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対岸の森、魔女の家  作者: 伊藤暗号
第一章 〜魔女の薬屋へようこそ〜
2/19

「さすがにもう疲れました」




「本日をもちまして、こちらのギルドを辞めさせていただきます」


その骨が露見するほどの大火傷を負った2人が連れ出されたギルド長室で、ルリィは静かに勤めの終わりを告げた。


「辞めるも何も。どうせこのギルドは今日で閉鎖だろう?」


犯行に及んだ2人の証拠は燃えてしまったが、己の『指紋』は、くっきりとその自慢の薬箪笥に残されたままだ。


「どこで間違えてしまったのだろう」


ギルド長は、手を焼かれた息子以上の苦悶の表情を隠すように、凝視していた両の手で頭を抱えて嘆いてみせた。



ルリィは、薬師のケアレスミス予防の為にも、常々ギルド長に「薬師が調剤の際、薬箪笥の引き出しを一度に多数持ち出す行為は禁ずるべきだ」と早々に提言していたのだが、その行いが正されることはなかった。


資格を取った《証文持ち》だったとは言え、無能な息子を薬材の管理者に任命した事も、その管理者の怠慢である『よくある間違い』に無頓着であった事も、ギルド長自身にその資質が問われる現場ネコ案件だったのにも関わらず。


この事態を招いたツケの支払いがとうとう自分に回ってきたのだ。この目の前の男はこれからどうやってそれを払っていくのだろう。


「おそらくは血へのこだわり。ただこれは貴族としては当然の矜持でもあるのでしょうから・・・強いて言えばその優しさ? いえ、息子に対する甘さ? でしょうか?」


いずれも他者の命を引き換えにする価値があるとは言い難いが。

冷たくそう言い放つと、ルリィは与えられていたギルドバッジを外して執務机の上に置き、代わりに自分の《薬師の誓い》を手に取ると、丸めて懐中に(しま)った。


ギルドバッジは、そのギルド員を示すだけのバッジだったが、《薬師の誓い》の証文は、その誓いを司る女神と交わした《神聖契約》の証書であると同時に、薬師を名乗る許可免許状でもある。悪用されない為にも、他で薬師として働く為にも必要な書類だ。


ルリィの答えに、王国一の薬師ギルドを、領地を持たない法衣貴族とはいえ伯爵位まで叙爵され、三代にわたり繋いてきたその営みを、自分の代で終わらせることになる。

目の前の伯爵様は、息子可愛さにやらかした数々の間違いを認める事ができずに、


「なるほど。キサマが派遣されてきた10年前にはもう既に間違っていたのだな」


自分も持たぬルリィの襟元に輝く黄金の[特級薬師のバッジ]を苦々しげに見つめ言い漏らす。



特級薬師は、この世界の薬師の資格を持つ全員が目指す薬師の最高峰。この王国に両手の指を満たす程も無いその名誉ある肩書きは、調合の腕を表すだけで無く、ギルド長クラスしか知り得ぬ、王国全土の薬師ギルドの指導監査官の証でもあった。



「そうですか。では『《バイシャジヤグル》の思い届かず』ですね。残念です」


ルリィは、そう最後の通告をして手を出した。


《バイシャジヤグル》はこの世界の薬神を担う女神の名。

『《バイシャジヤグル》の思い届かず』とは、薬師の資格取得試験の不合格を告げる言葉であると共に、資格の剥奪にも使われる言葉だ。


ギルド長は、ワナワナと震える手で自分の胸に掲げていたギルド長バッジを外すと、それをルリィの手のひらの上に置いた。



『監査中その(くらい)は王族と同等、各種国営ギルドの監査官の言葉は王族の言葉と思え』



ギルド長を任命された時、親である前ギルド長からそう言い伝えられた言葉を、ついぞこの瞬間に思い出した伯爵は、歪な笑顔を浮かべた後、失言を取り繕う事なく投げやりに言った。


「それで? 特級薬師殿はここを辞めて、次はどのギルドを潰しに行かれるので?」


皮肉のこもったその物言いに、ルリィは、またひとつ大きなため息をつくと


「さすがにもう疲れました」


そう言って微笑み、ギルド長室を出た。



手早く住み込みの部屋にあった私物をまとめあげ懐中に(しま)う。

13才で薬師の資格を得て、15才で《特級薬師》に任命され、それから15年、問題のある薬師ギルドを立て直し、あるいは潰し回って、ゾクファイツ国全土の薬師ギルドのレベル向上に日々奮闘してきた。


国には十分に貢献しただろう。


ルリィは、誰にも見送られる事なく店を出ると、空っぽのレザートランクを翻し、10年勤めた薬師ギルド[コンティネス]に別れを告げる。


この異世界に転生して、またしても未婚のまま30才を迎えてしまった。


握っていた小瓶の中身を飲み下し変化を解くと、メガネを外して髪の毛を手繰り、黒に戻った髪の毛を撫で薬効を確認する。

ルリィには、薬師ギルド監査官の肩書き以上に大いなる秘密があった。




日本では、もうあり得ないと思われていた大規模テロ犯罪で、勤める薬剤研究所が爆破され、不幸の死を遂げた多くの者達の1人である 御薬袋(オミナイ)瑠璃(ルリ) は、その38年の生涯を孤独のまま一旦閉じた。


