Track.3-4「“朽ちぬ蒼の番兵”」
PSY-CROPS幹部“雷光のアルゲス”は咄嗟に1メートルほどの距離を跳躍して後退した。
眼前に現れた男の出現は音も気配も、また霊銀の揺らぎさえも在りはしなかった。
その神出鬼没さに警戒したのだ。
しかし闇を見通す目は男の格好を見て、さらに不可思議を脳に送信する。
その長身痩躯の青年は、淡い空色の検査着を身に纏っていた。術具らしきものは見当たらず、しかし異様な霊銀の流れがその体内に見て取れる。
「お前ぇ、誰だぁ?」
「この病院の検査技師ですけれど……寧ろその質問は、僕のものでは?」
淀みない息遣い、まるで隙だらけだと言うのに、攻め込める気がしない立ち姿。
アルゲスは半面型の眼帯に刻まれた"眼"の意匠を指でなぞり、ぺろりと舌なめずる。
「いいなぁ、お前ぇ。楽しいぃ、ことにぃ、なりそうだぁ」
「だから、貴方が誰か、と僕は問うてるのですが?」
そんなことは知らない、とでも言う代わりに、アルゲスは露出した右目に構築された特殊な霊基配列に意識を通すと、妖しい輝きを迸らせて高圧の雷条を照射した。
それは先ほど葛乃の左肩を貫いたように、瞬きすら遥かに置き去りにして春徒へと一直線に向かう。
しかしその呼吸と霊銀の揺らぎを読み取っていた春徒は、即座に半歩後退し、身体を捻ってその雷条を躱す。
アルゲスは人には成し得ない筈のその所業を見て、さらに破顔した。
「お前ぇ、お前ぇ、いいぃ、いいぃぃぃいいいいい!」
まるで盛った獣のような荒い呼吸で昂ぶるアルゲスを、やれやれと言うような顔つきで睨めつける春徒。
「お話はしてもらえそうに無いね――」
検査着のポケットから油彩絵の具のチューブを取り出した春徒は、徐にその細まった口に自身の口を付け、チューブをぎゅっと握り締めるとコバルトブルーの絵の具を嚥下した。
ごくりと喉が鳴ったその直後。
不可思議な挙動を見せていた春徒の体内の霊銀の流れは、一層激しく揺らいだかと思えばその体表めがけて躍り出る。
体の表面に蒼い輝きを纏った青年検査技師は、そして自身の異術の名を口にする。
「――じゃあ、やろうか。“朽ちぬ蒼の番兵”」
◆
「嘘やろ、何で通じひんの!?」
術具を介した光学通信魔術が妨害されていることに気付いた葛乃は、次いで病室の壁に張り付けられた金属板を調べた。
転移門も同様に、何らかの魔術の遠隔操作によって座標接続を遮断されてしまっている。
これでは救援を望むどころか、交戦の報せを送ることすら出来ない。
しかし奏汰のことだ、すぐに気付いて対処してくれるはずだと葛乃は独り言ち、ベッドの上で震える撥矢の身体を優しく抱き締めた。
「大丈夫。大丈夫や、必ず、君を守る」
廊下では先ほどの襲撃者が何者かと交戦している様子が伺えた。
少年を引き連れてこの場から脱出するのは得策ではないように思えたが、敵の数が一人とは限らないし、廊下に現れた救援も、勝つとは限らない。
通信が回復するのであれば、より自身が勝負に出られる環境へ移動した方が守りやすいと考えた葛乃は、優しく抱いていた身体を放して蒼褪めた少年に向き合う。
「夜車くん。うちと一緒に、ここから逃げよう。出来るな?」
少年は首を横に振る。しかし再度、肩を掴む手に力を入れ説得する葛乃の熱量に、撥矢は力なく頷いた。
その肯定を受け取った葛乃は窓を開き周囲を見渡した。
地面までの距離はおよそ15メートル。大気を揺らして上昇気流を生みだせば難なく着地できる。
「――嘘やろ」
しかしそう簡単に思惑通りには進まない。
眼下に広がる駐車場の中心に、気味の悪いマスクで右目以外を覆いつくした黒づくめの人影が、葛乃を妖しく睨み上げていた。
◆
蒼い番兵の突撃を、アルゲスは自身を光そのものに変換し離脱する【|我が身は光陰の矢の如し《ライトスピード》】の魔術を行使して回避した。
正直、その風貌でそのような速度に到達するのかと息を飲んだ。
青年の行使した異術は、系統に分類するなら鉱術と器術を混合させたようなものだった。
