第三十六回 撒餌
その青年は、古くからの友人について考えていた――
彼とはいわゆる、幼馴染という関係である。
思えば、昔からどこか変わった人間だったと思う。
神童と呼ばれ、将来を嘱望された家柄も財産も保障されたエリート。
青年も似たような立場にはあったが、彼ほどの突飛さはなかった。
同じくアメリカに渡ったりして、民族のことを語り合った仲である。
妙なところはあるものの、青年は彼の聡明さに一目置いていた。
そんな彼の動向がおかしくなり出したのは、火星人出現後のことである。
元から愛国的というか、反欧米、反日の人ではあった。
それが、時を重ねるにつれてどんどん過激な方向に突っ走っていき、
「近い将来、中華を一つにして世界の大国に引っ張り上げる!」
酒を飲みかわす時、よくそう言っていた。
さらに――
「日帝、そして米帝をくだし、我が国の領土としてみせる!!」
酔った上での大言壮語。
最初はそう思っていたが、どうやら本気らしいと理解した時は付き合いを考えた。
目標とするのは悪くないかもしれない。
だが、アメリカは強大な経済力と軍事力を持つ大国だ。
さらに、日本に至ってはすでに火星人の統治下である。
アレは全てが規格外の存在だ――そう青年は考えていた。
一度だけ、火星人と話したことがある。
アメリカに行った時だった。
ある公園のベンチで休もうと座ったところ。
先に、あの卵に手足を生やしたような火星人が座っていた。
一瞬錯覚かと思ったが、どうやら本物だとわかる。
この時から、中国人や朝鮮人は日本の土地から追われていた。
なので東亜の火星人への感情はよろしくない。
青年も決して好意的には見ていなかったが……。
しかし、多少の学問を積んだ人間として、その未知なる知的生物に興味はあった。
一体どうやって生まれたのか。どんな思考をするのか。日本を管理する目的は何か。
いや、そもそもの話、
(……どういう生き物なのか――)
「失礼。あなたは、火星のかたですか?」
英語で問いかけてみた。
「そうだよ」
すると、まるでネイティブのような中国語での返事。
てっきり拒絶されるのかと思って、拍子抜けしたのをよく覚えている。
「――あなたがたは、何故日本を統治しているのですか?」
「それに答えることはできない」
「……日本から、漢人などを追い払った理由は?」
「性質的に君たちは日本人と相容れないと判断したからだ。大小に関わらず、君たちには日本への蔑視と優越意識、かつ極めて利己的かつ短絡的な傾向が見られる。君たちの存在は将来において、日本国への悪影響が予想される。中華思想と言ったかな?」
「…………」
ああ、なるほど、と理解はできた。
確かにそのへんは事実なのだろう。
話してわかったことは、彼らにとって日本人は保護対象らしい。
そして、自分たちは有害な外来種というわけだ。
彼らには中華の徳だの序列だのという理屈は通用しない。
日本人を全て中国から連れ帰ったのは、保護するためにすぎなかったわけだ。
中国大陸にも、漢民族にもまるで興味がない。
大体、人間の感情が通じるかどうかさえ、怪しかった。
(なら、下手に関わるのは危険だな……)
青年の理性はそのように判断した。
向こうがこちらを放置しているのは、興味がないのに加えて、
(やろうと思えばどうにでもできるから、か……)
「……これは、これはあくまで仮の話ですが。もしも、日本と中華が戦争になれば?」
「戦争? 君たちは害虫駆除を戦争と呼ぶのかい?」
「……」
そう返された瞬間、青年は全身から冷や汗が噴き出るのを感じた。
「君たちの民族を地球上から全て駆除するのに、12時間も必要としない」
「…………では、逆に融和の道は、ありますか?」
「君たちは長年崇拝してきた中華思想を完全に捨てられるのか?」
「…………」
「といっても、自分たちが特別だという認識は、どの国も民族も持っているようだがね」
要するに、人間という生き物の悪癖というわけらしい。
