楽園へ還る
神はご自身に似せたアダムをお創りになられた。
そして、その番として、同じ素にてリリスをお作りになられた。
リリスは神の理想の女であった。
神は最初こそ、アダムとリリスを楽し気に見守っておられた。
しかし、神は次第にそれに違和感を感じるようになられる。
何故なら彼女は神の理想の女である。
アダムは自身の模倣、木偶人形。変わってリリスは理想の女。
神の御心は知らない感覚に苛まられた。
同時に、リリスもアダムに違和感を感じるようになってしまった。
彼女にとって、男は2人いる訳なのだから比較が生まれてしまったのだ。
やがて、リリスはアダムに反発するに至った。
神は、それを納得してしまった。胸がすく思いがした。
そして、彼女は神の名を呼んだ。原初の女は楽園を出るという。
神は、この箱庭に彼女がいることによって、ご自身の御心に変化があることを危惧されていた。
しかしまた同時に、アダムとは共にいない選択をした彼女に、心からの安らぎをお感じになられた。
そうして、神には絶対の自信もあられた。
彼女はまた、アダムではなく、自分のもとに帰ってくるという事に。
神は、彼女の選択をお許しになられた。
故に、アダムの最初の妻である女は楽園から去ったのである。
神は、今でも待っておられる。
理想の女。
愛おしい半端物が自らを高め戻って来ることを。
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やがて、神はリリスがいなくなったことに戸惑う、愚かな土人形に新しくその肋骨を使い、番をお作りになられた。
それ、正しくアダムの妻となった女、イヴである。
彼らは、一つの身体より生まれし存在。
故に、イヴは正しくアダムに夢中であった。
楽園に穏やかな時が流れた。
神はそれに、満足をされ暫し休まれた。
しかしそれは、さながら微睡の夢。
神に歯向かう愚か者である敵対者がその毒をイヴへと注ぎ、
その毒はアダムへと至ってしまった。
やがて二人は、神からのお言いつけである知恵の実を食す。
そうして、彼らは知恵を得る。知恵とは、思考である。
考えるとは、簡単でありながら、最も難しく人を人たらしめるもの。
そんな単純かつ複雑怪奇が、小さな木偶人形の中に生まれてしまった。
――すると、彼らの生まれたての脳みそは、はたと気付く。
我らが創造主たる神と、我らの姿かたちは同じであるにもかかわらず、
何故、我らは裸であるのか、と。
神は姿かたちが同じものは、同じ種であると、
アダムとイヴに楽園にある生き物をお教えになられていらした。
彼らは思った。
では、我々はなぜ、神と同じように服を着ていない?
神と同じ姿かたちをしているにもかかわらず、何故?
かくして、人は比較による恥の概念を会得したのである。
知恵を得たアダムとイヴは、葉を身にまとい、服とする。
そうして、変わらず楽園での生活をおくろうとした。
それが如何に愚かで傲慢で、矛盾に満ちた選択なのかも知らず――…。
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久方ぶりに神が楽園をお覗きになられたとき、
神はただ淡々と呆れた思いをお抱きになられた。
それは、約束を破ったアダムとイヴに対しての怒りではない。
神は、アダムとイヴの稚拙さにお呆れになられたのである。
知恵を得、人と神の姿が似ていると気づき、神を模倣する。
傲慢不遜な行いではあるが、神は寛大であられる。
そこはお目こぼしと見逃された。
しかし――…、神は彼らに酷く失望もされていらした。
原初の女、リリスは知恵の実も食わず、楽園を自らの足で出て行った。
神はリリスの考えがすべてお判りになられてた。
彼女は、神の理想の女である。
その理想という無意識が、リリスに知恵を与えてしまっていた。
彼女は、アダムと神を比較し、そうして、自らをも比較した。
そして、神に似た姿の自らがどうあるべきかを考えた。
アダムではなく、神と共に在りたいと思うならば、どうすべきか。
故に女は楽園を去ったのである。
そして、その意思を神は愛された。
だが、そんな去った愛し子と比べて、彼らは一体どうであろう?
知恵の実を食べたのは、いい。服も許容しよう。
だが――…。
自らと神の違いを感じ、服を纏うという対等となる模倣をするのならば、
楽園で当然と生活を続けようとするのは、いかがなものであろう?
その傲慢さたるや。
同じであると、対等であると思うのならば、
神が庇護下にあるのは、矛盾であると何故気づかぬ?
――あの女のように。
あぁ、所詮模倣は模倣、泥人形は泥人形でしかない。
そう神は嘆かれ、アダムとイヴを楽園から追放なさったのである。
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かくして、楽園の扉は硬く固く閉ざされた。
そうして、人は幾たびも罪を犯し、諫められた。
そのたび、悪魔は神へと挑み、罰せらた。
でも、唯一罰せられないものが在りました。
原初の女、リリスでございます。
リリスはいつの間にか、悪魔と交わり子を成しておりました。
彼女はたくさんのことを知りました。
楽園に居た時よりも多くのこと。
楽園にいては知らぬままであったであろうこと。
憎しみ、苦しみ、悲しみ、痛み。
嫉妬、傲慢、怠惰、色欲、暴食、憤怒、強欲。
憧れ、自信、安らぎ、官能、満足、正義、純粋。
彼女はそれら全てを咀嚼し、大事に大事に心の内にしまいながら、
ただ世界を見つめました。
世界は、悪魔と天使が小競り合い。
人は、人と小競り合い。
ちょっとだけ美しくて、ちょっとだけ醜い。
とっても悲惨で不幸だけれど、とっても穏やかで幸福。
そんなありふれた世界。
私たちの世界をリリスはそっと見ているのです。
やがて、そうして彼女がありとあらゆるものを知ったとき、
彼女はどこであろうと、静かに神の名を呼ぶのでしょう。
その時こそ、楽園の扉が彼女の為だけに、再びと開くのです。
神と人、創造主と創造物、父と子、男と女。
彼女は在るために、堕ちるも汚れるも貴賤なく飲み込み、
神の世界も、神以外の世界も、その瞳、心、脳へと刻んだのです。
原初の女は開かれた楽園の扉の先、神に向かってこう告げるでしょう。
「これで、あなたの傍に在れる」
と。