打ち合わせ②
「悪い。待ってくれ」
「……そちらの事情も意図も、最大限理解しているつもりです」
「ユキ……」
「元々はオレと龍臣が原因です。だから色んなことを飲み込んで、依頼を受けた。でも、誰か1人でも納得いかないのなら、話を進めるべきではないと思います」
オレの腕を掴んだままの龍臣を見上げると、彼は苦々しく唇を噛み締めた。
本当なら龍臣も、この仕事は望んでいないのかもしれない。
大手にも体裁というものがあるだろう。会社の顔であるプロメテウスのイメージ回復は必須だろうし、これはそのチャンスでもある。
オレにとっても、音楽業界にパイプを持つというメリットになり得る。お互いにwin-winの仕事だ。
それでも、彼らの気持ちがついていかないことは、理解できる。
「なんやなんや、なんで皆そないに暗いねん」
「エル……」
静まり返った空気の中、一際明るい声が響いた。
エミリオはいつも通りの調子で、立ち上がって全員に視線を投げる。
「ユキとは一回話しおうてOKやったやん。よっしゃ解決! 一緒に仕事すんでってこっちゃろ? めっちゃハッピーやん!」
「こちとらお前みてーに陽キャお花畑じゃねーんだよ!」
「陽キャお花畑のなにが悪いねん! 最高やん!」
「あーもーお前黙ってろよ毒気抜かれっから!」
エミリオと輝の攻防というか、これはなんと言えばいいんだ。
こちらの毒気が抜かれると言えばいいのか、呆気に取られて見ていることしかできない。
「…………」
「はは、エミリオにはこういう時救われるわ」
「……いいメンバーだな」
「おー、キャラ濃いけどな」
そう言いながら、エミリオと輝を見守る龍臣の顔は優しかった。
「輝は、間違ってないと思う」
オレの言葉にハッとして、龍臣がこちらを振り返る。
2人の言い争いをもはやBGMにしながら、朝緋と棗もこちらの様子を伺っていた。
「やりたくないなら、やらなくていい」
「……お前は、もうちょい言葉があるとなぁ。俺はユキの言いたいことはわかるけど、あいつらには伝わんねーから」
「これ以上、どう言えと……」
「ユキはどう思ってる?」
「え?」
龍臣の一言で、先ほどまで騒がしかった部屋が静まり返る。
「ユキは、俺たちと仕事がしたいか、したくねえか、どっち?」
「……オレは……」
一瞬、迷ってしまった。
自分がやりたいとか、やりたくないとかはあまり考えずに来てしまって。
ただ今後の彼らや自分の立場だとか、彼らの意思だとか、そんな事しか頭になかった。
「相変わらず、自分を大事にすんのが下手だな」
「っ……」
「お前の気持ちを蔑ろにすんな。ちゃんと言え」
「オレ、は……」
プロメテウスというバンドが、好きだと思う。
朝緋の力強い声も、龍臣の聴き慣れたドラムも、棗の自由なギターも、エミリオの明るいベースも、輝の、繊細なピアノも。
あんな事があった後でさえ、彼らの音が恋しくなる時があって。
メリットだとかお互いの関係とかを抜きにした時、ただ、彼らの音楽が好きだと思った。
「一緒に、やってみたい……」
「ははっ、最高の答えきた!」
龍臣のそんな笑い方を、初めて見る。
心底楽しそうで、嬉しそうな顔。
(そうか。今、楽しいのか)
見つめるオレの視線に気づいてか、今度は柔らかく笑って、肩を軽く叩く。
「だってよ、輝」
「はぁ!? なんでオレに言うんだよ……」
「朝緋も棗も文句ねーって顔してっから、あとはお前だけだろ」
「なっ……そん、なん……オレが悪者みたいじゃねーか!」
「いや直前でごねたのお前だから」
ハッキリと言い放つ龍臣に、輝は口をもごもごさせた後、一の字に引き結んだ。
「……輝、ユキちゃんと2人で話してみたらええんとちがう?」
