69話、絡み合う裏社会の動向
比較的早い時刻に夕食を楽しみ、飲食店を後にした二人は目的を果たしにバーへと向かった。潜入する時間差は理想的なのではないだろうか。
仲間からの連絡はまだない。ドラッグの売人はまだ現れないようだ。
「その新型ドラッグの事は、どれくらい分かっているんですか? 元締めや下部組織、販売ルートなどは?」
隣り合って歩いていたソールが、その若さから考えられないほど知的な問いをしてくる。
アシュリーは彼の見え方を百八十度も変えていた。物静かで礼儀正しい少年という印象は、自分にアプローチを試みる一人の男性へと変わる。
「そこまでは……ドラッグの名前は『サニー』というそうだ。他の薬物と同じく依存性が高いのは勿論なのだが、強い高揚感と幸福感を同時にもたらす作用があるらしい。その後は恐ろしい虚無感と不安感に呑み込まれるのだと聞いている」
「新型といっても、要するに違法薬物の類ですね」
「それだけじゃないみたいなんだ。まだ噂だが一部では……サニーを使用し続けると、悪魔になってしまうのだそうだ」
「悪魔になる……?」
悪魔の話題になるや、ソールの関心は一気に高まったようだった。
それもその筈だ。悪魔は魔物とも一線を画す化け物。人類の天敵であり、奴等の強さは魔戦士達が束になっても、朝食の提供にしかならない。半端に食い散らかされて終わりだ。
その悪魔に変わるというのだから、恐怖を感じて当然だろう。
アシュリーはソールの少年らしいところを目にして、何処か安堵しながら大人として諭す。
「大丈夫だ。ただの風の噂だろう。このような街中に悪魔がいれば、軍が真っ先に討伐。それはもう大騒ぎになっている筈だろう?」
「そうですね……そんな薬があれば、悪魔を量産できてしまいますものね」
「……? そうだな」
台詞に違和感はあったものの、ソールはドラッグの危険性をより強く認識したようだった。真剣な面持ちで深慮している。若者まで食い物にするドラッグ商売を、アシュリーは強く警戒していた。
だからこそ、ソールが危険度を再認識する様は、彼女にとって安心するものだった。
「ベルフェゴール……」
「うん? 何か言ったか?」
「……いいえ、何も」
ポツリと呟いた小声は行き交う雑踏が搔き消し、誰の耳にも届かずして潰える。
代わりにソールは神妙な面持ちで自然と手を握り、アシュリーへ少しばかり強く警鐘を鳴らした。
「ただ、元締めも知らずに関わるのは危険ではないでしょうか。アシュリーさんには……皆さんにはこの類は知人からのお願い程度で引き受けて欲しくはありません」
「……き、気を付けるように言っておこう」
些細な恋煩いは経験していたが、真っ当な恋愛は初めてのアシュリーは、贈られる親愛の言葉に乙女心を募らせるのだった。
程なく、直線距離にして五百メートルは離れていただろうか。より自然な潜入をと距離の離れたレストランを選んだのだが、魔戦士という事もあり疲労なく辿り着く。
「ここにしましょうか。軽く飲むなら都合が良い」
「そ、ソウシヨウ」
「……話すのは全て僕が受け持ちますね」
事情を知っているドアマンが軽い身体検査を……行う素振りだけ見せ、バーへ入る。
実際に行われる身体検査でも、そこまで詳しく体に触れるわけにもいかないので、どうしてもドラッグを持ち込まれてしまうとの事だった。
「お勧めのカクテルを僕と彼女に」
「かしこまりました」
打ち合わせ通りに、アルコールの入っていないカクテルを用意させ、昔ながらのジャズを奏でる演奏家達を眺めながらその時を待つ。
「他のメンバーは何処だろうか……」
「そちらへ視線を向けないでくださいね。今から教えます」
「えっ……?」
ソールはジャズ演奏家から目を逸らさず、淡々と答えた。
「ホエールさんとサラさんは、入り口から死角になっている左奥のテーブルで、予定通りに二人でカクテルを飲んでいます。カクテルの残った量を見ましたが、恐らくそろそろ追加の注文へやって来るでしょう」
「……」
開いた口が塞がらない。超能力者を見る目で、信じ難い観察力を見せるソールを見る。店内を伺う隙などなかった筈なのに、まるでこの場の全容を把握しているかのような口振りではないか。
