ローランド
ローランドの事情
パチパチと薪のはぜる音と漂ってくる美味しそうな香りに、男は訝しげに目を開いた。
ここはどこだ?
そうだ、俺は確か、魔女の庵に向かっていたのだった。
身体には毛布が巻かれてあり、体は下着だけしか身につけていない。ハンガーにかけられた服を見つけた男は、様子を伺いながら着替えて耳をすませた。何やら鼻歌が聞こえてくる。狭く質素なベッドルームの扉を開けると、黒いローブを来た女が火にくべた鍋を掻き回していた。
「あら、目が覚めた?貴方、行き倒れていたのよ。こんな雪の日にそんな薄着で出たら遭難してしまうわ」
「魔女、貴女が助けてくれたのか?」
「倒れている人を放置できるほど、魔女は無慈悲ではないわ」
「ありがとう」
「薬が効いたみたいね」
それからソニアに勧められて椅子に座った男は、根菜や肉のたっぷり入った温かいスープと麦パンを食べてようやく人心地がついた。
「言いたくないのなら言わなくても良いけど、何故扉の前にいたの?貴方は意識が無かったから助けたけど、ここの結界に弾かれて辿り着けなくても不思議ではないわ。魔女とはいえ、女の一人暮らしなのであれこれ仕掛けがあるのよ?」
「済まない。どうしても魔女に会いたかったんだ」
「……先代の魔女は随分前に亡くなったわ。残念ね」
「いや、貴女に会いに来たんだ」
ソニアは首を傾げた。
「薬の依頼かしら?ごめんなさいね、もうずっと依頼は請け負っていないの。町に卸している薬があるからそれなら譲ってあげられるけど?」
「薬が欲しいわけではない」
では一体何の用?と、ソニアは男をじっと見る。
まだ若い。20歳ほどだろうか?背が高く無駄な肉がついていないが、鍛えられた筋肉があることは、昨夜濡れた服を脱がせる時に見た。手には剣ダコがあり、日常的に鍛えているのだろう。金髪に整った顔立ち、もしかすると貴族か?とソニアは考えた。それならばややこしい。彼らは、助けられて当然だと思っているから、貴族の権利とやらを主張してくるだろう。
「覚えてないか?4年前に貴女が助けてくれたんだ」
「……流行病の時は、魔女は何の役にも立たなかったわよ」
「違う。町長の家で、貴女に助けられた」
え?町長の家?
ソニアは思い出した。連れて行かれた町長の家で見た、包帯に巻かれた少年を。
「ああ、あの時の少年ね」
「少年ではない、18歳になった。ちゃんとした大人だ」
「はいはい、わかったわ。では後で貴方の滞在先の町長のところに連絡を入れましょうか。迎えに来てもらうといいわ」
青年は、自分の名前はローランドだと名乗ると、ずっとお礼を言いそびれていて済まなかったと、頭を下げた。
「つまり、先日まで魔女に助けられたことを知らなかったわけなのね。だからと言ってわざわざこんな日に来るのはどうかしているわね」
「悪い。居ても立っても居られなかったんだ。
あの時の傷はすぐに消えたが、体力が戻るのに時間がかかった。それに助けてくれたのが誰なのか、知らされる事がなかった。しかし先日成人を迎えて、命を助けてくれたのが誰だったのかをようやく知る事が出来たんだ」
ローランドは大怪我を負った後の記憶はないが、死ぬところだった、生きていてくれて良かったと泣く家族に、誰がどうやって助けてくれたのか?を知りたがった。しかし父も母も答えず、成人になれば自分で調べると良い、それを咎める事はしないと言った。
「それは……体裁が悪いからでしょう。高貴な子息が魔女なんかに助けられたとあってはね。
貴方のお父さんは他言無用と言って、町長を介してわたしに金貨を押し付けたわ。
ああ、ちょうど良いわ。その金貨を持ち帰ってちょうだい。気分の良くない施しはいらない」
ローランドは傷ついたような表情になった。
