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羽束さんのあやかし綴り  作者: 旭川旭
3/25

なぜ雨に降られても濡れないのか?(3)

 雪彦の中で金を稼ぐため頑張ろうという意欲が溶け、帰りたいという気持ちが大きくなりはじめたころ、終業時間がやってきた。

「ふう、終わった終わった」

「あれぇ、残業したいんじゃないんですかぁ?」

 交代して中に引っ込む最中ミカが間延びした声で彼をからかう。

「今は家に帰れるって気持ちが強いなあ。だから俺ってダメなのかな」

「あー、分かりますよお。あたしも定時あがりはうれしいですもん」

 ミカは後半の自虐を華麗に聞こえなかったふりをして賛成する。

 無視されて悲しいと思わせないところが、彼女の魅力であろうか。

 更衣ロッカーは男女用のふたつあるため、にぶい銀色のドアの前で彼らは別れた。

 人目がないのをいいことに雪彦は乱雑に制服を脱ぎ捨て、素早く私服を着こむ。

 鞄にシャツをつめこみドアを開けると、そこには困った顔をしたミカがいた。

「あ、藤無さーん、あたしの財布が見当たらないんですけど、何か知りませんかぁ?」

「えっ?」

 雪彦はぎょっとなる。

 過去、職場で彼が犯人であるかのような扱いを受けた記憶が鮮明によみがえり、呼吸が乱れた。

 またかという思いがずしりと心にのしかかってくる。

 よくよく思えば、別にミカは彼が犯人だと言ったわけではない。

 せいぜい彼も被害に遭っていないか、何か不審な点に気づかなかったかと聞きたかっただけだろう。

 ところが彼の態度が予想外だったため、彼女に違和感を植え付けることになってしまった。

「あ、いや、何も気づかなかった。こっちは異常がなかったし」

「そうなんですかぁ」

 ミカの声のトーンが若干下がったが、雪彦は気づかず話しかける。

「どうする? オーナーに連絡して、警察を呼んでもらうかい?」

 こういう場合は警察を呼ぶにせよ、オーナーに一言断るのが暗黙のルールとして存在していた。

「そうですねぇ。その方がいいかもしれません」

 ミカはうなずき、赤いスマートフォンを取り出して電話をかける。

「もしもし、オーナーですかぁ?」

 話し方に反して彼女の説明は簡潔に要点だけ伝えた。

「すぐに警察を呼んでくれるそうです。あたしたちはここで待機していてほしいって」

「ああ、そうか、そうだな」

 警察が来るならば当然事情聴取を受けるだろう。

 うかつな行動をとると逃亡や証拠隠滅を図ったと勘繰られると、雪彦は経験済みだ。

 おとなしくロッカー前に用意されたソファーに腰を下ろす。

 気が遠くなるほどの長く感じる時間が過ぎ去り、オーナーと制服警官たちをともなった刑事の二人組がやってきた。

「えーと従業員の藤無雪彦さんと園町ミカさん?」

 四十代から五十代くらいの温和な男性と二十代くらいの青年というコンビが二人に話を聞く。

 知っていることは全て話すと年長の刑事が言う。

「まあ監視カメラを見てからになりますが、今日のところは帰っていただいてもいいですよ」

「えっ? いいんですか、若狭さん」

 若い刑事が言うと、若狭刑事がうなずいた。

「手荷物検査と身体検査は受けてもらうけどな。園町さんの検査は婦人警官がやりますから、ご安心を」

「あ、はい」

 検査という単語を聞いて顔がこわばったミカが、ほんの少し安心したように返事をする。

「ロッカーの中で行いましょうか? おい」

 若狭が声をかけると体格のいい男性警官二人が雪彦を挟み、婦人警官二人がミカを囲う。

 ボディーチェックと手荷物検査の結果、雪彦からは何も発見できなかった。

 当たり前のことだが彼は安堵の気持ちが強い。

 過去の経験ではまるで身に覚えのない状況証拠があったからだ。

「ご協力、感謝いたします」

 警官たちも本気で彼を疑っていたわけではないらしく、何も出てこなくとも落胆した様子はない。

 外に出てみるとミカとばったり遭遇する。

「やっぱり外部犯なんでしょうかぁ?」

「だと思うけどね」

 彼女の言葉に雪彦は平静をよそおって答えた。

 今回の事件が内部犯だと仮定すれば、有力容疑者なのは雪彦、雪彦たちと入れ替わりでシフトに入ったバイトたち、あるいはミカ本人の狂言だろう。

 だが、内部の人間ならば監視カメラの存在を知っているし、自分が有力な容疑者としてピックアップされるタイミングをわざわざ選ぶのか、という問題がある。

 だから警察も外部の犯行を疑っているのだろう。

(普通に考えればな)

