対岸の森 6
朝日を浴びて目覚めると、肉を焼く芳しい匂いに気づく。
昨晩のクソみたいな感情とは打って変わって、目に入ってきた抜けるような青空に笑い出しそうになった。
どうやらまたしても《魔領域》で呑気に寝こけていたようだ。
エドガーが軋む身体を起こすと、心配そうな顔をしたネロとウルが、いつものようにベロベロと顔を舐ってきた。
「あぁ、すまない。昨晩の俺は、どうかして・・・ハハっよせっアハハッやめろってっブハッ」
口の中までベロを入れてくる勢いの森狼達の熱烈な歓迎に、エドガーは笑い声をあげながらそのマズルを遮ると、いつものように冷ややかな目線を向ける猫型の幻獣に気づいた。
「・・・ニコ様。おはようございます」
「前から気になってたんだけど、なんでニコだけ“様”付けなんだよ」
「おはようゲッコウ! オマエもいたんだな」
「だからなんでだよ!?」
不貞腐れた様子で歩き出したゲッコウを目で追うと、その先の焚き火で肉を焼くルリィが手を上げて挨拶した。
「おはようございます。お身体の方はいかが? 食欲ありますか?」
「薬師様もっご一緒でしたかっ!」
こちら岸にいる事に驚いて居住まいを整えたエドガーに、ゲッコウは「なんで俺だけ」とため息をついた。
ニコが笑って「日頃の行い」とゲッコウの背を尻尾でバシン!と叩いた。
いつもの幻獣達のやり取りに、昨晩のことが夢の中の出来事だったような気になったが、エドガーは慌ててルリィに礼を述べた。
「昨晩は、助けていただきありがとうございました。その、ご迷惑をおかけいたしました」
「良いのよ。そうゆう仕事だもの。しかるべきところにしっかり請求させていただきますからアナタは気にしないで。そんな事より、コレについて詳しく聞きたいわ」
なんと言う事もない。と、件の空瓶を取り出し話し始める薬師の説明に、エドガーの眉間のシワが深くなった。
「アナタが持っていたこの薬瓶はね、ただの媚薬じゃないの」
おそらくこれは[魅了の媚薬]取扱注意、ご禁制の興奮剤だ。
人心を操る薬の製造は、厳格な規約が盛り込まれた認可制度があり、当然使用上の診察説明は必須。
ルリィの説明に、エドガーは昨晩、幼馴染に薬を盛られるに至ったあらましを話した。
「なんてことを・・・」
眉間に手を当て、頭をガックリと下げたルリィは、説得する様に話しを続ける。
公認された媚薬ですら、ほんのひとしずく使う程度なのに、一度にひと瓶まるまる飲むとかあり得ない。
使い方をよく知らないのに所持しているのがそもそもおかしいし、ましてや本人の了承を得ず飲ませるなんて、不正な手段で手に入れた違法薬の可能性が大きい。
「健常な成人男性の正気を失わせるほど強力な薬を、こっそり飲食物に盛るなんて、他の人の生死にも関わる重罪よ。私は立場上、上司に報告しなければならない」
手のひらを向け、小さく頭を振ったルリィに、まさかそれほどまで恐ろしい目に遭っていたとは。と、エドガーは顔を真っ青にさせた。
「幼馴染と、油断・・・しておりました」
「幼馴染、ね。油断と言うより、まあ、普通はそんなことしないわよね。そうよねぇ随分過激な娘に好かれてしまったのねぇ」
「好かれて? いや、好意のある相手にすることじゃないのでは?」
苦笑いを返すエドガーに、ルリィは眉を下げて微笑み返した。
「あら、それじゃあその娘も随分な呪いにかかっていたのかもね。誰に何を言われていたのか知らないけど、この世界でも結婚だけが女の幸せってわけじゃぁないでしょうに」
「・・・女の幸せ・・・確かに家庭を持ち子を成す事が、普遍的な幸せなのかもしれないですが・・・」
エドガーの漏れ出た言葉に、以前の自分を思い出し、ふと、ルリィは今世の自分を省みた。
不遇の死を遂げ訳もわからず転生した途端、魔獣の巣窟に投げ入れられ、やっと手足が自由に動くかという頃に最初の保護者が亡くなって、ようやく寄るべにした人里でもまた、養い親を亡くした身寄りの無い子供。
この世界の常識がどうとか嘆いている場合ではなかった。
人の世の中で生きる為に、随分と情緒を蔑ろにしていたような気がする。
人間は弱い。
心も身体も脆弱だ。
きっと、人間社会と言う群れの中での暮らしには、大なり小なりみな、何かしらのしがらみに縛られ生き抜いていくしかないのだ。
それは呪いか寿ぎか。この世界も前の世界にも拘らず、何処にでも在る類のものなのだろう。
「その娘はまあ、知らなかった。ただ無知だったのだとしたら、あなたが油断したのと同じように、ちょっと、間違えちゃっただけなのかもしれないわね」
「ちょっと、間違えちゃっただけ・・・」
それでお互いどちらかが命を落としていたら、それこそ目も当てられないのでは?
