学の人々で賑わうホーム。すべてが記事のネタになる可能性を秘めている。


「次は中央市場前駅です。中央市場前駅」


アナウンスが流れ、智也は思わず身を乗り出した。中央市場は環状線沿線の名所の一つだ。以前から取材したいと思っていた場所だった。


「よし、降りてみよう」


智也は勢いよく立ち上がり、ドアに向かった。


***


中央市場は想像以上の活気に満ちていた。威勢の良い掛け声、新鮮な魚介類の匂い、色とりどりの野菜や果物。智也はスマホのカメラを構えながら、市場を歩き回った。


「すみません、写真を撮ってもいいですか?」


ある八百屋の前で、智也は店主に声をかけた。


「ああ、いいよ。でも何に使うんだい?」


「実は、環状線沿線の名所を紹介する記事を書いていまして...」


店主の田中さん(62歳)は、智也の説明を聞くと興味深そうな表情を浮かべた。


「環状線か...そういえば、昔はここまで線路が来てたんだよ」


「え?本当ですか?」


田中さんは市場の歴史を語り始めた。かつて、この市場には貨物線が直接乗り入れており、全国から新鮮な食材が運ばれてきたという。しかし、モータリゼーションの進展とともに線路は撤去され、今では環状線の駅から少し離れた場所になっている。


「でもな、この市場の魂は今も変わらないんだ。毎日新鮮な食材を届けるってのがな」


智也は熱心にメモを取った。スマホのメモアプリには、田中さんの言葉や市場の様子が刻々と記録されていく。


***


昼過ぎ、智也は市場を後にした。取材の成果に満足しながら、近くのカフェに入る。ここで記事の構成を練り、できれば下書きまで終わらせたい。


「アイスコーヒーをお願いします」


注文を済ませ、智也はスマホを取り出した。クラウド上に保存された取材メモを開き、写真を確認する。画面上で指を滑らせながら、記事の組み立てをイメージしていく。


「市場の歴史、現在の活気、そして未来への展望...」


智也は没頭して作業を続けた。気がつけば2時間が経過している。


「やばい、もう3時か」


急いで下書きを終わらせ、智也は環状線の駅に向かった。読者交流会までにはまだ時間があるが、その前に編集部に寄って原稿のチェックを受けたい。


***


「青葉台駅です。青葉台駅」


智也は慌ただしく電車を降り、Urban Tasteの編集部に向かった。


「お疲れさま、相沢さん」


井上編集長が笑顔で迎えてくれる。


「原稿、見ていただけますか?」


智也はスマホの画面を井上に見せた。クラウド上に保存された原稿データだ。


「うん、なかなか良いじゃないですか」井上は満足げに頷いた。「特に市場の歴史と現在を対比させている部分が面白い。でも...」


井上は少し考え込むような表情を見せた。


「でも?」


「もう少し、"食"にフォーカスを当てられないかな。Urban Tasteの読者は、美味しいものに目がないんだ」


智也は急いでメモを取る。


「分かりました。市場で扱っている特産品や、地元の人おすすめの逸品なんかも紹介してみます」


「そうそう、それがいいね。写真も忘れずに」


編集部を後にした智也は、時計を確認した。読者交流会まであと1時間。


「よし、もう一度市場に行こう」


智也は再び環状線に乗り込んだ。


***


夕方5時半、智也は息を切らせながら会場に到着した。ギリギリまで取材と原稿の修正に時間を費やしたが、なんとか間に合った。


会場には既に何人かの参加者が集まっていた。そして、受付で見覚えのある赤いマフラーを見つけた。


「結衣さん!」


篠原結衣が振り返る。


「相沢さん、お疲れさま」結衣は柔らかな笑顔を見せた。「今日は朝から大忙しだったんですって?」


「ええ、まさに八面六臂の活躍でした」智也は冗談めかして答えた。


「でも、楽しそう」結衣の目が輝いていた。「私も、いつかああやって取材して回れたらいいな」


「きっとできますよ。それに、小説家としての経験は、きっとライターの仕事にも活きるはずです」


二人が話している間に、会場はどんどん人で埋まっていった。


「では、読者交流会を始めさせていただきます」


井上編集長の声が響き、会場が静まり返る。


「本日は特別ゲストとして、『環状線からの風景』連載でおなじみの相沢智也さんをお迎えしています」


拍手が沸き起こる中、智也は少し緊張しながら壇上に上がった。


「みなさん、こんばんは。相沢智也です」


そして智也は、環状線をオフィスにした経緯や、そこで出会った人々の話を始めた。聴衆の反応は上々だ。質問も次々と飛び交う。


「相沢さんにとって、環状線の魅力とは何ですか?」


「それは...」智也は少し考えてから答えた。「人々の日常と非日常が交差する場所だということですね。誰もが通り過ぎるだけの空間に、無数の物語が隠れている。それを発見できる喜びが、環状線の最大の魅力だと思います」


会場から大きな拍手が起こった。


交流会が終わり、智也は充実感に包まれていた。参加者から直接感想を聞けたことは、大きな励みになった。


「お疲れさま」


結衣が近づいてきた。


「結衣さんも、いつか一緒に壇上に立てたらいいですね」


「えっ?」結衣は驚いた表情を見せた。


「だって、結衣さんの小説が出版されたら、きっとここで出版記念会が開かれるはずですから」


結衣は照れくさそうに笑った。


「夢みたいです...でも、頑張ります」


二人は会場を後にし、夜の環状線に乗り込んだ。車窓に映る街の明かりが、まるで二人の未来を照らしているかのようだった。


智也はスマホを取り出し、今日一日の出来事をメモし始めた。環状線は回り続け、新たな物語を紡ぎ出していく。


そして智也は確信していた。このスマホひとつあれば、どこまでも物語を追いかけていける。それが、環状線オフィスで働くフリーライターの醍醐味なのだ。


(第6話 終)



読んでいただきありがとうございます!


ブックマークして貰えると創作の励みになります。


よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