43話、ローズマリー・エンタック
任務で帝都不在も多いレイチェル。滞在型の定点治療薬がいてくれる事に感謝する。
『……まだなのかぁ? 片手が塞がっては不便極まりないのだが』
「ま、まだまだ……」
ラボのベッドで横になり、研究中のロロに手を繋いでもらって治療中。呼吸停止を乗り越え、吐き気、発熱、貧血、倦怠感が続き、原因である他人の温もりがなかなか抜けていかない。
『ふむ……いつもは胸やお尻でなきゃ嫌だと抜かす君が、手を繋いで治すとは珍しい。どのような気の迷いなのだろう』
「そこまでの元気も出ない……動けない……」
『これはまた重傷だな。いつ罰が下ってもおかしくない人格とは言え、よく知る君がここまで弱るとこちらも心配になる』
恩を仇で返され、無関係なウジ虫共に群がられ、過去最悪なコンディションにまで弱らされてしまった。なんという世知辛い世の中なのだろう。
「うぅぅ……」
『……これは考えものだね』
「何がぁ……?」
青白い顔で寒気に震える俺を見下ろし、ロロは何かを断念するように残念がる。
『いやなに、瑣末な問題だ。君は気にしないでくれ』
「言ってみろよ。気が紛れるかも」
『うん、本当に大した問題ではないのだが……』
ロロは計算式を書き込みながら、片手間に説明する。
『……まぁ、息抜きのようなものだ。今までの傾向から加味して、今夜辺り年中発情期の君から求められるかもと思ってね。仕方なく予定を入れていなかったと言うだけの話だ』
「……」
耳を真っ赤にして何の気なしに言い、時折記入しながら黒板に集中する振りをするロロ。照れ隠しにも程がある。
どうやらイチャイチャするつもりであったらしく、すっかりその気で待っていたようだ。
確かに気絶するまでは寄ろうと思っていたし、流石の先読み。
『ふむぅ……ぬわぁ!?』
乙女ロロを手を引いてベッドに連れ込み、軽い【四の字固め】で捕獲する。ついでにスカートを持ち上げて、水色の本気パンツである事も確認した。
『こらっ! 別に無理をさせたいわけではない! 無理をせずともゆっくりと静養したまえ!』
「一緒に寝てたらすぐ治るって。寝込んでる間の話し相手になってもらおうか」
ガスマスクを剥いで素直な本性を引き出す。
よく見渡せば、一緒に飲む為に用意された赤ワインが近くのテーブルにある。グラスも二つ。
「い、いいの……?」
「そんな可愛く誘われたら断れないでしょ」
「じ、じゃあ……お願いします……」
恥じらいから赤面する顔を伏せて、今夜の予定が正式に埋まる。
本日は白衣の天使とお泊まりになるらしい。明日は学校行くつもりないし、のんびりしようっと。
「景気づけにワインでも飲むかぁ……」
「あぶないっ……!?」
ベッドから起き上がり、フラフラとワインを求めて歩む。
発熱が四十度を上回る奴の足取りをしていたからか、ロロが慌てて肩を貸しにきた。
「こ、今夜は泊まってくれるの……?」
「う? うん、いつも通りだけど?」
「えへ、えへへ……わたしなんかで良かったら、好きなだけ使っていいからね……?」
ガスマスクの有無でポジティブとネガティブの両極端を併せ持つレオナルド博士だった。
“抱く”を“使う”と表現してしまう博士。都合の良い女になりそうな卑屈さ加減だが、俺が相手なので心配無用。なにか妙な性癖をくすぐられるが、最後まで面倒を見ると決めているので些細な問題だろう。
それにしても、まだ午後六時という早い頃合いから誘われるのは珍しい。ロロの集中力は異次元で、いつもは強引に休ませるくらいなのだ。
「……さてはなんか良いことでもあったな?」
「う、うん。じつは第三世代の着想を得たから、真っ先にコールくんに話したくて……!」
「可愛いなぁ、ロロは……。死にかけた夜に相応しい癒しだよ……」
「えへへへっ……」
おどおどしながらデレる小動物が少年さながらの眼差しで、ロボットについて語り始める。腕の中でそれはもう楽しそうに語るロロに、ズタボロの精神まで癒やされていく。