エドガーは、ルリィの言葉に力無く項垂れた。
おっと、思わずデリカシーのないことを言ってしまった。
しょんぼりとするエドガーに、ルリィは「コホン」と咳払いをすると「では建設的な話をしましょう」と話を戻した。
「なるべく穏便な取り急ぎの方法として、好きでもない娘の執着を取り払えば良いのよね?」
「そんな事が、可能なのですか?」
「あなたの立場を変えずに嫌われれば良いのならとりあえず“悪臭”を放てば良いのです」
「・・・それは、その、街で生きにくくなりそうな提案ですね」
エドガーは『臭いから火を消せ』と、魔物避けの香を嫌がった犬型の幻獣思い出し、ゲッコウの顔を見た。
ゲッコウが「うん?」と視線を返す横で、ニコがゲッコウにマズルを近づけ、クンクンと匂いを嗅いでいる。
「違う違う。フフッ特定の人物にだけ嫌われる匂いがあるのよ」
「そんな事が可能なのですか?」
「試してみる価値はあると思うの。その娘の父親の、そうね、仕事着や、汗が染み込んだ衣類を入手できるかしら?」
「それは、大丈夫ですが、そんな事で?」
「えぇ、やってみましょう」
人間の女性には、一定の年齢に達すると、父親の匂いを嫌う習性があり、娘限定で嫌悪する香水を作る事ができるのだとか。
「近親遺伝を防ぐ為に人間に備わった習性なの。人間は血が濃すぎると不具合が起こる生物なのよ。聞いた事ない?」
「近しい親族婚は神が、神殿が禁じていますが、そうゆう理由があったのですね」
「良かった。話が早い。そっちはそれで良いとして、エドガーさんは街を出たいのよね」
恩を返せとやんわりとした圧力をかけて、労働力として搾取されている街を、穏便に出ていく。
フリーの冒険者は、良くも悪くも信用商売だ。自由を求めるのなら悪い噂なんぞ無い方が良いに決まっている。
「あなたは何も悪く無いのだから『女を騙して街を追われた』なんて、カケラも思われない完璧な方法で自由を勝ち取りましょう」
「っ・・・!」
そうか。俺はそんなことを恐れていたのか。
でもそれなら『自分の事を誰も知らない場所』を求める必要もなくなる。
「・・・俺は結局、人の世を離れて生きる事をただ恐れていただけなのですね」
「それは、人間なら当たり前の事だわ」
「情けない・・・」
自由になりたいと願いつつ、いつまで経ってもグズグズと不平不満ばかり募らせ、まるであの街での自分の立ち位置を、見て見ないふりをしていたその理由が、単なる臆病者なだけだったと自覚させられたエドガーは、ガックリと肩を落としてその未熟さを嘆いた。
「でもね、美味しいお肉は1人で食べても案外美味しいものなのよ?」
その言葉で、エドガーは以前もらった熟成肉のサンドイッチの味を思い出した。
「なるほど。それは、そうですね。そうでした。いただいた熟成肉はこの世の物とは思えない美味しさでした・・・」
「だから、まずはなんでも試してみて、上手くいかなかったらそれはまたその時考えれば良いわ。自分の人生なのだから、好きなように先ずはやって見ましょ」
情けない背に手を当てられ、ニッコリと向けられる笑顔に途端に心が軽くなる。
「薬師様は、やはり不思議な術をお使いになるのですね・・・」
「そりゃ名高い森の魔女ですもの。気落ちしている若い男性ひとり丸め込むぐらい、朝飯前のお手の物ですよ」
初めて聞くその言い回しがおかしくて、エドガーはやっとルリィに微笑みを返した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
街に帰ると、門兵が心配そうに声をかけて来た。
「大丈夫か、エドガー。一体どうしたんだ」
記憶は曖昧だが、錯乱していた昨夜の事を思うと胸が痛い。
魔女薬師様に言われた通り、正直にことの顛末を話しておく。
ここの門兵は王都から派遣されている官憲なので、今後の事を考えると「十分に被害者ヅラしておいた方が良い」と言われていた。
「それが、薬を盛られたようなのですが、違法薬物だったようで、王都から監査の人間が来るほどの大事のようです」
「なに!?」
門兵には何らかの心当たりがあったようで、検問がすでに通達されていたようだ。
「しかし、不審な人物の入壁はここしばらくなかったはずだが」
「それが、薬を使ったのが幼馴染のマックとミリーで・・・」
「あ・・・定期隊商の・・・」
