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宇宙開拓記 ~人類は逞しい  作者: 杠煬
第一章 宇宙からの石
3/60

塩と肉

程良くサシの入った牛肉に、塩と胡椒を振る。

牛脂が溶けた熱いフライパンへ乗せ、表面を一気に焼き固める。

蓋をして、火を弱め、あとは音を便りに完成させる。

タケシの耳がタイミングを捉えた。

「ステーキレア、上がったよ。」

熱い皿をホールスタッフに託し、自身は次の肉の準備にかかる。


タケシは、この食堂に勤める料理人だ。

月の開発が始まった比較的早い段階で、移り住んだ。

月は、人類にとって新天地であり、新たな希望である。

だが、ただ料理が好きなだけのタケシにとって、そんなことはどうでも良かった。

給料が良かっただけだ。

娯楽の少ない月では、使い道の無い金がずいぶん貯まった。

漠然とした飽きを感じ、そろそろ地球へ帰ろうかと思いつつ、何となく踏ん切りがつかないでいた。

皆が彼の料理を、実に旨そうに平らげるからだった。


新天地、月で働く者達は、そのほとんどが希望と野心にあふれている。

自身が歴史の転換点にいるという想いがそうさせるのだろう。

しかしながら、いくら開拓者精神を奮い起たせても、慢性的な孤独と危険は人の心を荒ませる。

その対策として、月基地設営の当初から、食事に関しては比較的優先度の高い対応がなされてきた。

まず量の確保。そして質の向上、つまり種類を増やし、さらには酒と菓子まで。但し、月での生産効率と、地球から持ち込める物資の量には限界があるため、調達の難しいものも多かった。

例えば、肉。

月での畜産は効率が悪すぎた。

穀類をそのまま人が食べるのと、家畜に与えて肉にするのでは明らかに前者が好ましい。

地球から運ぶこともできたが、どうしても高価なものになってしまう。

このため、月ではもっぱら、大豆タンパクを使った擬似肉が食べられていた。


変化があったのは、数年前だ。

月で発見された特殊な岩石に、元素を変換する効果があることが分かり、空気と水の完全リサイクルシステムが整った。

これだけでも、地球から運ばれる物資の内容が変わり、肉の搬入量も増えた。

最近では、月でも畜産が試験的に始まっている。

月の食料事情は大きく変わった。


豚モツとトマトの煮込み具合を確認した後、次の肉を焼き始める。

肉を焼きながらタケシは考える。

最近は肉を料理することが多い。

肉体、精神を酷使すると肉が食べたくなるのか、単にこれまで貴重品だった肉が安価になったためなのか、肉料理の注文が増えた。

「そのうち、刺身も安く食える様になるといいな。」

肉好きの父親と違い、どちらかというと魚好きなタケシは、思わずそう呟いていた。

他事を考えながらも、タケシの耳は焼き上がりを間違えない。

ミディアムレアのステーキを皿に乗せた。

そういや、地球の親父とお袋は元気だろうか?


タケシの料理の腕は、両親に鍛えられたものだ。

母親は、毎日の献立で味付けのバランスを教えてくれたし、ステーキが何より大好物の父親は、休日毎にバーベキューを教えてくれた。

いつしかタケシは料理人として身を立てることを選び、両親も大層喜んでくれた。

その後、タケシが料理人として独立すると、子育ての肩の荷が降りたとばかりに、両親はそれぞれの趣味に没頭する生活を始めた。

父親はテントを担いでの気ままな一人旅、母親は友人達とゴルフ三昧を。

両親は、お互いに過度な干渉をしないが故に、かえって仲が良いのだと思う。

タケシともたまに手紙をやり取りするぐらいで、親離れ、子離れは旨くいっていると思っている。

だが、たまには顔を見せて、親孝行した方が良いのだろうか。ふと思うのだった。


翌早朝、タケシは勤務先である食堂の鍵を開けた。

タケシの勤める食堂では、交代で早番がある。

まずは、月でとれた野菜、地球から届いた食材を品目と数量のチェックをする。

その後は、食材の下拵えだ。

大量の玉葱を刻んでゆく。その後、根菜を洗って細切り、乱切り、角切りにし、野菜スープを作る。大釜で米を炊く。

やがて、同僚達も出勤してくる。

パン屋から焼きたてが届く。

大量のコーヒーを淹れ、サラダを盛り付ける。

「お待たせしました。」

店を開けると、どっと流れ込んでくるお客で、朝の戦場が始まった。


朝食、昼食の喧騒が一段落し、タケシは休憩に入る。

今朝は早番だったので、夕食の仕込みを少し手伝ったら上がりだ。

と、そこへ同僚が、タケシに客が来たと告げてきた。

誰だろう?