 と雪彦が思ったのは過去の経験によるものである。

 彼が容疑者と見なされながら逮捕されなかったのは、有力な証拠が出てこない超常現象的な事件だったからだ。

 警察は超常現象を認めなかったし、そうであるからには彼を逮捕できなかったのである。

(今回はどうなるだろう? ただの物取りならいいんだけど)

 そして無事犯人が逮捕されるのが一番いい。

 そうそう超常的な事件ばかり起こったりはしないと思いたかった。

 ミカと途中まで一緒に帰ろうと雪彦は言ってみたが、「彼氏が迎えに来る」と断られてしまい、一人寂しく帰路につく。

 空をあおげば見慣れた夜空があったものの、どうにも不吉な予感がぬぐえない。

 あのような事件があったせいだと思う。

 警察がすぐに解決してくれると信じたいのに、どうしても信じ切れなかった。

(やけにあっさり解放されたのも気になるな……)

 警察の取り調べというものは、もっとネチネチとした時間がかかるものではなかったか。

 今回は外部犯の線が強いから、彼らは形式的な聴取をされただけという可能性はあるのだが……。

 あれこれ考えていると突然雨が降ってくる。

「うそだろ」

 今日は一日中晴れという予報だったはずだ。

 愕然としているうちに雨足が強まってきたため、雪彦は頭を庇いながら駆け出す。

 バケツいっぱいの水を何度もくり返し叩きつけられているかのような強烈さだ。

 彼は必死に目を開きながらいつものうどん屋の光を見つけて中に飛び込む。

「おや、藤無さん、今日はいつもより遅かったね」

 おかみさんの声を聞き、顔を見ると何となくほっとした。

「どうしたんだい、そんな息を切らして? それだけ腹がすいているのかい?」

 彼女の発言に雪彦は違和感を抱く。

 どうして彼が走ってきたかなど、一目瞭然のはずではないか。

 そう思いながら自分の姿を見た時、彼は愕然とする。

 全身濡れネズミになっていなければおかしいはずなのに、彼の体も服も荷物も濡れていなかったのだ。

(またか)

 これでは強烈なにわか雨に遭遇したと言っても誰も信じてくれないに違いない。

 色々と思うことはあったものの、ひとまず飲み込んで料理の注文をする。

「かけうどんにおにぎりふたつで」

「あいよー」

 彼の日常になじんだやりとりだった。

 これによって彼は自分が「いつもの日々」に帰ってきたような気がして、ほっとする。

 何かあったのだろうという見当くらいはついていそうだが、おかみさんは何も聞いてこない。

 雪彦の方が聞いてほしくなるまで放っておいてくれるのだろう。

 行きつけの店はいいものだなと思いながら、頼んだメニューをかきこむ。

 食後のお茶をゆっくり飲んでいると新しい客がやってくる。

 それは珍しくないが、入ってきたのは若狭だった。

 彼は雪彦に気づいて「おや?」という顔をしたものの、声はかけてこない。

 内心びくびくしている雪彦には近づくそぶりも見せず、おかみさんに注文をしている。

 よく見れば相棒らしい若い刑事の姿がない。

 勤務時間であれば単独行動はしないだろう。

 どうやら偶然、この店に晩飯をとりにきただけのようだ。

 事件の捜査をして大して時間が経過していないのに、と思ったものの考えてみれば警察だって人間である。

 休憩くらいは取るのかもしれない、と雪彦は思いつく。

 常連になっている店に警察が来るというのは雪彦にとって心穏やかではないが、ただの客として来たのであればやむをえない。

 そそくさと勘定をすませて店を後にする。

(参ったなあ)

 生活の一部、心のありかだと思っていた場所が、誰かに土足で踏み込まれて荒らされたような気分だ。

 狭量なことを考えている自覚はあったものの、彼自身にもコントロールできることではない。

 彼は物陰からそっと自分を観察する若い刑事の存在には気づかなかった。

 刑事は視線を彼に固定したまま携帯電話を取り出して連絡を取る。

「ああ、若狭さんですか。今のところ特に不審なそぶりは見られませんね。まあ、若狭さんと会った直後だから、という線は捨てられませんが。だって奴は、何もないところでいきなり駆け出しましたからね。尾行に気づかれたのかと冷や汗をかきましたよ。……ええ、十分気を付けます。何しろ奴の周りでは何回も不可解な事件があったのですからね」

 若い刑事は携帯を切ると、そっと雪彦の尾行をはじめた。

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