それは嫉妬かもしれない
様子のおかしいソニアを暖炉の前のチェアに座らせると、ふらりと猫がやってきてソニアの膝に乗った。
にゃあ、と一言鳴いてローランドを見る。
どうもこの猫はローランドを下僕か何かと思っているらしい。はいはいわかってるよと、温かい飲み物を用意したローランドがソニアに手渡すと、あろう事かソニアの手は宙を切った。前向きにガクリと倒れ込むソニアを抱き止めたローランドには彼女の異常がわかった。
以前、自分を襲った魔力の暴走なのか?まさか自己コントロールの完璧な魔女が、不安定になるなんて。
ローランドはソニアを抱きかかえベッドに運んだ。
「魔女!死ぬな!死なないでくれ!」
*
ソニアは身体の温かさに目が覚めた。なにやら足元が重たい。どうなってる?と上半身を起こそうとすると、片手を握り込まれている事に気がついた。
金色の髪がベッドの端に見えた。ごつごつとした大きな手が、自分の左手を握りしめていた。
「これは一体どういう状況?」
眉を顰めたソニアは、足元に丸まる白い猫と目が合った。
にゃあ、と鳴いた猫は、ローランドの手を爪で引っ掻くと、優雅にベッドから降りた。
「痛っ!あ、魔女、気がついたのか、良かった」
さっと手を離したローランドは、動揺しながらも昨日の出来事を話した。
町から帰ったソニアは気を失って倒れたらしい。身体が熱くほてっているのを魔力暴走かもしれないと焦ったローランドは、ソニアの作っている薬草を飲ませたようだ。
「熱冷ましを飲ませたんだ。それで暴れるようならあんたを押さえつけてでも暴走を止めようと思って」
「馬鹿ね。魔力が暴走したなら止めるのは無理よ」
「そうだよなあ。それで俺は死にかけた訳だし」
「これはただの疲労から来る発熱だから心配いらない。だけどありがとう。貴方がいてくれたからこうやってベッドで寝ていられる」
思いがけず感謝されたローランドは、まだ微熱があるのか潤んだソニアの金の瞳に戸惑いながらも、昨日夕食にスープを作ったんだが食べるか?と尋ねる事にした。
*
ローランドが試行錯誤して作ったカブと青菜と肉団子のスープは、ソニアのお気に召したようだった。
「驚いた。とても美味しいわよ」
「そうか!うん、俺も美味いと思ってたんだ」
褒められた事が余程嬉しいのか、ローランドは頬を赤らめている。
「そう、ではご褒美として今日から剣の稽古も始めましょう」
「え?魔力操作じゃなくて、剣?」
「まずは剣ね。貴方、元婚約者さんを取り戻したいのでしょう?それなら強くならなくては」
「フランの新しい婚約者は伯爵子息だ。フランを手放す筈はない」
はぁ、とソニアはため息を吐く。
「だから何?貴方を捨てて権力者に走った元婚約者を見返したくないの?」
「見返したいとか、そんなつもりは無い!俺は、フランの幸せを願っているんだ。愛する、、いや愛していた女が幸せになるのを邪魔するつもりなど」
「あら、では何故、弟子入りしたのかしら?わたしは、貴方が愛する元婚約者を再び手に入れる為に、魔力が必要なのだと思っていたわ。それが夢じゃなかったの?
わたしは、その愛とやらの結末が知りたいから、貴方を受け入れたのよ?」
魔女がちょっとは優しくなったと思っていたローランドだが、相変わらずはっきりした物言いのソニアの言葉に少しムッとした。
「あんたは本当に容赦がないな。人を好きになった事はないのか?その気持ちが受け入れてもらえなくて胸が苦しくてただ泣く事しか出来ない、そんな経験はないのか?」
ソニアの金色の瞳がすっと細められ、ローランドを射抜く。
ローランドは一瞬、彼女の銀色の髪が煌めいたのを見た。
雪のように白く透明な肌に金の瞳、小さな唇はほんのり桜色だ。化粧など何もしていないのに艶めく美しさがあって、この瞳で見つめられたら視線を外す事は難しい。魅入られて動けなくなる。
ローランドも負けじと魔女をじっと見つめ返した。多少心がざわざわするのは、魔女の視線に険悪なものが含まれているからだろう。
「魔女にそれを尋ねるの?わたしが誰かを好きになる事があると思う?魔女は、普通の人間とは違うといつも遠巻きに見られていたわたしが?あの疫病流行の際には、役立たずと罵られたわたしを慕う男がいたと?
