第二十回 教育
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四月となり、日本では再編成された学校が一斉に始まった。
新たに通い出した生徒たちは、すっかり様変わりした教室に驚くばかり。
何もかもが新品で、校舎も施設も全くの別物に作り変えられていた。
新造された体育館。
それ以上に注目を集めたのが、プールだった。
こちらも屋内型で、天井は透明な素材で造られており、機械操作で開閉可能。
転生者の知る歴史では、日本の学校にプール設備ができたのは昭和三十年以降。
火星人はそれに先駆けてプールを全国の学校に設置したのだった。
また、教師は人間の教員もいたけれど、多くは人造人間である。
サポートとして教育型ドローンも投入されていた。
授業内容も一新され、より明解で理解しやすい形になっており、勉強嫌いだった子供らは、
「勉強ってこんなにわかりやすいもんだったのか?」
と、困惑さえ起こしていた。
そして、大量の教師が消えたことにも驚いていたが、
「まあ、いっか」
多くの生徒は、新しい校舎への驚きと共に忘れてしまう。
解雇された教師と言っても、その後は色々だった。
まず、指導力や性格上の問題から適正なしと判断された者。
これらは新たに勉強してやり直すか、そのまま転職となっている
生徒に対して令和でいうところの『性的虐待』をしていたことが発覚して、逮捕となった者もけっこういた。
そのへんはメディアを通じて報道されているので、かなりの社会的ダメージを負う。
中には逮捕後に、去勢手術をされた者もいたほどだ。
家族が抗議した例もあったが、聞き入られることはなかった。
もっとも、同時期に警察や官僚、政治家、財界の人間も多く逮捕されている。
あるいは地方農村の権力者が逮捕というのも頻繁にあった。
欧米人は、
「退廃と汚職にまみれた国」
として日本を揶揄していたが、比較すればどこの国も大小同じようなものである。
火星人が加減を間違えて、大量の逮捕者を出してしまったとも言えようか。
特に政治家などは清濁併せ呑む能力というか資質が必要でもあったのだ。
とはいえ、やはりそれらも人間の政治や統治上のことではある。
火星人の技術からすれば多くの役人は不要となってしまったという悲劇。
あるいは喜劇かもしれない。
話を学校に戻す。
基本となる数学や国語以外の科目でも授業は変化していた。
例えば音楽である。
新しい授業では楽器の扱い方や、歌の歌い方を専門的に教えられた。
好きなように歌わせるというやり方ではない。
うまく発声をするための呼吸などを、基礎から教える。
絵を描かせる場合でも、デッサンなどをやはり基礎からきちんと教えるのだ。
時には漫画を描かせるような場合もあり、生徒には好評だった。
しかし、こういう方針には、人間の教師から不満が出てくる。
「もっと子供らしくのびのび描かせたりするべきでは?」
「作品が子供らしくなくなった」
これに対する火星人の回答は、
「単なる遊びならほっといてもやる。学校で教える以上相応のことを教えるほうがいいはず。大体旧来の教え方では下手な子は下手なままだ。それを個性とか子供らしさだとかいうのは、君たちのエゴや思い込みに過ぎない」
これで説得される者もいれば、納得せずついには辞職する者もいた。
辞職した教師は私塾を開いたりして、自分流の教育をやり始めたりする。
しかし、私塾はあまり流行らないようだった。
何しろ現状子供の勉強は学校がキッチリ教えてくれる。
それに学費は全て無料だ。
また多くの学校は深夜まで開いており、夜まで面倒を見てくれるのだった。
希望者にはおやつや夕食まで提供される。
こんな状況下でわざわざ金を払って、得体の知れない私塾に通わせる親は少数派だった。
「自然の人間教育」
などとお題目を唱えてみても、実質的にはあらゆる点で公立学校には及ばない。
冷酷な表現をするなら、教育者を気取る素人の自己満足にしかならなかった。
再び人間の教師が教壇に戻るには、まだ勉強を重ねる必要があったのである。
また、体育関係はどのようになったか。
これは生徒間の評価も分かれることとなった。
小学校から高校、大学まで共通していることは、まず基礎体力を高めるための訓練が中心となっている。
令和で言うところの筋トレや柔軟体操、それに持久走。
そういうものを時間いっぱいまでたっぷりとやるのだ。
