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対岸の森、魔女の家  作者: 伊藤暗号
第一章 〜魔女の薬屋へようこそ〜
7/19

カズル村での夜


根菜と焼いた兎肉が煮込まれた鍋に、たっぷりと牛乳を入れベシャメルソースを加える。


「こんな大鍋で作るなんて、給食のおばさんみたいだな」


ボートの櫂のようなしゃもじで鍋底をこそげる様にかき混ぜる。


聞けばガンザは、ミジュとは幼馴染で一つ上と言う事なので15才。

この世界では労働契約を結べる成人だ。

 

それでも、普段農業で自給自足している村人たちと違い、森に入って糧を得る狩人の行為をやんわりと畏怖する敬虔な人達の中で、こちらの世界にも思春期ってあるのかわからないけど、そんな年端の少年が、両親が死んだ事で周囲との交流が途切れ、区切りになるような成人の祝いも何も無く日が経ってしまい、大人扱いされていると知らないうちに、自分にだけパンが配られず、更に毒入りの麦なんぞ渡された事に、さぞかし不信が募っていた事だろう。


おそらく普通の麦なら大丈夫だったのかもしれないが、祖父母の言いつけを守って食べなかったのが幸いだった。自分しか入らぬ森の資源は豊かだった事だろう。他の子に比べて元気そうだ。


「そうゆうことにしておいたほうがいい」


ガンザはこれからも、この村で暮らしていかなければいけないのだから。




この村では、元々子供に麦粥を与えてはいなかった。

村長が言っていた通り、麦粥は作るのは簡単だが、食物繊維が多いため、子供が食べると腹を下すことがあるのを知っていたのだろう。

おそらく、子供が削って食べていたと言うブロートは、麦角菌に汚染されていない麦で作られていたと思われる。


つまり、辺境伯爵府の麦畑そのもののが、汚染されていたかどうか、わからなくなってきた。

特定の倉庫だけ、店舗だけ、袋だけ、と言うなら幸いだが、そうなると、ここに持ち込まれたのも偶然かどうか。

「汚染された小麦がこの村にもたらされた」と言う事実以外は全て想像に過ぎないが、とにかく現状としては、少ない量を村人で分けて食べていた為に、ひとりの口に入る量も少なく、麦粥を食べていた大人も、致死量を摂取するに至らなかった。と言うところだろう。

幸いかな四肢に麻痺が出ているような人もいなかった。




ルリィは、その旨報告書を書いて、事態の収拾のために、王都の元上司に書類を送るべく、伝言の魔道具[カカポータ]を起動させる。

真っ白い鳩に姿を変えた報告書類の群れが、真っ青な空に飛び立っていった。

陽の光の元でしか起動できないが、この世界で最速の輸送魔道具だ。明日の朝には返事が来るだろうか。村の救助に人が来るのは最速でも10日後だ。


王都に向かった商人が、毒に汚染された麦を仕入れ、この村に売っていった事が故意か不幸な事故なのか。それを調べるのは、もう私の仕事ではない。もうすぐ日がくれる。王都から救助のための先遣隊が来るまでに、できることはやっておこう。

死者は出なかったが、いや、違うな。子が流れたと言っていた。


「・・・辺境伯爵府の麦畑が汚染されているのだとしたら・・・」


ルリィが大きなため息をつくと、森からニコが戻ってきた。


「カースウルフが沸いていたわ。まだ若いけどマッドウルフの群れができてる。数は30ってとこかしら」


どうする? と、シャパリュ本来の大きさのまま、グルグルゴロゴロ とご機嫌に喉を鳴らしながらルリィにまとわりつくと、ニコはいつものようにゲッコウに流し目を向ける。


「ゲッコウが吠えれば、群れは簡単に蹴散らせそうだけど、私が光ればカースウルフだけなら瞬殺ね」


ニコは、得意気にその身をすりつけご褒美の撫でをルリィに要求する。ゲッコウはその視線を受けていつものように フン と鼻を鳴らせた。


カースウルフはいわば狼のゾンビ、なんらかの呪いを受けた狼の魔獣が、死後に蘇った死霊系モンスターだ。

放って置いても、肉体が腐り落ちればそれまでだが、カースウルフの呪いにあてられた狂犬病に似た症状の狼型の魔獣の群れを成す事がある。

バーサク状態の狼魔獣だ。数が多くなれば侮れない。


「薬師の仕事じゃないけどぉ数が少ないうちになんとかしたほうが良いよねぇ」


呪いは人為的な魔術だ。魔獣蠢く森の中の群れが若いと言う事は、最近になって誰かがカースウルフを作り出したのだろう。そこまで知ってしまっては、調べないわけにはいかない。

