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第六話

コツ、コツ───────。


夕暮れの中、雛子は西棟の階段をゆっくり上っていた。

周囲は誰もおらず、雛子の足音だけが響いている。


「やあ雛子ちゃん。こんな時間に、奇遇だね」


ふと、前方からそう声をかけられた。

階段を上った先にいたのは三津島だ。


「三津島さん。こんばんは」


雛子はふわりと笑って、彼の元へ駆け寄る。


「ねえ雛子ちゃん。最近困ってることとかない?なんだかここ最近の雛子ちゃん、元気がないみたいで心配だよ」


「そんなことありませんよ。私はいつだって元気ですから」


笑ってみせるが、なかなか彼は引き下がらない。

どうにかして雛子から悩みを聞き出したい様子だ。


「本当にそう?辛いことがあったらすぐに話してよ、僕は雛子ちゃんの味方だからね」


その言葉を待っていたように、雛子は堰を切ったように話しだす。


「三津島さん……実は最近、修一郎さんから好きだって言われて、付き合おうって脅迫されててすっごく怖いんです!助けてください、三津島さん!」


ぎゅっと三津島の服の裾を握ると、三津島は興奮したように息を荒らげた。


「雛子ちゃん……!僕は、僕はぁ!」


「きゃっ」


そのまま雛子の体をきつく抱きしめる。

凄まじい豹変ぶりに言葉も出ない。

雛子の小さな悲鳴すら聞こえていないように、自分の世界に入ってしまっているようだった。


「ああ……なんて柔らかい体なんだ。想像通りだよ。はあ、雛子ちゃんの香りで頭がおかしくなりそうだ」


これが、雛子に親切で優しい上官、三津島貴一の本性だった。

雛子は冷めた目で三津島を眺める。

この男は、ずっとそういう視線で雛子を見ていたのだろうか。

優しい振りをして、内心は薄汚れた欲望に塗れている。

雛子の表情にも気づかず、三津島はぺらぺらまくし立てた。


「このところ、他の男に目を向けてるようだから心配してたんだよぉ。雛子ちゃんは僕のものなのに、綾代みたいな陰気な奴と仲良くしちゃってさぁ。雛子ちゃんがあんまりそういうことを続けるものだからお仕置しようと思ってたんだよ、僕」


お仕置……つまり、あの夜の出来事だ。

あの時修一郎の助けが無ければ、一体何をするつもりだったのか、考えるだけでおぞましい。


「でも安心したよ。やっぱりあいつが無理やり雛子ちゃんに迫ってただけで、雛子ちゃんもちゃあんと僕のことが好きでいてくれたんだね。僕がいるからにはもう大丈夫だよ、綾代を殺そう。そしてこんなところ辞めてさ、二人で幸せになろうよ。そうすれば雛子ちゃんは他の男と関わらなくていいし、僕と一生二人きりの幸せな世界でいられる……!」


