Track.4-5「いいから静かに見て下さいよ」
『んあ?』
『あれ、安芸くんちゃう?』
安芸はぶっきらぼうに『――だから見たくなかったんだよ』と告げた。姿は見えないが、地べたに掻いた胡坐の上に頬杖をついて不愛想な表情をしているイメージが思い浮かべられた。
安芸たちが“百合の丘”と呼ぶ、ウォーキングコースから一歩入り込んだその広場で倒れた白い少女。森瀬は逡巡した後でどうにか白い少女を背に負って、よろよろとウォーキングコースへと舞い戻る。
そこに現れたスポーティーな格好に身を包んだ少年――に見える少女こそ、安芸茜だった。
「すみません助けてください」
「っ、は?」
『お前こんな時間にこんな所で何してんだよ』
『……ロードワークだけど』
『ほう、関心するね』
『安芸くんボクシングやってるん?』
『いえ、空手ですけど……』
『空手?すごい!』
『いや、あの……いいから静かに見て下さいよ』
眼前では森瀬が白い少女を背負いながら要領の得ない説明を繰り返している。安芸はどういうわけか森瀬の顔をなるべく見ないようにしながら、説明を遮ると「オレが背負うよ」と言って白い少女を森瀬から剥がすように自らの背に移した。
すっかり夜めいたウォーキングコースを歩く二人の間に会話は無い。ただ一度だけ安芸が何かを告げようとしたか訊ねようとしたのかは解らないが、何かを言い淀んで止めた。
それから再び静かな時間が訪れ、なだらかなウォーキングコースの斜面をゆっくりと二人は下っていく。そして運動公園を抜けて病院の駐車場に辿り着いた時、むくりと白い少女が目を覚まして顔を上げた。
◆
「じゃあオレ、ロードワークに戻るから」
「あ、――ありがとう、ございました」
芽衣が頭を下げると、夷もそれに倣って頭を下げた。顔を上げ、再びウォーキングコースへと足早に戻っていく茜の背中を見送った後で、芽衣が振り返ると夷はじぃっと芽衣の顔を見詰めていた。
芽衣が困惑を胸に抱いたのは、顔は全く同じだと言うのに、その表情があの“百合の丘”で見た満面の笑顔と似ても似つかなかったからだ。あの時の表情を純真無垢な天使とするならば、今の夷の表情はまるで誘惑する悪魔だ。しかしそれでも夷は美しかった。
「行こ?」
そう呟いた夷は、俄かに芽衣の左手を右手で取った。指先を小さく握られ、持ち上げられた左腕が、皮膚の内側に確かな熱を孕む。
しかしその指先は擦り抜け、夷は病院のエントランス目指して駆け出してしまった。
突如の疾走に最大級の顰めっ面を見せた芽衣は、しばらくその遠ざかる背を目で追っていたが、随分と重く感じる足を上げてどうにか追いかけ始めた。
そして芽衣が病院の出入口を抜けてエントランスに辿り着くと、その身体から急速に熱が失われ始め、まるで汗となって流れ出ていくように力が抜ける。
瞼を閉じて微睡に身を委ねるように遠くなる意識の片隅で芽衣は、そう言えば心臓が小さくなったような鈍い痛みを感じていたことを思い出した。
駆け寄ってきた医療スタッフが意識と呼吸、外傷および出血の確認を行い、意識だけが欠落していることを確認出来た頃にはストレッチャーと共に、柔らかな笑みを称える空色の検査着を纏った好青年が駆け込んで来た。
『あいつ、小早川だっけ?』
『そ。コバルトさん』
航の抱いた疑念にすかさず安芸が答える。どうやら意識の混じった状態というのは、感覚どころか想念ですら共有されてしまっている状態だと航は嘆息したが、やはりその感覚も他の四人全員に伝わってしまっている。
コバルトこと小早川春徒はストレッチャーに載せられた少女の体に手を翳し、頭頂から首、胸部まで滑らせると、「異状なし」と告げ、さらに両腕、腹部、下腹部、両脚も診た後で、遅れて到着した主治医に対して「特段異常は見つかりませんでしたよ」と述べた。
医院では臨床検査技師として勤務する春徒だが、彼は体内に存在するコバルト元素を霊銀で増幅させて操る、鉱術士に近しい異術士だ。
手を翳したのは、指先に収束させて創り上げたコバルト60からガンマ線を照射し、放射線による簡易的な検査を行ったためだ。
その後医療用の機材を用いた本格的な検査も行われたが、春徒の見通し通り脳や手術を行った心臓などに異常は見られなかった。
その後、看護師たちが彼女の汗に濡れて僅かに泥の付着した入院着を着替えさせる序でに彼女の汗でどろどろになった体を固く絞った濡れタオルで拭き上げた。
さすがに航と初はその場面に目を慌てて瞑ろうとしたが、意識体には瞼が無いため、芽衣の裸をまじまじと見せつけられてしまい、バツの悪さに二人とも何も言えずに押し黙ってしまった。無論、視界を閉ざせないことは解り切っていたため茜や葛乃、リリィの三人もそんな航と初を責めたり弄ったりすることは無かった。