何某かの神の名の下に、新たな世界を救う勇者になる使命を課せられた異世界転生者の1人として選ばれたらしかったが、自分の死の原因が、ネットの陰謀論に唆された若い無敵の人集団達の炎上目的動画配信テロだったと知ると、あまりの馬鹿馬鹿しさと虚しさに転生を拒んだ。

 

すると、その罰なのかなんなのか、他の勇者達が誘われた《契約の部屋》に訪う事なく、なんの確約も望みの授与も無しに、無理やりいずれかの異世界に転生させられた。

それも、ちょうど森の魔獣に生贄として捧げられた赤子に転生し、そのまま喰われる事を前提に。


「断られるなんて想定外だね? でもどうする?」

「生意気な人間とは言え、直接殺したらアタシ達まで穢れちゃうよ?」

「あぁ見て、ちょうど良いのが居たよ」


案内役を名乗る何物らが言っていた事が思い出される。

なんだこの2度にわたってクソみたいな死に際は?

1度目の死の間際に見た3人組と何が違うって言うんだ?


「ねえ凄くない!? これ絶対バズってるよ!」

「他のみんなもうまくやったみたいだね! ビル全体が燃えてるじゃん!?」

「どうせ俺ら死刑確定じゃん!? 死ぬ前にでっかい花火あげてやろうぜ!」


前回の生前も、人の為を思い身を削って働いていたつもりだった。

その挙げ句がこれなわけだ。

覆い被さる獣の影に、これまたクソみたいな走馬灯を見せられて恐怖より怒りが湧いてきた。


「絶対に許さない! 神か何か知らんが、次にあったらその瞬間喉元掻き切ってやるからなっ!」


ぼんやりとしていた意識が覚醒していくさなかそう叫んだつもりだったが、今の自分はすでに赤子の身体。

音にならない叫びを飲み込んで、再び死を覚悟し衝撃と痛みに備える。


しかし、捨てる神の気まぐれか、拾う神の慈悲による采配か、投げてよこされたその赤子をみつけた犬型の魔獣は、喰わずに《魔領域》の森で、自分が護る神木に実る仙桃と、森のマナをたっぷり与えて、その時腹の中にいた己の子を産み一緒に育てた。


森での暮らしが5年ほど経ったある日、ふらりと出かけた母犬魔獣が、寝床に戻らず3日が過ぎた。

一緒に育った小さな犬型の魔獣と共に、森の中、匂いを頼りに母を探すと、そこにはすでに息絶えた母犬魔獣の骸が横たえられ、無数の人間の死体に囲まれていた。


駆け寄り、母の遺体に触れると、身の内から小さな猫型の魔獣が躍り出る。


「コレに触るな人間! 食い殺すぞ!!」


少女は、威嚇しその黒い毛を膨らます子猫をヒョイと抱き上げる。


「コレは私達の母。母が守ったあなたのことは、今度は私が守ると誓う。共に来るか?」


少女は、ホトホトと涙を流しながら、自分はこの理不尽な世界を呪う異物のような存在だと打ち明ける。


子猫は、子犬に舐め慰められ、少女に撫でられながら紡がれるその言葉に、命をかけて自分を守り抜いた者の残響を聞いた。


「・・・では私も、オマエを護ると誓おう」


そこにある3つの魂が輝き ポワッ と光を放つ。


光の粒子はゆっくり広がると、母犬魔獣の遺体を包み込む様に取り囲み、一緒に光の粒に姿を変えて混ざるとその大きな犬歯を残して ブワリ と崩れ空に向かって霧散し消えた。


少女は、母の遺した遺品を拾い両手に握りこむと、祈る様に懐中に(しま)った。



「これからは名前が無いと不便だよね」


白い子犬には『月光(ゲッコウ)』黒い子猫には『日光(ニコ)』と名付け「私の事は瑠璃(ルリ)と呼んで」そう言うと「「ルリィ?」」と、金眼で見上げる2頭の魔獣を抱きしめる。

魔獣蠢く魔領域の森深くで、力のある親を亡くした幼い魔獣と、吹けば飛ぶような人間の5歳児1人で住むには少々問題がありそうだ。


人里を目指したルリィ達は、果たして辺境の村の近くまで辿り着くと、今度はその村の外れで1人で暮らすエルフの老婆に拾われた。


「私の事は師匠と呼びな。働かざる者食うべからず。だ」


仕事の手伝いを条件に、老婆の弟子になる事で、その家での暮らしを許された少女は、自分のいた森が《聖領域》で暮らす人間達に[帰らずの森]と呼ばれる《魔領域》だった事を知る。


