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対岸の森、魔女の家  作者: 伊藤暗号
第一章 〜魔女の薬屋へようこそ〜
1/19

「証拠も無くなってしまったようですし」


「ここももうダメなのね」


 王都最大の薬師ギルド[コンティネス]この店の名物とも言える巨大な薬箪笥を目前に、勤続10年のルリィは、深い深いため息をついた。


 細い銀縁眼鏡の奥に、この世界にある全ての素材に精通しているかのような鑑定眼を持ち、毎日着ている同じデザインの漆黒のワンピースの袖口から伸びる白く細長い指は、どのような素材も手に取った瞬間に正確な量と重さを掴み取ると噂され、きっちりとまとめ上げられた艶めく赤毛に守られたその頭脳には完璧な薬学知識が収められている。と、皆に畏怖と尊敬を込めて[薬師の魔女]とも呼ばれている ルリィ・オミナイ が羽織る白衣の襟元には、このギルド員である事を示す銀色のギルドバッジの上に、もう一つ黄金で作られたピンバッジが輝いていた。


 [特級薬師バッジ]それを付ける者は、特出する技術の持ち主である事だけでは無く、込められる魔力の純度の高さからか、製造する魔法薬液(ポーション)の全てが高品質で、勤める店の名をあげるのに貢献するだけで無く、国王直々に認められた薬師の最高峰である証明でもあった。

 そんな、王族の覚えめでたい特級薬師の ルリィ・オミナイ は、本来ただの平民だ。


 この世界では、魔力は貴族が多く有する。と言うのが不文律。

 そう血統づけられているのが要因の一つではあるが、()()()()()()()、稀に平民でも魔力がある者がいる。

 それでも市井で暮らす者の魔力など微々たるものだ。増えすぎ混ざりすぎたヒト種の魔力が薄まっているのはこの世の理、その血統を維持する貴族には到底及ばない。はずだった。


 ポーション作りには、レシピを持っているだけでは超えら得れない壁がある。

 製造する質と量に比例して膨大な魔力が必要な上、この世界で薬師として日々の糧を得るためには、薬学学院を卒業し国が定める資格試験の合格が義務付けられている。

 なぜなら、同レシピで調薬しても、個々が持つ魔力によってその出来が違う以上、学園で教わることは調薬方法ではなく、ノブレスオブリージュと徹底した薬師としての在り方だった。


 以上のことから、薬師とは、本来なら力も金もない平民になどなれるはずもない。と言う生業だったが、裏を返せば、魔力と金があれば身分関係無く誰にでもなれる職業とも言える。

 幸い、職業選択の自由はスキルを与える女神に保障された、この世界で暮らす住民すべてに与えられた数少ない平等な権利の1つ。

 爵位や血統が、己の力のみでどう足掻いても手に入らなくても、魔力量と金は、努力と言う対価で補う事ができる。

 それを体現してみせた平民の『特級薬師ルリィ・オミナイ』の存在は、賞賛されつつも一方では妬み嫉みの対象でもあり、貴族だらけのこの王都薬師ギルドでは、同僚どころか上司にまで、様々な、それこそ多種多様なあらゆる嫌がらせを受けていた。


 今日も今日とて朝1番から、薬箪笥の引き出しの位置を変えられると言う『良くある間違い』に見せかけた嫌がらせの最中、流石に心が折れてしまった。


 ぽっきり と、音を立てて。


 それを自覚したルリィは、吐いた息を取り戻すように息をひと吸いすると、ニヤニヤヒソヒソとこちらに不愉快な笑みを向けるのっぽの男、薬材管理主任の何某と、やたらソレに身体をべたつかせている部下の女に向かって言った。


「K1、U2、S3、O4、Y5、A6、R7、O8、U9、S10、I11、G12、O13、T14、O15、S16、I17、R18、O19、それとB23、C37、D41、引き出しの位置が違いますが、どうゆうお仕事してるんですか?」


 上の棚に『良くある間違い』が多いのは、と、カチャリと指で眼鏡を上げたルリィは、ヒョロリと背の高い男の顔を侮蔑を含んで睨み見た。

 まるで汚物を見るようなその視線に、そばに近寄りもせずカウンターの外側から企みを看破され、小馬鹿にされたように感じた2人は、驚きをごまかす様に声を荒げくってかかった。


