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宇宙開拓記 ~人類は逞しい  作者: 杠煬
第一章 宇宙からの石
9/60

ワイン

葡萄の木が芽吹き始める春。

気温はまだ少し低く、そのためにかえって爽やかな風が吹く中、7歳になる娘と手を繋ぎ義父のアパートを訪ねた。

もう片方の手には、新作の赤ワインのボトル。


義父は、徒歩で5分程度の距離に住んでいる。

元々は堅物で真面目な性格だったのだが、火星開拓隊に参加してから人生観が変わり随分と享楽的になった、とは本人の弁。

周りから見れば、まだまだ生真面目な性格だと思う。


ただ以前は、自分の余生を世の中のために使いきりたいという考えだったのだが、火星から帰ってきてから、真面目さはそのままで、自分の楽しみを追求するようになった。


全力前進、そんな言葉が似あう人だ。


優秀なSEで、仕事一筋だった義父が、火星で命の危機に陥ったらしく、その事が、「楽しむためだけに余生を浪費するのもまた良し」との覚悟に変わったそうだ。


実際、火星で生まれて初めてハッキングをしたと笑っていた。

「いやあ、あの時は本当に死ぬかと思った。あの二日酔いにはな。」


???


ともかく、帰ってきてからの義父は、以前よりも酒を嗜むようになり、味に詳しくなった。

妻もそうだが、ワインに関して素人且つ酒好きの意見は有難い。

ついつい玄人好みの味を作ろうとする自分の、心のバランス調整をしてくれるからだ。


義父の住むアパートに着いた。

チャイムを鳴らすとドアが開いた。

「じーじ!」

娘が飛びつく。

義父も嬉しそうだ。


「こんにちは。新しいワイン持ってきました。味をみてもらいたくて。」

「有難う。早速いただくか。」


一人暮らしの義父のアパートは、1DKのこじんまりとした部屋。

勝手知ったる何とやらで、キッチンでワイングラスを二つ用意する。

「冷蔵庫開けますね。」

「どうぞ。チーズもサラミもあるよ。ジュースもあるから。」

チーズとサラミを皿に盛りつけ、娘には葡萄のジュースをマグカップになみなみと入れる。


部屋へ行くと、娘が義父に火星の話をせがんでいた。

「で、じいじ、火せい人はいたの?」

「タコみたいなやつか?それはいなかったな。もしいたら、火星の開発なんてできないさ。火星人達に権利があるからね。」

「そっかあ、ざんねん。」

「いずれ他の星からお客さんが来るといいね。」

「うん!」


小さなテーブルに皿とカップ、そしてワイングラスを置く。

「いただきまーす。」

義父は、ジュースをごくごくと飲む娘を幸せそうに見ている。

「お義父さんもどうぞ。今回は赤のフルボディです。」

グラスにワインを注ぐ。

「いや、有難う。うむ、いい香りだね。しかし、不思議だね。葡萄で作るのになぜナッツの香りがするのだろう?」

「そういうのがまた、面白いんですよ。」


本当に面白いと思う。

酒というものは、下戸には全く理解のできない代物だろう。

だが、好きな人間にとってはまさに、酒こそは天来の賜物。

一生を掛けて研鑽していくだけの価値あるものだ。


そして私の理想のワインは、いまだ完成していない。


かなり美味いものは作れていると思う。

妻や義父など、元々ワインを余り嗜まなかった人にも受け入れられるものは作れてきている。

だが、まだだ。


私の理想とするワイン、それは、皆が等しく飲んだ瞬間に「美味い」と思えるものだ。


他の酒の世界は不勉強だが、少なくともワインの世界はどこまでも広く、深い。

それ故に、初心者と玄人で好みが分かれてしまいがちだ。


かつて、妻に秘蔵のワインを飲んでもらった時の感想が、今でも耳に残っている。

「よく分からないけど、これが美味しいと感じられるようになったら、ワインが好きと胸を張って言えるのかな?」


そんなのじゃない。

それじゃダメだ。

玄人が上から目線で御託を並べて、はたしてそれが本物だろうか?


美味いものは美味い、そう心から言えなければ本物とは言えない。

青臭い理想論だとは分かっているが、その信念こそがワイン醸造家としての私の矜持だ。


だが...


