ドクターユイ 再び(後篇)
「所長もコーヒーのおかわり飲みます?」
「頼むぞい。」
自分の分と合わせて大きめのマグカップを二つ、その上にフィルターをセットする。
挽いたコーヒー豆を入れる。
熱湯は使わない。
薬缶の蓋を外して手をかざし、熱さを感じないぐらいの温度が良い。
挽いた粉にお湯を少し注いで蒸らす。
香りが立ったところで、お湯を注ぐ。
「できましたよ。」
「すまんのう。」
香りを楽しみ、一口すする。
彼女も私も、コーヒーはブラック派だ。
その香りは、脳を活性化させる、気がする。
「さて所長、さっきの続きを聞かせてください。」
「まずは状況を整理するとじゃ、火星には大きな石があった。そこへ、えーと、誰じゃったか?」
「レンさんとジルさんですね。」
「そうそう、その二人がポリマー柱を差し込むための穴を開けた、と。」
「で、地面が固くて、通常のボーリングができなかったと。実際あの石は、かなり固いですもんね。」
コーヒーをすすりながら、頭の中で状況をイメージする。
「仮に土壌サンプルが回収できたとしても、それが石であるとは気付かなかった可能性はあるのう。あの石を実際に見た者はまだ少ない上に、環境次第で色が変わるのじゃから。」
それは確かに。
その場に彼女がいれば、地面が固いという時点でピンときたかもしれないが。
「で、太陽電池で得られたエネルギーを使って、地下へ物質変換波を送り、地質変化と流動化を確認。これはテストじゃから、わずかに変化させただけで、エネルギーを切った時点で二つの反応は止まったことが確認されておる。ここのところじゃな。」
そう言いつつ、彼女はデータを指し示す。
そこには確かに、わずかな変化が現れ、すぐ元に戻っていた。
「ここで奇妙なことが起こる。」
彼女は、大きなノートに丸っこい字で、二つの疑問点を書き出す。
(1)稼働実験で必要以上に消費されたエネルギーはどこへ行ったのか?
(2)仮に火星に元々あった石が吸収したのだとしたら、今回の様な大規模な溶岩を生み出せるのか?
「(1)については、火星の石が吸収したということで間違いないじゃろうな。」
テーブルに並べた膨大なデータを俯瞰しながら、彼女は言う。
私も真似をしてデータを眺めてみる。
「確かにそうですね。装置の故障、エネルギー漏れなどを示すデータは無い様ですし。」
「そこで(2)が問題となってくるのじゃ。」
「そうですね。ちょっと計算してみましょうか。」
私は、データの印刷された紙の余白に、計算式を書き込む。
「ああ、やっぱりだ。吸収されたエネルギーだけでは、せいぜい100Lぐらいの溶岩しか生み出せませんよ。」
「やはりのう。当の二人も、物質変換波を溶岩に当てて水に変えようとしたらしいが、文字通り焼け石に水だった様じゃ。」
「足りませんよね...」
「うーむ...」
..........