「なっ!? 店に来るなり何言ってるんだ!」

「カウンターの中にも入っていないくせに、言いがかりはやめてくれる?」


 男と同じ気持ちだった。と、落ち着きを取り戻した女は、真っ赤に塗られた口の端を上げ、適当な事を言うな。と冷ややかに笑う。


「10年毎日見ております。この位置からでも違いがわかりますが。あなた新人の方?」


 ルリィは、組んだ手を解かず、距離を取ったまま相手を挑発する。


「まっまさか!? 俺を誰だと思っている!?」

「伯爵様でもあるギルド長のご子息に向かって何言ってんの!?」


 ルリィは眉をひそめて言った。


「ギルド長のご子息がこんな無能?」

「きさまっ!!」


 のっぽの男が立ち上がってカウンターから身を乗り出し、とうとうその手に握られた杖を振り上げた瞬間、行動を静止するように声が響いた。


「何をやっている!」


 騒ぎを聞きつけて、のっぽの男の父親こと、コンティネスギルド長が現れた。

 貴族登場に頭を下げたルリィには目もくれず、のっぽの男に説明を促す。


「もう開店の時間だ。何をやっていると聞いている。答えろ」

「父上、コイツが、この平民がっ朝っぱらから言いがかりをつけてきたんだ」

「自分の仕事のミスをご子息のせいにして言い逃れしていたのを諌めていたのです」


 ははぁ、それが目的か。よくもまぁとっさにそんな嘘がツラツラと吐けるもんだ。

 ルリィは、頭を下げたままギルド長である伯爵様の言葉を待つ。

 封建社会のこの世界では位が全て。立場が上の者の言葉も待たずに下の者が発言するなど許されない。

 元より平民は、貴族の許可無く発言するなど言語道断の世界だった。


「ルリィ、発言を許す。何があった」


 ギルド長は、カウンターの内側の2人から目を離さずに、首を垂れる平民の発言を許可したが、ルリィは頭を下げたまま答えた。


「間違っている薬箪笥の引き出しの位置を指摘し、なぜ、そうなっているのか、お伺いしておりました」


 嘘は、言っていない。


 ギルド長は大きくため息をつくと、そんな『よくある間違い』を指摘するためにこんな騒動を起こしたのか? と、やっとルリィに目を向けた。


「そんな事だけでこんな騒ぎになる訳があるまい。わかるように詳しく話せ」


「Aの6、Gの12、Kの1、Iの11、17、Oの4、8、13、15、19、Rの7、Sの3、16、10、Tの14、18、Uの2、9、Yの5、引き出しの位置が違いますが、ただの『よくある間違い』にしては数が多すぎます。その上で、Bの23、Cの37、Dの41、はラベルが変えられており、こちらは看過できません」


 B23、C37、D41の棚には本来劇薬が入っている。それもよく似た薬草の類だ。

 ラベルが変えられている。と言う事は『よくある間違い』では無く故意。

 絶対に間違っていてはいけない薬材の入った引き出しのラベルを変える行為は、悪意に気づかず調剤した薬師の社会的な死を意味するどころか、患者の命に関わると言っても過言では無い。


「ほらな!? 今朝店の鍵を開けたのは俺だ! コイツは後から店に来てすぐそこにつっ立ったままカウンターの中に入ってもいない! 昨日閉店後の掃除をサボったことを誤魔化すために適当な事を言って俺を陥れようとしているんだ!」


 のっぽの男が顎をしゃくり上げ、得意げにルリィを糾弾する一方で、女の方は青ざめた顔をしてその目を泳がせる。

 それを見逃さなかったギルド長は、スキルを使って薬箪笥を鑑定した。


(誰かが使った魔法の残滓はすでに無い。掃除はされている様だ)


 ギルド長はどうゆうことかと眉をひそめてルリィに質問する。


「中を検めもせずになぜ中身が違うと判る?」

「・・・10年、毎日見ております。引き出しの違いは一目瞭然では?」


 愚問。そう言いたげなルリィの答えに、ギルド長はまたため息をつくと、2人をカウンターの外に追い出し、代わりにカウンターの中に移動して、言われた引き出しを手で開け確認する。


「なるほど、ラベルが違う。ルリィの言っている事が正しい。どうゆう事だ?」


 ギロリ と音がしそうなほど2人を睨んだ。


「なっ!?」

「人の命に関わる事だ。ただの悪戯で済ませられる事じゃないぞ」


 ギルド長は怒気を込めてそう言い放つと、動揺して驚いた声を上げたのっぽの男は


「ラベルを変えるなんて! 俺はそんな事まではしていない!」


 と、叫んだ。


 語るに落ちるとはこの事か。

 下げた頭のまま、ルリィは失笑を堪えるように「フッ」と息を漏らした。

 その様子に、激怒したのっぽの男は真っ赤になって、割れんばかりの大声で叫んだ。


「俺は! やってない! この平民が! 入れ替えたんだろっ!!」


 調剤室から集まる店員達の他にも、店の外では、列を作って開店を待っていた客達が、何事か? と中の様子を伺っている。


「では、身の潔白を証明してもよろしいですか?」


 今度は、許可が出る前に顔を上げ、[特級薬師のバッジ]に手を添えたルリィがそう言うと、ギルド長は覚悟を決めたように息を吐き「許可する」そうひとこと言ってカウンターの外に出た。


「ギルド長、魔法の残滓がない事は鑑定しましたね?」

「魔法の残滓は無かった」

「では、掃除は済ませてあると認めていただけますか?」

「・・・掃除は、済ませてある。魔法残滓は一切無かった」


 ルリィの問いに、はっきりとそう答えたギルド長に手のひらを開いて差し出す。


「私は、昨日の閉店後、掃除を済ませた後、今朝ここに来るまで、カウンターの中には入っておりません。それは、そちらの方々のおっしゃる通りです」


 ルリィは静かにそう言って、手のひらの上の白い粉を、フッ と薬箪笥に向かって吹きつける。粉は、風魔法に乗って薬箪笥の表面全体に広がり、件の引き出しを中心に、無数の渦巻き状の紋様を露にした。


