45話、放置されている魔城
レオナルド博士に次ぐ世紀の天才が、満身創痍で目の前にいる。
よく目を凝らせば微かにフラついており、耳を澄ませば洗い呼吸が聴こえてくる。自身の境遇を嘆いていたローズマリーも息を呑む有り様であった。
「なんだよ、なんかあったのか?」
「……」
「……言っておくけどな、助かりたくなくても助けるからな。お前は俺にとってなくちゃならない存在だ。だから生きてもらう」
血が流れる額で軽く額を小突かせて、呆然となっていた意識を引き戻して告げた。
それはローズマリーが初めて見るコールの一面。本当の彼を初めて目にする。
意味が分からない。ただ一人、自分を愛していたはずの母親にさえ見捨てられた自分を、何故コールは必要とするのだろうか。
「……お前は個人的にも気に入ってる。何かあるなら後でいくらでも力になってやる。だから今は立て」
「っ……」
そっと刀を置き、手を取って丁寧に立ち上がらせた。
「よし、次は俺の背中だけを見て追いかけて来るんだぞ」
「……」
洗脳魔術の名残によるものなのか、ここまでして救助に来てくれたからなのか、自然と頷き覚束ない足取りでコールの背だけを追いかけていく。
湿り気が不快な石造りの冷たい廊下を、物音が鳴らないように裸足で行く。
「止まれ……」
二つ目の曲がり角だった。コールに小さな声で制止を呼びかけられ、足を止めた。姿勢低く物陰に隠れ、二人で息を殺す。
重量感ある金属が石床を踏み締める音が、すぐに響いて来た。反響する足音は遊びもなく一定で、機械的に巡回しているように感じられた。
すぐに角から現れたのは、コールと同程度の背丈をした黒い甲冑の魔物だ。通り過ぎていくのを、足音が消えるまで見送る。
「……あの、悪魔の死体の方に行ったけれど、倒した方が良かったんじゃ……」
「いや、近くの死体を放り込んで鍵をしておいたし、知能があるタイプでもないから大丈夫だろう。とにかく戦闘は全て回避する」
慎重に歩みを再開したコールは、戦闘が有り得ない訳を端的に説いた。
「言ってなかったけど、ここはかなり高レベルの魔城だ。さっきのと同じ一般兵五体と止むを得ず戦闘した結果がこれだからな。もう戦えない」
「……」
血の気が一気に引いていく。大陸にその名が轟くモードレンド家にして史上最強の呼び声高いコールが、巡回する一般的な魔物と互角だという。
「さっきの悪魔はかなり高位で頭が回るタイプだ。討伐の予定がまるで立たなかった魔城なだけはある。自分の魔力を限界まで下僕の魔物達に注いでやがる」
「……ねぇ、大丈夫なのっ? コールだけで逃げた方がいいわよっ」
「……」
♤
『――ねぇ、本当に大丈夫なの……? 流石に飲み過ぎでしょう……』
面影が重なり、今はもう会えない心配性な隣人に想いを馳せる。お節介な彼女も『ねぇ』と声をかけて、隣人の自分を気にかけていた。
「……魔物のボスは確認した。あの《暗黒剣士》さえやり過ごせれば逃げられるから心配するな」
「あ、暗黒剣士って……四大魔物の一体でしょ……?」
「アレは倒せない。物語で言うなら完全に終盤の方に出てくる奴だな。お前が洗脳される未来はそれだけ強固だったわけだ。何が何でも傀儡にされる予定だったんだな」
コールでさえ凡庸な《闇の兵・レベル102》に追い詰められている。
「……そう言えばお前、何かあったんだよな。《暗黒剣士》が巡回してどっか行くまで暇だから話してみろよ」
「……」
母に見捨てられた。項垂れるローズマリーは数秒の間を空けて小さくそう呟いた。
話の続きを辛抱強く待っていると、やがて状況を話し始める。説明というよりも、纏まりなく断片的にこれまでの経緯を口にしていた。
「……お前の母ちゃん、見た目が変わらずに人格が変わってたんだな? それで悪魔のいるここに送られたと」
「……ええ……」
「それは……ほぼ間違いなく悪魔が母ちゃんに成り代わってるな」
「……!? ど、どういうことよっ。私が面会したのは帝国代表の専属病院よっ?」
先程の悪魔がふと口にしたという計画性の存在や、物語本編の陰にいるであろうと仄めかされていた代表家周辺の悪魔の気配。コールが確信めいた口調で努めて淡々と告げた。
「知っているかは知らないが、レオナルド博士を襲撃したのもそうだ。表立って行動していないだけで、悪魔が人間社会に潜り込む手段は発見されている。人間の皮を被ることだな」
「っ、じゃあっ、お母さんは……?」
「人間社会で何かをする為に取って変わられたんだろう。代表の病院なら一番バレそうにないからな。だから……お前の母ちゃんはもうかなり前からこの世にいない」
文字通りに人の皮を被っているのだから、中身は当然に食われている。悪魔が液状化し、穴という穴から侵入。人間を捕食して皮を手に入れる。内側から侵蝕される未知の苦痛と激痛の果てに、人間はそうして悪魔と代わられるのだ。
「俺等にできることは、悪魔に差し出した奴を見つけ出して仇を討つことくらい……」
