打ち合わせ
「お前、よくこの話受けたな」
出会い頭の第一声がこれだ。
どの口が言うのかという言葉を飲みこんで、並んで廊下を歩く。
「仕事だから」
「綾瀬はなにも言わなかったか?」
「話してない」
「……大丈夫かそれ?」
「ご心配どうも」
龍臣は意外そうに目を瞬かせると、深くため息をついた。
そう言われても、情報解禁やらの制限があるわけで、一部の人間以外に話せないこともあるのだから仕方がない。
たとえ同じ事務所で同居人であろうと、話せないものは話せないのだ。
「絶対面倒なことになるって」
「仕方ないだろ」
「まぁそうだろうけど」
「……随分、首突っ込んでくるんだな」
多少の苛立ちを込めて突き放すと、龍臣は黙って足を止めた。
同じように止まって振り返れば、じっとこちらを見つめる色素の薄い瞳とかち合う。
「……悪い」
「……いや……」
「お前が、ここにいるんだと思ったら……嬉しくて、」
「……」
「ちょっと踏み込みすぎた。悪い」
そんな顔で笑われたら、何も言えなくなる。
この男と過ごしてきた日々はあまりにも強烈に刻み込まれていて、未だに昇華しきれない想いがあることも確かだ。
整理も区切りもつけたとは言え、大切な人であることに変わりはない。
「……言い方、間違えた」
「ん?」
「ごめん」
「ははっ、なんで謝んの。ユキは別に間違ってねーだろ」
くしゃくしゃと頭を撫でて、龍臣は笑った。
オレを安心させるようなその仕草が懐かしくて、喉の奥が少しだけ疼く。
「龍臣」
「うん?」
「心配……してくれて、ありがと」
「お、素直」
もう一度軽く笑うと、龍臣は再び歩き出した。
その背を追うように後ろを歩いて、目的の部屋に到着すると、反対側から向かってくる人影が見える。
「おー、輝。おはよ」
「おはよー……げっ!」
「……おはようございます」
龍臣の影に隠れていたオレを見た瞬間、その人は酷く顔を顰めた。
キーボードの輝には、昔からあまり好かれていない。
出会した瞬間にあんな声を上げられるくらいには、嫌われている。
理由はよくわからないが、龍臣には気にするなと何度かフォローされた。気にはしていないけれど、輝に何かをした覚えもないので、疑問は払拭されないままだ。
「……一緒に来るか普通」
「エントランスで会っちゃったんだもーん」
「だもんじゃねーよ! かわい子ぶんな!」
「和解済みですので!」
「お前ホンットそいつに甘いな!」
ドアの前で言い争うのはやめて欲しい。
と言うか仕事で来たのだから、どこで会おうが同じだと思う。
黙って二人のやりとりが終わるのを待っていれば、頭を抱えた輝にキツく睨みつけられた。
「オレは納得してねえから」
「……どの辺が?」
「はぁ!?」
「いや、どこからなのかと思って」
「お前のっ……そういうとこが嫌いなんだよ!」
輝は勢いよくドアを開けて叫ぶと、バタンと大きな音を立てて中へ入って行った。
目的地は同じなので、結果的にまた顔を合わせることになるのだが。
「……元気だな」
「ブハッ……くっ、おまっ……そういうとこだぞ」
吹き出しながら言われても。
「ま、行きますか」
「……ん」
エスコートするようにドアを開ける龍臣にため息を吐きながら、促されるまま中へ入った。
「ユキちゃん、お久しゅう」
「うん」
立ち上がってこちらに愛想よく手を振るのは、プロメテウスのボーカル、朝緋だ。
その他のメンバーとマネージャーも揃って席を立つと、こちらへ恭しく頭を下げる。輝だけは足を組んで座ったままだけれど。
「この度はオファーを受けて頂き、ありがとうございます」
「……こちらこそ」
「輝が失礼をしたようで、申し訳ありません」
「いえ」
マネージャーの朝比奈さんは、相変わらずスマートで淡々としている。
細いフレームの眼鏡の奥は、何を考えているのか読めない。
「ユキは今日も別嬪さんやなぁ」
「はは……」