「薬効固定」


 その呟きと見慣れぬ紋様に、ギルド長は目を見開き、ルリィに続きの説明を求めるよう振り返った。


「この跡は『指紋』と申しまして、ヒトの手の指にある油分がついた物です」


 ルリィは、自分の手のひらを揃えてギルド長に向け直す。覗き込んだギルド長がハッとする。


「『指紋』は、どれひとつとして同じ物が存在せず個人を特定する証拠になり得る。と言われております。先ほどこちらの方々がご自分でおっしゃっていた通り、この方々以外カウンターの中に入っていないのならば、つまり、この『指紋』の持ち主が犯人という事にな「もう良い」」


 ギルド長は、ルリィの言葉を遮り言った。


「3人ともこのまま部屋に来い」


 ギルド長は、野次馬に混じって不安げにこちらを見ていた番頭に「今日は店は休みだ。後を頼む」と言いつけると、重い足取りでギルド長室に戻る。

 4人が部屋に入ると、ため息をつきつつ席についたギルド長を背に、のっぽの男は悪びれもせず応接ソファの背もたれに両手を広げて座ると、足を組んで扉の前に侍るルリィを睨みつけた。

 そのすぐ隣で、先ほどまでは自分に身を寄せていた部下の女が、カタカタと肩を震わせている事になど気づかずに。


「本当の事を話せ」


 ギルド長は、不貞腐れた態度の息子に自白を促す。


「俺は何もしてない。この平民の謀りだろっ」


 確かこの女も子爵令嬢だったか。ギルド長が部下の女に視線を移すと、女はフルフルと首を横に振るばかりだった。


「・・・そうか」


 ギルド長はそう言うと、執務机の引き出しから2枚の証文を取り出し机の上に広げた。


「父上!?」


 のっぽの男は声を上げる。


「ルリィ・オミナイ。証文を」


 ギルド長はルリィを側に呼ぶ。

 ルリィは、懐から取り出した証文を机の上に置くと、上に手を乗せ


「《薬師の誓い》に基づき、嘘偽り無く証言いたします」


 と薬師の誓いを宣言した後


「薬箪笥のラベルを変えたのは私ではありません」


 と、はっきりと述べた。

 頷いたギルド長から目線を外すも、他の2人を一瞥もせずゆっくりと扉の前まで戻った。


「次、2人、来い」

「父上! なんでこんなことまで!」

「いいから来い! 《薬師の誓い》に手をおけ!」


 ギルド長の怒鳴り声に、渋々手を乗せた自分の横で、カタカタと震える部下の女の様子にやっと気づいたのっぽの男は


「《薬師の誓い》に基づき、嘘偽り無く証言する! 俺はラベルを変えてない!」


 早口で叫んだが、証文から手が離れない。


「なんで!? 俺は嘘は言ってない!」


 慌てて手を引っ張り、証文から離れようと足掻くのっぽの男の横で、


「《薬師の誓い》に基づき、嘘偽り無く証言いたします、私、私は、ご子息のご命令でっ! 私っ!」

「貴様! 何を言う気だ!? 俺はラベルを変えろなんて言ってないぞ!?」

「ご子息のご命令で仕方なく! 私そんなつもりじゃ無かったんです! 平民に! 分不相応なバッジをつけた平民がいい気になっているから躾してやろうとご子息に唆されてっ!!」

「オマエ!」


 のっぽの男が叫んだ瞬間、2人の両手に青白い炎があがった。


「ぎゃぁぁぁ!!」

「きゃぁぁ!? どうしてっ! 嘘なんかついてないっ! 私! 嘘ついてないのに!?」


 痛みに苦悶の表情を浮かべ証文ごと両の手が燃え上がる。


 法医学が無いこの世界では、薬師はその仕事柄、薬材の調合販売に国からその資格を与えられ、代わりに強い《神聖契約》を強いられる。

 魔法と違って、薬自体は鑑定できても、薬剤使用後の検体には残滓が残らない場合が多い。

 他の罪人同様、手や首を切るのは容易いが、薬が絡む犯罪には、犯行後犯人本人の証言が必要な場合を想定して、このような《証文》がとられるようになったとか。

『ここで学んだ薬学を犯罪に利用することまかりならぬ』と、薬学学院で耳にタコができるほど教育されているはずだが。

 にも関わらず、神との誓いを破り《神の刑罰》が執行されるその現場に何度携わってきたことか。ルリィは、その見飽きた光景に「はぁ・・・」と、再びため息を漏らす。


「で、どうする? 2人を官憲に引き渡すかね?」


 椅子に深く座り直し、自分の手の指を見つめるギルド長の息を吐くような言葉に


「いいえ、証拠も無くなってしまったようですし」


 ルリィはそう言って、未だ燃え続ける両手をあげ、床で悶え苦しむ愚か者達を蔑み見た。

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