第四十九回 蛸脚
――どうしてこうなったのか。
ブラジルのある街で、彼は読んでいた新聞を閉じながらそう思っていた。
思い返せば、ひどい時代だったと。
彼は自分の青春を振り返る。
香港の片隅でせせこましく育った少年時代。
やがて米中の戦争が起こり、どんどん白人に圧迫されることが増えた。
いや、むしろそれがスタンダードにさえなってしまった。
中国本土は、ほとんどアメリカをはじめとする白人国家に奪われてしまった。
アメリカの半机器人は除染と開拓を進めながら、動物のように生き残った中国人を狩っている。
いくらソ連の支援があっても、そのソ連が先細りになっていった。
世界は、今や資本主義と共産主義の戦いに移行している。
欧州では、ドイツが権勢をふるいながら軍事力を増していた。
「ドイツの化学力は世界最高峰である!」
国の主導者たる総統は、そのように叫んでいる。
あながち、嘘や誇張ではなかった。
ドイツは火星からの技術を得ているアジアなどから、密かに、他国よりも熱心に学んでいた。
そのへんは、実に英断だったとすべきだろうか。
日本人であれば、劣る人種に何を学ぶと反発もある。
しかし、火星人であれば元から比べるのがバカらしい技術格差があった。
総統言うところの勤勉にして優秀なるドイツは、そこから急速に技術の革新を進めていた。
生産力ではアメリカにとても及ばないが、そのへんは快挙だと認められるだろう。
アメリカも、他の国も同じ密かに技術開発には励んでいたが――
やはり、ドイツは公平に見ても抜きんでていたのだった。
中国はもはや戦場ではなく、白人国家の狩場となりつつある。
これを覆すのは容易ではないだろう。
ため息が出る。
彼自身は香港で生まれ育ち――
中国本土の漢人を無条件に同胞と言うには抵抗があった。
だが、それでも同じアジア人であり、人間であることに変わりはない。
そのため、このような状況に忸怩たる思いもあった。
他のアジアは、圧力を受けながらも自主独立に動いているのに。
この差はなんだろうか。
原因と言えば、やはり火星人の排除政策に起因する。
交流のできているアジアでも、無条件に受けいられているわけではない。
日本へ渡航するには、クリアせねばならぬ条件がいくつもある。
それについては、どの国家、人種、民族についても同じことだったが。
古い諺にも、
「郷に入っては郷に従え」
とある。
それができずに、我を通そうとする者は容赦なく排除される。
――できなかった、のか。
ユダヤ人もイスラムも、同じことだった。
自分たちの信仰を、慣習を、考え方を。
日本ナイズとは言わないまでも、国に溶け込めなければ帰化などできない。
表面上を繕っても、無駄だった。
そのような冷酷なふるい落としをクリアした者のみが、受けいられる。
ある意味、それは当然のことかもしれない。
よその家や社会にいって、自分の好きなようにふるまえば良くて疎外され、悪ければ抹殺される。
それは中国だろうと、ブラジルだろうとどこだって同じなのだ。
これができていれば、少なくとも中華の血や文化文明をよそに残すことはできたかもしれない。
――でも、できなかったんだ。
結局、漢人は自分たちこそ世界の中心だと、中華の主義・思想を変えられなかった。
それはどの人種・民族にも大小関係なくあるのかもしれないが。
誰にでも譲れぬものがあるが、それはつまり他人にもそれがあるということだ。
その折り合いがつけられず、結局は侵略的外来種としか認識されていない。
――業というやつかもしれない。
強い自我は、生き抜く力になる。
だが、それに溺れれば他者から憎しみと軽蔑を受けるのだ。
結局、漢民族と言うのは自分自身に溺れ、結果溺死体となってしまった。
今の彼も、自分のルーツを大っぴらにはできないのだ。
東南アジアの出身だと経歴を偽り、今の生活を得ている。
しかし、これで終わりというわけではない。
世界では相変わらず戦争は続いているし、このブラジルもすでに巻き込まれている。
明日など、知れたものではなかった。