「施し?人助けをしたのだから当然の対価だろう?現に俺は貴女に助けられてこうやって生きていられる」
「馬鹿みたいな額を押し付けられるのは、施しと言っても良いわ。それとも、流行病が治らないのも顔のあばた跡が消えないのも、全て魔女のせいだと責任転嫁した事への口封じかしらね」
「おい!そんな言い方はないだろう!みんなあんたに感謝しているんだ。町を去らずにいてくれる事がどれだけ心強いか、みんなわかっているんだよ。だからあんたを貶めるつもりなんて……」
「はい、もう結構よ。熱も下がったようだから食事が済んだら出てってくれるかしら?」
「悪かった、ついカッとしてしまった。俺は帰らない。魔女に会う為に来たんだ」
「じゃあもう目的は果たしたわね」
「違う!俺は、、俺を貴女の弟子にして欲しいと、弟子になる為に来たんだ。
どうか俺を弟子にしてください、魔女殿!」
「は?弟子…ですって?」
ローランドはこくりと頷いた。
「本気で言ってるの?」
「本気だ」
** ローランド視点
両親と立ち寄ったこの田舎町の町長の屋敷で、魔力暴走が起こった。
いや、厳密に言うと体内から溢れ出す魔力を制御できずに、自分が暴走させて、その力が鎌鼬のように俺の体を切り裂いたのだった。
領主である父は、息子が魔力暴走を起こした事を隠すために内密に医者を呼んで治療させようとしたが、この町に医者はおらず、しかも悠長に呼びに行く時間の猶予は無かった。
俺は瀕死だった。
父が持っていた魔道具で心臓を止めぬよう微量な魔力を流し続けたが、もう時間の問題となった時に、町長がある人物を連れてきた。それが魔女だった。
領主の息子の持つ馬鹿みたいに強大な魔力が国にバレてしまうと不味い。拘束されて閉じ込められるか、人間兵器にされるか、いずれにしても俺に明るい未来は待っていなさそうだった。
いつもは魔力を押さえる道具を付けているのだが、両親と訪れた視察の地で、少々昂っていたのかもしれない。この魔道具ではもはや押さえが効かず、気がつけばこうなっていた。
これがばれると大問題になる。そこで町長の息子が巻き込まれて怪我をしたと偽って、町長は密かに魔女に助けを乞うた。
今も俺の護衛をしている男が教えてくれた。
森の入り口辺りにある魔女の庵は見えているのに何かに阻まれてなかなか近付けなかったらしい。
そして漸く会えた魔女は若い女で、皮肉の言葉と共に治療を拒絶したという。しかし俺の怪我の原因が『魔力暴走』と知ると、何故か助けてくれる気になったようだ。
そしてその結果、俺はこうして生きている。身体のどこにも切り刻まれた痕跡は無い。内臓にも異常は無い。頗る元気だ。
しかし、あれほど俺や両親を苦しめていた魔力は、魔女の治療の後、さっぱりと消えてしまった。
貴族なら誰でも持つ魔力が、全く使えぬ身体になってしまったのだ。
魔女に何をされた?まさか魔力を奪い取るような力を、魔女は持っているのか?
両親は王都から魔導士を呼び、俺の体を丹念に調べさせた。
結果、あの魔力暴走の後遺症は全く残っていないし、魔力も失われていないと言う。
「ただ、魔力を放出するための魔道回路が壊れているのか、或いは封印されているのかと」
魔導士が告げた内容に両親も俺も驚いた。
魔力の回路を弄るなど、最高地位の魔導師でも容易い事でないと言う。魔導士は、俺の魔力を封印された事について知りたがっていたが、両親は知らないと押し通した。傷が癒えたら魔力が使えなくなっていたのだと。
魔女には利用価値がある。
父はそう判断したようだ。国に取られるような事があってはならないと、魔女の存在をひた隠す事に決めたようだった。
そして今、俺は覚悟を持って魔女と対峙している。
魔道回路を正常に戻し、失われた魔力を取り戻すために。
お読みいただきありがとうございます。
2023.04.03編集しました。