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げんとげん  作者: 長月十伍
Ⅰ;幻痛 と 幻獣
22/300

Track.1-22「助けて欲しいではある」

 跳ね起きる意識は腹部の激痛によって拒絶シャットアウトされた。

 へそ辺りから脳天に衝き抜けた鋭利の奔流を、背中を仰け反らせて歯を噛むことでどうにか耐える。

 あらわになった腹部を両手で抑え、その感触を確かめてはじめてあたしは、その素っ頓狂なため息を吐いた。


 ――ああ、おなかが、ある。


 確かにあの瞬間。

 あたしの腹部は巨大な螺旋回転に貫かれ、爆裂して血肉の飛沫を撒き散らした筈だった。

 だけど見渡してもそこには臓物の欠片も、血の一滴すらも認められない。

 どてっぱらに風穴の空く"幻痛"と。

 そして、あたしの代わりに腹部を失った"幻獣"の亡骸が、ただただ在っただけだった。



  ◆ 



 未だ残響する腹部の痛みの乱流に顔を歪めながら、芽衣は仰向けの身体を反転させ、地面を手で押して上体を起こした。

 それを佇んだまま眺めていた航はふと、あの白い異人がどこにもいないことに気付く。

 理解が追いつかない頭で、ただ混乱ばかりが喧騒する胸の内で、航は何もできずにそこにいた。


 動かない幻獣の亡骸を目を細めて見つめていた芽衣は、苦しげに短い息を繰り返しながら、少しだけ離れた場所で棒立ちになっている航をゆっくりと見上げた。


 はっと我に帰った航は、芽衣と目が合う前に自らの胸の内で喧騒する混乱と畏怖とを羽交い締めにして押さえ込み、どうにか安堵の表情を作り上げた。

 この感情を知られてはならないと。それは、どうあれ自分(芽衣)を犠牲にして自分()を救ってくれた彼女に対し、礼を欠く行為だと。


 目が合い、視線が交差する。互いが、互いに感情を受信する。

 ぎこちないながらも安堵の笑みを見せる航の顔を見て、その無事な五体を確認して――少女は、ぽろぽろと大粒の涙をこぼす。


わりぃ、森瀬。また助けられた――って、え?」


 端整で可憐な顔をくしゃりと歪ませた少女は、嗚咽をしゃくり上げたかと思うと崩れるように地面に突っ伏し、違う混乱を航にもたらして盛大に泣き喚き出してしまった。


(泣きたいのはこっちの方だって……)


 鬱蒼とした質感の髪の毛越しに後頭部をがしがしと掻いて溜息を吐く航に、少女のその慟哭の意味は測り知れない。

 少女は航が胸の内に潜ませた、白い異人への畏怖とそれを操った――ように思える――森瀬芽衣という異術士に対する不審感を感じ取ったのではない。

 では何が彼女をそこまで慟哭せしめるのか――


 彼女が“もうひとつ”と呼んでいた異術。

 芽衣はそれを過去に、ただの一度だけ、行使できたことがある。


 それは多くの魔術・異術とは異なり、“発動に条件が必要”であり、かつ“条件が満たされると自動的に行使される”というものである。――余談だが、こういった魔術・異術を、“条件発動型トラップタイプ”の術と学会スコラでは定義づけている。


 知識を得て術を組み上げる魔術士と違い、霊銀ミスリル汚染によって偶発的に術を得てしまった異術士は、おおまかにはその性質・効力が解るものの、その詳細については検証を重ねるか、魔術による解析をしなければ解明できない。


 一度しか行使の機会を得られなかった芽衣が知っている“もうひとつ”の概要とは、“対象が自身を殺害した”という条件が揃った際に、“同じ殺害方法で対象を殺害し、代わりに自身は殺害されなかったかのように蘇生する”というものだ。


 魔女を××することを現在の宿願とする芽衣にとって、この異術は考えうる限り最強で最凶だと思えた。

 相手が自分を殺しうる限り、自分は相手を殺せるのだ。そして、相手が自分を殺したくなる、殺せなくても殺せるほどの力を上乗せする【自決廻廊シークレットスーサイド】も併せ持っている。


