魔女の庵
年上魔女と年下男子のお話です。
よろしくお願いします。
夕方から降り始めた雪が、音もなく積もってゆく。ただ静寂の中で暖炉の薪がはぜる音が響く。
熱いお茶の入ったカップを手にお気に入りの椅子に座って片手で猫を撫でていると、ふいに微かな声が聞こえた。気のせいか?と、眉を顰めつつも耳をすます。確かに、うぅ、と、小さな呻き声が聞こえた。
「動物でも迷い込んだのかしら?」
ソニアは暖かそうな赤いケープ、縁に毛皮のついたそれを羽織るとそっとドアを開けた。長年愛用しているケープは丁寧に繕ってあり、大切にしているのが見て取れる、こんな雪の日でも大層温かく過ごせそうだ。それにこれを羽織ると守られている気がする。
この『魔女の庵』には害のある者は近付けない結界が張ってあり、たまにやってくる小動物や知り合い以外は入ってこられない。
例外的に怪我をした人や行き倒れがここまで入って来ることがあるならそれは緊急事態だという事で、害が無いかどうかを見極めた上で治せるものならば治してやろうと決めていた。
何故なら自分もまたそうやって助けられたのだから。
そっとドアを開けると冷気で室内が一気に冷えた。
「おお、寒い」
そしてソニアは入り口の脇に、薄く雪を被って倒れている人間を見つけた。
ドアの前で倒れ込んでいたのは若い男だった。熱が高く意識は無かったが確かに生きていた。
ソニアは遭難者を家に入れると、雪に濡れた衣服を脱がせた。男物の着替えはないので清潔なシーツと毛布でぐるぐるに巻いてベッドへ横たえた。
熱が高い。熱冷ましの薬湯をそっと口から飲ませようとしたが、なかなか受け付けない。仕方なくソニアは自ら口に含んだ薬湯を、男の唇を開いて流し込んだ。少し咳き込んだものの、彼はその薬湯を無事に飲み込んだ様で、しばらくすると苦しそうなひゅうひゅうという息がおさまってきた。
ソニアはベッドに横たわる若い男の様子が落ち着いたのを確認し、そっと部屋を出た。暖炉の前の白い猫が大きく伸びた。
闖入者によって妨げられた読書の続きをする為に、揺れるロッキングチェアに座った。
*
ソニアは魔女だ。年齢は25歳。白銀に輝く髪に金色の目をしていている。
町の外れの、昼間でも薄暗く鬱蒼と繁る森を少しだけ入った処にある家に住んでいる。そこが魔女の棲家だが、先代の魔女が亡くなってからはずっと一人暮らしだ。
今日みたいな雪の日に、魔女の住む小屋の前に、赤いケープに包まれ籠の中にいた赤ん坊、それがソニアだった。
ケープにはうっすらと雪が積もっていて、魔女の帰宅が遅ければソニアの命はなかったかもしれない。外出から戻った魔女は、籠に気が付くと迷うことなく小屋の中に運んで、凍えて泣きもしない赤ん坊を温め、ミルクを飲ませてやった。
結婚する事も子を産む事も無かった魔女だったが、この子は天からの贈り物だと感じて育てる事に迷いはなかった。
魔女はその時既に老婆であったが、この町で唯一の薬師であり医者の真似事もしていた。その役目を途絶えさせるわけにはいかないからと、自分の後継者を育てたいと願っていた時に現れた赤ん坊、しかもその子からは魔力を感じられたのである。
おそらく、その魔力のせいで捨てられた子だろうと魔女は思った。
赤ん坊をソニアと名付けた魔女は、生きていく術や基本的な教育、そして薬草の知識を彼女に授けた。物質的には豊かではないが、厳しくも温かく大きな愛に包まれてソニアは育った。
その、母とも祖母とも慕う魔女が死んだのは4年前、ソニアが21の歳の事だった。
*
ひとり暮らしになったソニアは、魔女の後継者として森に分け入って薬草を採って薬を作り、その薬を町に出て卸して、生活用品などを調達するという生活をしている。
豊富な魔力があるので、一人暮らしでも不自由はない。自分一人の身を守る事も出来る。町の人たちとは必要以上に関わるつもりはない。
町の住人は魔女を忌避したり差別する事はないが、一定の距離感を保っていた。貴族はともかく平民は魔力など持たないので、魔女という存在はまるで珍獣か、或いは空想の生き物であるかのようだった。