「はぁ!? なんでだよ!」
「やって僕もユキちゃんと仕事してみたいし、棗かてちょっとワクワクしてはるし」
「えっ……う、うん……ユキくんの曲、弾いてみたい……」
今まで黙ってオロオロしていた棗が初めて口を開いた。
自分も人見知りで話すのも苦手だけれど、棗を見るとまだ大丈夫なんじゃないかと思ってしまう。
いや、今はそんなことどうでもいい。
「ほら、輝とユキちゃんで話した方がええって」
「嫌だよ! なんでオレが!」
「もー、小学生やないんやから」
「せやで輝! ラブが世界を救うねんで!」
「うるせえ黙れエセ関西人!」
エミリオが入ると、途端にコントみたいになるな。
とりあえずどうすればいいのかわからず、隣にいる龍臣を見上げると、苦笑しながらこちらに手を合わせた。
「悪いな、こんなバンドで」
「いや……」
言いたいことを言い合える関係なのは、羨ましい。
だから、輝がオレに遠慮なく思っていることをぶつけてくるのも、そう悪いことでもないと思っているのだけど、それが更に彼をイラつかせているのはわかる。
「お前たち、そこまでにしろ。ユキさん、大変申し訳ありません。輝のことは気になさらなくて結構です。子供ではありませんので」
「朝比奈さん!」
「決定事項だ」
朝比奈さんの鋭い視線に、輝は押し黙った。
確かに決定事項だが、本当にこれでいいものかどうか。
「……取り敢えず、今ここでサインはできません。事務所に一度内容の確認を取らないと」
「わかりました。後ほどメールさせていただきます」
「一応、楽曲制作は進めます」
「よろしくお願い致します」
深々と頭を下げた朝比奈さんを意外に思いながら、こちらも礼を尽くして部屋を出た。
何故か龍臣が一緒についてきたが、気に留めることもなく廊下を歩く。
「悪いな」
「なにが」
「いや……輝が、いつも?」
「相変わらず嫌われてるな」
「他人事みたいに言うな?」
「……あの中じゃ、あいつが一番常識人だと思うけど」
感覚も、感性も、輝は誰よりも常識的なのだと思う。
自分に自信がなくて、虚勢を張っているくらいで。
そんな彼がオレを嫌っていることに多少の悲哀はあれど、納得する気持ちの方が大きいのだから救いようがない。
「それは俺たちが異常だと……」
「自覚がないあたりが」
「辛辣ぅ」
「大体、なんで普通についてきてんだ」
「見送り的な?」
「あぁ、どうも」
雑に返してしまうのは、相手が龍臣だからこそだと自覚している。この男にはどうしても甘えが出てしまうから、やはりよろしくない。
「……ありがとうございます。ここまでで結構です」
「えっ、なんで敬語?」
「仕事をするにあたって、改めようかと」
「いやー、違和感がすごい」
「慣れて頂いて」
「無理だなぁ、流石に」
「……」
意図的に距離を置こうとしても、それを許してはくれないから困る。
自分にとって龍臣は、あまりにも特殊過ぎるから。昇華しきれないままの感情が確かに存在していて、けれどそれをどうしようもない。
元に戻ることはないと断言できる。もう、龍臣と一緒に歩いて行くことはできない。
ただ、割り切れないものもある。
(……涼が不安がるはずだ)
こんな矛盾した気持ちを、涼には悟られているんだろう。
あの子を悲しませることはしたくない。
それでも、未だに恐れている。
「なぁユキ」
「……うん」
「今、楽しいよ」
「え?」
オレの不安を見透かすように、龍臣は笑った。
軽い調子で頭を撫でて、見つめる瞳を細める。
「ここで生きて、お前と一緒に音楽ができて、今、すげー楽しい」
「っ……」
「だからまぁ、そんな心配すんな」
「ん……」
晴れやかな龍臣の瞳に、少しホッとした。
あの夜の祈りは、届いたのだろうか。