[帰らずの森]とは名前の通り、入ったら最後、家に戻る事はできない。と言われている《魔領域》その物で、森が深くなるごとにマナが増え、魔獣や魔物、いわゆるモンスターも強力なものになっていく。

比較的浅い層にいるモンスターならば、訓練を積めば人間にも十分に対処できるが、少しでも気を抜けば迷って深層部に誘われ魔獣の餌食になる。そんな森だった。


師匠は村で唯一の薬師で、寄る年波に鞭打って薬草採取の為に[帰らずの森]に入っていたが、年老いた師匠が入れる森の浅い層など、深層育ちのルリィ達にとってはその家の庭と同じ。

期待以上に捗る薬草採取に「良い拾い物をした」と師匠はルリィ達を重用し、丸3年子供のルリィをこき使ったが、キツい労働の対価とは言え、突然現れた見ず知らずの捨て子に安定した衣食住を提供し、一切蔑む事なく真っ当に育ててくれた師匠に、ルリィは心の底から感謝し敬った。

師匠も、子供だてらにその不遇を恨む事なく厳しい生活に耐え、自分を素直に慕うルリィに、その知識の限りを教え仕込こんだ。

そして、それに伴ったレシピ集と、王都薬学学院への紹介状、3年間働いた報酬だと、それまでに貯めたのであろう大金をルリィに残すと、あっけなくこの世を去ってしまった。


ルリィは、長寿のエルフであっても歳をとると老い、ヒトのように死ぬのだと、この世の儚さを憂いたが、そんな感傷に浸っている場合では無い。

自分は再び養い親を亡くした、寄る辺の無い子供に戻ってしまった。

魔物が襲ってこない、人の暮らす《聖領域》とは言え、生活の糧は己の身で稼がなければならない。それが人の世というものだ。10にも満たない子供であってもそれは平等に襲いくる。これからは自分で衣食住を整えなければならないのだ。まったくもって世知辛い。


この世界は、人や亜人が暮らす《聖領域》と、それ以外が暮らす《魔領域》に分かれている。

それぞれに暮らす者は、それぞれから無断で奪う事を許されておらず、それを犯せばそこに暮らす者達に、その命を奪われても文句の言えない理が確立し、常にその領域の拡大を凌ぎあっていた。

マナに満ち、精霊が暮らす資源豊かな《魔領域》から、わざわざ《聖領域》に赴く存在は稀有だったが、こと人の暮らす《聖領域》では、人口増加と人の欲望所以の弊害か、人が集まる場所では特に物が枯渇し、封建社会の飽和を迎え、森から奪うことばかり考える人間が増える一方だったが《魔領域》に住まう者達は、それを許さぬ圧倒的な力を持ってその領土の拡大を防いでいる。


その例に漏れず、ここゾクファイツ国で暮らす多くの人々も、その少ない資源を奪い合い、狭い領土の中ですら争いを起こし、至る所で大小様々な戦火絶えない世の中で、各種ポーションは生活に欠かせないアイテムになっていた。


それを生み出せる薬師は、その土地の水と自分の魔力を混ぜた魔力水を各種薬材と組み合わせてポーションを作る事を生業にしている職業で、その有用性と危険性から、国に管理されることとなり、《神聖遺物》と言われるレシピ集を手にし、命懸けの《神聖契約》を結び、一定期間の教育を経て国に与えられた資格合格証を所有して尚、厳しい規約を守り続ける事にできる者のみがポーションの調合販売が許される。

その上さらに、定期的に国が定めた条件を満たすべく、国の監査を受けることが義務付けられているのだ。


レシピ集を師匠から弟子へと、こちらのスタンダードな形で相続したルリィだったが、いわゆるその“証文持ち”だった師匠が他界した事で、店でそのまま薬を売る事ができなくなった。

このままこの店を続ける為には、ルリィは正式に《薬師の誓い》と呼ばれる証文をとる必要がある。

他の条件は満たしていたが、一定期間の教育を経て、国の試験に合格し、《神聖契約》を結び、初めてこの国で薬師として認められる。

もちろん法の抜け穴をつく不貞の輩はいくらでもいるだろうが、ルリィはそんな犯罪者になる気はさらさら無かった。

何より、そんな事をするようでは、自分にその知識を惜しむ事なく譲り渡してくれた師匠に、申し訳が立たない。

仕方なく、遺された紹介状を頼りに王都を目指すと、意外にも師匠は名の知れたA級薬師で、その紹介状はそれなりの効力を発揮し、師匠のスパルタ指導に耐え抜いたルリィは、見事に試験に合格すると、すんなり薬学学院入学を許可され、最速で学院を卒業し、歴代最年少で無事《薬師の誓い》を契約する薬師と認められた。



さて、コレでようやく生涯の糧を得るための手に職を得た。と、辺境の村にある師匠の遺した家に戻ろうとしたルリィだったが、そこに師匠の弟子の一人だと名乗る貴族が現れたのが、後の上司である アウルス・アンダーソン侯爵 だった。

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