ワインを飲みながら別次元の発想を容易く語るロロを抱き枕に、朝まで治療に専念した。
♤
コールは翌日、軍学校を欠席した。無理をして戦闘したせいで、身体が弱ってしまったのだろう。
「コール様……私達のせいでご無理を……」
「……」
責任を感じるサラやグレースの視線はコールの席から離れない。神がかった技量で捩じ伏せるも、つい最近までコールはベッドで寝たきりの病人だったと思い出す。鎧袖一触に終わったとは言え、体への負担は計り知れない。
教室に流れる寂寥感。万が一が無いかと気が気ではなかった。
そこへ凛とした声が横槍を入れた。
「あなた達のせいではないわね。コールのあの強さなら、一瞬で勝てたのだから」
ローズマリーは次の授業に向けて本を取り出しながら冷たく指摘する。
「私達を使って戦闘を間伸びさせたのは、コール自身の責任でしょう。これは自業自得よ」
「あんまりです!」
血も涙もないローズマリーの物言いに、毛嫌いされるヴィヴィアンが怒りを露わにした。ローズマリーが座る席の前まで威勢良く歩いていく。
「……っ」
「撤回してください! コール様は私達を思って戦ってくださったのですから!」
いつも通りに忌々しそうに睨まれながらも、毅然とした態度でローズマリーを見返した。怯えるばかりだったヴィヴィアンの姿に、クラス中から感心の目が向けられる。
「性懲りも無くっ……」
「コール様への無礼は聞き逃せません! 撤回してください!」
誰も……いつものようにヴィヴィアンから足を踏まれるローズマリーに気付く者はいない。
そう、これは彼女達二人が出会った日から繰り返される日常であった。
♤
「……」
朝が来た。仰向けの状態のまま重たい目を開けると、もう見慣れた木目調の天井がある。天気は良いようで、部屋は全体的に明るい。
「……」
ゆっくりと上半身を起こしたローズマリーは、陰鬱ないつもの胸中から漏れ出そうになる溜め息を堪えてベッドから出る。学院の制服に袖を通し、身嗜みを整え、まず向かうのは玄関。
扉を開けると足元には、一日分の新鮮な食材が入ったバケット……と、珍しく一通の手紙が置かれていた。
「……」
宮殿端に建てられた自分用の小屋。ここに手紙が来る事はまずない。五歳の誕生日目前に連行され、母親と引き離されてより一人暮らしを強いられて過ごして来た。まさかそれ以前の知人からのものが届くこともないだろう。
(……もしかして、またヴィヴィアンの嫌がらせかしら……)
学校での嫌がらせはしょっちゅうであったが、家にまで及ぶと考えると一層憂鬱になる。初めて会った時にいきなり髪の毛を掴まれた衝撃的な記憶は、なくなることはないだろう。
今度こそ我慢ならず嘆息してから、与えられた食材を持って室内に戻る。焜炉でフライパンを温め、その間に食材を用意する。
卵二つでオムレツを作り、それを食べて洗い物をし、登校する。いつもと同じ朝だ。学院は近くにあり、裏口から出て歩いて向かう。
「……見て、ローズマリー様よ。優雅にお一人で来られたわ」
「相変わらずうっとりする程にお綺麗。でも女性は内面。あれで性格が良ければね……」
嫌味を聴こえるように言われながらも、自分の教室を目指して歩みを止めない。隠し子として引き取られてからのもので、もう慣れたものだ。
教室に入ると一度だけ静まるも、何食わぬ顔をして自席に向かえばまた騒がしくなる。
(……そう言えば、手紙……)
大して興味もなかったが、鞄から取り出して目を通す。
(……えっ)
驚愕に足るものだった。内容も、差し出し人も。
引き離されてから会わせてもらえなかった大好きな実の母から、放課後に面会に来てくれないかという旨の文章が書かれていた。
泣いても縋っても、どれだけ願っても、いつまでも声の一つも聞かせてもらえなかった母に、突然に会えるというのだ。
(……代表や大人達は本人に会う意志がないと言い訳していたけれど、この手紙が来たということは……本当にお母様が私を拒絶していたということ……?)
