4話、コール・モードレンド
「お、お久しぶりです、コールさま」
「お久しぶりです、カリナ様」
今度はふわふわ桃色髪の息女“カリナ・エンタック”にご挨拶中。すっかり顔も赤くなってしまい、初恋はコールで間違いないなと思うこの頃。
四歳くらい歳下だったかな。別作品ではこの子がヒロインとなる。
希少な治癒魔法の使い手であり、豊富な魔力も相まって帝国から輩出される英雄の一人となる人物だ。
「今日のドレスもよくお似合いですね。お元気でしたか?」
「はいっ、コールさまもお元気そうでなによりです!」
「お元気とは言えないかもしれません。僕は日常的に父からボコボコにされていますから」
「ええーっ!?」
「これは秘密にしておいてください。もうすぐ父をサプライズでボコボコにしてあげたいので」
「あわわっ……わ、わかりました」
確かに可愛い子だけど、俺の目当ては他にある。
この世界において、とても、とても重要な役割を持つ人物がここにいる。
かつては先代を、そして今はペンドラゴンを導く賢者マーリンは、片目を捧げることで九割の正当性を誇る未来視が可能となった。
その能力で、残り一割を引き当ててカリナを【日の巫女】と占ってしまう。
「ではカリナ様、ご機嫌よう」
「ぇ……はい……」
惜しむカリナに別れを告げ、目的の人物へと歩む。
この世で最も強大な力の一つを秘める本当の【巫女】でありながら、物語の中で特に悲惨な目に遭い、搾取され続け、悪女として最後まで報われることのない存在。
「お久しぶりです――ローズマリー様」
「話しかけないで」
ええ……? せっかく可愛いのに洗脳前から悪女過ぎん?
代表譲りの赤髪を結い上げ、凛として端の椅子に座るおめかしした美しい少女。気の強さを表す猫のような鋭い目付きで一瞥し、素気無く視線を外してしまう。
まだ数回の出会いなのに、コールを蔑むような眼差しであった。
そう、この子が悪魔による洗脳を受けてコールへ贈る人形にされ、隠れ蓑としてコールに悪女を演じさせられ、コールに資金源にされ、コールに悪魔との伝書鳩にされ、コールに悪霊の苗床にされ、あげくコールにより【光】の一つを摘出されて干からびて死んでいくキャラクターなのだ。
「ははは」
折角、俺の楽しい異世界生活の為に洗脳と悪霊だけは阻止してやろうと思っているのに何てこった。こいつの中にある【光】欲しさながら笑ってしまう。
♤
「コール、まだ学院に来られないのか? お前には特に期待しているぞ」
「少しやり残した事を片付けていまして。体調次第になりますが、ご期待に添えられるよう励みます」
帝国代表の子息である兄のアーサー・エンタックが、麗しい少年と談笑している。
相変わらずの神の造形がそこにはあった。髪を短くしたのか、半年前に会った時の長髪ではなくなっている。美なる姉妹と持て囃される自分や妹を差し置き、会場の注目を集めるその者。
「お、お久しぶりです、コールさま」
「お久しぶりです、カリナ様」
母の違う妹もすっかりコール・モードレンドに絆されてしまったようだ。
「……」
純真な目で微笑み合い、物語の一幕のように楽しげに話している。
こちらには来ないだろう。他の者達と同じく父に相手にされない自分の元には来ても仕方ない。義務として出席しているだけの人形だ。
けれど今回ばかりは胸を撫で下ろす。
コール・モードレンドは……大嫌いだった。幼い頃からまるで実験動物を見るような冷たい瞳で見つめられ、いつも震えが止まらなかった。会話もしたくないし、関わりたくもない。
パーティーに出席するほど元気という事は、学院にやって来るのだろうかと今から危惧して気が気でない。
「ではカリナ様、ご機嫌よう」
「ぇ……はい……」
もう少し話すものかと思えば、コールはあっさりと妹に別れを告げた。もしかしたら今か今かと話しかける機を窺う婦人や淑女に配慮したのかもしれない。
(……えっ!?)
