なぜ雨に降られても濡れないのか?(6)
板屋がチラシの裏に書いてくれた地図によると、五丁目の交差点を左に曲がり、まっすぐ進んで見えてくるコンビニエンスストアをもう一度左に曲がった先にある、枇杷茶色の看板が出ているという。
雪彦はひとまず昼寝をして酔いがさめるのを待ってから、青い車体が印象的な私バスに乗る。
このバス会社は鉄道などと共通のICカードを使えるため便利だ。
普段は行かない方面であるため、バス窓から見える景色は新鮮に映る。
たまにはこういうのもいいかもしれないと思うほど心のゆとりは回復していないが、頭と脳への刺激はあった。
「次は笠形五丁目、笠形五丁目」
「おっと」
車内アナウンスが目的を告げ、雪彦は少し焦った。
到着してから立ってもらってかまわないとバス会社も言っているのだが、気分的な問題である。
降りた先は交差点を通過して数十メートルといったところだろうか。
三階から五階建てのビルを右手に臨みながら戻って信号を渡る。
あとは板屋が書いてくれた地図に従って進んでいくと、中華料理店の隣に琵琶色の看板に白文字で「千ヶ峰堂」と書かれた二階建ての建物が見えてきた。
左側に黒い木製と思われる扉に金色の取っ手がついていて、木のプレートが「営業中」となっている。
右側には大きなくもりガラスがはめ込まれていて中の様子は見えない。
おそらく住居兼店舗というスタイルだろう。
取っ手を回して扉を押すとチリンチリンとベルが軽やかに鳴る。
「ごめんください」
声をかけた雪彦の目に飛び込んできたのは、骨董屋のような店内だった。
年代物と思しき皿や壺、掛け軸、いわくありげな人形や鎧といった品々が統一感なく、それでいて整然と並べられている。
「はい」
返事が聞こえたと思うと、奥から白い半袖のブラウスとえんじ色のスカートといういでたちの若い女性が顔を見せた。
黒い髪の色白の美人にこのような場で遭遇するとは意外にもほどがあるが、喜ぶような心境ではない。
彼女は雪彦をひと目見て、何かに気づいたように表情をくもらせる。
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
声は耳障りのいいソプラノで外見のイメージ通りだった。
「えっと、奇妙な出来事を何回か体験したとある人に漏らしたら、ここに相談してみるといいと言われたのですが。店主の方はいらっしゃいますか?」
おそらく孫娘か、雇われ店員であろう女性におばあさんについてたずねる。
「それが……祖父は体調を崩して入院しているのです」
「えっ」
まさかの展開に雪彦は言葉を失う。
ただの人間、それも高齢者となると仕方ないことだ。
それでもアテが外れた感は否定できない。
(おばあさんがいないとなると、どうすればいいんだ?)
雪彦が困惑して立ちすくむところに、女性が声をかけてくる。
「もしかして、いま憑いているあやかしに関することでしょうか?」
「えっ? あやかし?」
彼はぎょっとして聞き返す。
不思議な現象が起こってきたことを考えれば「何かにとり憑かれている」と言われることまでは予想できた。
だが、いざ言われてみると何故か心がざわつく。
「え、はい。でも不思議ですね」
若い女性はひかえめに彼の肩の上あたりをじっと見つめた。
「あなたへの悪意は感じられないのですが……いえ、もうひとつよくない気配がありますね」
そこまで言うとハッとして口に手を当てる。
「ご、ごめんなさい。つい口に出してしまって」
彼女が頭を下げると肩あたりまで伸ばされた黒い髪がさらりと流れた。
「いいえ。こう言ったら何ですが、僕としては解決してもらえればいいので。あなたはその力がありますか?」
雪彦の試すような問いかけに彼女は小さくうなずく。
「おそらく祖父の評判を聞いていらっしゃったのだと思いますが、祖父が入院中に店を開くことを許してくれる程度の力はありますよ」
大人しくひかえめそうなのに、たしかな自信をうかがわせた。
(となると、よっぽどの実力者ってことなのか?)