ドイツは、総統の指導によって軍拡を続けていた。
フランスやイギリスを始めとする欧州諸国と緊張感を高めながらも、今のところは反共でまとまっている。
だが、このままいけばソ連との泥沼化する可能性もあった。
そうならなかったのは、やはりアメリカの支援が大きい。
中国大陸の攻略にある程度の目途がついてから、早くも開拓が計画・実行され出した。
戦争は莫大な金を使ったが、その分内需も不況や株の暴落危機を乗り越えている。
あちこちで展開する反共の戦争や内紛で、あらゆるものを売りつけた結果だった。
中国に続いて、アフリカで蠢動するソ連との戦い。
これは、多くの植民地を持つ欧州が戦わざる得なかった。
資源・食料を求めるソ連と、奪われまいとする欧州。
戦争は、次の舞台へと移動していっている。
アメリカはドイツに後追いする形で、次世代の兵器を開発していき、それを売る。
さらには自身も大陸で中国人狩りを続ける必要があった。
中国大陸での長い戦争は、経済的な負荷も大きかった。
輸出にプラスして、内需も大きく成長はしたが――
ゾンビ兵を中心とする有色人種の使いつぶしは、市場を疲弊させもしたのである。
いかに貧しい黒人やアジア人であろうと、生きていればものも買うし、商売もする。
有色人種が大幅に減ってしまったイコール人口の低下だ。
こんな有様になっては、アメリカに来たがるアジア人も黒人もほぼいない。
喜ぶ保守層もいるが……。
移民の国であるアメリカにおいて、移民が来なくなるというのは問題でもあった。
話を独ソ戦に戻すと。
ドイツ軍はソ連領に侵攻して、執念深く戦闘を続けていった結果――
じりじりと占領地を増やしていった。
ソ連は、地の利を生かしながら、数の利を使いながらも防戦した。
それでもアメリカの支援を受けて兵站を強化したドイツは強い。
さらに技術格差もプラスして、苦戦を強いられた。
同じサイボーグ兵士でもあっても、その性能や稼働時間は同じではなかった。
惨敗ではないし、まったく無力であるわけでもない。
だが、将来的に見通しが暗いのはどうしようもなかった。
そこにきて、勝ち馬に乗れそうだと分かれば、他の国も黙っていない。
また、良くないことに――
アフリカへちょっかいをかけているのも、敵を増やす結果となっていた。
ジリ貧の状態で、ソ連はついに禁じ手さえも使ってしまった。
自国領土戦における、核兵器の使用。
幸いとは言い難いけれど……。
ソ連はより破壊力を重視したものよりも、より使いやすい小規模な威力の核を研究していた。
これが形となったわけである。
ロシア辺境のドイツ軍に、核砲弾が発射されてしまった。
いかに小規模とはいえ、その威力は凄まじい。
強固なサイボーグ兵士でも、無傷や軽傷とはいかなかった。
どんなタブーも、一度破られれば脆いもので。
戦果に気をよくしたソ連は、小型核砲弾を多用した。
自国民の被害さえも、想定内として。
犠牲にされるほうが、たまったものではなかった。
ドイツの総統も、怒り狂いながら、それでも一時撤退を命じるしかなかった。
自慢のサイボーグも、極寒対応はなされていても、核汚染は対処していなかった。
それでも、生身の人間よりはずっと耐性があったが。
こんな有様で、独ソの戦いは一時中断した。
しかしながらあくまで中断でしかない。
講和も何もまったくなされてはいなかった。
いつまた、戦火が開くかは神のみぞ知る。
その一方で、アメリカは中国で採掘したタイゲリウムを用いた特殊合金――
これを使った画期的な、放射性物質除染システムの雛形を生み出していた。
おかげで、核を散々使った中国大陸の開拓も進んだというわけである。
国が荒廃していく中、ソ連の主導部は統制をさらに強め、国民を圧迫していった。
連日流される放送は、資本主義国家への批判。
日本を統治し、ソ連からの救援要請にもまるで応えない火星人への批判。
「人が人として、人が全て平等なる国家こそが、世界を主導しうる国である!!」
と――
果たして、それは苦しみあえぐ国民にどう聞こえたものか。




