「それでは今までお世話になりました」
それまでのアウルスは、自分の一生は、国営ギルド[キングスヤッコ]の長である祖父の下働きで終わるものだと思っていた。
家業である薬師を継いだはいいが、祖父がいる限り、その頂に立つ条件を自分では満たせないことはわかっていた。
なんとか体裁を整えるために、急拵えで特級薬師の補佐などをしているが、祖父は絶対に自分を認めない。だからこそ、特級薬師どころかB級から上にあがることは無いだろう。
例えその座を退いて、A級の枠が一つ開いたとしても、祖父が父や兄を差し置いて自分にその権利を与える事など無いと。
そこに降って湧いたように現れたのが ルリィ・オミナイ と言う少女の存在だった。
《神聖遺物》でもあるレシピ集は、伝承の劣化を防ぐため、コピーや写本を規制管理され、絶対数に限りがあり、当然そのほとんどを貴族階級が所有している。
1人の薬師が死亡すると、その弟子があとを継ぐのが自然な流れであったのだが、兄弟子のアウルスは、家業を継いで薬師になった侯爵家の人間だった為、侯爵家が所有するレシピ集の1つをすでに継いでおり、A級薬師である師匠の遺産は、本来空に浮く形になってしまっていた。
アウルス自身も、師匠の死後、同時期に師事した他の弟子の誰かが継ぐ物と思っていたが、誰も知らぬ間に師匠の全ての遺産を継いだのが
成人していない『子供』
出生の曖昧な『森育ち』
貴族階級にない『平民』
と、前代未聞な問題だらけときて、国内の薬師ギルド全てを監督統括している国営ギルド[キングスヤッコ]は、にわかにその存在を重要視せざるを得なかった。
何より、平民であるはずのルリィの類稀なる魔力量は常軌を逸していたため、1度に作り上げる事ができるポーションの質の高さと量が、この国に現存するどのA級薬師より優れていたのはすでに明らかになっていた。
ゾクファイツ国の王侯貴族達は、文字通り金の卵を産むガチョウをみすみす手放すには惜しく、とうとう[キングスヤッコ]に王命が降ることとなった。異例中の異例である。
遺産を受け継ぐ権利を持つ弟子の中で、1番貴族階級の高いアウルスを、亡き師匠のA等級に上げ、アンダーソン家の家業通り、国営ギルド[キングスヤッコ]の長に据えると、同門平民のルリィを[特級薬師]にする事で、国営ギルドの管理下に置く事にこぎつけた。
ルリィの出世は同時に、父と兄を不慮の事故で亡くし、老いてなおその権力にしがみつく権威主義の権化である祖父に力を押さえつけられていた、侯爵家3男次期党首に降って湧いた大出世話だった。
平民でまだ少女と言うルリィの特異な存在にある意味助けられる形で、上がる事はないと思っていた等級を、棚ぼた式に上げることになったアウルスは、見事にその条件を満たし、ようやく祖父をその高い椅子から引きずり下ろす事に成功したが、生涯ルリィに頭の上がらない恩を感じる高潔さを持った善人であった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「報告は以上です」
久しぶりに訪れた王城内にある国営薬師ギルド[キングスヤッコ]の統括長執務室にて、統括室長アウルス・アンダーソン侯爵を前に、ルリィはそう言って、乗せていた手を離し、証文を丸めて懐中に蔵った。
「しかし『指紋』ねぇ。なんでそんな発想になるんだ? 魔法残滓まで偽装されていたのか?」
執務机から移動したアウルスは、報告書をバサリっとローテーブルの上に叩き置くと、上から見下ろすようにルリィを見据えた。
「[コンティネス]にそんなレベルの魔法を使える者がいると言う報告は受けていないが?」
薬箪笥を手で触って直接中身を取り出す。そんな当たり前の事をこの世界の住人はしない。
魔術で操り手元に寄せるか、それすら下働きにその代わりにさせるかのどちらかだ。
しかし、魔術を使うと必ず魔法の残滓が残る。それを辿ると、その魔力の持ち主に簡単に繋がってしまう。故に証拠を残さず魔法を使うことは不可能とされている。
何も問題はない。魔法を使う者になら周知されている一般常識だ。
だからこそ、普段から悪事を行う不逞の輩などは、自ら犯罪を起こすさい、魔法を使う事を躊躇してしまう。
勿論高レベルの魔術師ともなると、その残滓すら偽装する事が出来るとも考えられているが、その力が犯罪に使われた事実は未だ無い。
と、言うのが各種ギルド監査官達のこれまでの見解だ。
誰もいない森で木が倒れても聞くものがいなければその音は存在しない。と言う馬鹿げた理論な気がしてならないが、これが公式の見解なのだから呆れて物も言えない。
「魔力の残滓は【鑑定】のスキルが無いと見られないでしょう?」
ルリィに、犯人のステータスが記された書類をツイと押し出されたアウルスは、その書類を手に取りマジマジと見つめると眉を寄せた。
「なんて事だ。コイツ【鑑定】のスキルも無いのに薬材の管理主任を任されていたのか」
「それでも流石に、魔術を使ったのでは、犯罪の証拠が残る事は理解できて、素手で引き出しを入れ替えたのでしょうね」
きっと、平民に一泡吹かせてやる。としたり顔で。
もっとも、平民には高度な魔術は自由に使えないのだから、その考え自体が貴族特有のものだと言う事にまでは至らない愚か者の思考であることは変わらないのだけど。