基礎的な体操でも、指導の下にじっくりやれば汗だくとなる。
終わった後には、生徒は給水設備に群がるのが普通となっていた。
これが週に三~四回がある。
令和のような、球技などはない。
いわゆるところの『スポーツ』は、倶楽部活動でやるものとなっている。
小学校は四年生から倶楽部活動があり、そこで好きなものを選ぶのだった。
中には、『基礎体力倶楽部』というものがある。
そこでは体育授業の延長みたいな、活動内容を行うのだった。
体幹を鍛えるもの、体を動かす基礎トレーニングなどもある。
こういうことをじっくり行うので、いわゆる運動音痴の生徒も徐々に体の動かし方を学んでいくようになるわけだ。
中学校になると、いわゆる部活動なるものが本格的になっていく。
柔道や剣道もその中に加わってくるわけだ。
ちなみに、剣道は防具の洗浄に火星人技術の乾燥洗浄装置が使われるようになった。
これによって短時間で、かつ新品同様に洗浄され、汚れも臭いも一掃される。
使い古した防具の臭気から解放されて、生徒たちは喜んだ。
しかし、
「そのような軟弱なことでは精神が鍛えられない!」
と、憤慨する古参もちょくちょく出てきた。
それも意見の一つとしてはありかもしれないが、
「不潔な防具を使用していると、皮膚病などのリスクもある」
ということで却下。
そもそも、火星人や人造人間主導の訓練が楽なわけではない。
「穏やかな顔で鬼の指導」
と、稽古をする者たちは言っている。
学校などによって練習内容は変わってくるが、なまじ肉体の状態をフォローできるからまさにギリギリまでやらされるわけだ。
曖昧な根性論ではなく、あくまでも高度に計算された理詰めである。
食事などの管理や指導も徹底されているのだった。
とはいえ、それらはあくまでも教育という目的によるものである。
体育学生といえども、学生の本文である勉学より上にされることはない。
実践的な格闘などは、むしろ軍隊で教え込まれるのだった。
こういった意味では武道イコール礼節というお題目を守っているとも言える。
だが、それらが充実すればするほど、学校以外の町道場などとは差が出てきた。
ここからギャップや疎外感を感じる古参が意外と多いわけである。
変化はもう一つあった。
それは親権停止という概念で、これが日本人には衝撃的だったのである。
社会には、年功序列、親には孝行――というのが美徳としてあった。
しかし、調査によってその資格なしと判断された親は、容赦なく親権が停止されて、子供が引き離されることとなったのである。
それは単に世話をしなくてよくなる、という問題ではない。
接触禁止の命令が出され、破れば警察に捕まる。
令和時代には子供の虐待と言うのが問題になっていたが、昭和にはそれがない、希薄というわけではなかった。
むしろ家庭内の問題として、暗黙の中にあったわけである。
その中には、貧しさなどからどうしてもそうなってしまう場合もあった。
しかし、火星人によってそれらが解消されていっても、問題は残っていたのである。
ある種の業なのかもしれない。
折檻の延長、ないしは暴走で子供が殺されることもあった。
そうなると、やった保護者は死刑となる。
脳内を調べて、事実をほじくり返されるから、嘘も弁護も意味をなさない。
火星人は見せしめとして、これを大きく報道させていた。
かなり極端な例になるが、子供に働かせ、自分は酒を飲んでいるという親も接触禁止。
ごねて役所に怒鳴りこんで、警察に逮捕・実刑となる例が多く出た。
忠孝の美徳からの反論も出る。
「君君たらずといえども臣臣たらざるべからず」
というわけだ。
だが、これに対しては、このように反論される。
「人間性に問題のある者が、自分を天皇陛下と同一視して暴論を振るう悪徳である」
要するに、
「お前は自分が天皇と同格のつもりか? うぬぼれるな」
というような意味合いであった。
これにより。
親子間でも、どちらかに問題ありと思われた場合は、『家族』でも接触禁止に。
まあ、親から子の場合は、元から『勘当』というものがあったわけだが。
親権停止は親の社会立場に関係はなかった。
だから、世間でそれなりの扱いになっている人間が、その行状から親権停止となり、大いに面子を損なう場合もあったわけである。
かといって、停止命令に逆らうことは不可能だったけれど。
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