泥のように眠りこけていた芽衣は翌日の早朝に目を覚ます。時計を見上げて現在時刻が6時だと知った芽衣は、さも当然のように廊下へと出て行く。お腹を抑えているのは、痛みか、それとも空腹か――彼女の場合は後者だった。
廊下でばったり遭遇した看護師に病室で待つように言われた芽衣は素直に従う。やがてそれとは別の看護師が彼女の病室に訪れ、昨晩の顛末を説明した。
「これ、何ですか?」
しかし芽衣はさっぱりとした身体の中で、一か所だけじっとりと粘ついた感触がある部分に気付いた。
左前腕だ。入院着の長袖を捲ってみると、肘から手首にかけて包帯が巻かれている。
そしてその問いに対して、看護師は口ごもるばかりで答えは得られない。
看護師が去った後で芽衣は左前腕部を覆う包帯に指を滑らせて感触を確かめる。
左手首には包帯の下にさらにガーゼらしき感触があった。少しだけ指に力を込めると鋭い痛みを感じ、芽衣は思わず「おお」と感嘆の声を上げる。
『安芸、森瀬の腕の傷って、もしかして異術使うようになる前からあるのか?』
航は茜に問い、そして茜は感情無く淡々と『そうだよ』とだけ答えた。
だから黙って見てろっての、という声なき思念は意識を共有する他の四人にも響いていた。
その後、芽衣はしばらくベッドの上でぼぅっと過ごしていた。看護師は朝食を運び込み、ベッドの上に渡されたサイドテーブルでそれを咀嚼していた芽衣がいきなり涙を零し始めたのを見てあたふたと狼狽える。
すると唐突に、意識を共有する傍観者5人の視界がちかちかと明滅を繰り返し、訪れた暗闇の中で俄かにその光景がまるでフラッシュバックのように広がった。
薄暗い部屋の中でただ一つ明るいパソコンのディスプレイを見ながら、睡眠導入剤を購入するためにマウスをクリックする姿。
暗転。
バスタブに水を張り、溜まるまでの間に届いた睡眠導入剤をじゃらじゃらと掌に零し出しては口に放り、ペットボトルの水で胃に流し込む。
暗転。
机から取り出したカッターナイフを握ってチキチキと刃を出す。僅かにギザギザと錆び付いている刃先をぼんやりとした目で見詰めながらバスルームへとよたよたと壁に手を着きながら歩いていく。
暗転。
バスタブから滝のように零れる水の傍でタイル張りの床に崩れるように座り込み、そして錆びてギザギザになったカッターナイフの刃先を、まだ瘡蓋の剥げない赤い線がいくつも走る左手首に当て、三回深呼吸をし、鬼のような形相で切り裂いた。
暗転。
バスタブが赤く染まっている。その縁に凭れるように身体を預ける芽衣は、虚ろな目をしている。
ドボドボと蛇口から新しく流れ落ちる水流は、落ちた傍から浸した左手首から溢れる赤に染められてしまう。
呼吸が段々と弱くなる。弱くなるが、荒くなる。
少女の目に涙が溢れ、その目が強く見開かれた。
這いずるようにバスルームから抜け出た芽衣は、荒く浅い呼吸を繰り返しながら酸欠状態の身体でベッドへと向かう。
引き摺るように動いたため、バスルームからは濡れた筋が続き、僅かにそこに血が混じっていた。
そしてベッドに放り出されたスマートフォンに真っ赤な左手を伸ばして掴み上げる。白いシーツに赤い花がいくつも咲いた。
ホームボタンを押そうとして、身体から力が抜けてベッドから滑り落ちるようにフローリングに墜落する。
もはや過呼吸のように短く鋭い呼吸は、しかし全くと言っていいほど酸素を取り込めていない。
酩酊する視界は歪み、左手で持ち上げたスマートフォンのホームボタンを探せない。それでもどうにか、伸ばした両手で力強く握りしめるように押し込むと、点いたロック画面の左下に小さく記された“緊急”の文字に触れた。
1を2回、9を1回――コール音が鳴り、直後、男性の声で「消防ですか、救急ですか」と訊ねられる。
しかしそこが意識の限界だった。もはや数秒前から呼吸すら出来ておらず、指一本で持ちこたえていた崖の淵から落下するように、意識は黒い泥の中へと吸い込まれていく。
もしもし、どうしました、と男性は呼びかけ続ける。
しかし芽衣は倒れたまま動かない。ただ、左手首からは紅色が零れ続けていた。
暗転。
違う世界線という形で、二人の過去を描いたスピンオフ
「殺<アイ>されたいコと愛<コロ>してくれコ」
意外と本編と違う描かれ方をしています。
お暇な方は是非ご一読を。
→次話、6/13 20:00公開です。
宜候。
【違う世界線での二人の過去はこちら】
「殺<アイ>されたいコと愛<コロ>してくれコ」(5/31完結)
→https://ncode.syosetu.com/n5492gg/