「ブラッドさんは右端のテーブルで、知らない女性と飲んでいますね。おそらく本物のお酒を飲んでいます」
「ブラッドっ……! あいつは本当にどうしようもないなっ……」
「僕はそういう彼が、好ましくなって来ましたけどね。根っこから明るく愉快な人だ」
恐るべき洞察力と観察力で、仲間の位置を把握していたソールだが、語る口はまだ止まらなかった。
彼の眼は、無視できないイレギュラーを発見していた。
「少し警戒レベルを上げましょう」
「どうしてだ?」
「この場に、銃を所持している輩が二人います」
「っ!?」
咄嗟の反応だった。銃という単語を受け取り、生存本能からバーのフロア全体へ視線を向ける。
「――動かないで」
「ウッ!?」
顎先を指先で抑えられ、視線を向ける動作を制止される。
そして間近でソールと見つめ合い、視線を容赦なく絡ませられる。瞳が瞬時に潤むのを感じ、顔は熱く『あぁ……もうダメだ』と胸中で堕とされた自覚を抱く。
「あなたは一般人でなければなりません。ドラッグも銃の事も知らない、笑顔でバーを楽しむ一般人です」
「ひゃい……」
「僕が警戒するので、アシュリーさんは売人に集中してください」
「わ、分かった……すまなかった」
笑顔で窘めるソールから視線を逸らし、初心な動揺に揺れる心を懸命に落ち着かせる。
「現在、確認できた銃所持者は、ホエールさんの二つ隣のテーブルにいる派手な身なりの男。それから、ここから最も離れた対角線上のテーブルに座る大柄な男です」
「凄い……」
改めて、現在も含めて特に周囲を見渡す素振りをしていたようには見えない。それどころか、アシュリーを気遣い紳士的に振る舞っていたように思う。
しかしやはりソールは入り口から真っ直ぐにカウンターへ向かう中で、人物の特徴や配置を含めてフロアを網羅してしまっていた。
「これから化粧直しに行く振りをして、二階の事務所から入り口を凝視している店長に伝えてください。彼等が買い手であった場合、売買が完全に終わっても刺激しないように」
「任せてくれっ」
ソールは店長の気が短そうな顔付きを見て、私刑に積極的なのではと危惧した。よって釘を刺す意味でアシュリーから伝えてもらう事に。
指示を受けたアシュリーは疑う余地もなく、ポーチを手に席を外してトイレへ向かう。
すると、入れ替わりに女性がソールへと声をかけて来る。
「――お酒を一杯、ご馳走しようか?」
カクテルグラスを翳して、ドレス姿の見知らぬ艶やかな女性がソールを誘う。纏う色気は淫靡にして透明感があり、ただものではないと直ぐに悟る。
「……一番可愛がってやってる愛犬が、休暇の趣味に口出しか?」
「そんな事はしないとも。ただ時間が空いたから、何をして遊んでいるのかなと気になってね」
ダルタニアンの指輪で変装していたレイチェルが、二人にしか届かない声量で会話を始める。
「よく俺だと分かったな……」
「君もね」
「俺はレイチェルの執拗な視線で気付いただけだろ? あんなに俺だけを見ているのに、邪魔をしない気が効く奴なんてレイチェルだけだろ」
「私は軍の機密情報にアクセスしただけだよ。コール君の位置は常に把握されているからね」
「ペンドラゴンの野郎……」
知っていた事だが、実感すると煩わしさが際立つ。自分の位置情報が常時筒抜けの現状に、コールは顔を微かに顰めた。
「暗殺しようか? 特に問題はないと思うけど。むしろコール君がどうして私を使わないのか疑問でならないよ」
「まだいいかな。不可欠な人間ではないけど、どんな影響が出るか分からない内は生かしておいてやるよ」
「了解」
レイチェルと一緒にいるところを目にして、ホエール達が接触に立ち上がりかけ……急遽、取り止めた。
「サニーってドラッグ、本当に悪魔になるの?」
「やっぱり気になってたんだね。それをいち早く教えてあげようと思ってね」
「オゥ……怖いくらい可愛い奴だな」
長い付き合いのコールですら感嘆する有能さであった。
猟犬は主人の意を汲み、新型ドラッグ『サニー』の本質を語る。
「軍では既に確認済みなんだ。サニーを使い続ければ、人間は悪魔になる。これは事実だよ」