あれだけ愛情深かったが故に信じずにいたのだが、手紙が本人からのもので実際に会えてしまったなら事実なのかもしれない。会いたい気持ちは今でもあるが一概には喜べず、それどころか一抹の不安に押し潰されそうになる。
「――ローズマリーさまぁ、何をそんなに真剣に見てるんですか?」
「……」
何がそんなに気に入らないのか心底察せないのだが、今日も今日とてヴィヴィアンが絡んで来た。焦りながらも文章を幾度となく読んでいると、前方から手紙を取り上げられてしまう。
「……今すぐに返しなさいっ」
「ええ〜、いいじゃないですかぁ。あたしにも見せてくださいよ。仕方ないから相談に乗ってあげましょう」
「あなたって本当に目障りね……!」
手紙へ素早く手を出すも、半笑いのヴィヴィアンは軽やかに避けて廊下の方へ向かっていく。
アーサーと魔城攻略実績を持つヴィヴィアンは、学院内では高レベルに位置している。ローズマリーへ嫌がらせをするべく意図的に成績を落としていなければ、導師クラスは間違いないだろう。
本気で逃げられれば手紙は戻って来ない。
「っ……!!」
「あっ……あ〜あ、あたしのせいじゃないですよぉ?」
急いで追いかけて手を差し出すと、避けたヴィヴィアンの力加減から手紙が破かれてしまう。
いや……この前に唾を吐きかけて来た時と同様に、わざと破ったとしか思えない。十年以上経過して初めて届いた母からの手紙が、真っ二つとなりひらひらと床に落ちる。
「……」
「おっと、アーサー様達が来たので失礼しますね? 手紙はここに置いておきますので」
楽しげに足蹴にした手紙を指差し、ヴィヴィアンが足取り軽やかにアーサー達へ歩み寄っていく。
「……待ちなさい」
「あの、何ですか……?」
アーサー達が気付いた途端に人格を豹変させるヴィヴィアンだが、構わずに日頃の苛立ちを露わに言う。
「……!!」
「あ〜あ」
持っていた自分の白いハンカチを投げ付け、ヴィヴィアンとの決闘を臨む。
「私はあなたが大嫌いよ。今後もそんな気色の悪い素振りを続けるつもりなら覚悟しなさい。嘗めているようだけれど、絶対にただではおかないから……」
「へぇ、そうなんですね。じゃ、わたしもその顔をぐちゃぐちゃにできるように事故の準備をしておきますね? この間のアイツみたいにっ」
表情は変えずに忌々しげな小声で言う。殺意が本気であることが嫌にでも伝わる声音だ。
「……」
「あぁっ、今から楽しみです。アイツは事故に見せかけて殺せませんでしたけど、今度はどうでしょうね」
戦技も魔法もない。ヴィヴィアンのように貴重な回復役としてアーサーに連れられ、レベルが上がっていくわけでもない。精一杯の強がりなのはヴィヴィアンにはお見通しだろう。けれど言わずにはいられなかった。
言わなければ、久しぶりに泣いてしまいそうだったから。
♤
コールから私的に会いたい意思があるという旨をデュエルから聞かされた。
(あの人は……やっぱり凄く嫌いだわ……。文通も断って関わらないようにしないと)
昔からパーティーなどで挨拶をするも、何を秘めているのか何故か恐ろしくて堪らない。強いだけならばこうはならないだろう。あの薄っすらと浮かべた微笑みの向こうに悪魔の面影が見えるようでならない。
「……ふぅ」
こっそり母に会おうとして見つかり、拘束されて以来だろう。代表家が利用する特別病院の二階端の病室。こちらにやって来てすぐに病を患い、それからずっと闘病しているらしい母の部屋だ。
何と言って声をかけられるだろう。病というからには痩せているだろうか。何の理由があって会えなかったのだろう。
疑問は尽きないが、逸る気持ちで扉をノックする。
「……どうぞ」
緊張に震える手でのノックになり弱々しい音ではあったが、中からメイドが現れて入室を促した。
「……っ」
いた。殺風景な部屋の端で、ベッドから体を起こして窓の外を見つめる母。一般地区にて二人で笑って暮らしていたあの頃と全く変わらない姿がそこにあった。
「ぉ、お母さん……!」
「病気の私に代わって、東北のアクアにある孤児院を慰問しなさい」
溢れ出る喜びの涙がぴたりと止まる。駆け寄ろうとした足もそれ以上は進まず、こちらを一瞥もしない母の無機質な声に頭が真っ白になる。
「お母さん……?」
「……ちっ。ジェシー、帰らせなさい」
もはや返答もない。それどころか溜め息を吐き、メイドへ退出を命じていた。
「で、では、ビア様からは以上となります」
気がつけば、扉を背に廊下に立ち尽くしていた。抱き締めてもらうどころか目が合うこともなく、会話すらなかった。愛情どころか、無関心そのものだ。
「……」
この世界に、味方はいなかった。一度は止まっていた涙が溢れる。警護に連れられて小屋に戻ってからも、堪えて来た分が流れているのか、涙が止まる事はなかった。