ルリィが、薬材を取りに行くたびに必要な引き出しの番号だけ告げて、逐一管理者に取り出させていたのだが、どうやらそれが随分と気に入らなかったらしく、悪態ばかりついていた。
ルリィにしてみれば、セキュリティ面を考えた上での指導の一環と、きちんと仕事をさせてあげていただけなのだが。
管理者の意味を理解していなかったのか、自ら『誰にでもできる仕事』と蔑み貶めていたその立場が、あの薬箪笥に触れるのが、本来なら管理者である自分だけ。と言う価値に、いったいなんの不満があったのか。
ルリィは、顔を合わせるたびに、店頭のカウンターで不貞腐れたように頬杖をつき、仕事を放棄していた愚か者の顔を思い出していた。
「ゾクファイツ国の薬師の質も落ちるばかりだ」
アウルスの言葉で我に返る。
それは薬師に限ったことでは無い。
各ギルドを実質1つの貴族が長い間牛耳っているのだ。こんな事になるのも時間の問題というもの。
「このまま王侯貴族様方に任せていたら、競争力も自浄力も落ちる一方でしょうね」
ルリィは、襟についている特級薬師のバッジをそっと外すと、ローテーブルの上のガラストレイに置いた。
「これ、お返しいたします」
そして ずいっ とトレイを前に押し出す。
「なんだと!?」
「今回の潜入監査、10年は長すぎました」
ルリィは、深く、大きくため息をついた。
[コンティネス]は、それなりに問題もあれど、ゾクファイツ国一の薬師ギルドたる実力があった。
少なくとも、3年前にあの息子がギルドの中に入り込むまでは、薬師達の指導だけで済むはずだったのに。
嫌がらせを受けても、迫害されても、薬師レベルの向上の為ならば、ひいては国民の為ならば。と、信じて日々をやり過ごしてきたが、平民と言う存在そのものが、犯罪行為を誘発させてしまった原因の1つなら、平民が特級薬師バッジをつけている事が、他の薬師達にとって、そんなに有害であるのなら、それは自分の望むところではないのだ。
「10年指導した薬師達が、一同に職を失ったのです」
一時的とは言え、今回の件は流石に堪えた。「もう疲れました」とルリィは、アウルスの顔を真っ直ぐに見た。
「・・・ここを辞めてどうするつもりだ?」
「魔領域の森で[魔女の家]でも探してのんびりしようと思います」
「・・・なんだと?」
おっと。と、口元を手で押さえると、ルリィは言い直す。
「・・・しばらくダラダラします」
「・・・・・」
何を言っている? アウルスは、ルリィの言っている事が理解できず、眉を顰めて続く言葉を待った。
「なんんんにもしたくない。もう働きたくない。金ならあるんだ」
「え? は?」
それまでの物言いを一変させ、それまで背をつけたこともない背もたれに ギィ と音を立てて身を預ける。
目の前で、理解し難い受け答えをするルリィに、アウルスは目を白黒させて動揺した。
そんな上司の様子に、うん。と頷くと、じゃ。とルリィは席を立った。
「待て! 待て待て待て待て、何言っているんだ? そんな事が許されるわけがないだろう!? 特級薬師だぞ? このゾクファイツ国一の薬師だぞ!? ポーションを作らないつもりか?」
「そう、それ。監査、指導、挙句に犯罪捜査、その上で通常業務のポーション作りまでさせるってどうゆうつもりなんだろう? どブラック。真っ黒ですよねこの仕事。なので辞めます」
そう、ここ王都の老舗ギルドに長期間の潜入監査させたのも、近場で特級薬師の作るポーションを安易に手に入れようとする何かの力が見え見えだ。
本来薬師は、どこでポーションを作ることも自由なはず。
だからこそ、監査官が自ら出向いて監査するのだ。
つまりこの10年は、誰か特定の思惑に囲われて軟禁されつつ薬を作らされていた。それを無視続け皆が慣れている事に、ほとほと嫌気がさしたのだ。
本来の監査官としての意味からも、薬師の本分からも逸脱している。
ルリィは、力を込めてアウルスを睨み見た。
アウルスは、一瞬伏せた顔をあげて、なんとか説得しようと言葉を吐き出す。
「そんな事が許されると思ってい「許されるのですよ?」なに!?」
ルリィは、被せるように口を返すと、真っ白い鬣をなびかせる 幻獣フェンリル と、ベルベットの様な黒毛にしなやかな尻尾をうねらせた 幻獣シャパリュ を両脇に侍らせた。
4つの金眼が、それ以上ルリィに近づく事を許さないとばかりにアウルスを見据える。
「特級薬師任命条項第四条第四項 与えられた《特級薬師バッジ》を紛失、又は破損した場合、如何なる理由があってもその任を解任する」
ルリィはそう言って、置かれたバッジに、懐から取り出した薬液をかけた。
ジュワァーーー!
「わーーー!?」
ブクブクと音を立てて、純金のバッジがその形を溶かされていく。
「ただの王水です。それでは、今までお世話になりました」
本来は、その悪用を防ぐために作られた条項であろうルールを逆手にとって、合法的に職を辞す。
女神様も認めた《神聖契約》に則った理に反しない正しいやり方だ。
ルリィは、現になんの罰も下されないことにホッと胸を撫で下ろしつつ、煙を上げるガラストレイを前に、パクパクと口を動かすアウルスに向かって ペコリ と頭を下げると、2頭の幻獣を伴い速やかに退室した。
[キングスヤッコ]のある王城から外に出ると、ぬけるような青空を仰ぎ見る。少し暑い。
手をかけたジャケットの襟には、なんのバッジもついてはいない。
つまり無職。つまり自由だ!




