Track.3-22「っ――――夷」
その魔術士の家系には時折、痣を持って産まれて来る子供がいた。
子の痣は、年を経るにつれ、その子の霊基配列が育つにつれ色濃く、また形を変えていき、やがてそれは“字”となった。
子が言術を修めると、一時的に“字”は隠れたが、しかしその“字”を体中の何処にでも、今度は好きな時に好きな形で浮かばせられるようになる。
そして言術を極めていくと同時に、その“字”が持つ意味を顕現できるようになる。まるで神言術のように。
その家系では、痣を持って産まれた子のことを“痣附”と言い、そして“字”を操る言術士となったその子は“字憑”と呼ばれる。
そして平民に“姓”が与えられると、その一族は自らを“阿座月”と名乗った。
◆
鹿取心が力無く目を開くと、眼前には愛しい森瀬芽衣の泣き顔があった。ぽろぽろと零れて来る涙の粒は思った以上に温かく、自分の身体がどれだけ熱を失っていたかを思い知らされた。
「――ん、ぱい?」
芽衣は泣きじゃくるばかりで要領を得ない。一体、泥に包まれてから自分はどうなったのか――しかし、やけに異常な見え方をしている視覚から、自らに降りかかった災厄の最たるものを心は察知した。
「私――変異、したんですね」
PSY-CROPSの異界の核は、対象の持つ魔術への適性に応じて対象に及ぼす変異を決定する。
多くの者は“百眼の巨人”か“八つ目の巨人”になるが、魔術の才覚を秘める者あるいは魔術を半ば修める者なら“五つ目の巨人”となり、魔術士として生きる者は“三つ目の巨人”に、魔術の才を持つ魔術士は“単眼の巨人”となった。
だからその変異を見れば、鹿取心という魔術士がどれだけの才能を持ってこの世に生まれたのか、一同は一目で解った。
はっきりと言えば――鹿取心の魔術の素養は、“異常”だったのだ。
「――でも、別に身体が大きくは、なって、ない……?」
むくりと上体を起こした心の視界の高さは、別段前と何も変わらない。
目が顔の中央に一つだけあるわけでは無い。両手で顔に触れると、ちゃんと瞼は二つあるし、特段右目の視界以外に何か変化が起こったわけでは無さそうだ。
「鹿取――お前、右目、変だぞ」
「え?――そうですね、さっきからやけに右目だけ、視界がおかしいんです」
左の瞼を閉じて右目の視界にのみ集中すると、どうやらいくつもの瞳術が複合して発揮されていたことが解った心だったが、同時に、右目に覚えの無い真っ新な霊基配列が生じていることも理解した。
「えっと――え?」
しかし理解は出来ても、俄かには受け止められず、飲み込めもしない。
あたふたとしながら右目に展開されていた瞳術をどうにか引っ込めると、活性化した霊銀により虹色の輝きを放っていた虹彩は眩さを失い、元々のダークブラウンとは異なる、金色で縁取られた緋色が現れた。中央の瞳孔も円形ではなく十字に切り込みが入った歪な形となってしまっている。
そんな心の身体に、涙でぐしゃぐしゃとなった顔のまま芽衣は抱き着いた。抱き締め、その薄い胸に顔を埋めてまるで子供のように泣いていた。
「後で検査受けなきゃですけど、――大好きな先輩にこうやって抱き締めてもらってるので、私、取り合えず不幸じゃないみたいです」
◆
「――きさんっ、四方月さんっ!」
はっとなって目を開く。すると案ずる百戸間の顔がそこにあった。
痛む身体でどうにか上体を起こすと、もう戦争は終わっているようだ。
高台から降りた麓の巨大な石畳の上で、傷ついた調査団たちが手当をしたり一息ついている姿がちらほらと見える。
百戸間の後ろには俺達チームFLOWと一緒だった調査チームの面々が控えていた。しかし全員が神妙な面持ちなのは、何かがあったのだろうか。
「四方月さん。身体は痛むと思いますが――森瀬さんたちの信号が復帰しています」
「はぁ!?」
慌てて右耳のインカムを起動させる。脳裏に投影された画面には、確かに先程まで消失していた森瀬や安芸、鹿取の位置を知らせる信号が青色に灯っていた。
この信号は色と光り方で状態を把握することも出来る。赤なら瀕死、黄なら重体、緑なら軽傷、そして青は問題なしだ。
点滅もしていないところを見ると、霊銀の状態も安定しているから安全なのだろう。兎に角、はやく合流しなければ――俺は立ち上がると、間瀬の調査チーム四人に訊ねた。
「みんな満身創痍なところ悪いが、着いて来てくれるか?」
四人は間を置かず、快く引き受けてくれる。
そして俺達五人は、百戸間の方術で信号の座標まで転移する。恥ずかしいが、先の大巨人との戦闘で俺は結構ヤバい状態だ。信号で表すなら、色が黄色で激しく明滅を繰り返している、ってところだ。
だから、森瀬たちのいる絶壁の屋上であの言術士と対峙した時には絶句した。
しかし、安芸が「大丈夫っす」と逸る俺を諫めてくれた。どうやら、何もかもが終わっているようだ。俺は腰の力が抜けて濡れた岩床に尻餅を着いた。
術士が気絶したことで、猛威を振るっていた土砂降りの雨も止み、黒々と天蓋を覆っていた積乱雲もぽっかりと開いた穴が拡がるように晴れていった。
終わったんだ。少なくとも俺はそう感じたし、森瀬だけは泣いていたけど、他の皆も俺と似た心持ちだったろう。
――そいつが、現れるまでは。
リン――鈴のついた毬が、てんてんと跳ねている。
それは俺達五人と、森瀬たち四人の間の空間から突如現れ、横切るようにして転がる。
転がった先を、全員が目で追った。泣いていた森瀬でさえ、嗚咽を忘れて見入っている。
もう弾まずに転がる毬の鈴の音がやけに耳に障る――涼しげだけれど、言葉に出来ない不安なのか恐怖なのかよくわからない感情が心臓を抑えつけているようで気持ちが悪い。
その鈴の音は、その少女が毬を拾い上げたことでぴたりと止まった。少女の手に毬はもう無い。虚空に溶け込むように消えてしまったから。
拾い上げるために屈めた上体を起こした白い少女は、そしてにこりと天使のような微笑みを湛えた。でもその表情は、見れば見るほどに悪魔めいた残虐さを帯びている。
同じ顔貌だ。
飯田橋の異界で見た透き通ったあの顔と。
焼肉屋で安芸が写真で見せてくれたあの顔と。
同じ顔貌のはずなのに、何故こんなにも――俺は、怖いと感じている?
そして。
その薄く淡い唇が、ゆっくりと開いて稚い声を零した。
「久しぶり――芽衣ちゃん」
「っ――――夷」
晴れ渡った空の下を、一陣の風が吹き抜けてそのどこまでも白い髪を揺らした。
「殺<アイ>されたいコと愛<コロ>してくれコ」を読んだ方は、
芽衣と夷の関係がきっとよくわかります。
え、お読みで無い?大丈夫、第四部でやります。
※世界線違うので、そのままの繋がりはありません。
→次話、6/9 0:00公開です。
宜候。
「殺<アイ>されたいコと愛<コロ>してくれコ」(5/31完結)
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