第二話
そうして始まった修一郎との生活は、期待以上のものだった。
祓い師としての基本から復習し、符術を試行錯誤し磨き上げていく。
聞けば修一郎は符術が専門ではなく、刀と霊力を主に使用する祓術、つまり武力一辺倒が専門であるという。
しかし彼はそれ以外にも占術や呪術も修めているのだ。
数々の功績から証明されていることだが、それほどの力があっても尚、一人で戦うことを選ぶ姿勢から謎多き人物だとされている。
そして人嫌いで一人を好むということが周知の事実であるはずの彼が、雛子に術を教え友好的に接するのか。
それもまた最大の謎である。
「修一郎さん、これはどうでしょうか。いまいち発動が遅いような気がしまして」
「そうだな、君の霊力の流れを考えると、ここはこの印に変えてみるのはどうだろうか。こちらの方が効率が良いはずだ」
護符をいくつか作って、改善点を聞いてみればすぐに答えてくれる。
「結界を強化したいのなら、無理に強度をあげるよりも耐久を重視した方がいい。いくら固くても、崩れる時は一瞬では元も子もないからな」
修一郎は雛子の背後から腕を伸ばして、さっと印を書き換えた。
(距離が、近い……!)
本人は全く無自覚でやっている行動なのだろうが、すぐ背後に修一郎の体があって、声が耳元で直接響く。
完成した護符は以前よりも良い調合でできたが、こうして教えてもらうのはちょっと心臓に悪いかもしれない。
頬が赤くなってないといいなぁ、と雛子は思いつつ、また護符を作っていく。
またあるの日のこと、散らばった書類を片付けていたらひょっこり出てきた本に度肝を抜かされた。
「これ、すっごく貴重な資料じゃないんですか!?」
古びたそれは、書名からして確実に今は手に入らないものだった。
中を見ると、符術について詳しく書かれている。
霊力を高めるための符術や身体強化の術であったり、かなり難しいものが独自の手法で編み出されていたりして驚くことこの上ない。
「まあな。似たようなものなら他にも眠っているから、好きに使うといい」
どうしてそんな貴重なものを書類の下敷きにしてしまうのかと怒りたくなるぐらいに、あっけらかんとして修一郎はそう言った。
「……修一郎さん、もしかして掃除は苦手ですか」
「人には誰しもできないことがあるものさ」
なんて言って笑っているが、その隣の椅子には乱雑に外套が放り投げられている。
なんとなく彼が掃除や片付けが苦手なのは、ここへ来た時から察していた。
まあ、掃除好きの雛子としては構わないが、完璧な超人のような人にも欠点があるというのはなんだか安心する。
(そういえば兄さんも掃除はなかなかしない人だったなぁ……)
今は古都にいる兄を思い出し、くすりと笑う。
天才的な祓い師は、もしかすると揃いも揃って掃除が下手なのかもしれない。
そう思うと、なんだか修一郎のこともかわいく思えてきた。
「ん……?今、俺に対してなんか失礼なこと思っただろ」
「えぇ、思ってませんよ」
そう否定しつつも、雛子の口元は弧を描いている。
鬼神と称されるような人にこんな態度が許されるのは、もしかすると機関の中では雛子ぐらいなのかもしれない。
そう思うと、ますますおかしくなった。
こうして日常を共にしていると、修一郎は頼れる兄のようでありながらとどこか抜けたところがあって親しみやすく、とても周囲で言われている鬼神のようだとはとても思えない。
書庫へ配属されると言われた時は納得いかない気持ちでいっぱいだったが、いざ来てみれば優しい上司だった上に符術を教えて貰えるなんて。
こんなに充実した毎日だと、幸せすぎて少し心配になるぐらい。
(あとは、夢がなんとかなればいいんだけれど……)
奇妙な夢は未だに見る。
別に眠れないわけではなく特にこれといった害はないが、やはり気味が悪いのと。
(あの人が修一郎さんに似てるのは、さすがにちょっと……)
夢の中に出てくる謎の人物が、どことなく修一郎に似ている気がするのだ。
顔は見えないが、声と、雛子に触れようと伸ばされる手が、似ていると感じてしまう。
そうなると、修一郎と顔を合わせる際に意識してしまって恥ずかしくなり困るのだ。
何せあの人物は雛子に愛を囁いてくる。
それはつまり、修一郎が雛子に愛していると言っているようにも見えてしまうということで。
「どうかしたか?」
「なんでもありませんよ。ちょっと考え事です」
急に困り顔で遠くを見つめる雛子に、修一郎は首を傾げる。
本人を前にしてこんなことを考えていたなんて、修一郎には知られたくなかった。
さて、そんな夢に悩まされつつ元気に出勤している雛子であったが、今日は修一郎は予定があるようで。
修一郎は、休んでもいいと言ってくれたが、寮にいた所ですることもないので、持て余すぐらいならと自ら出勤することにしたのだ。
修一郎が不在の時は、雛子が持っている鍵で出入りや戸締りの管理をすることになっている。
さて修一郎の居ない間に書斎を徹底的に片付けてしまおうか、なんて思いながら歩いていると、思いがけない人物に出会った。
「やあ雛子ちゃん。書庫での仕事はどうだい?綾代にいじめられたりしてないよね?」
「三津島さん!」
穏やかに微笑む彼の名は三津島貴一。
雛子が機関に来たばかりの頃にお世話になった方で、第六部隊編入の推薦もしてくれた。
残念ながらそれは書庫室へと行き先が変わってしまったが、何かと雛子のことを気にかけてくれる優しい人だ。