「うん、美味いね、トロリとして濃い味だ。これは一口ずつゆっくり味わいたいな。」

義父はチーズを口に放り込み、ゆっくりと噛む。

そしてもう一口。

娘がそれをじっと見つめている。

「じいじ、それおいしいの?」

「勿論だよ。君のパパが作ったワインは世界一だ。じいじは火星でも飲んだのだよ。」


義父が火星で飲んだワイン。

それは、ワインの初心者が楽しめるように、アルコールは強めながら葡萄ジュースのような風味と、ほんのりとした自然な甘みを残したもの。

妻が初めて「美味しい」と言ってくれたものだ。


「今日のは、どっちかというと、やや玄人好みかもしれません。」

「いや、私のような素人でもこれは美味いと思うよ。うん、サラミとも合うね。こってりした味と合わさると、口の中で香りとうま味がふくらむね。」

義父は気に入ってくれたようだ。


「有難うございます。ただ最近、若干の迷いも出てきまして。」

「どうしたんだい?」

「分かれ道が多すぎるんです。結局何が正解なのか。」

「ああ、そういうことか。」


ワインの個性は千差万別。

味はもとより、色も香りもその種類は様々。

例えば、香りの種類だけでも3桁を下らないのだ。


勿論、私の育てる葡萄の出来や酵母の種類によって、ある程度の制約はある。

だが、それでも、どこを目指せば皆が美味いと感じるワインに辿り着くのか。

進むべき方向に、迷いを感じていた。


「ふむ。」

義父はゆっくりとグラスのワインを飲み干し、おもむろに立ち上がった。

「今度はひとつ、私がご馳走しよう。」

そう言うと、キッチン収納の奥から小さな機械を取り出してきた。


元素変換装置だ。


義父は火星から帰ってきた際、報奨金の大部分を辞退する代わりに、この装置を要求したのだという。

以前、この装置で作った酒、というよりエチルアルコールだが、を飲ませてもらったことがある。

アルコールがピリピリと舌を刺し、正直なところ、あまり美味いものではなかった。

他に酒の無い、火星という極限状況だからこその味なのだろう。


そんな私の感情が顔に出ていたのか、義父は笑いながら装置を作動させる。

「少し改良をしてね。味をみてほしいんだ。」


間もなく小さなグラスに2杯、無色透明な液体が出来上がった。


「ストレートの方が、味が分かりやすいだろう。まあ飲んでごらん。」

そう言うと、グラスを片方よこす。

断るわけにもいかず、覚悟を決め、口に含む。


...おや?


少し、いや、かなり驚いた。

口当たりがずいぶんと柔らかになっているのだ。

無味無臭のはずなのに、まるで味わっているかの様にふんわりと優しく喉を通ってゆく。

いつの間にかグラスは空になっていた。


「お義父さん、これは一体?」

「どうだい、かなり美味くなっただろう?」

「ええ、驚きました。何をどう改良したんです?」

「君は酒のプロだから分かるだろう?寝かせ、だよ。」


確かに、酒は寝かせることで口当たりがよくなる。

だがそれを、今作ったばかりの酒でどうやって?


「まあ、酒を寝かせることの効果は色々あるのだろうが、私がやったのはアルコールと水の会合だよ。」

「会合?」

「つまり、アルコール分子の周りを、水分子が緩い結合で囲むようにしたのさ。これによってアルコールの刺激が抑えられ、まろやかな口当たりになる。」

なるほど、そういうことか。


「すごいですね。元素変換装置はそんなこともできるのですか?」

「いいや。これは私がプログラムに手を加えたものだ。以前言っただろう?火星でハッキングに手を染めてしまったと。それ以来、こうやって味の追求に余念が無いのだよ。」

堅物の義父が、子供の様な顔で笑っていた。


「あまり酒を飲まなかった私にとって、人生で最初に美味いと思ったのは、火星で飲んだ酒とも呼べぬシロモノだった。だが、人間とは欲深いものだ。この酒をもっと美味くしたいという欲求が湧いてきてね。」

「それで、報奨金でなく装置を。」

「そうだ。まだいろいろと試したいこともあるし、これが私の余生の楽しみなのだよ。今度はソーダ割で、もう一杯どうだ?」

「ぜひ、いただきます。」

ソーダ割も素晴らしかった。


「まあ、プロの君に今更言うことでは無いだろうがね。」

ソーダ割を一口飲んで、義父はぽつりと言う。

「君より長く生きてきた者としてアドバイスするとだ、迷ったときは常に原点を意識するといい。だから私は、最初に美味いと思ったこの酒を、スタートに選んだ。」

私の原点...

初めて美味いと思ったスタートの味...


「そしてゴールは必ず、スタートと繋がっている。どれだけ紆余曲折を経てもね。」


................


「今日は有難うございました。」

「こちらこそ美味いワインを有難う。次も期待しているよ。」

「はい。また感想を聞かせてください。」

娘と手を繋ぎ、家路につく。


選択肢は多いままだが、迷いは晴れた気がする。

元々、大それた目標なのだ。

袋小路に入り込んだら、もう一度、最初に美味いと思ったワインの味に戻ればいい。

そこから改良を重ねていくのだ。


爽やかな風が、心の中にも吹いていた。

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