彼の音
正直に言えば、涼という人間をイメージして曲を作ることには、少しだけ抵抗を感じていた。
5年前の件を、思い出してしまうから。
ことの顛末は大まかに話したと言っても、細部まで喋ったわけじゃない。
涼に伝えていないことの一つに、"あの"曲がある。
当時と今とで涼から感じる音は変わったけれど、きっとあの男にはわかってしまうんだろう。
そう思うと、居心地が悪い。
「……あー……」
余計なことを言ってしまった。
電子ピアノの上に突っ伏して呻いていれば、個室のドアが遠慮がちにノックされる。
「ユキさん、行き詰まってます?」
「……いや……行き詰まっては……て、何で動画回してんだ」
「気分転換しません?」
「待て。なんで回してんの」
しれっと動画撮影用のカメラを回しているのはなんでだ。
涼はニコニコ笑いながら、止めるつもりもなさそうに部屋へ押し入ってきた。
「えー、動画撮影で気分転換」
「……何したいわけ?」
「俺歌うんで、ユキさん演奏しません?」
「あぁ……まぁ、いいけど……」
気分転換と言われれば、確かにそうなんだけど。
「動画回さなくて良くない?」
「SNSにUPします」
「……あぁ、そう……」
拒否権はないらしい。
丁寧にスタンドまで持参して、用意周到なことだ。
画角を確認してカメラを設置すると、涼はストンとオレと背中合わせに座った。
「ピアノでいい?」
「ピアノでいける曲にしましょっか」
「何やるかは考えてないのか」
「あはは、何も考えずに突撃しちゃった」
気を使うように笑う声が、背中越しに伝わる。
煮詰まっているわけではないことを、なんとなく悟られているんだろう。
涼のさりげない気遣いに、申し訳なさが募る。
「じゃあこの間出した新曲で。いけます?」
「ちょっとさらっていい?」
「もちろん」
先日、自分で作った曲が、涼の声を通して初めて世間に売り出された。
とりわけ実感もないまま、配信リリースの宣伝がSNS上に流れていくのを眺めること数日。
未だに実感は湧かないけれど、それなりのダウンロード数ではあるらしい。
自分の曲というより、涼が音楽で認められ始めたことが嬉しい。
芝居も音楽も楽しんでいる彼を見ると、心底そう思う。
「ん、いいよ」
「じゃ、いきます」
軽く浚い終わって合図をすると、カウントが始まった。
華やかなアップテンポのイントロ後、涼の声が乗る。
普段は低めのそれが高音を奏でる時、自分の気分が高揚していくのがわかる。
涼の歌は、相変わらず真っ青な夏空のようで……。
そう言えば、ピアノの伴奏で歌ってもらうのは初めてだと今更気づいた。
ギターはまだ同居し始める前に、涼が呼ばれたフェスで弾いたけれど、ピアノは作曲の時にしか使っていない。
(あれよあれよと表舞台に引っ張り出されてるな……)
この動画然り。
時折見せる涼の強引さが嫌いじゃない時点で、詰んでいるような気もする。
「気分転換、できました?」
歌い終わった涼がしてやったりな顔をして笑うけれど、こっちはそれどころではなかった。
「急にアドリブさせるな」
「ユキさんならイケると思って」
「吃驚するから」
「あはは、でもぶっつけでいけたじゃないですか。俺ともタイミングばっちり合ったし、やっぱユキさん最高で……痛い痛いごめんなさい!」
脇腹を多少強く抓ると、涼はギブアップのポーズをとった。
間奏でいきなりアドリブを指示される身になって欲しい。しかも好きにやって下さいとか。
多少の仕返しくらい許されると思う。
「事前予告くらいしろ」
「はぁーい」
甘えたような返事でこちらに体重をかけてくるものだから、仕方がないなと息を吐いて頭を撫でた。
さっきまでの陰鬱な気分は、いつの間にかどこかに消え失せていて。
こういうところが、涼の魅力なのだと再確認する。
「……」
「ユキさん?」
「なんでもない」
艶やかな黒髪を指で遊んで、もう一度軽く撫でた。
「……大丈夫」
悩んでいたって仕方がない。
そう考えられるようになったのも、きっと彼のおかげなのだろう。
涼はオレの気持ちを察してか、小さく微笑んで頷いてくれた。
音は、静かに彼の周りを降り続けている。
(あぁ……夜明けみたいだ)