二人暮らし
冬の朝は遅い。しかし魔女の庵では年中起床時間は決まっていて、余程の事がない限り、日々の暮らしは規則正しく過ごす。
ローランドは寝床にしている藁にシーツを掛けたものから飛び起きた。彼に与えられた朝の仕事は、寝起きしている納屋の隣りの鶏小屋から産みたて卵を取ってくること、そして井戸から水を汲み母屋―ソニアが暮らしている庵―に運ぶ事だ。
冬の早朝の水汲みは辛い。手も足も凍える。しかし魔女の庵周辺は、強力な結界が張ってあるので、予想以上に快適だった。
母屋に入ると、慣れない手付きで朝食の準備をする。水は鍋に入れ、鶏の骨を放り込んで火を付け出汁をとってスープを作る。材料は保存庫から持ち出した野菜や塊肉だ。
ローランドはここに来るまで料理などした事が無かったので、初めは何をどうしたら良いかわからず、ソニアに叱られながらも手順を覚えた。卵料理も、今では上手にオムレツを作れるほどになった。
ひと月あれば、人は変われるものだな、と思う。しかし未だ、魔力を感じるもののそれを外に出す事は出来ないローランドだった。
早く魔女の指導を受けたいと焦るローランドに、ソニアは料理や洗濯などの家事をするように指示をした。
「生きる為に必要な事が出来ない人間は何をしても無駄よ」
ソニアはローランドに、まずは生活能力の向上を求めたのである。
実際ローランドは恵まれた環境にいたので、身の廻りの世話は全てメイドや従僕といった者たちに任せており、初めは何をどうすれば良いのか見当もつかなかった。
魔女に命令されるがままに、料理を作り、庭の手入れや掃除洗濯をこなしているうちに、働くことは心地よいことだと実感するようになった。
働いた後の食事が旨いのである。領主の館で出されるような豪華で手の込んだ食事ではなく、質素で見栄えも良くない食事だが、森で仕掛けた罠で捕まえた小動物の肉や、ソニアの畑で採れた新鮮な野菜、生みたての卵で作る料理は美味しかった。ソニアは番の山羊を飼っていたので、山羊の乳搾りもローランドの仕事だ。その乳を飲むだけではなく、料理やデザートに使う。
何もかもが新鮮で、何もかもが衝撃だった。
ローランドは初めて自分が作った料理、それはただ卵を溶いて焼いただけだったが、それを食べた時に何故だか目元が緩むのを感じて、気恥ずかしい思いをした。
魔力を使えないので生活は不便だが、町の普通の人々の暮らしはこんな物だと言われて納得した。不便なんじゃない、慣れないだけなのだと気付いたローランドは、文句言うことなく、ソニアの指示で家事労働を担当した。その間ソニアは、畑で栽培している薬草で薬を作り、週に一度町に出て薬を売った。その代金でパンだのお茶だのを買って帰ってくるのだ。
ソニアが町に行っている間、ローランドは彼女が無事に戻って来るように、と願っていた。
魔女が誰よりも強いであろう事はわかっていたが、彼女に懸想する輩がいても助けられない。せめて護衛として連れていってくれればいいのに、そんな事を思うほどソニアに懐いていた。
だから町から戻ったソニアに褒めて貰えるよう、家を整えることに精を出すのだった。
*
ソニアは町の中心部にある薬屋を訪れていた。先代魔女の時代から取引があり店主の事は子どもの頃から知っている。亡き先代魔女の数少ない友人の1人で、町の人では唯一信用しているといっても良い人物だ。
魔女は熱冷ましと喉の薬、時には店主から頼まれて調合した薬と引き換えに金を受け取る。その金でパンやら調味料やら衣服などの必要なものを買うのだ。
「魔女殿、機嫌が良さそうだな」
「あら、いつもと同じですよ」
「なんでも若い男と暮らしてるんだって?なんだい、水くさいなあ、魔女が婿を迎える時は祝いをしようとみんなで話してたんだよ?」
ソニアの顔色が変わった。そうか、町長が話したのか。
小さな町では噂はあっという間に広がってしまう。
「婿?違いますよ。あの男は無謀にも弟子入りをしたいとやってきたんです。だから適当に相手して追い出すつもりですよ」
「何故かい?魔女殿とはいえ女の独り暮らしは危険だよ。万が一魔力封じなんぞ使われたらどうするんだ。誰か守ってくれる人間がいた方が良いと、みんなで話してたんだよ」
ああ、またか。善意という名の悪意。「みんな」という集団暴力。
「そうね、魔女が居なくなったり死んだりしたら困りますものね。でもそうなったらご領主様にでもお願いして、医者を呼び寄せて貰ってはいかが?」