いや、病とするほうが良いのか。
別に漢民族だけではないということに、安堵すべきか、どうか。
どっちにしろ、向こうは積極的に関わってくる気はないのだ。
聞けば、日本には『触らぬ神に祟りなし』という言葉はあるという。
青年は父や親族にもそのように進言した。
そんな働きが功を奏したものか、青年の家は商売でも大きな失敗はなかったのである。
称賛された青年ではあるが、
(といっても、こっちから関わることは難しいのだがなあ……)
だが、その一方で。
友人は日に日に活動を過激化させ、ついに家を飛び出して共産党に加わってしまった。
その前に、青年は何度か助言はしたものの、効果はない。
友人はあくまでも理想を追うつもりだと語った。
「何としても米帝を追い払い、小日本を懲罰せねばならない」
「ソ連の援助を受けてか?」
青年は伝え聞くソ連の情報から、決して信用できる相手ではないと思っている。
共産党による独裁はひどいものらしい。
「いくら同じ思想か知らないが、所詮あそこだって白人国家だろう」
今や白人国家群は有色人種を動物としか思っていない。
自分たちに管理されるべき存在というわけだ。
日本を統治して火星人にならったもののようだが――
(滑稽もいいところだ……)
白人たちには、火星人のような技術も統治力もない。
先進国だ列強だと偉そうにしたところで、己の国さえ管理しきれているのか。
きらびやかなビルディングが並んでいても、その下には貧者が蠢いているではないか。
教育も、福祉も、何もかも発展途上。
それはアジアなどよりも少しはマシという程度なのだ。
結局、支配と搾取に都合よい言い訳を見つけたに過ぎない。
だからこそ、アメリカでは黒人の反乱が起こったのではないか。
もっとも。
その黒人たちも、アジア人を見下しているようだが。
何ともはや、笑えない状況だ。
そして、友との最後の会話。
「本気で共産革命とやらをするつもりなのか?」
「もちろんだ!」
「やるのなら一番手っ取り早い方法があるぞ。火星人に、全ての人間が全面降伏することだ。火星人の科学力なら、共産主義の理想も可能だろうさ。向こうが受け入れてくれたらだが」
――。表立って公言する人間はいないけれど。
日本に限らず、『転生者――前世の記憶を明確に持った人間』というのはあちこちにいた。
そろそろ青年になりつつある八太郎もその一人だが……。
また別に、一人の転生者がいた。
年齢は、八太郎よりも上である。
彼は目立つことなく、宇宙都市の一つでひっそりと暮らしていた。
「かなり大規模にやっているようですな」
彼は多くの新聞を机に広げ、火星人に言った。
「まさか、こんな提言を取り上げてくれるとはねえ」
「可能であったからね」
新聞には、中国での資源開発について報じられている。
「自分でも本気じゃなかったんですが……」
彼は頭を掻き、苦笑した。
その提言とは。
火星人が出現して接触してきた後、彼はこんなことを言った。
「中国に油田を作れますか? 秘密裏に。できるだけたくさん」
すなわち。
中国に、自然のそれと見分けのつかない油田を大量に作れないか。
そして他の資源も同様に。
「できるよ」
これによって、中国に大量の油田が作られてしまったわけである。
地球人にわからないようにするのは、
「簡単だったよ」
だ、そうである。
おまけに、採掘や精製の効率を上げるため、密かに情報も送っていた。
このおかげで、欧米列強は中国に喰いついて離れなくっている。
「しかし、例のタイゲニウムは大丈夫ですか? チート過ぎませんかね?」
「同じものなら、いくらでも作れるけど。問題はあるのかい」
「ですよねー……」
地球人が神の金属と呼ぶそれも、火星人の製造物に過ぎなかった。
「とにかく、これで日本にちょっかいを出す割合も減るでしょう。犠牲は大きいが、それでも火星人さんと戦争するよりはいい」
「地球上から日本人以外の人間を全て駆除するのに、24時間もいらないけどね」




