食堂は休業日
噛んだ瞬間、じゅわっと微かな音がした。
鰻の脂がワサビの辛みと溶け合い、シェフ特製の塩が旨味を引き出す。
香ばしく焼けたその身は臭みも無く、咀嚼するにつれてほろほろと崩れていく。
飲み込んだ後、少し余韻を味わい、そして大ジョッキをあおる。
グビッ、グビッ、グビッ、グビッ、グビッ、グビッ、グビッ.........
「....................っくぅぅっ!!!!!っはぁっ!はぁっ!はぁっ!!.......ぅぅぅっ!」
「.......いつ見ても色っぽいことで。」
「ほっといてくれる?」
昼下がりの食堂。
カウンターの隅で、仲の良い二人のいつものやり取りだ。
「まあ何にせよ、元気になって良かったよ。」
「心配かけたわね。でももう大丈夫よ。こうしてビールも飲めるようになったし。あ、大ジョッキおかわり下さい。」
二人で鰻の白焼きをつつきながら、ビールをあおる。
「いやぁしかし、月で鰻が食べられるようになるとは思わなかったな。」
「そうね。吐き気をこらえて仕事した甲斐があったわ。熱ちち......」
客は、円香とプッカの二人だけ。
だから食堂は静かだ。
今日はごく稀にある、この店の休業日なのだ。
.......
.....
...
量産に目途のついたルルイエの檻。
同時に稼働を始めたフィッシュタンクホエールによって、既に鰻の養殖も成果を見せている。
今日は二人だけでささやかに円香の快気祝いをやろうと、その養殖鰻を料理してもらいに来ているのだ。
鰻を料理するのはどの料理人も久しぶりということで、復習と練習も兼ねて今日の飲食は無料となっている。
いつものシェフ以外にも、数名のシェフが真剣な表情で鰻を捌き、自らの記憶を呼び起こしていた。
「すいません、大ジョッキおかわり。」
「おいおい。まだ病み上がりみたいなもんなんだから、ほどほどにな。」
「大丈夫よ。今まで飲めなかった分を取り戻さないとね。」
二人の前から、白焼きが無くなった。
空になった皿と引き換えに、今度は醤油色の照りを纏った皿が置かれる。
「次は蒲焼きをどうぞ。あちらのシェフが焼きました。」
その声に、厨房の少し奥で煙にむせていたシェフが顔を上げ、自信ありげににっこりと笑う。
「本職には敵わないまでも、そこそこの味にはなったと自負しておりますよ。是非ご賞味下さい。」
「わぁ嬉しい。まだまだ食べるわよぅ。」
「俺も食うぞ。」
山椒を振りかけ、かぶりつく。
「うーん、これこれ!この味よ!!」
「懐かしい.....地球にいた頃を思い出すなあ。たまの日のご馳走だったんだ。」
二人の打つ舌鼓に、厨房のシェフ達も笑顔になる。
鰻が食堂のメニューに載る日も、そう遠い事では無さそうだ。
.............................................
「で、理由はまだ分からないのか?」
「檻の?そうね、今のところはね。」
あれから二人は、白焼き、蒲焼き、う巻き、うざく、そして蒸した蒲焼き、といった感じに鰻を堪能し、ビールをしこたま飲んだ。
酔いが回ったところで〆となり、プッカは鰻重、円香は濃い目にタレを付けた蒲焼きをのせた出汁茶漬けを食べながら、科学者としての顔に戻る。
「俺達が生理的に拒否反応を起こすあれが、鰻の幼生にとっては心地良いゆりかごになるなんてなぁ。」
「鰻だけじゃないわ。幾つか他の種類のお魚でも、同じ様な効果が確認されつつあるの。」
「魚類以外には?」
「それはこれからね。これから世界中の生物学者が、強制ダイエットをすることになるわ。」
「あれな、本当にキツイよな。」
円香がプッカの鰻重をのぞき込み、食べたそうにしている。
プッカがお重を差し出すと、円香も自分の丼を差し出し、二人は仲良く交換して食べ始める。
そろそろ二人は満腹になりそうだ。
「ユイがね.....」
お新香をポリポリと噛みながら、円香が冗談とも本気ともつかない顔で言う。
「うん?ユイ博士がどうかしたのか?」
「ユイがね、大胆不敵な仮説を唱えていたわ.....」




