03 宇宙シャコ
ガツン、と、第二の衝撃が襲う。
デブリ帯通過の際に装着した、五点式シートベルトをつけたままだったために、二人には辛うじて怪我がなかった。そうでなければ、床か壁に叩きつけられていたことだろう。
「君、わかっていてこんな危険なところに! みすみす、宇宙の塵じゃないか! 気でも狂ったのか」
「いいえ、私はいたって正常ですよ。もちろん、備えあれば患いなし。こいつらは、出会い頭に強烈な物理攻撃を加えて、宇宙船を航行不能、無力状態にするのがお決まりのパターンらしいということはわかっていました。その後でゆうゆうと宇宙船を捕食して、宇宙船の燃料に相当するエネルギー源と各種微量金属類を取り込みます。消化できないものは排せつします。つまり、最初の渾身の一撃を何とかできればいいんです」
「いや、くらってるじゃないか物理攻撃! まさに渾身の一撃だっただろう!」
「本当に食らってたらこんなもんじゃありません。外殻に大穴が開いて、あっという間に内部気圧が下がって、私もあなたも何が起こったかもわからないうちに宇宙空間に吸い出されて死んでます」
「それが、行方不明になった宇宙船に起こったことなのか」
ぞっとしたように二の腕をさすって、所長はつぶやいた。
「ジャンク屋で見つけた残骸を調べた限り、そうですね」
「じゃあ、なぜわれわれは今生きているんだ」
「所長もさっき言ってたじゃないですか、ダストがやけにひっつくって。宇宙シャコのハードパンチの衝撃を吸収・無力化したうえ、丸呑みにされても消化できないような、特殊な糖とタンパク質を含むゲル状の膜を、こちらの宇宙船の外殻を覆うように展開しているんです。先ほど、所長がマニュアルモードに入ったとき、私の端末から指示を出しました」
「そんなシステムどこから」
「もちろん、自作ですよ。オーダーメイドで工房に発注する予算なんかありませんからね」
「予算? 何のことかな? 耳が遠くなったかな」
「このタヌキ親父。かつかつの台所事情で切り盛りしているこっちの苦労なんか知らないくせに」
「しかし、どういうことだね。今我々はどうなっているんだ」
「宇宙シャコの腹の中ですよ」
「は、腹の中……」
「ご安心ください。先ほど言った通り、この宇宙船は消化されずに、排せつか嘔吐によって体外に出されるはずです。駆動系がやられていたとしても、前もってこの宙域への調査飛行の届け出を出していますから、緊急シグナルを出し続けていれば、宇宙交通安全システムに引っかかって、パトロール船に見つけてもらえるはずです。早晩、遭難状態からは抜け出せますよ」
「だが、何のために一体こんなことを」
「所長が研究者としてぱっとしないのは、この察しの悪さ故ですね。生態調査に決まっているじゃないですか」
「生態調査?」
「この宙域に、事前に装備を展開していなければ宇宙船の外殻に穴をあけられてしまうほどの危険な宇宙シャコが生息しているとなれば、今後も被害が拡大しかねません。この宙域に宇宙シャコが生息している報告はこれまで上がっていませんから、今、やつの腹の中にいるうちに少しだけ粘膜片なんかの生物試料を採取しておいて、持ち帰ってDNA鑑定をすれば、新種として認められる可能性も高いですよ」
「なるほど……。大型の危険生物、しかも新種の発見となれば、大手柄だな」
「さらに言えば、この宇宙シャコの捕食プロセスや、捕食と排せつを行う生息域の特定ができれば、宇宙生態学的研究へのとっかかりにもなります」
「しかし、危険生物の発見と研究は、名誉にはなるが、そこまで大きなお金になるかなあ。公的機関の扱う分野だからなあ。報奨金として目先の危機を脱するには充分な臨時収入は手に入るかもしれんが、継続的なスポンサリングは望めないんじゃないか」
「ついでに、私の開発した耐衝撃有機ゲル膜展開システムは、もう少し機能をつけ加えて洗練させれば、この宇宙シャコ対策として実用化できるはずです」
「なるほど低予算でも組めるシステムだからな」
「誰のせいだと思ってるんだこのタヌキ親父」
「あー、なにか聞こえたかな? 急に耳が遠くなったなあ」
「まあいいです。実際のところ、一番お金になる部分はそこじゃないですから」
研究員は、何やら腕の端末を操作してから、眼鏡型のギアをコンソールテーブルの上から取り上げると、ダッシュボードにしまった。
「あれ、何でしまっちゃうんだ。さっき君は、駆動系が壊れていたらって言ったが、壊れていなければマニュアルで離陸できるんだぞ。パイロットの手が届くところに常に置いておくのが、マニュアルモード搭載の宇宙船パイロットに課せられている規則なんだ。知らんのか」
「知っていますよ」
研究員は、上司に向かってにいっと両の口角を持ち上げ、底知れぬ笑顔を向けた。