外見と少し話しただけの印象で、理解した気になるのは愚かである。
だが、無駄足で帰るよりはいいと思った。
「ではお願いします。……報酬はいくらでしょう?」
肝心な点について確認する。
今の彼ではあまり大金は払えない。
腕がよく評判がいいのならば、高額の報酬を要求されるかもしれないと内心ドキドキしながら聞いた。
若い女性はすぐに答えてくれる。
「そうですね。着手金が三千円で他に経費と成功報酬となります。ご希望に添える結果が出せなかった場合は、経費のみ頂戴することになります」
「そうなのですか」
着手金三千円とは良心的だなと雪彦は感じた。
「それなら僕にも払えるかも。財布から直接で申し訳ないですが」
本来の報酬の受け渡しとしてはあるまじき行為だろうが、若い女性は笑うとカウンターの引き出しから白封筒を取り出す。
彼から受け取った千円札三枚を封筒に入れてすっと手をかざした。
「たしかに頂戴いたしました」
その様子はお茶目で雪彦の頬も自然とゆるんでしまう。
「では具体的なお話をうかがいましょう」
彼女はカウンターの中にあった赤い丸椅子を出して置くと、断りを入れた。
「いまお茶を入れてきますので、椅子に座ってお待ちください」
「あ、ありがとうございます」
雪彦は素直に椅子に腰をおろして待っていると、さほど時を置かずに彼女は長方形のお盆に白い湯飲みを乗せて戻ってくる。
赤茶色のカウンターの上にふたつの湯飲みを置いて彼女はカウンターの黒い背もたれつきの椅子、彼の正面に座った。
「まずは自己紹介からしますね。わたしは千ヶ峰羽束。はつかは羽を束ねると書きます。祖父の仙丈と共にこの店をやっています」
「僕は藤無雪彦といいます」
いくつもの言葉をかわした後での自己紹介は少し奇妙でくすぐったい。
「それでは藤無さん、何があったのかお話をお願いしますね」
羽束と名乗った女性にうながされ、彼は自分が経験したことを語っていく。
何度も雨が降ったこと、事件が発生してその都度疑いがかけられたことを。
「あの、僕に憑いているモノに悪意を感じないとおっしゃっていましたが」
彼にしてみればとても信じられることではない。
評判の専門家が言うならばあるいはそうなのかも、と思うので精いっぱいだ。
半信半疑であることが伝わってしまったのだろう。
彼女は少し不安そうな顔つきでうなずく。
「はい。もしも彼女があなたに敵意を持っているなら、あなたがこうして無事でいる説明ができません。とても強い力を感じます」
雪彦は最初何を言われたのか、理解できなかった。
数秒かけてようやく分かってゾッとする。
「あの女の子が?」
一度だけ見えた小さな女の子の影が、それほど恐ろしい存在だったのかと思うと背筋が凍りそうだった。
彼の口からこぼれた言葉を聞いて、羽束が形のよい眉を怪訝そうに動かす。
「もしかして藤無さんも“視”えるのですか?」
「あ、いえ、一回ちらりと目の前を横切っただけで」
彼が言うと不意に手が柔らかく少し冷たい感触が伝わる。
羽束が身を乗り出して彼の手に触れたのだ。
「そ、その子ですよ。いま、その子が驚いてうれしそうにしています!」
「えっ?」
雪彦はとっさに聞き返したものの、彼女の話は半分も入ってこない。
立派なものを持っていて生地の薄い服を着た女性がそのような行動をすると、男としては視線が釘付けになってしまう
羽束はしばらくして自分がやっていることに気づき、慌てて手を引っ込めて着席する。
「ご、ごめんなさい」
「い、いえ……」
謝られたものの、雪彦としては迷惑をかけられてはいない。
むしろ眼福だったくらいだが、それを口にするのはさすがに憚られる。
「実は少しでも“視”える人ってわたしと祖父以外では初めて出会ったものですから……」
「そ、そうでしたか」
羽束が説明した理由は何となく納得できた。
これまでたった一人の肉親以外しかできなかったことを、できる人間が現れたのであれば驚いたのも無理はない。