めんどくさいなぁ。と、本音が漏れるが、毒で汚染された食物が出回ったのと同じように、狂犬病が蔓延ればそれから先は薬師の仕事だ。


「盗賊団の中にテイマーでもいたのかしら?」

「あれこれ考えてる間に見に行ったほうが早いんじゃないか?」

「・・・辺境伯爵府まで3日の距離の街道近くのどこかにある集落よ? しかも森の中」

「俺の足なら3時間ってとこだ」


ルリィは渋々懐中時計を開き見た。


「もうすぐ18時、行って戻るだけで6時間。実際には探索あるし、こりゃ徹夜決定だなぁ」




ガンザを家に戻すため家の扉を開ける。

こちらの世界では、田舎の村の家の扉に錠前など無い。だからと言って勝手に入っていいわけでは無いが、財産など無いのが当たり前だ。大事なものは常に身につけている。中に人がいる場合のみ、身を守るために内側から閂などをかけるのが一般的で、外出時に施錠の習慣などない。

だからこそ、財産を持っている者の邸宅には常に人や門番がいて、門や扉の開け閉めをしているのだ。


もちろん、コチラにも簡単なウォード錠があるが、それらは全て魔道具にする事で実用化されている高価な物で、一般人が目にする機会はそう無いアイテムだ。

にもかかわらず、ルリィの見つけた《魔女の家》の扉に錠前がついていた。部屋で見つけ何気なく懐に蔵めた「鍵」に、なぜ最初違和感を持ったのか思い至った。

改めて希望者の記憶を頼りに作られる《魔女の家》の神気を思い知る。

そして同時に、錠前のついていた扉の家に鍵をかけて来なかった事も思い出した。


自分は、すっかりコチラの習慣に慣れてしまっているのだな。と気づいて、フ と思わず声が漏れる。


ガンザの家の扉の先の部屋は、意外にも整えられていて、改めて躾の良さを痛感する。

一応、部屋中を浄化して、かまどにあった鍋にシチューを入れておく。

「〈浮遊魔法〉」でガンザを包む毛布を浮かせ運びベットに寝かせる。

こんな風に〈生活魔法〉は生き物に直接魔法を作用させる事はできないし、本来ならその一つである〈浮遊魔法〉も、実際に自分で持ち運べる重量と範囲と制限があるようだが、異世界人チートで補強されているのか、高さや重量に制限は無い。

〈生活魔法〉には他にも、マッチ程度の炎を出す〈着火〉身体を清潔に保つ〈浄化〉コップ一杯ほどの水を出す〈水玉〉濡れた髪を乾かせる程度の〈送風〉土を掘り返す〈耕起〉などがある。

いずれもこの世界にいる精霊の力を借りているのだと言う事だが、ルリィには見る事も聞く事もできない存在だと、ニコに聞かされている。


ゲッコウに頼んで、内側から木製の閂をかけてもらうと、扉の隙間から伸びる影からそのまま出てきたゲッコウに「サッと行ってサッと帰ってこよう」とその身に乗るよう屈まれるが、どうしても犬の身体に乗り運ばれる事に抵抗のあるルリィは眉間にシワを寄せた。


「さぁ諦めて。それとも私の背に乗る?」


犬に乗れないのに、猫になどもっと乗れるはずもない。

なんとか考えて、以前〈浮遊魔法〉を使ってソリ状の椅子をゲッコウにひいてもらったが酷い目にあった。ひいてもらう系の移動方法には、ルリィの運動神経が圧倒的に足りない事がわかっていた。


「いっその事、箒に乗る練習でもしたらいいのかしら」


不満を言いながら乗馬服に着替え、渋々ゲッコウにまたがる。


「さぁ! 行くぞ!」


ニヤリと笑ったゲッコウが、身を低くして土を蹴る。


「お手柔らかにお願いします」


ルリィは覚悟を決めて歯を食いしばるのだった。




「いるな、マッドウルフは離れているのも合わせて32、見張りでもしているのか?」


1時間も街道を走るとそれらは、森に入り少しひらけた所に堂々といた。

こんなに街道から近くでは街道を利用する人間にはひとたまりもないだろう

もしかしたら、この群れがここにいる事で、盗賊団達も、カズル村から退けられていたのかもしれない。


グルグル回る視界をなんとか元に戻そうと、ギュッと目をつぶっているルリィに、ヒソヒソとゲッコウが説明する事には、中央に眠るように横たわるカースウルフを囲んで、マッドウルフ達がウロウロと歩き回っている。