「ぅぅ……っく……っ、……ッッ」
用意に想像できる母の絶叫と絶望。震える手でコールの制服を握り締め、込み上げる悲しみと悔しさを堪える。母に何かあった時に何もできず、あろうことかあれだけ愛してくれた母を疑ってしまった。
「……」
柄にもなく、雰囲気を察してローズマリーの背を撫でる。表情は気まずそうに、早く泣き止むことを願ってゆっくりと……。
♤
やっと地下から地上へ上がり、後は出口である門を抜けるのみ。
壁沿いの草むらに身を潜め、確実な脱出の好機を窺うのが最善だろう。
「……いいか? お前を抱えて走って行きたいところだけど、見ての通り今の俺は“ただ死んでないだけ”だから自分で走るんだぞ?」
「ひくっ、うぅ……うんっ」
「もう少しだから。ここから出たら仇でもヴィヴィアンでも、ついでアーサーとか代表とかでも殺してやるから」
「うん……ぅぅ……っ」
ボロボロの左腕を掴んで離さないローズマリーの涙を、ハンカチを当てて拭い宥めるコール。
(め、めんどくせぇ……)
隠密に次ぐ隠密により壁伝いを行き、古城の見張り台陰にある草陰までローズマリーを連れてやって来る。
後はどこかにいる《暗黒剣士》を目視して、百メートル程の距離を駆け抜けて正門から魔城外へ飛び出すのみ。
魔物も例に漏れず魔城外には出られない。しかしここまでの高位の魔物ともなれば端から端へも瞬時に移動し、今のコールでは瞬時に追い付かれることだろう。
機を間違えては背から両断されてしまう。
「……ほら、アレ見てみ」
灰色の落ち込む曇り空の元、城内から徘徊する四メートルはあろう巨大な黒い甲冑の西洋騎士を指さす。膨大な魔力を馴染ませ、巨神の出立ちで威風堂々と闊歩している。
《暗黒剣士・レベル172》、大楯の戦技は不落、大剣の戦技は必殺。公爵級と認定されるやもと謳われる魔城・不夜城の守護者である。
「っ、おおきい……」
「大きいな。何で大きいか分かるか? 本来なら今の俺以上にレベルを上げて、準備万端に対策した複数人のチームで、アイテムとかもコソコソ使って、バカ強い人工精霊をガンガンに当てて、やっとギリギリ勝てるくらいの存在だからだ」
伝わる魔力からも尋常ではない実力が嫌にでも分かる。びりびりと肌が痺れる迫力が感じられていた。
「遠目から見るだけなら、高温の油で揚げたらバリバリ食えそうなヤツだけどなぁ……ん?」
知り得る知識が全てと思ってはいけない。他にも転生者がいるならば、コールは著書に書き残して彼等にそう伝えたかとしれない。否、同じく死んで欲しいので、決して書き残さない。
つまりこの時、遠回り気味にコールは己の死を察した。
『――【響音索敵】』
暗黒剣士が大楯を地面に打ち付け、周囲の敵対者の居所を探った。
「――!!」
第六感と言っていいかもしれない。瞬時に刀を手放し、右手でローズマリーを抱えて飛び退く。
濃密に過ぎる死の直感。背後に爆発した風圧により、ローズマリーを抱えたコールが吹き飛ばされた。
「キャァーッ!?」
「ぐっ、くそっ……! 身体と鼓膜のダブルパンチはキツい……!」
取り溢したローズマリーを再び抱え、背後に起こった事には目もくれずに《暗黒剣士》を一瞥する。
定期的に戦技で侵入者の有無を確かめろと指示を受けていたのか、異変をわずかに察知したのか、何にせよ完全に捕捉されてしまう。
垣間見えた暗黒剣士は、再び嵐渦巻く大剣を振り上げていた。
「……! ローズ、俺にしがみ付けっ」
「は、はいっ!!」
腕力任せに柔らかなローズマリーを強く抱き締め、自ら掴まらせ、自由になった右手に新たな刀を取り出した。
いま所持するものの中で最も上等な刀……『妖刀・村雨』。丁子の波打つ波紋、蒼い持ち手の柄はどこか不気味で、長めの刃先が妖しい輝きを放っている。
「【赤雷・飛刀】……!」
正真正銘の本気で放つ【雷】を用いた重き斬撃が疾走する。空気を揺るがし、雷光の速度で真っ直ぐに暗黒剣士へ向かう。
『――!!』
騎士道とでも言うのか、大楯で防がず風を纏う大剣を振り下ろして迎え打った。その動作の最中にコールが内心で毒吐いたのは言うまでもない。モードレンド家の御家芸とは言え、レベル差がこれだけ開けば正面からの力比べは万に一つの可能性もない。
赤の一閃は儚く弾け、息巻くような大剣の波動がコールの横合いを掠める。
「こいつの方が悪魔じゃねぇか! この詐欺師っ、魔城詐欺すんじゃねぇよ!」
石畳みを巻き上げて通過した完全掘削の波動を避け、退避しかないと駆け出す。
しかしコールの頭脳は同時に真実へ至っていた。残る距離は三十メートル程。背後には絶対的強者。取り巻く衛兵もいる。
自身が生き残るには、
「……」
腕の中にいるローズマリーを身代わりに逃走するしかない。
(……久しぶりに下衆行為に迷ったな。人の心を持ってる証、偉い)
迷いはするものの、やはり結論は予想通りのものであった。
「ぇ……」
冷たくコールに突き飛ばされ、ローズマリーが小さく素っ頓狂な声を漏らした。