イケメンの外人が口を開いたかと思うと、こてこての関西弁を喋るのは未だに慣れない。
ベースのエミリオはイタリア人で、最初に留学した先が大阪だったのだそうだ。
とりあえず一人称「ワシ」だけは変えた方がいいと思う。
「どうぞ、お掛けください」
「失礼します」
プロメテウスの対面に腰をかけると、龍臣もそれに倣って自分のあるべき位置へと戻った。
龍臣がいるとは言え、流石に6対1は緊張する。
「今日は顔合わせのようなものですから、そう緊張しないで下さい」
「……はい」
「概要はお聞きになっていらっしゃるかと思いますが、詳細はまた局での打ち合わせで決めることになります。ドラマ主題歌になることが決定しておりますので」
「はい」
朝比奈さんから渡された紙には、まだ極秘情報であろうことがびっしりと書かれている。
これで緊張しないでくださいとは、無理があるのではと思いながら、文字の羅列に目を通した。
プロメテウスから依頼を受けたのは、1週間ほど前。
新しく楽曲を提供して欲しいと言われた。
以前の事もそうだが、大人の事情というやつが確実に存在している。
普段ならギターの棗が主に楽曲制作、たまに輝か龍臣が書く事もある。他人からの曲提供はほとんどないはずだ。
それをあえてオレに依頼してきたのは、確実にプロメテウスのイメージ回復を図りたいから。あの逆炎上とも言える騒ぎは、それなりのダメージだったのだろう。
できるなら、オレとの間に確執などないとアピールしておきたい、という上層部の意図がありありと見える。
(それでもドラマ主題歌とは……思い切ったな)
こんな無名の人間を作曲家として起用することを、よく許されたものだ。
「一応、そちらに書かれているドラマのストーリーに合わせて作曲をお願いしたいのですが……候補を3つほど」
「3曲……フルサイズで、ですか?」
「いえ、ショートで結構です」
ショートサイズでも3曲。しかもこれを次の打ち合わせまでにとは、結構ハードな条件をつけてきたな。
原作のない完全オリジナル脚本だから、原作を読み込んで雰囲気を掴む事もできない。
主題歌を担当するアーティストは、毎度こんな大変なことをしているのかと尊敬する。
「……わかりました」
「もちろん、こちらのメンバーと相談していただいて構いません」
「それは、提供ではなく共同制作になるのでは?」
「アイディアを出すだけなら、制作ではないでしょう」
「はぁ……」
あくまでも淡々と話す朝比奈さんは、更に何枚かの紙を取り出してオレの前に置く。
それは先ほどのような概要ではなく、契約書だ。
「目を通していただいて、問題なければサインをお願いします」
「これは、今ですか?」
「なにか問題が?」
「嫌なら断りゃいいだろ。別にこっちだってお前に頼みたくなんかねーよ」
「輝」
先ほどから苛ついた態度を隠さない輝は、オレと朝比奈さんのやりとりがやはり気に入らないようだった。
釘を刺すように宥める龍臣に、彼は更に悪態をつく。
「つーかなんだよこの茶番。オレらはこんな奴に助けてもらわなくたって」
「輝!」
「っ……」
「ええ加減にしい」
珍しい、と思った。
プロメテウスは実質、朝緋が纏めているようなものだ。けれど彼はいつも穏やかでニコニコと笑っていて、声を荒げるイメージがない。
やっかんでくる相手にさえ、柔和な態度を崩さないのに。
「あの……そちらの足並みが揃わないままの契約は、お互いに摩擦を生むのでは?」
「ごめんな、ユキちゃん。全員納得済みのはずやったんやけど……ユキちゃん前にしたら、あかんかったみたい」
「……契約は持ち帰って検討します。まずはプロメテウスさん側の説得を先に試みて下さい。そちらが納得しないまま仕事はできません」
「待って下さい!」
守秘義務に関する書類にだけサインをして立ち上がると、焦ったように引き止める声が聞こえる。
構わずドアを開けようとした瞬間、見覚えのある大きな手がそれを阻んだ。