誰もからもわたしを都合の良い魔力を持った女としか見ていないわ」
ソニアの脳裏には、町で薬屋の店主に言われた言葉が蘇っていたが、店主に夫など見繕って貰わなくても結構だと、腹立たしく思った。その所為か、言葉が刺々しくなってしまう。
「愛ってのは、見返りを求めないんだよ。ただその人が好きで仕方なくて。自分が幸せにしたい。そうでなきゃ、誰かの手で幸せにしてやって欲しいと、そう望むのが愛なんだよ!」
流石に言いすぎたとローランドは慌てて言葉を繋げる。
「ああ、済まない、悪かった。興奮してしまった。魔女を傷つけるつもりなんてそんなつもりは全くないんだ。
貴女ほど美しい女性は貴族の中でも少ないだろう。だから
貴女を欲しいと望む男達がいて、その中の誰かと恋に落ちた事があるのではないかと、そう思っただけなんだよ。ごめん」
わかっているさ、これは単なる嫉妬だ。7歳も年上の美しい魔女の過去に、恋愛のひとつやふたつあっても不思議では無いのだから。ローランドは慎重に言葉を選んだつもりだったのだが。
「魔女は人でもなく女でもないのよ。魔力を持つ男は重宝されても、魔力を使える女は恐れられるだけなの」
恋など知らないし、ましてや愛など。
沈黙が場を支配する。ローランドはソニアを傷つけてしまぅたと後悔で胸が痛い。そんなつもりは無かったのだ。しかしながら、ソニアに思う相手がいないと知りホッとするのだった。
(魔女は美しい妙齢の女性なのだから男から望まれて当たり前だ。それは俺みたいな若造ではなく、もっとしっかりして地位のある男で、、、)
知らず知らずのうちに、ローランドはぐっと手を握り締めていた。
ああ、胸が苦しい。
「食事の片付けが済んだら剣の稽古をするから、準備して」
ソニアのその言葉に、ほっと息をついたローランドは、準備のために立ち上がった。
*
結果は散々だった。
剣の腕に自信のあるローランドは、魔女が稽古を付けるというのを舐めてかかっていた。魔女が武道の何を知る?怪我をさせないように気をつけねばな、などと侮っていたのだ。
ところが蓋を開けてみると、ローランドはソニアに向かって一太刀も与える事が出来なかった。
ソニアはただ立っているだけだったのに、ローランドは動く事も剣を持ち上げる事も出来なかったのである。
魔女の庵の小さな庭は結界に守られて雪も積もらない。この時期に珍しい花さえ咲いている。
その花を踏まないよう慎重に位置を定めて立つソニアは、いつでも良いわとローランドに声を掛けたが、彼は微動だにしなかった、否、出来なかった。
「魔女、何故動けない?これは一体?」
「そうね、魔力の糸で貴方を縛り付けているの。動こうとすると、糸はますます締まって、貴方の身体に食い込んでいくわ」
「これをどうすれば良いんだっ!」
「さあ?考えなさい。魔力はどうやって流すのだったのかしら?」
ローランドの身体は汗でじっとりと濡れた。
動けない。無理に動こうとすると、見えない魔力の糸が身体を締め付ける。
「くっ、、、」
「そのまま糸が食い込み続けると、切断されるわね」
「どうすれば!?」
「魔道回路はまだ寸断されているけれど、ここに来てそろそろひと月でしょう?ほんの少しだけ繋がった部分があるのよ。
感じ取れないかしら?」
「うっ」
締め付ける糸の痛みにローランドは唸る。これは無理だ。動いてはならない。本能がそれを告げた。
ローランドは静かに目を閉じて、体内に意識を向ける。
まるで大きな鳥が大空から地上の餌を見つけるように。静かに静かに内観する。
ローランドの意識が腕の付け根、脇の下あたりに達した時、それはいきなりやってきた。
流れる、という感覚。
水流を止めていた小石や汚泥が取り除かれ、ちょろちょろと、細い一筋の水が流れるように。
ローランドはそっと剣を握り直す。痛みはやって来なかった。はっとした顔でソニアを見遣ると、流れている、とそう言った。
「良かったわね。まずは右腕に回路が繋がったようよ。その感覚を忘れないで」
ソニアがローランドに仕向けた魔力の糸を解除すると、ローランドはへなへなと力なく座り込んだ。
気がつくと、太陽は沈みかけている。
一体どれくらいの時間、この庭に立っていたのだろうか。
それは一瞬でもあるようで、計り知れない時間でもあるようで、ローランドは一気に年を取ったような、そんな脱力感に襲われた。
「貴方はここに来てからずっと、わたしの魔力を流した食物を食べ続けてるの。それが貴方の中の魔道回路の詰まりに穴を開けたのよ。これから毎日、剣の稽古を続けると良いわ。ひとつ繋げる事が出来たのだから、きっとその他の部分も繋がってゆく筈」
「済まない、俺は魔女を見くびっていた、なんて事だ、、、」
「愛を知らない女の癖にって?」
「そうじゃない。弟子入りしたものの、一向に指導してくれない貴女は、3ヶ月経てば俺追い出すつもりなのだろうと」
「追い出すのはその通りよ。
だけど、こう言う時は謝るのではなく、ありがとうではないかしら」
そう言って微笑むソニアが余りにも眩しくて、ローランドは思わず目を伏せた。
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