その体内に含有するコバルトを増幅させ、体表に展開し堅固な鎧と化す――アルゲスに立ち向かうその姿は、直立した蒼い狼を想起させる意匠の甲冑に身を包んだ、文字通り“番兵”だ。
獲物はその手に持っておらず、しかし籠手から伸びる五指はそれぞれが太く鋭い鉤爪の様相をしており、振り払われたなら人体など簡単にずたずたに切り裂けるだろうことは想像に難くない。
思いがけない敵の抗戦にアルゲスの昂ぶりは収まる気配を見せない。
何よりもその重厚な身体が、あのような速度で突進してくるなど実に面白いと、アルゲスは光の速度で床や壁や天井を蹴って跋扈しながら、死角から幾つもの光弾を撃ち放った。
しかしその光弾は、堅固な要塞のような蒼い鎧に弾かれて消滅する。
霊視にてその鎧がコバルトと霊銀の合金であることを視認したアルゲスは、涎を垂らしながらさらに跳躍の頻度を高めた。
遠隔射撃が無駄撃ちなら至近距離からの雷撃を、と肉薄したアルゲスに、春徒は鉤爪で薙ぎ払う。
病院の壁に五つの並行する亀裂が走り、コンクリートの破片が粉塵とともに舞い上がった。
その時すでに春徒の背後へと回っていたアルゲスは、その背中に両腕を突き出して光術を展開した。
「“轟雷竜の咬牙”!」
激しく稲光が散り、暗い廊下を瞬間の眩さが照らす。
雷鳴とともに春徒の背中が爆ぜ、激しい衝撃がその身体を前方へと押し遣った――が、春徒は三歩程前のめりにたたらを踏んだだけで、振り返るその様子にまるでダメージは感じ取れない。
狼面からはその蒼い眼の妖しい輝きが迸っている。
転じて恐怖を感じたアルゲスは、後方に跳び退いた。
「何故ぇ、何故効かないぃ!?」
「悪いね、防御力には自信があるんだ――それと、攻撃力も」
告げて春徒がその鋭い五指を突き出すと、アルゲスの力の源である右目から一筋の血が溢れ流れた。
急速に熱が失われていく身体の中で、ただ只管に右目だけが熱を孕んでいる。
沸騰した硝子体が膜を破ってドロドロと漏れ、想像を絶する痛みと熱にアルゲスは叫びを上げながら悶絶してのたうち回った。
「大丈夫。こう見えても僕は医療従事者だからね。ちゃんと、右目だけにしておいたよ」
優しい笑みはしかし狼面に隠れて見えはしない。その慈愛に満ちた声ですら、甲冑の中でくぐもって、まるで悪魔の囁きにしか聞こえなかった。
異術士・小早川春徒の用いる異術【朽ちぬ蒼の番兵】とは、人体にとって必須元素であるコバルト元素を霊銀によって増幅させ、体表に鎧として纏うというものだ。霊銀との合金として存在するコバルトは、強度と靭性に優れ、摩耗に強いというコバルトの特性すら増徴し、それは身を守る甲冑としては比類しないほどの堅牢さを誇り、そしてその重さと鋭さを活かした鉤爪の一撃は鋼鉄の塊をも容易く切り裂くほどだ。
しかし勿論それだけに留まらない。
コバルト元素を操る春徒は、同位体であるコバルト60を作り出すことが出来る。そしてコバルト60はガンマ線を照射し、それで以て遠隔的に攻撃することが出来た。
放射線による治療は医療の分野ですでに広く普及しているが、その中に“ガンマ・ナイフ”と呼ばれる技術がある。ガンマ線を複数の起点から照射し、それらを交わらせることでその点のみを遠隔で切除・破壊するというものだ。
そしてガンマ線は電磁波だ。春徒は光速で移動を繰り返すアルゲスに対し、その右目だけに複数起点からガンマ線の照射を繰り返して破壊すると、その眼球内を電磁波が齎す熱によって溶解させたのだ。
電磁波の速度は、基本的には光と等速だ。その防御を上回る攻撃力を持てなかったアルゲスは、速度でも上回ることが出来ていなかった。
「さぁて――銀ちゃんは大丈夫かな」
術の展開を解除し検査着に戻った春徒は、自らの愛称と同じ名を持つ元素を含有する油彩絵の具のチューブを再びポケットから取り出しては、その蒼い中身を一気に吸い上げ、堪能するように喉に流し込んだ。
次回、“音と音”の対決。
新キャラ葛乃さんはどうなる!?
宜候。