雛子に対して厳しい目を向ける上官が多い中、三津島は雛子を優しく見守り支えてくれる、まさに頼れる憧れの上司。
「全然そんなことありませんよ!修一郎さんはとっても優しい方なんです。符術のことも色々と教えてくださって、本当に感謝してもしきれません」
「そうかぁ、上手くやっているみたいで安心したよ。でも、何か悩み事や困ったことがあればいつでも僕に相談してね。僕は雛子ちゃんの味方だから」
三津島はよく、僕は味方だからと言ってくれる。
後ろ盾が何もなかった頃の雛子にとっては、何よりも励みになる言葉だった。
「三津島さんにそう言っていただけてありがたいです。先日頂いたお守りのおかげでしょうか、また今日も元気に頑張れちゃいますね」
「ああ、がんばってね。でも、無理はしちゃだめだよ。暇になったらまた僕のところにいつでも遊びにおいで」
「はい!」
三津島の所へ遊びに行くと、彼はいつも美味しい茶菓子を出してくれるのだ。
彼は甘党らしく、有名店から知る人ぞ知る名店の菓子まで揃えている。
菓子につられたわけではないが、雛子は三津島が出してくれる茶菓子を毎回楽しみにしていた。
前回は茶菓子だけでなく、古都のお土産と言ってお守りまで貰った。
嬉しくて常日頃持ち歩いているが、護られているような感覚がして、ますます三津島のありがたさを実感するのだった。
三津島と別れ、再び書庫へ向かおうとする。
「おい、雛子」
急に背後から声をかけられた雛子は、ビクッと震えた。
バッと振り向けば、仏頂面の青年が。
「京さん!こんなところで会うなんて奇遇ですね!」
「違う、わざわざ会いに来たんだよ」
「あら、そうだったんですか」
珍しいことを言うものだ。
彼は風見京。雛子の同期であり、共に第六部隊に配属される予定だったのだが、雛子が書庫へ行ってしまったので彼一人で部隊に加わることになってしまった。
それにより、雛子はいつもの袴姿だが、京は祓い師の黒い衣装をばっちり着こなしている。
京は目付きが悪く、態度も愛想がないと周囲から浮いている存在だったが、そんなことも露知らずに雛子がやたらめったら構ったせいでものすごく懐かれたのだ。
「お前がどうしてるか気になったんだよ。書庫室に配属されたって聞いたけど、普段あんま寄らない場所だし」
「まあ、確かにそうですよね」
いくら貴重な資料があるとはいえ、普段から使うわけでは無い。
時折、調査で必要だと言って借りに来る人もいるが、新人の京にとってはほとんど関わりがない場所といっていいだろう。
「で、どうなんだよ。うぜぇ上司がいたらぶっ飛ばしてやるぞ」
「あはは、相変わらず京さんは物騒ですね。でも心配はいりませんよ、私の上司である修一郎さんはとっても優しい人ですから!」
そう胸を張ったものの、京はふーんと冷めた反応だった。
「それにしても、京さんも三津島さんと同じことを聞くのですね。私って、そんなに頼りなさそうに見えますか?」
「俺を三津島と一緒にすんな。でも確かに雛子は頼りない」
対抗意識でもあるのか、三津島と同じと言われてものすごく面白くなさそうだ。
京は上司に対しても物怖じしないが、面と向かって呼び捨てにしているところは、よく咎められないものだとひやひやする。
「お前、書庫室が怖くないのか」
京の言葉に首を傾げる。
書庫室が嫌じゃないのか、ではなく、怖くないのか。
そう、彼は雛子に聞いた。
「え、どうしてですか?怖くなんてないですよ。ちょっと本が多いですけれど、素敵な場所です。京さんも遊びに来てください」
「いや、そういうことじゃなくてだな」
どうやら、京の言いたいことが上手く伝わっていないみたいだ。
京はふぅとため息をついてから、雛子の目をしっかりと見て話す。
「聞いたことないか?……『書庫室には夜叉が棲む』」
「夜叉、ですか?」
神妙な顔で京が語るものだから、一体何事かと思いきや、噂話のことだった。
「そうだ。物の怪だ。鬼だ。あの書庫には、鬼が住み着いている。そういう話を聞いたことがないのか」
そう言わると、ここへ来たばかりの頃に、東棟の階段は夕方になると物の怪の通り道になるだとか、北側の塔の上階に亡霊が集まっているだとかの七不思議めいた話を聞いたことがあった。
その中にも、書庫室の夜叉はあった気がする。
しかしそれは、先輩が新入りを怖がらせる為に用意した怪談話のはず。
「やだなぁ、京さんそんな噂話を信じてるんですか?京さんがそういうの信じるって珍しいですね。ちょっと気になってきました」
「馬鹿にしてんのか」
「ちがいますよぉ!」
むぎゅうっと頬をつねられて、変な声で反論してしまった。
「じゃあもしも夜叉を見かけたら京さんに教えてあげますね」
「何言ってんだ。お前みたいなちびっ子、油断してたら鬼に喰われちまう」
「大丈夫ですって、私は食べても美味しくありませんし」
「……」
その時、大時計の鐘の音が響き渡った。
西棟には古びた大きな和時計があり、一時間ごとに鳴るようになっているのだ。
「もうこんな時間ですか。京さんは忙しいんですから、いかないとですよ」
雛子は鐘の音を聞いてハッとしたように京にそう促す。
いつまでも楽しくお喋りしているわけにはいかないと、雛子は京に背を向けてスタスタと歩いていってしまう。
「……本当にそう思うかぁ?」
ぽつりとこぼれた京の呟きは、雛子には聞こえていなかった。