「正常な判断のできるパイロットならね」
「何を言っているんだ」
「あなたはさっき私に、『気でも違ったのか』とおっしゃいましたね。今、正常な判断ができなくなっているのはあなたの方です。お気づきではありませんでしたか?」
「何!?」
所長はシートベルトを外して、席から立ち上がろうとした。だが、容易に外れるはずのシートベルトは、頑として動かず、彼は椅子に拘束されたままだった。
「これはどういうことなんだ!?」
「あなたは、正常な判断ができない。いくら一時的にデブリが薄くなったからって、なぜ、こんなデブリ帯のど真ん中で、気を緩めたんです? そもそもなぜ、デブリ帯の奥へ奥へと、宇宙船の進路をとったんですか?」
「それは……あの青白い星を目印に、航行図に沿って規定航行ルートに平行して走らせようと」
「平行なんてとんでもない。履歴をごらんになりますか?」
研究員が目の前のスクリーンに示した3D映像では、規定ルートからほとんど九十度に近い角度で進路をそれていく、この船自身のこれまでの航行ルートが写し出されていた。
「宇宙シャコに出会った地点がここ。ここに引き寄せられるように、この船は航行してきたんです」
「引き寄せられるように……」
所長は身震いした。
「宇宙シャコが、主に旧型の宇宙船を狙って捕食しているらしいことはわかりました。でも、なぜ旧型なのか? 襲われた船の中には、少数ながら、最新鋭の軍艦もありました。古さが問題なのではないはずです」
「君の仮説は……」
「共通点は、マニュアルモードです。宇宙船の擬生体神経システムで統合されているAIと、オートリンクするパイロットの脳内のマイクロチップの組み合わせ。ここに、宇宙型ウイルスか寄生虫のようなものが侵入して、パイロットの判断や行動の傾向に影響を与えている。地球上の既知の生物でも、同様の生態システムが知られているんです。例えば、コオロギやカマドウマに、水中でのみ繁殖行動ができる、ある種の線虫が寄生している。このコオロギやカマドウマは、線虫の繁殖期になると、水中に飛び込むように神経操作される。そうして、線虫は、水中で寄生主の身体から脱出し、繁殖を無事に行うことができる。コオロギやカマドウマは、その大半がマスやイワナに捕食されてしまうそうです」
所長は身震いしたが、おかまいなしに研究員は続けた。
「線虫の場合は、マスやイワナに捕食される前に寄生主から脱出しないと、自分も死んでしまうわけですが、自らの寄生主を他の動物に捕食させ、さらに遠方に運ばせることで、自分の種の生息範囲を広げようとする微生物や、ウイルスの例も報告されています」
「……まるで、ホラー映画のような話だな」
「前々世紀から当たり前に議論されている生態学的トピックスですよ。ご自分の専門外だからって知ろうとしなかったでしょう。だから所長は二流なんです。解ってるんですか、ご自身の身に起こっていることなんですよ。宇宙船の外殻部に露出しているセンサ類を入り口に、所長のマイクロチップにまで、この宙域に特有の何か――おそらくウイルスは影響力を及ぼしている。このウイルスは、寄生主を操って宇宙シャコに食べ物を運んでやって、その見返りに、自分を遠くに運ばせるんです」
研究員は、きらきらした好奇心がいっぱいのまなざしで、みるみる血の気が引いて、真っ青になっていく所長の顔をのぞきこんだ。
「なぜこのルートを選択したのか、今となっては、合理的な判断の根拠は思い出せないんじゃないですか?」
ふるえる顎を、所長はかすかに縦に振った。
「所長ご自身と、所長の神経系にオートリンクしているこの宇宙船のシステム全体は、おそらくこの未知のウイルスか微生物の貴重な感染者です。こんなおいしい研究材料、引く手あまたに決まってますよ。巨万の研究費が引き出せるはずです。なにせ、本人が気がつかないままに、その行動傾向を左右できるシステムの素材なんですから。いろんな業界から引き合いがあるにきまってます。軍、マーケティング、宗教、ある種の精神疾患の治療。ああ、実用化の方法は無限大ですよ。楽しみだなあ」
「君は、最初からそのつもりで……」
「もちろん。私の専門は、宇宙生物神経学なんです。履歴書にも書いていますよ。所長が採用選考をしたのに、ちっとも覚えていらっしゃらなかったんですね。安心してください。この種のウイルスは、宿主を簡単に殺したりはしません。世に二つとない研究サンプルですから、私は所長を、魔王の塔からすくい出した高貴なお姫様並みに下にも置かぬ扱いで、大事にいたします。未払いの給料の事なんか、もう、ちっとも気にしなくていいんですよ。こんなに素敵な研究材料と研究の機会を私にくれたんですから」
研究員の無邪気な笑顔に、所長は、自らのこの先の運命を悟った。
<了>