2話、レベルを上げよう
「……自由な時間が取れる内に、自主的な鍛錬をするだと?」
「はい」
朝食中だってのに、やたらと鋭い目付きの父親デュエル・モードレンド。
コール程ではなくとも見た目に優れており、内面もこれで意外と愛情深い。特訓に厳しいのは、モードレンド家としての過酷な任務で死なないようにとの愛の鞭なのだろう。
DVは俺にはとても許容できないが、世界が違うし文化も違う。よくよく考えてみれば他所の世界に来て俺の文化を振り翳して復讐するのは……まあ報復はするんだけど。
「……何処でだ」
「ノックブランドでと考えています。すぐに手配する準備もあります」
「あちら側か……」
焼き立てのパンとベーコン&スクランブルエッグにサラダ、少し薄味だが食事に文句がないことの有り難さ。
「……」
窓から差し込む陽光の温かみ、その向こうには広い庭がある。昨日のボコボコ庭だ。
エンタック帝国が持つ文明の雰囲気は、二十世紀初頭の西洋くらいだろうか。魔晶という資源による発展がここのところ著しい。
しかし入手が命懸けとあってか、水道関係や移動面でも魔晶の恩恵が大きく、生活面での不便はなさそうで安心。
「何の為に。帝都に足りないものなどないだろう」
「以前から一度だけでも集中的にあの魔法を使っておくべきだろうと考えていました。使えば強くなっていきますから」
「……そういうことか」
特訓から逃げる口実だとでも感じていたようで、容赦なく不許可を叩き付けるつもりだった様子のデュエルだが、用意しておいた言い訳を伝えると納得がいったように目を閉じた。
「分かった。軍には連絡しておく。ただし代表から下された任務、期待される学生達の護衛任務だけは断れない。それまでにはこちらへ帰って来るんだ」
「ありがとうございます」
興味を失ったデュエルは朝食を口にしている。
複数の困難な任務を同時に遂行しているので、頭の中はそればかりなのかもしれない。
コールはこれ程の父にも“凡人”という評価を下していた。どれほどコールが異質な才覚の持ち主であったのかが、ここでも分かる。
♤
二日後には、既に目的の街での生活が始まっていた。
「……ではお祖父様、お祖母様、朝の鍛錬に行って参ります」
俺がやって来ているのは“ノックブランド”という街にある母方の実家。
モードレンド家程ではないが、高級住宅街に屋敷をどっしりと構えている中々のお金持ちだ。ご厚意に甘えて、衣食住から何から何までお世話になっている。
ここは地域としてもそれなりに栄えており、足りないものは思い付かない。秘密の特訓には打って付けの環境というわけである。
「……コール、まだ朝の五時だ。いつもこんなに朝早くから稽古をしているのか? 他の子達はまだ初等部の学生なのに……」
「あんまりですわ……」
はい、祖父母はまとも。娘であるコールの母が二年前くらいに他界しているからなのか、とても愛情深く接してくれる。
「僕は帝国の敵を倒さなければなりません。母が空から見守ってくれていると考えれば……こんなの何の苦でもありませんっ」
涙を浮かべるサービス付きで笑ってあげる。
「なんていい子なのだっ……」
「夕食は美味しいものを用意しておくわね……!」
わぁい。炭水化物とタンパク質、そして食物繊維がバランスよく摂取できるメニューをお願いした。
弁当も持参して、日に五回から六回の栄養補給というアスリートの食事法で、微々たるものだがレベルだけでなく肉体面でも成長を期待する。というか顔がいいから、身体つきの方も頑張りたい。
水泳、ボクシング、野草同好会、帰宅部紛いのバドミントン、囲碁将棋部と渡り歩いた俺はゲームのみならず、トレーニング関連にもそれなりの知識を有しているのだ。
「ふっ、ふふっ、ふっ!」
フードを被り、シャドーボクシングしながら煉瓦造りの建物を走り抜けていく。顔を出し始めのお日様からの白い輝きと突き刺さる寒気を受け、肌を赤くしながら駆けていく。
この通りは比較的安全。人もちらほらと見えており、海鮮を養殖する観光地だからかスリも多いが、それも場所による。富裕層と貧困層、帝都と同じく明暗がかなり顕著に表れている街だ。
「シッ! シッ――!」
パンチにキレが出て来た。またこの感覚だ。
コールの化け物じみた才覚が、俺の知識や記憶にあるものを無意識に読解し、それが自然と最適化されていく感覚。俺の凡人の頭脳にも分かり易く理解させ、体へ反映させていく。
そこらの不良崩れの技量から、まるでボクシング世界王者のような自然なフォームへと様変わりした。
「……すみません。お手紙で話は通っていると思いますが、コールです」
「おおっ、聞いてますとも……かぁーっ、たまげた。モードレンド家のご子息はこんなにもお綺麗なんですなぁ」
「まあまあええええ、よく言われます。それで、あの件はお願いできますか?」
「ええ、そりゃ勿論。それより本当にあの肉で良かったんですか? 誰も好き好んで食べる肉じゃないですし、獣臭いから一部の民族間でしか流通しないってくらいです」
「あれがいいんです」
やって来たとある店舗で、恰幅のいい店主に祖父から話を通して貰い、ある実験をする。バグとでも言うべき裏技だ。
「じゃ、後は好きにしてください。いくらでもやっちゃってくれていいんで」
「助かります。いつかお礼はしますから期待しててください」