「三津島さん……」


「ひ、雛子ちゃん!」


雛子が三津島の首に腕を回すと、より一層三津島が興奮した。

雛子の甘い吐息に、悦びが止まらない様子だ。


ああ、なんてざまだろうか。


雛子は絶望の気持ちで、彼を軽蔑する視線を背後(・・)から送った。


「─────ばァか」


「……は」


その言葉を合図にそこにいたはずの雛子の体が、一瞬で京へと変化していく。

ドンッと三津島を突き飛ばすと、彼は顔面に貼り付けていた一枚の護符を剥がし、大声で怒鳴りつけた。


「テメェ雛子のことそんな目で見てやがったのか!サイテーだな!」


「な、なんっ、」


さっきまで腕の中にいたはずの雛子はどこへ行ってしまったのだと、三津島は混乱している。


これは、雛子の符術で京の姿を雛子にし、身代わりになってもらったのだ。

かからないでほしいと願ったのも虚しく、三津島はまんまと引っかかってくれた。

雛子も姿を隠していた術を解き、現れる。


「三津島さん」


そっと声をかけると、三津島は狼狽えたようになる。


「雛子ちゃん!そんな、これは一体」


こんな符術に気づけないほど、三津島は落ちぶれてしまったのだろうか。

なんだか悲しくなる。


「私を呪っていたのはあなたですよね。三津島さん」


「……っ」


種明かしの時間だ。

雛子は裾から、小さなお守りを取り出す。

あっと三津島が動揺した。

これは三津島から貰ったお守りだ。

雛子は迷うことなく中身を取り出す。


「この呪符、見覚えがありませんか」


中に入っていたのは、護符などではなく、呪符だった。

兄からの手紙を預かった際に受けた忠告、「古都で呪符を売りつける事件が多発している」というもの。

三津島からもらったお守りを見て、恐る恐る確認したら呪符が入っていたのだ。


「そんなもの知らない!大体、これは呪符ではないだろう。こんな式を誰かが使っているところなんて、見たことがない」


「確かにそうでしょう。私も知らなかったら気づけないと思います。ですがこれはれっきとした呪符ですよ」


雛子は片手に持っていた古い本を掲げる。


「これは『異端傀儡呪詛録』という書籍です。この中に、この呪符とまるっきり同じものが載っているのですが、どう説明しますか?」


修一郎から参考になると言われて読んだ本だ。

あの夜、これを読んでいる最中に眠ってしまったものでもあるが、お守りの中の呪符はこの中に記載されていた呪詛と同じものだった。

初めに見た時は奇妙な印で、何の符なのかもさっぱり分からなかったが、これで見たことを思い出したのだ。


「僕が入れたんじゃない!他の誰かがやったんだ!」


「他の誰かって誰なんだよ。聞けばこの本、めちゃくちゃ貴重で読める人間も限られてるそうじゃねぇか。お前よりも偉い奴……例えば、司令官がやったとか言うんじゃねぇよな」


