真夜中に泣く人形(7)
みやがそっと羽束の方に近寄り、小声で抗議する。
「羽束ちゃん、ちょっとあんまりじゃないかい?」
非難の声が出るのは仕方ないと雪彦も思う。
ただ、同時に羽束がそのような行動に出たのは、それだけの理由があるのだと信じられた。
彼女は抗議に対して申し訳なさそうに頭を下げたものの、芯の強さを感じる声を発する。
「ごめんなさい。ですが、配慮している余裕がなかったもので」
彼女の瞳が放つ意思の光の強さに、みやはたじろぐ。
(たぶん、初めてなんだろうな。千ヶ峰さんのこんな一面を見たのは)
それを見た雪彦は直感する。
一緒に仕事をするようになってそれなりの日が経つが、羽束のこの顔はほとんど見たことがない。
つき合いが長いと言っても家族同然の関係でしかなかった人たちが、知らなかったのは当然だろう。
「そ、そうなんだ」
そう言って黙ってしまったみやの横をすりぬけて、羽束は那智のそばに立つ。
「那智さん。おつらいと思いますが、ご決断を」
「は、羽束ちゃん」
彼女を見る老人の目からは涙がこぼれ落ち、苦悩が皮から生気を奪っていた。
「いくら何でもひどくないか? 親父はどんな気持ちでいると思うんだ」
善司もたまりかねたように言ったが、彼女はぎゅっと手を握り耐える。
心を殺して鬼になろうとしている彼女にせめてと思い、雪彦は彼女を善司から庇うような位置に移動した。
「な、何だよ」
彼は別ににらんだつもりはなかったものの、威圧感を与えてしまったらしく善司は気まずそうに目をそらす。
「優しいこの人が決断を迫るなんて、よっぽどのことだと思いますよ」
彼の発言を聞いた那智は羽束に向けていた目を、孝子の人形へと戻した。
すると人形がかたかたと震えはじめ、苦悶の声が漏れる。
「う、う、なに、これ、胸がさけて、頭が、ばらばらに」
「お前っ! 大丈夫かっ! 羽束ちゃん!」
那智は反射的に叫び、羽束に助けを求めた。
彼女は静かに首を横に振ってから残酷な事実を告げる。
「お別れの時が来たようです。何か、最後にかわす言葉はありませんか?」
「わ、私もいつかそっちに行く。それまで元気でな」
涙をこらえて那智がまず声をかけ、善司が続く。
「何とかやっていくよ。親父とみやと子どもたちで。心配しないでくれよな」
「おばあちゃんが安心してみていられるよう、私も頑張っていきますね」
みやはぎこちない笑みを浮かべて、子どもたちに声をかける。
「おばあちゃん? バイバイ?」
「元気でね?」
事態を飲み込めていない子どもたちは、不思議そうな顔をしながらも思い思いの言葉をつむぐ。
「う、うん」
孝子が弱弱しく反応したところで、羽束は何かを唱えはじめた。
「導きの御光よ、迷える御霊の行く道を照らしたまえ。迷える御霊よ、導きの御光に従い、あるべき場所に去りたまえ。別れを恐れることなかれ。御身を待つのは闇夜の旅、大いなる眠りなり。恐れることなく、導きの御光が照らす道を歩みたまえ」
彼女が右手のひらを人形に向けると青色の淡い光が浮かび上がる。
彼女自身と雪彦、それに人形たちにしか見えないであろうその光によって、孝子の思念は導かれて消えていく。
「ああ……ありがとう……羽束ちゃん」
最後に残ったのは、彼女の幸せそうな言葉だった。
しばらく時間が経過し、那智がぽつりとつぶやく。
「これでよかったのか?」
「よかったんじゃないか。おふくろ、幸せそうだっただろう」
善司の言葉に那智が首を振ると、彼はさらに言う。
「じゃあそれでいいじゃないか」
単純明快だったが、それだけに老人の心に届いたらしい。
「そうか、そうだな」
まだ力は戻っていないが、よくないものがすっかり抜け落ちたような表情になっている。
息子の手を借りて立ち上がった那智は、ゆっくりと羽束の方に向いて礼を言う。
「ありがとう、羽束ちゃん。あいつと会えて、苦しむ前に別れられたのは羽束ちゃんのおかげだ」
「いえ、こちらこそ。やむを得なかったとはいえ、心のないふるまいをしてしまいまして」
彼女も頭を下げて己の至らなかった点を詫びる。
「そんなことはない。もっと悪い結果を回避できたのは、羽束ちゃんのおかげだよ」
那智は涙の跡を残しながらも、ようやく吹っ切れたような笑みを浮かべた。
「今日のところはこれで失礼しますね」
彼女が気遣うような表情で言い出すと、老人は仰天する。
「な、何を言い出すんだい。お礼の話をしていないじゃないか」
「いえ、さすがにいまここでというわけには……」
羽束は歯切れ悪く理由を言う。
亡くなった夫人との再会、思い出語り、そして二度目の別れ。
これらを一度に経験した相手にビジネスの話はできないというのが彼女の言い分だ。
「初めての方ならば別ですが、那智さんは昨日今日知り合った仲ではありませんし。後日、落ち着いてから改めてしましょう」
「……羽束ちゃんがそれでいいと言うなら、そうさせてもらうとしようか」
彼女の意思を崩せそうにないと判断したのか、那智の方が譲歩する。
善司が父の代わりとばかりに口を挟む。
「でも朝食くらいはいいだろう? 食べて行ってくれ」
羽束の瞳に初めて迷いが生じ、雪彦へと飛んでくる。
彼は迷わず即答した。
「ご迷惑でないならお呼ばれしたらどうですか。一睡もしなかったのですし」
自分は平気でも若い女性にはつらいのではないかと思ったのである。
羽束は決して体力がある方ではないのだから。
雪彦にまで言われた羽束は小さくうなずき、秋葉家からの提案を受け入れる。
「みやさん、そういうことですまないが」
男たちはここで実際に作る立場のみやに声をかけた。
彼女は今さらと言わんばかりに笑う。
「別にかまわないよ。大したものを用意できないけどね。さあ、みんなでご飯だ!」
彼女が明るい声で言うと、子どもたちが手を叩いて喜ぶ。
「わあい! ごはん!」
特に千穂の反応はひときわすごかったが、いまの空気を払しょくしてくれそうな力があった。
まずみやが千穂の手を引き、信一がそれを追う。
那智と善司が続いて羽束と雪彦が最後尾となる。
「先ほどはありがとうございました」
秋葉家の人の耳目をはばかった小声で、彼女は雪彦に礼を述べた。
善司から彼女を庇うようにしたことだろうと見当をつけた彼は、微笑を返す。
あれしきのことでと思う気持ちがないわけではないものの、いまは言うべきではないだろう。
──後日、那智は多めの謝礼を断ろうとする羽束に渡した。