こちらへ一直線に歩みを向けているように感じられる。有り得ないと思いはしても、一歩一歩着実にこちらへ向かって来ている。
身体が強張り、押し寄せる恐怖心からドレスを握り締めて耐える。気が付かない振りをするも、血の気の引く思いにより鼓動は早まっていく。
「お久しぶりです、ローズマリー様」
「話しかけないで」
「ははは」
気丈に返答しようという思いが行き過ぎ、睨んでしまうもコールは気にせずに笑い飛ばしている。
密かに、ほっと胸を撫で下ろす。怒らせれば何をされるか分かったものではない。
「ご挨拶なので少しだけお時間をください」
「……なら早くすればいいじゃない。すぐに消えて」
「では……もうすぐお誕生日ですね」
「……!」
まともに合わせていなかった視線が驚きにより交差する。その瞳は以前とは対照的に純真で、以前よりも情熱的に見える。
少しだけ、コールへの嫌悪感が剥がれ落ちた気がした。
「プレゼントをお贈りしますので、受け取っていただけたら幸いです」
「……」
「それでは、またお会いしましょう」
やはり何を考えているのか分からない。
トクンと跳ねた胸を押さえ付け、気の迷いとして改めて警戒心を抱く。
「……ふぅ」
ここのところの学院でのこともあって、パーティー中にも関わらず溜め息を吐いてしまった。
♤
「……どうしてローズマリー嬢に声をかけた」
僅かな変貌を感じさせる息子へ、強い口調で問いただす。喧しく雨が打ち付け、薄暗く耳障りな馬車内で少しの関心を持ってコールと対する。
「お父様には彼女の価値が分かりませんか?」
「……正直に言うなら、全く分からない」
賢者マーリンから妹のカリナがあの【巫女】かも知れないという話は聞いていたのだが、隠し子であった姉に関しては凡才と聞いている。
アーサーのように九十年ぶりの王剣魔法に覚醒したわけでもない。秀でた容姿以外に関心を引くところなどないだろう。
「彼女に関しては、僕には必要不可欠であると考えてください。少なくとも目は離せない」
「相変わらず何を考えているのか、まるで分からないな。まあいい、手は出すなよ」
「ぇ……惚れさせるのが最も早い手なのですが」
デュエル史上、最も間の抜けた顔をしてしまう。
「……な、何を言っている」
「代表家などモードレンド家にとって皮下脂肪みたいなもの。ならばせめて利用すべきでしょう? 手段など容易なものを選ぶべきです」
「やはり蹴りすぎたか……すまない、イリーナ」
死別した最愛の妻を今でも思うデュエル。同時に豹変した息子の堕落を嘆く。
「……お可哀想に。そこらの美女で気分を入れ替えてみては? 僕がちょちょっと釣って来ましょうか」
「もう喋るな、頭が痛い……」
馬車が止まる。屋敷に着いたようだ。
「では、今夜にはまたあちらに戻りますので、これで。おやすみなさい」
御者により開けられた扉から得体の知れない息子が降りていく。使用人が開いた屋敷の扉へ、小さな背が雨も厭わず歩んでいく。
ローズマリー・エンタックに関しては、まるで意図が読めない。いたって平凡な人物に決まっている。
(特訓は順調……か)
ならば何故、コールは確信めいた物言いで告げたのか。
「……コール」
「はい――」
不意打ちは如何なる時も用心すべき、最も被弾する攻撃だ。呼びはすれども、これまでのように振り向くより早く、幼い子の顔面を軽く蹴り付ける。
「――また訓練とやらですか?」
「ッ……!?」
怖気というものが全身を駆け抜け、蹴り足は途端に加減を失する。蹴りは敵対者へ向ける紛れもない“番犬の牙”へと変わった。
「……満足ですか?」
が、……振り抜いた筈の脚も、寸前で止められる。避けるでも吹き飛ぶでもなく、不意打ちの機を見切り、速度と重さを看破して勢いを殺し、視線すら向けずに翳した腕一本のみを犠牲に真っ向から受け止めてしまう。
大人と子供の体格差や棒立ちという体勢、レベル差や何十キロもある体重差といった数々の『常識』を技量により全て無視して、帝国最強の奇襲を制してみせた。
デュエルをして何の原理で、どのような理屈でそうなったのかも分からない。
いくら天才と呼ばれるコールと言えども不可能だ。それは父親である自分がよく知っている。
「今のは、訓練で済む強さではありませんよね」
「……」
天才などではない。目の前に、才能の怪物がいる。気安く才能の理不尽を振り回す化け物がここにいる。
違う、明らかに違う。感情というものを感じられなかった以前とは正反対に、荒れ狂う感情の波をその瞳から感じる。愉快げで刹那的で、しかし純粋な怒りをも混ぜ込んだ混沌とした色合いを見る。
「ローズマリー様の情報……そして菖蒲一文字。やはり総取りにしましょう」
「……」
「モードレンド家はいつでも刀で知らしめるもの。一ヶ月後に、ここでまたお会いした時……いいですね?」
帝国最強であるはずの自分を前に、決闘を申し出る。
しかも腕は折れているにも関わらず、痛がるどころか嘲笑も添えて。
「……誰だ、お前は……」
「コール・モードレンドですよ……正真正銘のね」
雨の滴る息子が最後に見せた酷薄な笑みは悪魔の如く恐ろしく、それでいて天使の如く魅了されるものであった。