往生際が悪い三津島に、京がそう吐き捨てる。

京の言う通りなら上官に罪を被せることになるので、当然頷くことなどできない。


「それに三津島さん。先日、私が寮に戻らなかった日に、私のことを探してくれたそうですが、書庫室まで来てくださったんですよね」


「ああ。確かに行ったけど、鍵がかかって入れなかったんだよ。硝子を覗いても、雛子ちゃんはいなかったし……」


「それほどの至近距離にいて、どうして結界に気づけなかったんですか?」


もはや三津島は何も答えられない。

考えてみれば、すぐに分かることだった。

先日、眼鏡の上官が来た時には軽度の結界でもすぐに勘づいたのに、あれほど強い結界が貼ってありながら三津島が気づけないことなどあるだろうか。

れっきとした祓い師の地位を持つ彼が結界を見逃すなんて、不自然にも程がある。


「だが、何故雛子ちゃんが僕を疑うんだ……!?」


心底分からないといった様子で、三津島はしきりに汗を書いている。

こんなずさんな呪い方を彼がした理由は、慢心が原因だ。

雛子が三津島を疑うことなど絶対にないという、慢心が。


「どうして私が三津島さんを疑うのか……いえ、疑えるのか。それは、あなたの術にかかっていなかったからです」


「そんな馬鹿な!」


修一郎が上書きした、暗示の術。

三津島はあれを上書きされたことを把握していなかったせいで、ずっと雛子に暗示をかけ続けられていると思っていたのだ。

三津島の暗示の術が、修一郎が永遠に愛を囁いてくる内容に変わっていたなんて、彼は露も思わなかっただろう。

見せかけは巧妙に仕掛けられたような術でも、一つ一つ紐解けばあっさり真相は見えてくるのだ。


「クソっ……!なんで、なんでこうなるんだよ!雛子ちゃんは僕と一緒になる運命なんだ!邪魔されてたまるかァ!」


激昂した三津島が、腰に佩いていた刀を抜き雛子に向かってくる。

バレてしまったのなら、いっその事ここで殺してしまおうというつもりらしい。

収拾がつかなくなって、自暴自棄になったようだ。


「雛子!」


「大丈夫です、京さん」


雛子を庇おうとする京を制し、雛子はただ彼が現れるのを待った。


───────ゴォン、ゴォン。


ちょうどその時、西棟の大時計の鐘の音が響き渡る。

空気を震わす重低音に三津島の動きが止まる。


次の瞬間、ふわりと風が吹き抜けて何も無かった空間から修一郎が現れた。


その姿は、顔こそ同じであれど、柘榴のような赤い瞳に角の生えた、人あらざるものの形をしている。

修一郎の黒い外套が、彼の存在感を表すように風になびいた。

三津島も京もすっかり呆気に取られている。


「そこまでだ、三津島貴一。見苦しいぞ」


修一郎が刀を向けると、三津島は情けない声を上げた。


「ヒィッ!な、なんだこいつは!」


「見ての通り、鬼だが」


顔は修一郎のものなのに、その姿はどう見てもあやかしで、三津島はあからさまに混乱している。


「あ、綾代……お前、あやかしだったんだな!あやかしが祓い師を攻撃するなんて許されることではないぞ!今すぐにでも捕らえて……」


「そうだな。俺は夜叉だ。あやかしの中で最も強い夜叉だ」


修一郎は鋭い声で三津島の言葉を遮る。

その凛とした佇まいと鬼迫に、空気が凍るようだった。


「そして俺はお前よりも偉い。夜叉一族の主に楯突こうとは、いい度胸をしているじゃないか」


「夜叉一族の主……!?」


「『書庫室には夜叉が棲む』……聞いたことはないだろうか」


三津島が息を飲んだ。

三津島も修一郎の正体は知らなかったようだ。

全てのあやかしを平伏させる恐るべき夜叉。

その気になれば、人も祓い師もねじ伏せられる力を持つ一族だ。

夜叉の主に無礼な働きなどしてしまえば、捕らえられて罰せられるのは三津島の方になる。


「さぁ、そろそろこのくだらないお遊びを終わらせようか」


修一郎が三津島の眼前で太刀を一振りする。

風を斬る鋭い音と共に、三津島は崩れ落ちた。

まさか斬ってしまったのかと焦ったが、血は流れておらず、三津島はただ腰を抜かしただけのようだった、


「安心しろ。死んではいない。雛子とこいつとの悪縁を斬っただけだ」


次いで修一郎は、すぐさま印を結ぶ。

一瞬で床に陣が現れて、即座に三津島が拘束された。

腰が抜けて動けない三津島は、反撃することすら出来ず陣に縛られる。

一切の隙もない見事な手際だった。


「これだけか。弱いな。大した手応えもない」


僅かな時間にも関わらず、圧倒的な力を見せつけられて、この場にいる誰もが緊張感に呑まれている。


「雛子を悲しませた罪はちゃんと贖えよ。愚かな人間」


修一郎がもう一度太刀を振る。

キン──────、と空気を切り裂く音が響いた。


「首がっ、あああっ……!」


刃は間違いなく三津島の首を斬ったはずだが、どういうことか三津島が悶え苦しんでいるだけで彼の首は健在である。


(幻術だ……)


雛子と京は揃って息を呑んだ。

本当なら斬りたいのだろうが、それをすれば夜叉一族の当主とはいえど許されることではない。

だからこそこうして幻術をかけているのだろうが、一体どれほど精巧なのか、三津島の苦しみ様は異様と言えるほどだった。

これは恐らく、最前線で活躍する祓い師としての力ではなく、『鬼』としての力なのだろう。


「ちょっと綾代さん。また破壊行為ですか、力が有り余るのも問題ですねぇ」


ふと、聞こえてきた声に振り返る。

現れたのは、あの眼鏡の上官だった。

なんとも頭が痛そうに、眉間にしわを寄せている。

一体どうして彼がここにと思いきや。


「落としてない。斬られる感覚だけに留めてやった。あとはあんたが片付けるんだろ、司令官」


「司令官!?」


「雛子、お前知らなかったのか」


まさかこの彼が司令官だったなんて。

司令官は普段表にほとんど出てこないので、雛子は司令官に会ったことが一度もなかった。

それなのに、彼の正体を知らなかったのは雛子だけだったとは。

なんで教えてくれなかったんですか!と京をがくがく揺さぶって涙目になる。


「ま、今の彼にはこれぐらいの方がいいんでしょうけど、程々にお願いしますよ。とりあえず、また後で話しましょう」


あとは我々に任せろ、ということらしい。



今回の件は、修一郎だけは最初から把握していた。

今思えば、修一郎の質問はどれも三津島を導き出すための誘導だったのだ。


何故わざわざあの本を勧めたのか。

呪詛は恨みだけではなく恋情も呪いになると教えたのか。

周囲に怪しい人物はいないかと何度も聞いたのか。


だがどうしても信じたくなくて、最後に自分の目で確かめるために京にまで協力してもらってこんなことをしたのだが、雛子の期待も虚しく三津島は黒であった。

本当なら修一郎一人で全て片付けられることだが、三津島を信じたいという雛子の気持ちを尊重して、修一郎には待っていてもらったのだ。

京や三津島に正体がバレてしまうことも承知で雛子の提案を呑んでくれたが、不安はあったものの、無事に解決したので良かった。


ただ一つ心残りがあるとしたら、信頼していた人に裏切られていたことに気づけなかったことへの後悔だろうか。

こんな結末を迎えるなんて、予想すらしていなかったのに。


「雛子」


修一郎に名前を呼ばれて振り返る。

彼はただ一言。


「よくやった」


「……はい!」


美しき人あらざる者の姿をしておきながら、この世の誰よりも慈しみのある笑顔だった。

沈んでいくようだった雛子の心が浮上していく。

最初は嫌で仕方なかった書庫への配属だったが、この出会いはきっと、雛子にとっての救いなのかもしれない。

そう思えた。


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