撮影のために殺そうか
パノラマ写真を撮影するにあたり、まず、周囲で湧き立つ少年少女を殺さねばなるまい。そう結論付ける。ファインダー越しに見える世界には、絢爛な夜景に身を覆うやおら揺れる男が、女と肩を寄せ合い、携帯電話で自身らを撮り始める光景がある。一度カメラを下ろし、男女を観察する。各々が二人で構成する組がスマホのカメラで自らを撮ろうとしている。二体は、顔面の目尻や頬に皺を作り、神々しいシャッターの明光を浴びた。どうやら彼らはその程度の写真を所望のようだ。ただの雄とただの雌が冬を越す天道虫の如く密集して犇めいており、私が撮るべき景色を小蝿のように邪魔をする。口々に発せられる幾重に響く騒音が、私の鼓膜を大いに揺さぶる。その合間にも、二人組がいなくなり、また二人組が補充される。無際限に人間が補充されるので、殺す以外、私が希求する画は撮れないのだろう。一人でも殺せば小蝿どもは霧散すること必至だ。同族の死体など視認したくないからだ。
さて、どう殺してやろうか。周辺にはカメラ、カメラケース、三脚、そして私の腕、脚くらいだろう。そもそも私は格闘の心得が無いので、腕脚を使用するのは過ちとなる。よって必然的に、カメラ、カメラケース、三脚という三つの選択肢が残るのみだ。まずカメラを凶器とするのは禁忌である。今からパノラマ写真を撮影するのに、どうして自ら破壊しようとするだろうか。次に三脚である。しかし三脚は別途撮影に使用するので、これも却下だ。これによりカメラケースを凶器とせねばなるまいが、確かにこのカメラケースはカメラを守るために外殻は布で覆われた鉄で構成され、内部はスポンジ状の素材でできている。そのため重さは充分であり、一度振り回して頭部に命中すれば、出血させるのは容易い。だが、これも却下とせねばなるまい。たとえこのパノラマ写真を撮影するためにカメラケースを振り回せても、このカメラケースはオーダーメイドであり、十万円以上の費用がかかったので、パノラマ写真のためにカメラケースを放棄しがたい。その思考に至る時点で、私の写真に対する思いはその程度となるわけだが。
結局、螻蟻どもを画角に入れっぱなしである。カメラを構え、虫が画角から消え失せるのをスナイパーの如く待機する。しばらくするうちに尿意を催すが毅然とその場で放尿する。予め襁褓を履いておいた。こういうことは屡々起こるからだ。下半身から微かに尿の匂いが漂う。この匂いは、写真に対する思いの表しである。
よく襁褓を履いているので、股は皮膚炎を起こしている。常に耐えているので、局部の掻痒感が頻繁に全身へ放散していく。掻き毟りたい衝動に駆られるが、勿論我慢をする。その我慢すら私の本気が伺えよう。
時間が経つにつれ、前方の螻蛄どもが一人、また一人と消えていく。ようやく画角から人が消えたので、事前準備として脱糞をする。肛門の刺激から解放されたのを機に、撮影を開始した。その時だ。私の右肩に手を置かれた感触を覚える。折角の撮影を邪魔されたと思い、撮影を中断してから、そちらに視線を向けた。そこには警察官がいた。不虞不可解。どうしてここに公僕がいるのか。その疑問が胸の内で混沌を生む最中、
「君ね、漏らしてること気づいてる?」
「ええ、それが?」
私は毅然と答えた。すると公僕は私に対し獣を見るかのような視線を向け、
「もしかしてわざと漏らしたの?」
私は頷いて、
「ええ、もちろん。撮影のために」
その途端、公僕は目を見開いたかと思えば、トランシーバーで応援を呼んだ。続々と公僕の連中が三、四人ほど、私を囲むように現れ、私は一人の公僕に「こっちに来てもらおうか」と背を押された。私は勿論抵抗する。
「やめてくれ。私はこの場面を撮影せねば!」
私を押す手を払い除けると、私の両手首に手錠が掛けられた。唐突のことに仰天するうち、手錠を掛けた公僕が右腕に装着する腕時計を見て、
「二十二時三十四分、公務執行妨害の罪で逮捕する」
そう告げられ、二人の公僕により、私は警邏車に向かわされる。私は背後を振り返る。定位置に設置した三脚とカメラが公僕の手により移動させられていた。私は叫んだ。
「やめてくれ! それはそこに置かねばならぬのだ!」
その声は公僕の耳に届かず、不動の我が足に構わず。二人の公僕に私の両腕を組み、引きずっていく。私の靴底が削れゆく音が聞こえる。
「やめてくれ! やめてくれ!」
私は警邏車に乗せられる。糞が潰れ、尻を覆い尽くした。窓から、あの三脚とカメラの存在を確認しようとしたが、そこには既に失せ、トランクの中に無造作に入れられた。私は発狂寸前だった。私は喚く。
「せめて! せめてあの景色を撮らせてくれ!」
その声は虚しく、警邏車の躯体に吸い込まれる。警邏車は発進し、私はついに崩壊した。