「既知の薬師様が治療してくださったのですが、証拠の品を薬師様に渡しましたので、そちらは昨夜のうちに報告されているようです」
あとは打ち合わせ通り、目を伏せしょんぼりとしてみせる。
顎に手を当てしばらく何か考え込んだ門兵は「わかった。コチラでも確認をとっておく。エドガーは今後も気をつけてくれ」と、にわかに門前が慌ただしくなった。
冒険者ギルド長の軽率な行動も手伝って、高名な薬師様のご威光は十分に発揮されたようだ。
エドガーは、なんのお咎めもなくそのまま冒険者ギルドに向かった。
エドガーが冒険者ギルドのフロアに入ると、一瞬にしてザワリと辺りが沸き立った。
宿屋の一室を破壊して、常軌を逸した大男が夜中に街の外に逃げたのだ。
エドガーは、意を決して受付嬢に話しかける。
「・・・どういった話になっておりますでしょうか・・・」
「エドガーさん・・・コチラには詳しくは・・ただ、宿屋の店主から『部屋を破損された』と、報告を受けております」
「マット達は来ましたか?」
「・・・いいえ」
「そうですか。実は・・・」
エドガーは、部屋の中にメグが待っていた事、薬を盛られた事、薬師様に直してもらった事、使われた薬が危険な毒物だった事を正直に告げた。
「薬師ギルドへの報告は昨夜の内に薬師様が。王都から監査官が来るそうです」
「!」
エドガーの言葉に受付嬢の顔が歪む。と、ビーッビーッ!とその手元の箱が鳴った。
ビクリっ!と身体を揺らした受付嬢が、恐る恐る箱の蓋を開け、中の書類に目を通すと、深いため息をついた。
「・・・冒険者・商業・薬師の各ギルド総括から、宿屋と隊商ギルドの営業停止と、宿屋の店主と、隊商長の拘束を通達する書類が届きました。官憲を、向かわせることに・・・いえ、もう向かわれているかもしれません・・・」
王都から離れたこの田舎町に、領主を飛ばして直々に犯罪者に対する捕縛命令が来るなど前代未聞の事である。しかも、街の有力者で有る定期隊商のギルド長にだ。
冒険者ギルドとしても異例のことらしく、一気に周りが慌ただしく動き出した。
2階から、副ギルド長のイグナスがゆっくりと降りて来た。
「ギルド長は、朝から領主邸に赴いております。エドガーさん、少々よろしいですか」
するとイグナスの後ろからマッドとミリーとメグが走って追いかけて来た。
「応接室で待っているように言ったはずですが!?」
「エド! どうゆうことだよっ!?」
「何で父さんが!?」
後から来たメグはバツが悪そうに俯いて黙っているが、マットとミリーが責めるようようにエドガーに飛びついた。
エドガーは、身を捩って伸ばされた手から逃れると、距離をとって2人に怪訝を向けた。
イグナスは、ため息をついて受付嬢から渡された書類に目を通すと、細められた目を2人に向けて言った。
「隊商長は、今朝方冒険者ギルド長と一緒に領主邸へ向かったのですが、『逃亡の恐れあり』と門で既に捕縛されたようです」
「えっ!?」
「何で!!?」
イグナスは「ハァ」と、これ見よがしにため息をついてみせた。
「昨晩ミリーさんが使った薬物は『違法薬物』。用法容量を間違うと大変危険な劇薬だそうですよ」
「え!? まさかそんな!」
「そんなっ! そんなの知らない! あれは『惚れ薬』だって隊商員は言ってたわっ!」
マットとミリーが縋るようにイグナスに言い訳すると、メグの顔がカッと赤くなった。
黙って話を聞いていたエドガーは、冷ややかな視線を3人に向けた。
「人を害する大変危険な興奮剤で、一歩間違えば死傷者が出てもおかしくなかった。メグさんはその身の無事を、エドガーさんに感謝すべきですね」
「そんなっ俺たち、メグとエドが上手くいけば良いなって」
「ちょっと背中を押してあげただけなんです! 危険な毒物なんて、そんな事してません!」
「それだけで十分重罪なんですよ。本人の承諾無く薬物を飲食物に盛るなんて」
聞くに耐えない言い訳に、眉を顰めた副ギルド長の低い声がフロアに響き渡った。
『重罪』ここでは極刑か良くて奴隷落ち。
「危険な薬だなんて知らなかった!」
「そうよ! 私たちも騙されたの! 私達はそんなつもりなかったっ」
マットとミリーは、縋るような目でエドガーを見た。
エドガーは、ここぞとばかりに畳み掛けた。
「こんな事までするなんて。パーティ解消を頑なに誤魔化すのも、もしかして何か理由があるのか?」