「はっはっはっ! ええ、お願いします」
若者の戯言だと笑い飛ばしてはいるが、本当に感謝している。レベルガン上げして出世したら、十倍返しを覚悟してもらおう。
「……」
列を為して吊るされる冷凍の肉塊の間を通り過ぎ、同じく吊るされた巨大な肉塊の前に立つ。これ一つだけ、明らかに肉質が異なっている。
ゲームの際は[持ち物]として所持品を収納できる便利能力、通称“内”からバンテージを取り出し、巻きながら肉の塊を前にする。
「……ふんっ!」
巻き終えるなり、唐突に殴り付けた。
高レベルな魔戦士が駆除した魔物の冷凍肉だけあって硬いが、それだけ殴り甲斐がある。これでレベルが上がってくれれば飛躍的なレベル上昇が見込めるのだが、どうなるだろう。
「レナード、レナード! デュラン、デュランっ!」
ゲーム時代にとあるバグがあった。四つある学院寮の一つで、モンスターの剥製が飾られている部屋があるのだが、それを利用したレベル上げバグだ。
なんと部屋の端の方でキャラクターを固定し、剥製を自動攻撃し続けると経験値が貯まっていくことが発覚。
「上がれや、コラァー!」
このゲームではモンスターを殺すだけでなく、ダメージを与えれば少しずつ経験値が得られてはいた。
しかし当然ながら上限までとなると、強敵を何体も倒さなければならなかっただけに、このバグを嬉々として利用したプレイヤーは数多いる。
だからもしかしたら、剥製バグの元となった“ピモングリズリー”の肉へと“攻撃”と呼べる行為をしていれば、経験値自体は貯まっていくのではと考えた次第だ。
勿論、現実とゲームの時とでは様々な差異があるだろうから、これらは実験していくしかない。本当なら刀で斬り付けて練習したいところだが、斬り傷ができてしまうので殴るに止めている。
「ふっ、しっ! ふふっ!!」
白い息を上げ、暑くなって来た身体で拳を繰り出す。
速く、速く、速く、速く……。
強く、強く、もっと強く……。
「ああああっ! シッ! シッ!」
ジャブ、右ストレート。左フックからの右ストレート。左フック、左ボディフック。吠える打撃を繰り出し続ける。
まるで無敵のチャンピオンに挑む千載一遇のチャンスを手にした無名ボクサーのように、一心不乱に拳を打ち付ける。
この中途半端なレベル帯のレベル上げ法は、これともう一つ。
これがダメならかなりリスキーな方法で、魔城にある悪魔のお宅へ突入しなければならない。それもまたバグじみたやり方だが、危険度は格段に跳ね上がる。ゲームならば迷わずそちらを選んだのだが、今はそうもいかない。
「……名家っていっても大変なんだなぁ……」
鬼の形相で、肉を殴る拳を加速させる。
その鬼気迫る様子を覗き見た店主が驚きを表して呟いている。先日された仕打ちを見れば彼だって驚くことなどないだろう。
楽しい楽しい異世界生活などなく、蹴られて毒を飲まされて落胆の溜め息を吐かれる初日。
ビール飲んでゲームやってただけの怠惰な日本人が遭遇するには、あまりに不憫ではないだろうか……。
「……っ」
ぴたりと動きが止まる。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
構えた拳を下ろし、白い息を断続的に吐き出しながら胸の内を探る。
……レベル、58。
♤
結局、その日はレベル60まで粘らせてもらった。経験値の入り方はやはり少なく、手数と時間を求められる。夜中までかかり、心配した祖父が迎えに来てしまった。
だが痕跡が残らないのと戦闘のリスクを削れるのはデカい。
もっと高レベルのピモングリズリーが仕入れられれば、更に効率的にやれるかもしれない。そんなの倒せる魔戦士は中々いないので、そこまでは望んでいないが期待くらいはしたい。
初日から三日目。
この日もすっかり夕方で、こんな身近に超人化できる方法があるのに、常人として生きるレベル一桁代の凡人達の中をゆく。
「ひ、人殺しだぁぁ!!」
複数の銃声に続き、前方の路地から上がる絶叫に目を向ける。
観光地がある発展した区画にしては珍しく、ギャングの抗争でもあったのだろう。
拳銃を持った二人組が路地から飛び出し、こちらへ走ってくる。
「どけ、どけガキぃ!」
「殺すぞ、死にてぇのか!!」
威勢良い二人は銃口をこちらに向けて、逃走に急いでいる。
引き金が引かれれば、死ぬ。誰にとっても恐怖の一瞬だ。
だがコールの頭脳は冷静に答えを弾き出す。
「――」
体を半身にして道を開け、そこを二人が通り過ぎる。俺は立ち止まる事なく、道路を斜めに横断して辺りの喧騒へ向けて歩みを進めた。
「ッ――!? ギャアアア!?」
「がぁああっ!? オレの脚がアアア!!」
背後では、手脚を斬り飛ばされた事に遅れて気付いたギャングが叫び散らし始めた。
誰も知るところではない。視認できる筈もない。強者の特権を振り翳し、感じる“圧倒的に強い”という優越感に鳥肌を立たせる。
コールの頭脳は、『殺して良し』とゴーサインを示した。
つまり犯罪にはならず、コールがやったと露見したとしても何のお咎めもない。刀の試し斬りには打って付けというわけだ。
しかし……なんの罪悪感も動揺もないな。えげつない殺しと拷問の記憶があるから当然か。人肌に触れられなくなっちゃったのだけが不便……。
「人斬るの、たのし」
俺って人間が、コール寄りという説もある。