それから私達は、いくつかの観点から解明を試みたが、全て徒労に終わった。
アイシングクラッカーは五袋が空になり、すでに夕食の時間を過ぎていた。
「夕食どうします?」
「さすがにお腹は空いてないわい。じゃが、しょっぱいものが欲しいのう。」
少し濃いめに淹れたコーヒーと、近所の工場で直売している塩味のおかきを用意する。
「何とか今日中に目途だけでもつけたいのう。」
ボリボリとおかきを噛み砕きながら、彼女はぼやく。
私もおかきをつまむ。
コーヒーに合うかどうかは微妙だが、ここのおかきは、歯ごたえがパリッとして後を引くのだ。
「そうですね。火星でも返事を待っているでしょうから。」
「うむ。明後日には新曲のレコーディングもあるし、明日中には返事をしたいのう。」
「おや、新曲ですか。久しぶりですね。」
「うむ。なんと今回は、わしの作詞じゃぞ。恋する乙女心を切なく歌いあげるバラードじゃ。曲名を、パラサウロロフスの憂鬱、という。」
物凄いドヤ顔で、えっへんと胸をそらす。
「パラサウロロフスの憂鬱、ですか...」
恐らく私は、なんともいえぬ奇妙な顔をしていたのだろう。
「ん?知らんのか?パラサウロロフスというのはじゃな、白亜紀後期に北アメリカ大陸に生息していた恐竜の一種で...」
「いや、知ってますよ。鼻から頭の後ろまで、こうカーブした角というか、烏帽子みたいなのがあるやつですよね?そうじゃなくて、恋する乙女心を切なく歌うバラードの題が、何故パラサウロロフスになるのか想像が付きかねたもので...」
...気になる。
もの凄く気になる。
発売されたら買うことにしよう。
「まあ、あの角みたいなやつは、昔は酸素ボンベだとか言われてましたね。」
「そうそう、じゃから水に潜るパラサウロロフスは恋心を隠しており、それはつまり忍ぶ恋ということじゃ。」
...手ごわいぞ、これは。
「でも実際のところそれ程空気が貯められるわけではなく、あそこに息が通ることで共鳴が起こり、大きな声を出すための器官だったと言われてますね。」
「そうそう、じゃから本当は、恋人に思いのたけを大声で叫びたいという、切ない思いを...」
本当に手ごわいぞ、これは。
ふと見ると、彼女がフリーズしている。
「所長、どうされました?食べ過ぎて、お腹壊しましたか?」
「...カワムラ君、今、何と言った?」
「え?お腹壊しましたか、と。」
「その前じゃ!」
「ええと、大声を出すと...」
「その前じゃ!」
「息が通るので共鳴が起きる...って、え?」
「それじゃっ!!」
私にも、何かがカチリとはまったような気がした。
「まさか、物質変換波が共鳴を起こしたと...」
見ると彼女は、ノートを開き、すさまじい勢いで計算式を書き込んでいる。
私も慌てて、データをひっくり返す。
「厳密には、共鳴とは言わんかもしれん。じゃが、ニュアンスは同じじゃ。物質変換波をもう一度石に当てるのじゃ。」
「確かに、我々は今まで物質変換波で元素変換させることしかしてませんでした。再度石に当てるなんてことは...」
「そもそも貴重な石じゃからのう。もう一つ石を用意するという発想自体が無かったわい。」
..........
それから二人して、ひたすらシミュレーションと計算、検算を繰り返した。
塩味のおかきも三袋目に突入した頃、おおまかな構図が仕上がった。
あらましを述べる。
ポリマー柱を打ち込む。
↓
太陽電池で発電したエネルギーを用いて物質変換波を発生させる。
ポリマー柱が触れているため、変換波の大部分は火星の石に照射されることになる。
↓
地底ではわずかな変換が起こるのみ。
火星の石によって増幅された変換波が、四方に照射され、大規模な溶岩となって周りを囲んでしまう。
↓
レン氏とジル氏が、変換波を溶岩に直接当てたが、相対的に微弱であったため、それほど効果が無かった。
↓
二人が焚火をするために、周りの大気を空気に変換。その際、変換波を地面に向けて照射したため、変換波が火星の石で増幅される。
↓
二人を囲む溶岩が、火星の石によって増幅された変換波で空気に変換される。
↓
溶岩のあった場所が窪地に変わる。
「こんなところですかね。」
「そうじゃのう。計算値もほぼ合っておる。まあ、間違いないじゃろう。」
..........
東の空が白んできた。
あれから私達はデータをまとめ、今回の発見について報告書を作成してメールで送り、いずれ学術論文として申請したい旨を合わせて申し込んだ。
彼女は今、寝室で仮眠をとっている。
私もリビングのソファで仮眠をとらせてもらったが、年寄りというのはあまり寝ないで済むように出来ている。
というか、興奮してあまり眠れないのだ。
なので、おにぎりとみそ汁を作っている。
彼女の部屋のドアが開く音がした。
朝食をとったら、早速実験を始める予定だ。
アホ毛をそのままに、寝ぼけまなこの彼女が部屋へ入ってきた。
「ぅおはよーさん。」
「おはようございます。」
みそ汁をよそって出す。
ふうふうと息を吹きかけ、幸せそうにすする。
その様子からは、普段の
「若さと美貌にあふれるセクシーな美女がいるのだった♪」
「勝手に人のナレーションに入ってこないでください。」
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