「それ、は・・・」
途端に身勝手な言い訳を並べ立てていた3人は口を噤んだ。
副ギルド長は手に持っていた別の書類を渡して受付嬢の1人に目配せする。
カウンターの下の魔道具に書類を通した受付嬢は、一旦大きく呑んだ息を短く吐き出しながら言った。
「皆さんの、パーティの、預金残高が、ゼロ、に、なっています」
「エドガーさん、ご存じでしたか?」
「なっ!?・・・いいえ!」
この10数年、馬車馬の様に働いて貯めたプール金がゼロとは。
1/4だとしてもそれなりの金額があったはずだ。
エドガーは3人に胡乱な目を向けた。
「・・・みんなが、盗んだのか?」
「盗んだなんて!」
「ちょっと借りただけだっ! 後で返すはずだったんだ!」
「マットがっ賭博で借金して! 利子がっ! このままじゃ借金奴隷になるところだったの! エドガー、アナタならわかってくれるでしょ!?」
「良い加減にしないかっ!」
それまで穏やかに話していたイグナスが声を上げた。
「お前達がやった事は犯罪だ! 借金奴隷どころか、仲間の金品の窃盗は極刑か犯罪奴隷だぞ!」
副ギルド長はギロリと音が鳴るほど受付嬢を睨む。
「あなたは知っていたのですか?」
「・・・いえ、いいえ、し、知りません」
「では金の引き落としを誰が許したのですか?」
「・・・ギルド、長がっ」
「・・・なるほど。それでディオメディス侯爵直々の命令書が俺の元に来たのですね・・・これは、そうですか。これは、領主様もただでは済まないでしょうね」
「え、領主様、も?」
「なんで?」
「冒険者ギルド長を任命したのはここの領主様です。同罪ですよ」
ギルドへの預金は当然だがギルド自体の信用で成り立っている。
それが管理するギルド自ら手引きしたとあっては、そのシステム自体が成り立たない。
本来使い込みは絶対にあってはならない事だ。
副ギルド長が言葉を続ける。
「間違いなく有罪だよ」
「そんな!」
「私達幼馴染でしょっ!!」
「エド、エドガー! 金の使い込みなんてそんな事ぐらいで 俺達を犯罪者になんてしないよな!? 助けてくれるよなっ!?」
ここまできてまだ自分達のした事を理解できていないなんて。
挙句に誰に唆されたのか知らないが薬を盛った。立派な犯罪者だよ?
この期に及んで『そんな事』と言うのなら、金を諦めてでも、俺としては更生してほしい。
「そうか『そんな事ぐらい』で俺は殺されかけたのか。仲間だと思っていた奴らに」
一雫の涙がつうっと、頬を伝う。
エドガーは、薬師様に言われた通りに泣いて見せた。
これには声をひそめて話を聞いていた冒険者達が大いにエドガーに同情した。
信じていた幼馴染に、魔獣との戦闘では命を預けるパーティメンバーに裏切られるなんて。
ざわざわと、3人を非難する囁きに満ちるフロアで、エドガーは諦めの様な言葉を告げた。
「・・・俺にできることなどもうなにもないよ」
おそらく『そんな事』と容易く許してしまえば王国すべてのギルドの信用に関わる。
事はもう王都の中枢まで知れ渡ってしまった。再犯を防ぐためにも見せしめに刑は執行されるだろう。
副ギルド長が再び大きくため息を吐いた。
「勘違いしている様だが、薬物の不正使用は金の使い込みとは比にならないほどの重罪だよ。薬の取り扱いは《神聖契約》にまで関わる事だからね。君達は今後の身の振り方を考えた方が良い」
「そんなっ!!」
「イヤ、イヤ・・・っ」
「沙汰が降りるまで大人しくしておくことだな。間違っても逃げようなど愚かな事は考えない方が良い」
そんな事になったら監査の判断を待つまでも無く処罰する事になる。
副ギルド長から暗に告げられた言葉に、3人は顔面を蒼白とさせ膝から崩れ落ちた。
エドガーがイグナスに視線を向けると、イグナスは首を左右に振った。
罪を逃れようと叫んだ愚かな自白は、ここにいるすべての冒険者、ギルド員が聞いてしまった。
このまま今まで通り、何もなかったようにこの街で安穏と暮らしてゆくことなど許されないだろう。
白日の元に晒された事件は完全にその手から離れ、いち役人と一介の冒険者の2人にできる事はもうなかった。
「だから部屋で待っていろと言ったのに・・・」
ため息と共にメガネを指で押し上げ、その口元を隠した副ギルド長から漏れ出た言葉が、虚しくフロア中に響いた。