「あのカースウルフ、そう長くはないな。もう朽ち落ちる寸前だ」

「どうする? ルリィ。ほっといても良いみたい。でも、どうしてああなったか、人間は知っておいた方がいいのでしょう?」

「つまり、人間の使役獣だったのね?」


ルリィがニコを見ると、ニコは「ゲッコウ、マッドウルフ達を元いた場所に帰るように説得してちょうだい」と頼み、それで良い? と、ルリィを見返した。

ルリィが頷くのを確認すると、ゲッコウが〈咆哮〉を上げる。

マッドウルフ達は、一目散にその場から離れ、みるみる遠退いて行った。


辺りに酷い匂いが漂う中、ハカハカ と息を荒くしたカースウルフは首をあげ、虚な目玉をコチラに向ける。なるほど、首輪がついている。誰かが捨てた使役獣の成れの果てだと瞬時に察した。

カースウルフのすぐ傍に、音も無く近づいたニコが側で光を放つと、その身体にまとわりついていた黒いモヤが晴れ、ただの腐り始めた狼の屍から、今度は光の粒が立ちのぼり始める。

ルリィはその光の粒にそっと両手を差し入れた。


「【鑑定解析】」




森で生まれ、家族で暮らしているフォレストウルフの元に、甲冑に身を包んだ人間の集団が現れた。

両親は殺され、首輪をつけられると兄弟達と人里に連れて行かれる。

身体が大きくなる間も無く、人を襲い金品を強奪する集団に使役される事になった。

何人も人を殺しているうちに、自分も傷だらけになっていく。

とうとう足を傷める反撃を受けると、常に酒の臭いをさせている使役していた人間は、あっさりと倒れている自分の首をザクザクと槍で突き刺し、ブツブツと文句を言いながらその場を去っていった。

首を刺された衝撃で首輪の魔石が割れ、やっと自由の身になったが、首にはそれ相応の致命傷を受けた。

許さない。許さない。絶対に許さないからな。あの人間どもを絶対に殺してやる。

そう考えていたらカースウルフになっていた。

許さない。許さない。絶対に許さないからな。あの人間どもを絶対に殺してやる。

そのうちそれ以外考える事ができなくなり、ヨボヨボと立ち上がり森を彷徨い、眷属を増やしてゆく。

許さない。許さない。絶対に許さないからな。あの人間どもを絶対に殺してやる。

許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。絶対に許さないからな。あの人間どもを絶対に殺してやる。絶対に殺してやる。




強い怨みの感情だけ残してこの世を去る獣の憐れに触れて、ルリィの頬を涙がつたう。


「ありがとう。ニコ、ゲッコウ、ありがと、大丈夫。大丈夫」


ルリィを慰めるように身をすり寄せる弟妹を抱きしめて、ルリィはしばらくその場で、森で過ごすフォレストウルフの家族に思いを馳せた。



ルリィは、ウルフの死体を毛布で包み懐に蔵うと、ゲッコウに乗ってカズル村へ引き返した。


「呪いを受けた魔獣の骨はアミュレットの材料になる。力を貸してくれる?」


走るゲッコウの耳元で囁くと、ゲッコウは大きくため息をついた。


「またそんな割の合わない事を」

「ウルフの骨なんだもの。幻獣フェンリルが魔力を注いでくれたら相当強力なお守りになると思わない?」


試してみたいでしょう? と問われれば、ゲッコウも「興味はある」と答えてしまうが、チラリ とニコを見た。


「仕方がないわ。それがルリィなのだから」


隣を走っていたニコも、大きくため息をついて肩をすくめると、小さく変化してゲッコウの背に飛び乗った。


「でも今夜はダメ。村に着いたら少しでも寝なさい。徹夜はお肌に悪いんだから」

「「は〜い」」


ゲッコウと2人で子供のように返事を返すと、銀色に輝く毛並みをなびかせた狼は、月夜の森を滑るように走った。

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