お得意の誰かだろうか、そう思いながら店に出ると意外な人だった。

「久しぶりだな、元気だったか?」

そこには父親がいた。


「いつこっちへ?連絡しておいてくれたら休みを取ったのに。」

仕事が終わり、タケシは父親と自宅へ帰ってきた。

自宅とはいっても、寝るか食べるかだけのワンルームだが。

「いやまあ、何となく面倒でな。」

「親父らしいな。」

笑いながら、冷蔵庫を開ける。

「何か食べたいものあるかい?酒は?」

「そうだな、折角だから月の料理がいいな。大豆肉ってやつ?酒もたのむ。」

「はいよ。」

食卓代わりの小さなちゃぶ台の前にどっかりあぐらをかいて、父親は言った。

「重力が6分の1って聞いていたが、あまりふわふわしていないな。」

「住居スペースには、人工的に重力を作ってるからな。農場や工場ではやってないけど。」

「なるほど、些細なストレスは最大限排除されるように出来ているってわけか。」

「皆無ってわけじゃないけどね。ビールでいいかい?」

缶を渡し、大豆肉を砂糖と醤油で手早く照り焼きにする。マヨネーズを自分用の小皿にたっぷり盛る。父親には七味を。マヨネーズが嫌いなのだ。

「乾杯。」

短く言うとビールを流し込んだ。

そして、大豆肉の照り焼きをつまむ。

「うん、旨いなこれ。」


「お袋は元気にしてる?」

「ああ、母さんのストレスは日焼け対策だけだ。ここんとこ、スコアは絶好調らしい。この間、三度目のホールインワンを出したぞ。」

「すごいな、それは。」

ホールインワンなど、そうそう狙って出来ることではない。

タケシは、子供の頃母親に連れられて何度かコースを回ったことを思い出した。

「まあ、仲良くやってるなら、息子としては安心だよ。こっちはまだ所帯を持つ相手もいないけどね。」

「人生は長い、慌てることはない。縁のある人と出会えれば、思った以上に早く決まるさ。不思議だが、人生の出来事ってのは決められている。」

「親父が運命論者だとは知らなかったよ。」

しばらくは二人して、大豆肉に舌鼓を打った。


「火星開拓隊に参加するつもりだ。」

3缶目のビールを開けた時、父親は言った。

しばらくは、言葉が出なかった。

「本気なのか?」

「ああ。母さんも了承済みだ。」

「そうか。」

月の開発が軌道に乗り始めたため、月を前線基地として、火星開拓が始まるという話は聞いたことがある。

どこか他人事ではあった話が、否応なく現実味をおびてきた。

「1からの開拓だから、かなり危険な筈だけど?」

「そうだな。だが、人はいつか死ぬんだ。なら、生きてるうちにやりたいことはやっておかないと。火星で集団キャンプするだけのことさ。」

「親父らしいな。」

決意は固い様だった。そして理解した。父親は別れを告げにきたのだと。

「気を付けてな。」

「ああ、母さんを頼む。時々は話をしてやってくれ。」

「分かった。」

自由気ままな両親は、それでいて心の底でしっかり繋がっている。母親も納得の上で背中を押したのだろう。

「そんな顔するなよ。今生の別れじゃないんだぞ。」

父親の目は、まるで子供が遊びに行く時の様な、わくわくした輝きをしていた。


タケシは立ち上がった。

「俺からの餞別だ、ステーキを焼くよ。」

「それは嬉しいな、お前のステーキは、しばらくご無沙汰だからな。」

「男子三日会わざれば、刮目して相対すべし。俺の腕も多少は上がってるからさ。」

冷蔵庫から、とっておきの牛肉を取り出す。そして、小さな瓶に入った塩の封を開けた。

「月で育てた牛の肉だ。理屈はよく分からないが、重力が小さいせいか、とても柔らかい。そして、この塩も特別だ。」

サラサラした塩の入った瓶を見せる。

「特別?」

「ああ。まだ少量しか出回ってないが、例の元素変換で作られた塩さ。純度100パーセントで雑味が無い。そして粒が分子レベルに小さいから口当たりがふわりと優しい。」

「聞くだけで旨そうだな。」

父親は無邪気に喜んでいる。

フライパンに月牛の牛脂を入れ、熱する。

肉が室温になったことを確認し、塩を丁寧に、慎重に、振りかけてゆく。

「塩の粒子が小さいから、肉に塩を染み込ませることが出来るんだ。柔らかな肉質と、細かな塩の粒子が喧嘩しないように慎重にな。」

この加減がなかなかうまくいかず、何度も失敗を重ねた。

今日はうまくいったようだ。

フライパンに乗せる。

「焼きは大胆に、そして繊細に。ここは今も親父の教えの通りだよ。」

「いい音がするじゃないか。」

親父も立ち上がって後ろから覗いている。

「気になったんだが、胡椒や大蒜は使わないのか?」

「ああ。塩だけで肉の旨さを引き出す。肉の厚み、塩の振り方と量、そして焼き方、全てが揃えば、最高の味になるよ。」

肉が焼き上がった。


父親は、一口食べて目を見開いた。

しばらく黙ったまま二口、三口と、ゆっくり味わう。

やがて、絞り出すように言った。

「旨い。」

「だろう。」

少しホッとする。

「これは月の名物になるな。」

「大げさだな。確かに月の食材だけど。」

「いや、親バカと言われるかもしれないが、お前の腕あってこそだ。シンプル故にかえって難しい。」

「難しいのは確かだな。五回に一度は失敗するから、まだ店で出す度胸は無いし。」

「ふむ、安心した。」

「何が?」

「前を向いて歩き続けていることが分かった。料理は人を語る。お前まだ、この味に満足していないだろ?」

「さすが親父だ。ばれてたか?」

「お前がこのステーキにまだ改良の余地を感じているのが分かった。味の奥に迷いがある。」

そう言うと、タケシの顔を見て微笑んだ。


「じゃあ気を付けてな。」

翌日タケシは休暇を取り、シャトル乗り場まで見送りにきた。

「ああ。長期休暇が出たら月にも来るから、またあのステーキを食わせてくれ。リニューアルを楽しみにしてるぞ。」

「なかなかのプレッシャーだな、でも期待しててくれ。それよりも安全第一でな。本来なら隠居の歳で、お袋を泣かせるなよ。もう若くは無いんだから、むちゃをしないでくれよ。」

「なあに、いくつになっても、人生は今日からがスタートだ。一兵卒として、死なないように、ほどほどに頑張るさ。」

「じゃあ、またな。」

「ああ。ちょいと楽しんで来る。」

そう言うと、親父は軽やかな足取りでゲートをくぐったのだった。

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