Track.1-20「――ぁ、――っ」
「“空間固定――妖精の踊り場”!」
飛来する棘を大きく跳び躱しながら航が指を鳴らし唱えると、中空に跳び出した芽衣の眼下に、虹色に輝く足場が形成される。
それは回廊と同じか、それよりも高くなるように、また跳び移れる間隔で作られ、芽衣は修得したてのパルクールの走法を駆使しながら幻獣の放つ棘の矢を躱し続けた。
(足りない――)
躱しながら【自決廻廊】を放つ芽衣。赤い羽虫は棘の矢で散らされたりもしたが、その殆どが目論見通り幻獣の強固な甲冑の身体にぶつかっては浸透していく。
しかし依然航と芽衣の双方向に棘の矢を放つ幻獣の姿に芽衣は心の中で叫ぶ。
(血が足りない――)
芽衣はその焦燥を身体の外に解き放つように、その起動式を叫びあげる。
「蜂鳥っ――実装!――追尾機能開始!!」
崩れた回廊の瓦礫に下敷きになっていた蜂鳥は、ひとつ大きく震え上がると瓦礫を押し退けて宙に浮かび上がり、螺旋状に旋回してやがて不鮮明な足場を跳ね続ける芽衣の右手に収まった。
(――流れ出る血が、全っ然足りない――!)
まるで斬り落とす勢いで、池袋の夜の時よりも盛大に左前腕を掻っ捌く芽衣。飛沫を上げながら舞い散る緋色は、羽虫の軍勢となって幻獣を蹂躙せんと襲い掛かる。
ひとつひとつは無視できても、その量に幾許かの畏怖を抱いた幻獣は跳び退き、再び槍に戻した獲物で赤い羽虫たちを振り払おうとする。
しかし槍に、腕に激突したその瞬間から幻獣の精神を蝕み、あるはずのない憎悪を、あって然るべきの怨嗟を増大・増徴・増幅させ、無貌のはずの白い面がその憎しみに歪み、奇声とも怒声とも取れぬ雄叫びを上げさせる。
(森瀬――やりやがった――)
もはや幻獣の目には芽衣しか映っていない。
この隙を衝いて、戦術を練り上げる意外に勝利への道など無い――だから航は、戦況を睥睨しながら忙しなく脳を稼働させる。
「“二式並列思考”――」
分けた思考で【妖精の踊り場】を維持し組み替えながら、もうひとつの思考で状況と情報を整理する。
しかし赤い羽虫を喰らいすぎた幻獣の動きが、ここに来て変わる。
「おい――嘘だろっ!」
それまで、回廊ほどの高さには跳び上がれなかった幻獣も、芽衣の【自決廻廊】の副作用により身体性能が強化を超えて狂化されたために、六本の足で壁を突き刺しながら駆け回るようになったのだ。
芽衣も中空の足場をうまく選択し縦横無尽の跳躍を見せているが、壁を走るようになった幻獣を前に、高さという利点を潰されてしまった。
急ぎ、【妖精の踊り場】を組み換え、幻獣の動きと芽衣の跳躍とを見比べながら手動での生成に切り替えた航は――そうしたことで、幻獣への小さな違和感に気付いた。
急速に思考は旋回し、凝縮された結論が弾き出される。
「森瀬っ、あと少しだけ頼むっ!」
その声の響きに、航が活路を見出したことを察した芽衣は、心の中でだけ頷いて跳躍する足に力を込め直した。
心なしか、左腕から溢れ出る羽虫の大群も活気づいている気がする。
そして航は、自身の作り出した中空の足場を辿って大聖堂の地面に降り立つと、幻獣が磔にされていた台座を挟むように位置する、いまだ激しく乱奏する二台のパイプオルガンを正視した。
(思えば――こいつが鳴り始めてから、幻獣は動き出した)
鳴り響く鎮魂歌。【霊視】の施された双眸で注視すると、そのパイプは確かに霊銀を循環させていた。
オルガンからパイプを経由して、天井のステンドグラスから降り注ぐ霊銀――それを浴びて吸入した幻獣は、あの六本足を通じて地面へと霊銀を流し――それを、張り巡らされた列車の軌道のような霊脈を形作る地面が、オルガンへと運んでいる。
(この二台のオルガンが、あいつ、いやこの異界の動力――霊銀機関を担っているんだ)
幻獣はおろか、異界の構造を把握した航は、魔術士特有の呼吸でもって自身の体内に小規模の霊脈を築き上げる。