薬屋の店主はがっかりした顔でため息をついた。先代魔女よりは若いがこの人も随分歳を取ったものだと、ソニアは思った。
「そんなつもりで言ったんじゃないよ。わしは、彼女が死んでからあんたがずっと1人でいる事を心配しているんだ。魔女だって家族が必要だろう?他人を寄せ付けないあんたの元で暮らしているというあの若い男が、そうであれば良いと思っただけなんだがな」
「ご心配は有難いけど、あれは春には出て行く人です」
「そうか、それなら丁度良い。実は魔女殿に紹介して欲しいと言う男がいるんだよ。働き者のいい奴なんだ、会ってみる気はないかい?」
「店主のお気持ちはわかりました。でもわたしは1人でいいの、ううん、1人がいいの」
「なあ、魔女よ。わしは昔、エレン、ああ先代魔女の名前だ、エレンに求婚したが断られたんだ。エレンはもう年だから子を産む事は諦めた、貴方は子どもが産める若い娘を嫁にもらうべきだと言ってね。
彼女はいつも老婆のような成りをしていたが、あれは近寄ってくる馬鹿な男どもから身を守る術でな、わしはエレンの本当の美しさを知る数少ない友だったと自負しているんだよ」
「先代魔女と店主が……」
「うん、ちょうどその頃エレンの元にあんたが現れて、彼女は子育てに夢中になった。やっと家族が出来たと喜んでいたよ。
わしは赤ん坊ごと面倒をみる、と言ったのだが、大事な友人でいてくれと言われたんだ。
自分が死んだ後のあんたの事も随分心配していたよ。大事な娘がひとりで朽ち果てるのは忍びないと。
だから、あんたがその気になったなら、良い相手を見繕ってくれと頼まれていたんだ」
「おばあさまが、、そんな事を」
「そうしたら、若い男が住み着いたと聞いて、わしが紹介する以前に、あんた自身がちゃんと相手を見つけたのだと思ったら嬉しくてなあ。エレンの最期の望みが叶ったと」
「最期の望みって?」
「彼女は病を隠し通していたが、疫病が流行った頃は、本当なら既にこの世には居ないくらい悪化してたんだよ。それでも懸命に薬を作り続けていた。あんたが愛を知り愛されて家族を持つまで死なないと言ってね。生きてる間は叶わなかったけど、これでやっとエレンもあの世で喜んでると思ってな」
「家族……」
「黙っていてくれとエレンに頼まれていたから今までずっと黙っていたが、町の人間はあんた達魔女に感謝する事はあっても、怒りなど全く無いし、責めるつもりなんて毛頭なかったんだよ。ただ一部の馬鹿どもが騒いだだけだ。
しかし、そいつらはもう町にはいない。全て町長が追い出したんだ」
「でも一番酷い事を言ったのは町長だと聞いたわ!あの人は何でのうのうと暮らしているのよ?おばあさまを死ぬほど責め立てたくせに」
店主はソニアを見た。その瞳は優しい。
「直接文句を聞いた事があったかい?ないだろう?
なくて当たり前だよ。町長はしょうもない奴らの悪意を全部自分ひとりが背負い込んで、自分の発言にしたんだよ。
残された魔女が町の人間を嫌ってしまわないようにな。憎まれるのは自分一人で良い、と」
*
それから家に戻るまで、ソニアは深く考え事をしていたので
庵の入り口に立っているローランドに気が付かなかった。
「おかえり!」
ローランドは土のついた野菜を手にしていた。
「魔女の帰りが遅いから晩御飯は俺が作ろうと思ってさ。美味しくはないかもしれないけど。
あ、これ?何だか色合いが良くないから葉物を入れたらどうかって閃いたんだよ。勝手に野菜取ったが良かったか?」
何も言わないソニアに、ローランドは何かあったのかと怪訝な顔付きになった。
「どうした?町で何かあったのか?」
「何もない。ご飯作ってくれたって?へぇ、楽しみだわ」
ローランドの顔を見ずに室内に入ろうとするソニアに、異変を感じて彼女の腕を取る。
「魔女!?一体何があったんだよ」
「何もないわよ」
「じゃあなんで、泣いているんだ?」
ソニアは自分が泣いている事に驚く。
え……何故?
《あんたが愛を知り愛されて家族を持つまで死ねない》
店主の言葉は思いの外重たかったようだ。先代魔女が店主の求婚を断ったのは、自分を拾い育てる事に決めたからなのか?
ぐるぐると思考は巡るがどうにも纏まらなかった。
お読みいただきありがとうございます。
先代魔女の名前はエレン、わざと年寄りの振りをしていましたが、亡くなったのは50代なので決して老婆ではありません。
薬屋の店主はエレンの3歳年下。ソニアを密かに守っているつもりです。