コールの喜色が滲む口笛が鳴る。
少年のように心躍らせる主人に、思わずレイチェルはウットリと表情を蕩けさせるも、すぐに残念ながらと続きを聞かせた。
「けど出来上がる悪魔は男爵にも届かない個体ばかりだ。彼等がコール君の役に立つとは思えないかな」
「……そっか。元締めからドラッグを横取りして、それから悪魔を量産して経験値を稼ぎたかったんだけど、そうはいかないか……」
「でもね、少しだけ朗報も持って来たんだ」
「……?」
ぬか喜びにはさせないと、レイチェルは軍が仕入れたばかりの新情報をさも当然とコールへ漏らした。
コールは経験値の匂いを敏感に感じ取り、その情報を懐に収める。
その後は速やかに別れを告げ、入れ違いにホエールが赤の他人を装いながら声を潜めて話を持ち出す。
「……今のは知り合いか?」
指を二本立ててバーテンダーへカクテルを注文しながらに問いかけた。
「いいえ。お酒を奢るので、一緒に飲まないかと熱心に誘われていました」
「アシュリーはどうしたんだ? 気付いたら姿が見えなかったが……」
「銃を携帯している人間を発見したので、店長に知らせに行ってもらいました」
「……確かなのか?」
無言で軽く頷くと、ソールはホエールにも情報を共有。強面な面持ちを更に険しくさせて去る大きな背中を見届けた。
それからソールのカクテルが空になる頃、遂にその合図が届く。
「来たか……」
二階から点灯していたライトが、緑から赤へ。
視界の端で入り口を確認すると、まだ若いコートの男が入って来たところだった。特徴としては頬に傷があり、着用するスーツが背丈に合っておらず、着膨れしている。
男は裾を引き摺りながら歩き、迷う事なく……もう既に酒で出来上がっている男女のカップルが座るテーブルへ。
「すまない、遅くなった」
「幸いな事に、銃を持っている輩が取り引き相手ではないようです。とりあえずは取り引きを行うまで見守りましょう。ホエールさん達もそのつもりのようです」
売人はカップルから金を受け取ると、何かを男のポケットにねじ込んだ。サニーだろう事は横目でチラチラと確認するホエール達にも理解できる。
すると銃所持者達は二人が揃って立ち上がり、店を後にした。
(……そういう事か)
状況を悟ったのはソールのみ。
だが行動は起こさず、売人の動向をチームと窺う事にした。
売人は一仕事を終えて気分が良く、その金を手にカウンターへ足を向ける。
ドラッグの売買に慣れてはいないのだろう。大きく深呼吸して緊張を吐き出し、マスターへと注文した。
「ブランデーをくれ」
「かしこまりました」
何の偶然なのか、ソールの隣に座り酒を飲み始める。強い蒸留酒を一息に飲み干し、喉を焼く酒精をジワリと吐き出した。
「……ァァッ」
ホエールはサラを連れて立ち上がり、売人を力づくで店外へ連れ出そうと動き始めた。
「……」
「っ……」
けれどソールから視線を合わせられ、小さく首を横に振られると、不審に思いながらも歩みを止めてテーブルへ。編隊は一時待機を選択する。
この時、何の考えがあってソールが押し留めたのかは不明だったが、あまりに知性的な眼差しを前に強行できなかったのだった。
「そう言えば、まだ趣味を聞いていませんでしたね」
「あ、ああ……。趣味は……研究も兼ねてのパン造りだな」
売人を背にする形で、アシュリーと平凡な会話を続ける。
「ありがとよ」
「どういたしまして」
本来なら『またのお越しをお待ちしております』という返答を、バーテンダーは暗に皮肉も込めて売人へと返した。
強気なバーテンダーに密かな笑みを浮かべ、ソールは去っていく売人を見送る。
待っているのは、ただの地獄だ。今し方に飲んだ高いブランデーは、彼が楽しむ現世での最後の娯楽となるだろう。
「……ホエールが手招きしている。私達も向かおう」
「先に行っていてください。僕は店長を連れて行きます」
「……? そうか、分かった」
果たして店長を連れ出す意味はあるのか、アシュリーには甚だ疑問ではあったが、言われた言葉を鵜呑みにしてホエール達と合流へ急いだのだった。