(なら――こいつを、壊せばいい)
【妖精の踊り場】の手動での組み換えを維持しながら台座の上に跳び乗り、激しく震える霊銀と迸る白い光を宿した両腕を高く掲げた航は、最も自身が使い慣れたその術式を解き放つ。
息を吸い――高らかに。
「――“爆震”!!」
二台のパイプオルガンそれぞれに向けられた右手と左手、その両の掌から同時に放たれた光の奔流は、狂騒する鍵盤の中に吸い込まれていった――その途端に、激しい轟音と衝撃波を波濤させて大爆発を起こす。
大気が震え、嵐のような流れとなって大聖堂中を吹き荒ぶと、芽衣は【妖精の踊り場】から足を踏み外し、地面へと落下していく。
それを【座標転移】の連続行使で受け止め抱きかかえ、颯爽と地面に降り立った航の目は、頭を抑え藻掻き苦しむ幻獣の狂乱を見つめていた。
「どういうこと?」
「――説明は、後回しにさせてくれ」
霊銀は変貌の元素だ。
落ち着き安定した挙動を示す時でさえ触れたもの・共鳴したもの・結びついたものを大きく変貌させる力を見せる霊銀が励起され活性化した場合、その力はひどく強大なものとなる。
霊銀で構成される幻獣の肉体は、それによる劣化が異獣や異骸に比べて顕著に大きい。
加えて、自在に獲物を変化・増殖させて攻撃を繰り出すその能力は、実に霊銀の振れ幅が大きかったことだろう。
だから外部機構として、霊銀を循環させる機関を置くことで、あの幻獣はこの聖堂から出られないという制約を持ちながらもあれだけの性能を誇っていたのだ――無論、その制約を二人が知ることは無かった。
霊銀の循環機構を外に置く、ということは、それ自体にはその機能など無く――幻獣は、荒れ狂う霊銀の内部蹂躙に身を捩り激しく悶える。腕を、足を振り上げ、払い回し、壁を、壊れたオルガンを、地面を叩いて・潰して・抉って・砕いて暴れ回る。
その様子を遠く、大聖堂の入口付近で見つめていた二人――航は抱きかかえていた芽衣を地面に下ろす間も幻獣の様子から目を逸らさず、芽衣は幻獣と航とを交互に見遣る。
やがて幻獣は、その身を覆う赤黒い甲冑の淵に手をかけると、狂声を上げながら引き千切り、投げ捨てていく。ガランと盛大で重厚な音ともに地面に転がった鎧の板金めいた赤黒いソレは、まるで灼けているように濁った湯気を上げ、亀裂を生んで割れていく。
体中の甲冑をそうやって剥がしながら、幻獣は徐々に痩せ細った、磔になっていた時の面影を取り戻していく。
そうして台座の周囲に投げ捨てられたいくつもの板金が、それを構成する荒れ果てた霊銀の粒子へと還元されつくすと幻獣は動きを止めた。
ゆっくりと振り返る。
それまで無貌だった面には、中心から放射状に六つの眼球が見開かれて並び、その全てが航と芽衣の二人を睨み付けていた。
「鎧を脱いで防御力ダウンってとこか。さぁ、ここからが――」
――第二ラウンドだ、と。
最後までを航は言うことが出来なかった。
最後までを航が言うまで、幻獣は待ってくれなかったからだ。
落ち着きを取り戻し。
自分を抑えつけていた枷を取り払って。
ここまで自分を追い詰めた凶悪な侵入者二人を蹂躙すべく。
ただ、槍を構え。
ただ、突き出して。
ただ、疾駆した。
しかし音が到達するよりも迅く――航はまだ、幻獣が疾駆する直前までいた台座のあたりを見ている。
10メートル以上離れたところから一瞬よりも短い刹那の間に到達した黒槍の尖鋭さは。
それはパイプオルガンを壊した航を標的として。
目に映らないほどの迅さを持つ、無双の一撃で以て。
「――ぁ、――っ」
色と音とを失った世界で航を肩で押し退けた、芽衣の臍を貫いた。
主人公が死にました。マジかよ。
→次話 5/8 4:00掲載です。マジかよっ!!??
【改稿】
5/11 地の文のキャラクターの呼称を「名前」に統一しました。
5/12 誤字を訂正。自決回廊→自決廻廊
宜候。