 しかし懸念の方がはるかに巨大で、厄介だった。

 先ず――こうした条件発動型トラップタイプの術によくある、行使に制限がかかるかどうか。例えばそれは、“1日に1回限り”や“一度行使すると3時間以上の間隔インターバルを置かなければならない”といった使用回数制限や、“ただし殺害方法は刺殺に限る”などの限定条件、そして“行使後12時間が経過するまで右腕が麻痺し使い物にならない”などの状態悪化作用デメリットなどだ。

 そして――その発動条件が“殺害される”ことだ。


 殺害されなければ発動しない術が、もしも発動しなかったら――。

 何らかの限定条件があるのかもしれない。

 すでに今日は行使していたから、使用回数制限に引っかかっていたのかもしれない。

 それを検証したところで、発動しなかったら死ぬだけなのだ、この異術は。


 芽衣は、それならばそれまでだとそう自分に言い続けて、昨晩池袋の街を散策していたように、彼女がこの異術に目覚めてからのおよそ半年間、検証の機会を伺い続けていた。


 46回――それは、芽衣が“もうひとつ”の検証を見送った、もしくは状況的に諦めざるを得なかった回数だ。

 その全てに於いて、芽衣は「ほっとした」自分を知らずのうちに殺し、偽りの焦燥を纏っていた。


 死ぬのは怖い。誰だってそうだ。

 一度“殺害”されている彼女は、それを誰よりも知っている。


 そして異界のこの地で、二度目の“殺害”を経験した少女は、それまで自分がそう思っていたこと、しかしそれを殺してそうじゃない自分を演じていたことを、思い知らされた。


 死への恐怖と、それから目を反らし続けていた自分への恥辱。

 それが、彼女の慟哭の正体だった。


 それを知らないまま、何をどうしていいか判らない表情のまま、航は何となく少女に歩み寄り、地面に膝をついては泣き喚いたままのその頭に手を置いた。

 埃を被っているが艶やかな黒髪のさらさらとした感触を掌に感じ、軽く撫でてやると、少女は跳び出すように航の胸に頭を激突させ、その勢いに地面に背をつけた航を押し倒すような形で覆いかぶさった。


 そのまま、胸に顔をうずめさらに盛大に泣き喚く少女の頭をやはり撫でながら、どうしたもんかと心の中で一息つく。


『――っ、ヨモさんっ!』


 その耳に、何だか懐かしく思えてしまう同僚、望七海の声がやや不鮮明に聞こえた。

 慌てて――その体勢と状況のままで――無線式インカムを右耳にぐっと押し付けて、聞こえを良くして航は応答する。


おせぇよよくやった!」

『ヨモさん!お待たせしました、無事ですか?』

「ああ――あ、ああ……いや、無事っちゃ無事だ。ただ、助けて欲しいではある」

『はい?とりあえず無事なんですね』


 望七海は学会スコラ主導で異界との接続がなされ、調査の手が入ったことを説明する。

 どのような経緯で開こうとも、異界の門(ゲート)はそれぞれの世界が持つ自己治癒力で以て閉じられる。

 電車との衝突によってこじ開けられたこの異界の門(ゲート)も例に漏れず、学会スコラの魔術士である間瀬奏汰が人払いを開始した頃にはすでに閉じられていた。

 再びその異界に侵入しようとするならば、そのゲートの座標を特定し、接続・固定する作業が必要になる。

 現在はそれが終わり、間瀬を筆頭として急設された調査団が異界入りした、と望七海は話した。


「なるほど――接続作業が完了したから、うちの通信も繋がるようになったわけね」

『はい。でも今回の功労賞は確実にヨモさんですね。ヨモさんが最高傑作くん(さいこうけっさくん)を起動していたおかげで、座標の特定が予想以上に早く終わったと聞いています』


 こうして助かった今はそんなことはどうでもよかった。

 学会スコラの調査団が異界入りしたとなれば、あと一時間もしないうちにここまでたどり着くだろう。

 ならそれまでの間、この少女には思い切り気の済むまで泣かせてやろう――通信を切った航はそう結論づけて、疲弊と混乱とでぐちゃぐちゃに撹拌された思考を、遠くはるか彼方へと投げ飛ばすことにした。

次か、次の次あたりで第一部完、です。

今日は無理でも明日の朝までには???


→次話、5/9 18:00掲載です。昨晩は寝落ちしたのよ、申し訳ない。


【改稿】

5/11 地の文のキャラクターの呼称を「名前」に統一しました。

5/12 誤字を訂正。自決回廊→自決廻廊


宜候。

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