それでも魔女の作る薬は重宝していたので、それなりに顔見知りもいたし、パン屋や八百屋で買い物をすればおまけを付けてくれるくらいには町に馴染んでいたつもりだった。
しかし異端者はあくまで異端者に過ぎなかった。
*5年前*
5年前、この国は大いなる災いに見舞われた。疫病の大流行である。
それは初めは風邪のような症状であったが、高熱が下がらず寝込むようになり、気がつけば全身に発疹ができて、口内の発疹により呼吸困難になり全身の皮膚が赤く盛り上がって皮膚呼吸も妨げられた。そして、体力が無い老人や子どもを中心に命を落とすものが続出したのだ。
疫病から助かりたい人々は魔女を頼った。先代魔女とソニアは必死で薬を作り続けたが、薬草には限りがあるし、熱を下げる事は出来ても、身体を覆う発疹を全て消す事は魔女の薬では不可能だった。それならば治癒の魔力をと人々は願ったが、魔女達にはその力は無かった。少なくとも先代の魔女には、発疹の跡を消すほどの治癒能力は無かった。欠損した部分を元に戻したり不治の病を治せるのは、魔女ではなく魔導士のみである。
魔女と言うのは、常人より強い魔力を持つが、魔導士にはなれない、不確定な立ち位置の存在であった。魔導士であれば人々からの尊敬、或いは畏怖の対象になるものを、常人より少し魔力が強いだけの魔女は必要以上に関わりたくはない存在だった。
もし、出自が貴族であれば、その魔力を誇ることも出来たであろうが、おそらくは平民、その中でたまたま神の気紛れで高い魔力を持って生まれた存在、それが魔女なのだ。
*4年前*
国中に蔓延った悪しき病は、一年後にあっさりと終結を迎えた。大都市や都での生存率はどうかわからないが、この小さな町では高齢者や幼児を中心にかなりの死者が出た。
運良く生き残った者には発疹の跡が残った。顔にあばたが残り、見目が変わってしまった独身の女性達は涙に暮れた。こんな見た目では嫁に行けないし、行けたとしても子を産む臓器に後遺症が残っているかもしれないと、悲嘆した。
そしてその行き場のない荒んだ悲しみは、悪意となって魔女達に向けられたのだった。
熱に効く薬は作れても量は少ない、その上、身体に残る発疹の跡は消せないのなら、魔女は何の役にも立たないじゃないか。
この町は魔女達を受け入れてやっているのに、恩返しをするつもりはないのか。役立たず共め!
悲しみや怒りを魔女に八つ当たりしてぶつける事で発散していた町の人間は、やがて自分達の過ちを反省する事になる。医者の居ない町ではどうあっても魔女の薬に頼るしかないのだから。
しかし集団による言葉の暴力は、すでに高齢だった先代の魔女を追い詰めた。全力で薬を作り続けた結果がこれだ。心が折れたのかそれとも寿命なのか、病の終息とともに、ソニアに看取られて魔女は息を引き取った。それがちょうど4年前の暮れの事だった。
ソニアもまた町の人々の心無い言葉に傷つき、そして呆れていた。
彼らは先代魔女の死を知り、慌てふためいて謝罪を始めたからだ。今、魔女が居なくなると、急病人が出た時に困るのは自分達だ。
済まない、魔女様に悪い事をしたと泣く人々を、ソニアは冷めた目で見ていた。
先代魔女のいないこの町に留まる理由はない。魔力を活かせば王都なら仕事は見つかるだろう。ソニアはこの町から出ていく事を決めた。
もう町の人の為に薬は作らないし、医者代わりに患者を診ることもしない。自分たちは、都合の良い時だけ利用される異物なのだ。義理も責任も無い。
この田舎町から出て、王都にでも暮らしてみようか。魔女を辞めて普通の娘として……
町を出る決意をしたソニアは小さなトランクに大切な物を詰めて、赤いケープを羽織って庵の扉を開けて外に出た。すると。
庵の入り口、形ばかりの門の前に年配の男が立っていた。どうやら結界に阻まれてそれ以上は近付けなかったようだ。
目の下に隈を作り、やつれ切った男に頭を下げられてソニアは眉を顰めた。
「魔女殿。どうか、息子を助けてはくれぬか」
お読みいただきありがとうございます。
どうしても、連載の続きが書けなくて、思いついた話を先に仕上げてしまいました。